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コルタリア王国1

 馬車がヴェルナード王国の王都を離れて、今日で一週間が経つ。


 窓の外を流れる景色は、豊かな王都の庭園から、徐々に険しい山々の麓へと姿を変えていた。


「はぁ……。それにしても、道は険しいわね」


 私は馬車の揺れに身を任せながら、小さく息を吐いた。

 出発以来、アルベルト様の異母妹であるルナ様とは何度か話す機会があった。けれど、彼女の心の扉を開くのは難しく、仲良くなるにはまだまだ先のようだ。


 一方で、案内役兼監視役(?)のラルフはといえば、時折馬車の窓から姿を見かけるだけで、常に周囲の騎士たちに鋭い指示を飛ばし、何やら忙しそうに立ち回っている。


 一昨日、休憩中に少し声をかけた時は、これでもかというほど嫌そうな顔をされた。


「自分はアルベルト様の従者であり、魔法騎士でもあり、国政にも関わる事務官だ。なぜ、貴女の面倒を見なければならないのでしょうか」


 王家から命じられた任務なのだから、今更文句を言われても困る。私は「お仕事、お疲れ様です!」と、現代社会で培った鉄のメンタルで爽やかにスルーしておいた。ラルフはさらに忌々しげに舌打ちをして去っていったけれど。


 そんな殺伐とした人間関係の中で、私の心のオアシスとなっているのは侍女のコルテだ。

 最近では二人で馬車に乗り込むことも増え、車内はすっかり女子トークの場と化している。


「マリ様! このお芋、美味しすぎます! ほっぺたが落ちちゃいそうですよ!」


 コルテが幸せそうに頬張っているのは、先ほど休憩した村で「乙女へのお土産に」といただいた焼き芋だ。

 ホクホクとした黄金色の身からは、蜜のような甘い香りが漂っている。


「ふふ、喜んでもらえてよかった。これ、母さんが私の荷物にこっそり忍ばせてくれた『サツマイモ』の苗から育てたものなのよ。まさか、お城の研究者さんがこんなに早く広めてくれるなんて思わなかったけど」


 日本から持ってきたカゴの中に紛れていたサツマイモの苗。それを王宮の研究者が「新種の魔導植物か!?」と血眼になって分析し、増殖させた。


 この国にはジャガイモに似た無骨な芋はあっても、これほど甘みが強く、かつ過酷な環境に耐える芋はなかったらしい。


「このお芋は本当に救世主ですよ。痩せた土地でも育ちますし、日照りにも強い。それに、葉っぱまで食べられるなんて……。雨不足で小麦が不作な今、村の人たちはみんなマリ様に感謝しているんです」


 けれど、一つだけどうしても解せないことがある。


「……ねえ、コルテ。さっきのおじさん、これのこと『水乙女みずおとめのサツマイモ』って呼んでなかった?」


「ええ、今やこの国のブランド品ですよ。マリ様が雨を降らせたあの日、最初に見つかった奇跡の作物ですからね!」


 ……絶対に、あの城の熱心(変態的)な植物研究者の仕業だ。ネーミングセンスが痒すぎる。

 けれど、人々が飢えを凌げるなら、私の羞恥心くらい安いものかもしれない。


「スイートポテトって言ってね、茹でて潰したお芋を砂糖やラッテと混ぜて焼くお菓子も絶品なのよ。お城に帰ったら、ラルフやアルベルト様にも作ってあげましょうか」


「うわぁ! お話を聞いただけでお腹が鳴りそうです! マリ様、絶対ですよ!」


 そんな風に、私たちは芋一つで平和な会話を楽しんでいた。

 しかし、そんな空気も、国境が近づくにつれて徐々に張り詰めたものへと変わっていった。



…..



 立ち寄った市場の屋台でのことだ。

 代金を払おうとした私に、店主の老人が周囲を警戒するように顔を寄せ、低い声で囁いた。


「……お嬢さん、国境へ行くなら気をつけな。最近、北の国の連中がコソコソとこの辺りを嗅ぎ回ってるって噂だ。夜中に森を走る奇妙な影を見たって奴もいる。不気味な魔力の気配を連れてな……」


 その言葉を思い出すたび、背中の中心に冷たい氷を押し当てられたような感覚に陥る。

 アルベルト様が今回同行できなかった理由。城の中の慌ただしさ。そしてラルフのあの殺気立った様子……。

 すべては、その「北の不穏な動き」に対処するためだったのではないか。


「マリ様、見てください。国境の壁が見えてきましたよ」


 コルテの声に顔を上げると、視界を遮るように巨大な構造物が現れた。

 

 ヴェルナード王国は、西を広大な海、それ以外を険しい山々に囲まれた天然の要塞だ。

 そして今、私たちの目の前に立ち塞がっているのは、標高の高い山と山の間を埋めるように築かれた、高さ五メートルほどを超える真っ白な石壁だった。

「綺麗……。なんだか、壁そのものが生きているみたい」

 私は馬車を降り、吸い寄せられるようにその白壁へと歩み寄った。

 

「気をつけてくださいね。この壁は様々な防御魔法を組み合わせて作られており、普通の人間が傷を付けることなど不可能です。一説には、古の精霊王様たちが力を貸して築いたとも言われています」


 コルテの説明を聞きながら、私はそっとその白い石肌に手を触れた。

 その瞬間、指先からドクンと心臓を叩くような衝撃が伝わってきた。


「……知っている、この魔力」


 どこか懐かしく、そして魂の深い場所が震えるような感覚。

 ひんやりとしているのに、なぜか温かい。相反する二つの性質を併せ持った不思議な力が、壁の内部で脈打っている。


「精霊王の力……? コルテ、この壁を作ったのはどの精霊王なの?」


「詳しくは存じませんが、風の精霊王エアリーナ様が守護を担当されていると聞いたことがあります。マリ様を包み込んだ、あの優しい風の力ですね」


「……ううん、違う。エアリーナさんの風はもっと軽やかで、光に満ちているもの。この壁の中に流れているのは……もっと深くて、冷たいけれど慈愛に満ちた、水の……」


「水の、ですか?」


 コルテが不思議そうに首を傾げる。


「精霊王様には火のフリード様、地のノーミー様、風のエアリーナ様、そして水のリアン様がいらっしゃいます。でも、水の精霊王リアン様に関しては、文献や資料が極端に少ないんです」


「リアン……様」


「ええ。何でも、昔の王様がリアン様の逆鱗に触れてしまい、国中の水が毒に変わるほどの罰を受けたことがあるとか。それ以来、リアン様は人間との交流を一切断たれ、姿を見せることもなくなったそうです。だから、この壁に力を貸しているとは考えにくいのですが……」


 人間のことが嫌い。

 それなのに、この壁からはこんなにも切実な「守りたい」という意志を感じるのはなぜだろう。

 私は胸のパールのネックレスが、微かに熱を帯びるのを感じた。


「さて、マリ様。ここからは徒歩です。国境の門は、どんな身分の者でも敬意を払って歩いて越えなければならないという掟がありますから」


 促されるまま、私は国境に設けられた「穴」へと向かった。

 それは単なる通用門ではなく、精霊や動物たちが緻密に彫り込まれた芸術品のような回廊だった。

 騎士たちが重厚な金の柵を開け、私を導く。

 ヴェルナード王国の内側から、外の世界へ。

 

 一歩、その「境界線」を跨いだ瞬間だった。


「っ……!? 熱い!」


 あまりの気温の変化に、一瞬息が詰まった。

 さっきまでの白壁の内側は、精霊の加護によって常に春のような心地よい気候に保たれていたのだ。

 しかし、壁の向こう側――「外の世界」は、容赦ない陽光と乾いた熱風が吹き荒れる、厳しい大地だった。

 白壁は、外敵だけでなく「気候」さえも隔てていたのだ。

 

 その圧倒的な事実に驚き、コルテに伝えようと振り向こうとした、その時だった。


「――マリーーーッ!!!!」


 鼓膜を突き破らんばかりの、あまりにも聞き馴染みのある大声。

 同時に、熱風をさらに激しくしたような、日の光をそのまま凝縮したような眩しい影が、私の視界に飛び込んできた。


「え、ちょっと……エミル様!?」


 返事をする間もなかった。

 日の光をたっぷり含んだ金色の髪を振り乱し、瞳をこれでもかとキラキラさせたエミル様が、まるで大型犬のような勢いで私に突撃してきたのだ。


「会いたかったよ、マリ! ヴェルナードの白壁を抜けてくる君の姿、まるでお伽話の女神様かと思ったよ!」


 全力で抱きつこうとするエミル様を、後ろから駆け寄ってきたラルフが「無礼者!」と襟首を掴んで引き剥がす。


「エミル様……。なぜ、あなたがここにいるんですか?」


 私は呆然としながら、目の前で「マリ! マリ!」とはしゃぎまわる彼を見つめた。

 

 国境。北の不穏な動き。そして、謎の水の精霊王リアン。

 すべてが繋がろうとしている中で、私の新しい波乱の幕開けは、この金色の王子の、あまりにも暑苦しい再会から始まったのだった。

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