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砂漠の王子3

  エミル様とユミル様の頭上から、バケツをひっくり返したような勢いで水が降り続いている。感情の乱れから魔法を暴発させぬよう、あれほど必死に訓練を受けたというのに、今の私は自分の力を全く制御できずにいた。


「……っ、止まって、お願い!」


 この国に来てから細心の注意を払い、慎重に行動していたはずなのに、ついに最悪のやらかしをしてしまった。

 側にいるコルテや、集まってきた城の従者たちは、ただただ顔を真っ青にして立ち尽くしている。水の勢いを弱めようと必死に働きかけても、なぜか魔力が私の意思を拒絶するように荒れ狂い、一向に収まる気配がない。


 ずぶ濡れの王子たちが水圧に耐えきれず、地面に片膝をついた、その瞬間だった。


 パキ、パキパキッ!!


 鋭い音が響くと同時に、降り注いでいた水が一瞬にして凍りつき、砕けて光の粒子へと変わった。空中にあった水の供給源は、分厚い氷の層で完全に蓋をされている。


「大きな魔力を感じて来てみれば……これは一体、どういうことですの?」


 冷静なルナ様が、珍しく肩で息をしながらこちらへ歩み寄ってきた。今のは彼女の氷魔法だったようだが、巨大な魔力を行使した反動か、その足元は微かにふらついている。


「……ごめんなさい。二人の喧嘩を止めようとしたら、急に水が出てしまって……」


「喧嘩ですって? エミル様、お怪我はございませんこと!?」


 ルナ様は私の説明を聞くや否や、慌ててエミル様のもとへ駆け寄り、その肩を抱いた。


「ルナ、俺は大丈夫だ。……すまなかったな」


 エミル様は安心させるようにルナ様の頭を一度撫でると、ゆっくりと立ち上がり、まだ跪いているユミル様に向かって手をかざした。次の瞬間、爆発的な熱量と共に、二人の体は柔らかな炎の衣に包まれる。炎が消える頃には、濡れていた髪も服も、さらには周囲の地面までもが、何事もなかったかのように乾ききっていた。


「皆、持ち場に戻れ! 今の騒ぎはただの兄弟喧嘩だ。他言は無用と思え!」


 エミル様が鋭い声を張り上げると、野次馬たちは潮が引くように去っていった。ユミル様もまた、唇に不気味な笑みを刻んだまま、一言も発することなくその場を後にする。


「マリ、大丈夫か? ……酷い顔をしてるぞ」


 大量の水を浴びせてしまったというのに、真っ先に私を案じてくれるエミル様の懐の広さが痛い。けれど、去り際のユミル様の、あの「全てが計画通り」と言いたげな瞳が頭から離れなかった。


「エミル様、お優しいのもほどほどになさってくださいまし。……マリ様、ヴェルナードならまだしも、他国で王族に無礼を働くなど、本来なら国際問題ですわよ」


 ルナ様がエミル様の腕にそっと触れながら、私に冷ややかな視線を向ける。その言い分はもっともで、私の脳裏には「戦争」という二文字が不吉に過ぎった。

 ユミル様は間違いなく今回の件を利用し、貴族たちを煽って開戦の口実にするだろう。


「本当に……申し訳ありません。エミル様に気をつけろと言われたばかりだったのに、感情を抑えられなくて……」


「いや、悪いのは煽ったユミルだ。あいつは、お前の魔力を暴走させるのが狙いだったに違いない。……ただ、少しまずいことになったな」


 エミル様が珍しく眉間に皺を寄せて考え込む。その真剣な表情に、私の動悸はさらに激しくなった。


「もしかして……本当に、戦争になってしまうんですか?」


「……すぐにはならないが、ユミルは執拗に今回のことを言い立てるだろう。目撃者も多すぎる。……ただ、一つ妙なことがある。マリの水を止めようとした時、俺の魔法が一度、完全に弾かれたんだ」


 エミル様が何かを訝しむように呟いていたが、パニック寸前の私の耳には、その言葉の半分も届いていなかった。


「マリ様、お顔が真っ青です。一度お部屋に戻りましょう」


 コルテが優しく背中をさすってくれる感触に、ようやく呼吸が整ってくる。ルナ様は相変わらずエミル様に寄り添い、彼との距離を片時も空けようとはしなかった。


「エミル様、あまり子供扱いをするのはおやめくださいまし」


「ははは! ルナは可愛い妹のようなものだからな、ついな」


 エミル様の豪快な笑いとは対照的に、ルナ様の瞳に一瞬、深い寂しさがよぎったのを私は見逃さなかった。中庭は、嵐が去った後のように、再び色鮮やかな花々の静寂を取り戻していた。


「マリ!」


 重い足取りで部屋へ戻ろうとした時、背後からエミル様の明るい声が追いかけてきた。


「……はい、何でしょう?」


「暗い顔をするなと言っただろう! 言い忘れていたが、祭りの最終日。もしアルが間に合わなかったら、お前の相手は俺が務めるからな!」


 祭りの相手? 何の事か分からず困惑する私に、彼は有無を言わさぬ気迫で詰め寄る。


「……俺で、いいよな?」


「えっ? あ、はい……」


「おっけー! じゃあ、またな!」


 満足そうに笑い、彼は私の頭をガシガシと撫でて去っていった。その後ろ姿を見送っていると、今度はルナ様が食い気味に詰め寄ってきた。


「マリ様……今の話、本当ですの? お祭りの相手は、アルお兄様ではないのですか?」


「ええと……相手、というのがどういう意味かよく分からなくて……」


 私が首を傾げると、ルナ様は信じられないものを見るような目でため息をついた。


「雨乞い祭は別名『雨乙女の誓い』。……マリ様、あの祭りに男女で参加するということが、この国でどういう意味を持つかご存知ないのですか?」


 ルナ様が去った後、コルテが耳元でこっそりと、けれど致命的な事実を告げた。


「マリ様……。簡単に言うと、祭りに一緒に参加した男女は、事実上の『交際宣言』とみなされるんです」


「はっ!? え、ちょっと待って、そんなつもりじゃ……!」


「でしたら、早々にお断りになってくださいまし!」


 ルナ様は少し声を荒らげると、そのまま背を向けて立ち去ってしまった。その後ろ姿の美しさに感心している私を、コルテが恨めしそうに見つめる。


「マリ様……。起きてから数時間の間に、どうしてここまで騒ぎを大きくできるんですか?」


 コルテが深く頭を抱えている。しんと静まり返った中庭で、自分のしでかした事の大きさがじわじわと胸を締め付ける。こんな時、フォンテがいてくれたら。いつものように「マリは相変わらずだね」と、呆れながらも笑い飛ばしてくれただろうか。


 重い足取りで自室に戻り、ソファに身を沈めてからどれくらい経っただろう。不意に、控えめながらも鋭いノックの音が部屋に響いた。扉を開けると、そこに立っていたのは眉間に深い皺を刻んだラルフだった。


「……ラルフ」


「マリ様に確認したいことがあります。中に入ってもよろしいでしょうか?」


 ラルフのただならぬ気迫に、私は静かに頷いた。二人きりになった室内で、ラルフは迷いのない足取りで私に近づくと、至近距離で足を止めた。


「……マリ様。先ほどの中庭での失態、一体どういうことです」


「……ごめんなさい。止めようと思ったんだけど、どうしても魔力の制御が効かなくて……」


 私が俯きながら答えると、ラルフはいきなり私の正面に膝をつき、覗き込むように視線を合わせてきた。眼鏡の奥の翠の瞳が、真っ直ぐに私を射抜くように見つめる。


「納得がいきませんね。貴女は私と連日、厳しい魔力訓練をこなしてきました。あんな程度、貴女なら造作もなく止められたはずです」


 そう言うと、ラルフは迷いなく私の手首を掴んだ。手袋越しではない、彼の指先の熱が直接肌に触れる。


「な、何を……」


「黙って。……脈が速すぎる。それに、この魔力の揺らぎは何だ」


 ラルフは私の手を引き寄せると、もう片方の手を私の額に、そして首筋へと滑らせた。彼の指先が、驚くほど熱い。至近距離で彼の整った顔立ちが迫り、銀縁の眼鏡が夕日に光る。


「……体温も高い。マリ様、貴女、自分の体に何が起きているか分かっていないのですか」


 ラルフの低い声が耳元で響き、心臓が跳ね上がる。彼は私の首筋に指を当てたまま、まるで獲物の急所を確かめるかのような仕草で、じっと私の瞳を見つめた。


「貴女の魔力が、外側からの何かに刺激されています」


 彼の指先が、鎖骨のあたりを微かにかすめる。あまりの距離の近さに息が詰まりそうになり、私は思わず彼の胸元を押し返そうとした。けれど、ラルフはびくともせず、逆に私の腰をぐいと引き寄せ、逃げ場を奪った。


「……答えてください、マリ様。貴女をこんなに乱したのは、ユミル様ですか? それとも……」


 ラルフの瞳に、いつもの冷徹さとは違う、焦燥にも似た熱が灯る。彼の視線に射抜かれ、私は声も出せないまま、熱を帯びた腕の中で震えることしかできなかった。


「……言われてみれば、この国に来てからずっと、何かがおかしいの」


 至近距離にあるラルフの熱から逃れるように、私は震える声で告白した。


「魔法の制御もだけど……時々聞こえるの。誰かが私を呼ぶ、冷たくて、でもひどく孤独な声が。……あと、ユミル様が言ってた。城の地下に、私なら何とかできる『何か』があるって」


 私の言葉を聞いた瞬間、ラルフの体が目に見えて硬直した。掴まれていた手首に一段と強い力がこもり、彼の眼鏡の奥の瞳が驚愕に大きく見開かれる。


「……ユミル様が、そう仰ったのですか」


 ラルフの声は低く、地を這うような響きを帯びていた。彼は何かを計算するように一度目を伏せ、それから再び私を射抜くような視線を向けた。


「マリ様、私と地下へ参りましょうか」


 ラルフは私の肩を抱き寄せ、耳元で密やかに囁いた。


「貴女を乱すその声の主を、私が共に確かめましょう」


 眼鏡の奥で怪しく光る翠の瞳。本当の理由は語られないまま、私はその強引な誘いに、ただ抗う術を失っていた。

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