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雨乞い祭り2

 祭り2日目。今日は特にお役目もなく、私はコルテと二人で城下町へと繰り出していた。

 この国に来て、コルテはエミル様の従者であるナキさんとの距離が縮まったらしい。時折、頬を赤らめながら彼の話をする彼女の姿は、見ているこちらまで微笑ましい気分にさせてくれる。恋の話に花を咲かせるのは、どの世界にいても楽しいものだ。

 先日訪れた時とは印象がガラリと変わり、城下町は祭りの装飾で華やかに彩られ、無数の出店が大盛り上がりを見せていた。道ゆく人々も肌の色や服装が様々で、すれ違いざまに聞こえる会話には他国の言葉も混じっている。不思議なことに、明らかに異国の言葉だと分かるのに、私にはコルタリア語と同じようにその意味がはっきりと理解できてしまった。

「おい、あそこのばーちゃんを狙おうぜ」

「へへ、おっけー。隙を見て袋を奪っちまおう」

 そんな不穏な会話が聞こえてくれば、私はこっそりと指先を動かす。相手の頭上に小さな雨雲を作り、全身を水浸しにしてやった。驚き慌てる悪党たちを尻目に、私は平然と歩みを進める。

「マリ様、大丈夫ですか? 少しお疲れに見えますが……」

 城では決してできない食べ歩きを楽しんでいると、コルテが心配そうに私の顔を覗き込んできた。

「大丈夫、まだまだ食べられるよ! ほら、あそこの劇場、今から始まるみたい。行ってみない?」

 私たちが足を踏み入れた移動式の劇場では、祭りにちなんだ男女の恋物語が演じられていた。

 内容は、今年の「水乙女」に選ばれた少女が、愛する少年と祭りの三日間を慈しむように過ごし、最終日に少年に贈られた一輪の白い薔薇を抱いて湖に身を沈める――というもの。少年は生涯独身を貫き、死後に湖で少女と結ばれるという幕引きに、会場からはすすり泣きと割れんばかりの拍手が沸き起こった。

(……これが作り話なら、私も感動していたかもしれない)

 けれど、昨日エミル様から聞いた残酷な真実を知っている身としては、腹立たしさが勝ってしまう。こうやって生贄を名誉あることだと持ち上げ、美談に仕立て上げることで、国民を洗脳しているのだ。

「お話はどうでしたか?」

 早足で劇場を出ると、入り口の陰に腰を下ろしていたユミル様が、ゆっくりと顔を上げた。

「……ユミル様」

 エミル様の忠告を思い出し、私はコルテの手を引いて離れようとした。けれど、ユミル様は細く微笑みながら立ち上がり、私の逃げ道を塞ぐ。

「覚えておいて。国民の大半は、まだ今の状況を『幸運』だとは受け入れていない。……皆、雨が降るようになった今も怯えているんだ。いつ水が止まるかとね。だからこそ、彼らは確かな保証――『水乙女』を求めている」

「そんな……っ! あんな悲劇を求めているなんて!」

「事実だよ、マリちゃん。……だから、君が欲しい」

 ユミル様は射抜くような強い瞳で私を見つめると、突然、衆人環視の中で片膝をつき、私の前に跪いた。

「な……っ!」

 一国の王子を跪かせてしまったら、もう逃げることはできない。野次馬たちが次々と集まり、黄色い声を上げ始めた。ユミル様は私の手を強引に掴むと、その甲に深く、熱のこもった唇を落とした。

「それに。アルベルトだって、結局は君を生贄にしようとしただろう?」

「違います! アルベルト様は私を助けてくれました!」

「どうだろうね。君を自分の手元から逃がさないようにするための、巧妙な芝居だったりして」

 反論しようとした瞬間、ずっと控えていたコルテが、私を庇うように前に出た。彼女が怒りに震える手を振り上げようとした、その時だった。

 サクッ。

 ユミル様の足元に、鋭い音が響いた。見れば、彼の靴スレスレの地面に、一振りの短剣が深々と突き刺さっている。

「エミルの犬か……。仕方ないね」

 ユミル様は一瞬だけ表情を歪めたが、すぐにいつものにこやかな顔に戻った。

「名残惜しいけれど、またね、マリちゃん」

 彼はひらひらと手を振ると、あっという間に人混みの中へと消えていった。張り詰めていた空気が緩み、私とコルテは同時に深く息を吐き出した。

「大丈夫でしたか?」

 声をかけてきたのは、ラフな街着に身を包んだナキさんだった。彼は手際よく短剣を抜くと、それを懐に隠す。

「エミル様からの命で、密かにお守りしておりました。……コルテが王子に手を上げるような大事にならず、重畳です」

 ナキさんは私の問いに答えるように頭を下げ、エミル様が護衛を付けてくれていたことを説明してくれた。私はお礼を述べると、言い雰囲気になっているナキさんとコルテを見て、一つ提案をした。

「コルテ、私はもう部屋で大人しくしているから。……ナキさん、よければこれからコルテと一緒に祭りの続きを楽しんできてくれませんか?」

 コルテは最初渋ったけれど、私の強い勧めに押し切られる形で、ナキさんと共に再び賑やかな街へと姿を消した。

 一人、静まり返った部屋に戻り、窓の外を眺める。あと一時間ほどで日は沈む。城内は今夜の夜通しの祭りに向けて、慌ただしさを増していた。

「今夜……やるしかないわね」

 私は地下への潜入計画に気持ちを向けようとした。けれど、ユミル様に囁かれた言葉が、どうしても棘のように胸に刺さって抜けない。

(アルベルト様は、雨を降らせるために私を手元に置いた……?)

 以前の私なら、そんな根も葉もない言葉は鼻で笑い飛ばしていただろう。けれど、この国の残酷な歴史を知ってしまった今、その言葉は重く、暗い響きを持って私を揺さぶり続けていた。


一人、部屋に戻り窓の外を眺めていると、控えめながらも確かなノックの音が響いた。コルテがこんなに早く戻るはずもない。緊張しながら扉を開けると、そこに立っていたのはエミル様だった。

「エミル様……?」

「マリ。……無事だったか」

 彼は私の顔を見るなり、安堵したように大きく息を吐いた。その表情には、普段の軽薄さはなく、純粋な心配の色が濃く滲んでいる。

「ナキから聞いた。ユミルがまた、お前に余計なことを吹き込んだそうだな」

 エミル様は私の返事を待たずに部屋の中へ入ると、扉を静かに閉めた。そして、私に背を向けたまま、窓の外の闇を見つめる。その背中は、どこか寂しげで、遠い。

「……お前を、あんな危険な場所へ置いておけない。祭りの間、俺の部屋で過ごさないか?」

 突然の言葉に、心臓が大きく跳ねた。エミル様は振り返らないまま、けれど切実な声で私に訴えかける。

「マリ。……お前は分かっていないだろうが、このコルタリアにとって、お前はどれほど危険な存在か。そして、どれほど……」

 そこまで言って、彼の言葉は途切れた。振り返ったエミル様の金の瞳は、月光を宿して揺らめいている。それは、私がこれまで見たことのない、激情に満ちた眼差しだった。

「俺は、お前を守りたい。誰の手にも渡したくない。……お前を、この国から二度と出さないと、今すぐにでも誓いたい」

 エミル様は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。その気迫に、私はソファの背に縫い付けられたように動けなくなった。

「……マリ。お前は、本当にアルベルトの婚約者でいいのか?」

 彼の問いかけが、私の心臓を深く抉る。アルベルト様の顔が脳裏をよぎる。ユミル様が言っていた「雨を降らせるための生贄」という言葉が、不吉な影を落とす。

「俺はお前の全てを、この国で守ってやる。誰にも触れさせない。……だから、俺の隣にいろ」

 エミル様は最後の言葉と共に、私の目の前に立ちはだかった。そして、私の返事を待つこともなく、力強く私の肩を掴む。

「……っ!?」

 次の瞬間、彼は私をソファへと押し倒した。柔らかなクッションに身体が沈み込み、視界いっぱいにエミル様の顔が広がる。彼の熱い吐息が、私の肌を震わせた。

「マリ……。俺から、逃げられると思うなよ」

 金の瞳が、欲望に燃え盛る炎のように私を焼き尽くす。彼の腕の中で、私の心は激しく脈打ちながら、この未知の感情の波に呑み込まれていくのを感じていた。


視界が、エミル様の金の瞳だけで埋め尽くされる。押し倒されたソファの沈み込みが、私の逃げ場がどこにもないことを残酷に突きつけていた。

「マリ……。もう、誰にもお前を渡さない。アルベルトの元へなど、帰してやるものか」

 エミル様の低い声が、熱を帯びて耳元を掠める。彼の長い指先が私の頬に触れようとした、その刹那だった。

 ――コン。

 静まり返った部屋に、硬質な音が響いた。ノックではない。それは、杖の先か何かで、わざとらしく扉を叩いたような、極めて事務的な音だった。

「……そこまでになさい。見苦しいですよ、エミル様」

 背筋が凍るような、冷徹な声。エミル様の動きが、毒を射られた獲物のようにぴたりと止まった。

 ゆっくりと扉が開くと、そこには銀縁の眼鏡を月光に光らせたラルフが、無表情のまま立っていた。彼は部屋の中の惨状――押し倒された私と、その上に被さる主君の姿――を見ても、眉一つ動かさない。

「ラルフ……。貴様、誰の許可を得て入ってきた」

 エミル様が、獣のような低い唸り声を上げる。けれどラルフは、手にした書類の束を整えるという、あまりに日常的な仕草でその殺気を撥ね退けた。

「事務官として、急ぎの決済が必要な案件がありましてね。それとも、このままこの国の第二王子が、ヴェルナードの婚約者に不敬を働いたという不祥事を、私が各国の賓客へ吹聴して回るのを待ちますか?」

 ラルフは数歩、部屋の中へと足を踏み入れた。その歩みは静かだが、圧倒的な理性が部屋の空気を一気に氷点下へと引き下げていく。

「エミル様。貴方の執着が、彼女の魔力をさらに不安定にさせている。それが理解できないほど、愚かになられたのですか」

 ラルフの翠の瞳が、眼鏡の奥で鋭く細められた。その視線はエミル様を咎めているようでいて、同時に、彼に組み敷かれている私の肌の露出を、冷酷なまでに観察していた。

「……ちっ」

 エミル様は苦々しく吐き捨てると、私を解放して立ち上がった。ラルフは一度も視線を外すことなく、流れるような動作で私の前に立ち、エミル様との間に壁を作った。

「マリ様、整えなさい。……今夜はもう、誰にも部屋を訪れさせないよう手配しました。エミル様、行きましょうか」

 ラルフの言葉は絶対的な命令のように響いた。彼はエミル様を促しながら、去り際、私にだけ聞こえるような小さな声で、けれど酷く深く響く声で囁いた。

「……お忘れなく。今夜、貴女を連れ出すのはこの私です」


 

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