砂漠の王子2
「マリ様、おはようございます。……と言っても、もうお昼を過ぎていますが」
カーテンの隙間から差し込む陽光に目を細めると、侍女のコルテがホッとしたような、それでいて呆れたような顔で私を覗き込んでいた。
「コルテ……おはよう。なんだか、すごくぐっすり眠っちゃった」
「国外へ出た緊張感に加え、昨日のエミル様とのお出かけがありましたからね。顔色が良くなって安心しました」
確かに、ここ数日続いていた頭の重さがスッキリと消えている。エミル様のあの強引な外出は、案外私の溜まった緊張を解きほぐすための、彼なりの配慮だったのかもしれない。
「エミル様は言い方はぶっきらぼうですが、マリ様のことを本当に大切に思われていますよ」
部屋で昼食の用意をしていた年配のメイド、サフィアさんがクスクスと笑いながら口を添えた。彼女はエミル様の幼少期を知る数少ない人物で、時折こっそりと彼の裏話を教えてくれる。
「エミル様って、昔からあんなに俺様というか、自信満々な方なんですか?」
「そうですね。武の才能に恵まれ、魔力に頼らずとも道を切り拓く強さをお持ちですから。……でも、マリ様がヴェルナードから帰国された後は大変でしたのよ。何日も、嬉しそうにお客様の話をされておりましたわ」
「あら。残念ながら、マリ様はアルベルト様と結婚目前ですので。エミル様の入る隙は、髪の毛一本分もありませんわよ」
コルテがわざとらしく胸を張って割り込む。サフィアさんはそれを楽しそうに受け流した。
「正式にご結婚されない限り、チャンスはありますわ。マリ様、いつでもコルタリアにお嫁に来てくださいませ。……あのお付き合いのあった13名のご令嬢とも、帰国した当日に関係を終わらせてしまいましたし」
「えっ、13人と別れた!? ……ああ、そういえば私、14番目の妻候補でしたっけ」
一気に13人と破局。……まるでどこかのプレイボーイのような展開に、私の頭は混乱する。
「……遠距離恋愛って、やっぱり難しいですもんね。お互いに気持ちが冷めてしまったのでしょうか」
私が精一杯の知識で答えると、サフィアさんの目が点になり、コルテがクスクスと笑い出した。
「ははは! さすがマリ様、その斜め上の発想が素敵です!」
笑うコルテを横目に、サフィアさんが「実はですね……」と、慈しむような表情で口を開いた。
「エミル様にいた『13人の婚約者』。実は彼女たちは、家領のトラブルや不当な扱い、あるいは借金に苦しんでいた女性たちだったのです。エミル様は彼女たちを名目上で婚約者に据えることで、自らの権力を使って彼女たちを外敵から保護し、守っておられたのですよ」
「えっ……。じゃあ、本当の恋人じゃなかったんですか?」
「ええ。彼女たちが自立できる目処が立ち、安全が確保されたことで、帰国した当日に関係を清算されたようです。『これからは自分のために生きろ』と、相当な額の支度金まで渡してね」
……なんて、不器用で優しい人なのだろう。俺様で傲慢に見えていた彼の行動の裏に、そんな献身的な一面があったなんて。
「お付き合いをしていたわけではなく、助けていただけだったんですね……」
「そうですわ。そんなエミル様が、初めて自分の意志で『側にいてほしい』と願ったのが、マリ様。あなたなのですよ」
サフィアさんの真っ直ぐな視線に、私はどう答えていいか分からず、熱くなった頬を隠すように俯くしかなかった。
どうやら的外れだったようだが、反省会をする間もなく、私の意識は昨日の不気味な出会いへと向かった。
「……そういえば昨日、ユミル様にお会いしました。エミル様は『気をつけろ』と仰っていましたが、双子のお兄様なんですよね?」
その瞬間、サフィアさんの顔から笑みが消え、深刻な影が落ちた。
「ユミル様……。幼い頃はそれはそれは仲の良いご兄弟でしたが……。今は、あまり関わらない方がよろしいかと」
その口調の重さに、私はそれ以上尋ねることができなかった。
昼食後、唯一の自由行動が許されている中庭を散策しようと廊下を歩いていると、背後から甘く、それでいて冷たい風が吹いた。
「マーリちゃん♪」
振り返ると、そこにいたのはユミル・ソール・アズィーム様。エミル様と同じ金の耳飾りを揺らしている。
「昨日はご挨拶もせず、申し訳ありませんでした。ヴェルナードから参りました、マリです」
ルナ様直伝の美しいカテーシーを披露すると、ユミル様はクスクスと肩を揺らした。
「丁寧だね。僕は第2王子、ユミル。エミルの双子の兄だよ。……これから中庭へ行くんだろう? 僕も暇だから、一緒に行こうかな」
「えっ、あの……私なんかがご一緒するのは……」
エミル様の忠告が脳裏をよぎる。けれど、ユミル様は私の返事を待たず、スッと隣に並んで私の手を強引に取った。
「エミルのお気に入りがどんな子か、じっくり確かめたかったんだ。……さあ、行こうか」
強引なところは、確かにエミル様にそっくりだ。けれど、その手のひらはエミル様のような熱を持たず、驚くほど冷たかった。中庭には、鮮やかな原色の花々が咲き誇っていた。
「綺麗……」
思わず見惚れていると、隣から冷ややかな声が降ってきた。
「マリは、このままコルタリアへ来る気はないかい? ……あの国は、もうすぐ滅びるからね」
「……っ! 滅びるなんて、そんなこと……!」
「事実だよ。半年もすれば大量の死者が出る。……まあ、その前に僕が『戦争』を始めちゃうかもしれないけどね。エミルはずっと反対しているけれど、もうすぐ父上も首を縦に振る」
戦争。日本という平和な国から来た私にとって、それは重苦しい言葉だった。
「どうしても止めたい? それなら城の地下へ行ってごらん。君なら、何とかしてくれるかもしれない」
「地下……? なぜ私にそんな話を……」
「君が、水呼びの乙女だからだよ」
ユミル様の赤い瞳が、ゾッとするような色気を帯びて私を射抜く。その瞬間だった。
「――おい、ユミル! 貴様、マリに何をしている!!」
中庭の入り口から、爆発するような怒号が響いた。エミル様が猛烈な勢いで駆け寄り、ユミル様の胸ぐらを掴み上げる。
「やあエミル。嫉妬かい? 見苦しいなあ」
「ふざけるな! お前には婚約者がいるだろうが! ……マリは俺のだ、手を出すな!」
「えっ、エミル様!? 私、あなたのものになった覚えは……!」
「うるさい、今は黙ってろ!」
二人の王子が火花を散らし、中庭にはいつの間にか野次馬が集まり始めていた。ユミル様は余裕の笑みを浮かべ、わざとらしく私の手を握り直してエミル様を煽る。
「マリちゃんが可愛いから、つい手が動いちゃった。エミル、そんなに怒らなくても――」
「死ねッ!!」
エミル様の拳が跳ね上がった。もう、我慢の限界だった。王子二人が公衆の面前で掴み合い、あろうことか私を所有物のように扱う。そして何より、ヴェルナードの滅亡を嘲笑うような態度。
「もう……いい加減に、しなさーーーい!!」
私の叫びと同時に、空気がパキリと凍りついた。次の瞬間、一点の曇りもない青空から、滝のような大量の水が二人を目掛けて垂直に落下した。
バッシャーーーーンッ!!!
凄まじい衝撃音と共に、中庭の芝生が泥を撥ね上げる。エミル様もユミル様も、頭からプールをひっくり返したような水を浴び、完全に沈黙した。頭が冷えると同時に、血の気が引く。
「……ぷはっ! ……な、なんだ、これ……」
エミル様が顔を拭い、呆然と私を見る。ユミル様もまた、あまりの事態に目を見開いていた。
「……マリ。君、これ……魔法か?」
「……すみません。どうしても、止めなきゃと思って……」
私が消え入るような声で謝ると、背後からフォンテの笑い声が聞こえた。
「あはは! マリ、最高だよ! 空気が読めないってレベルじゃないね!」
ずぶ濡れの王子二人と、静まり返る観衆。私のコルタリア滞在記は、最悪の、あるいは最高に「私らしい」騒動と共に、新たな局面を迎えようとしていた。




