短い休暇2
「……コルタリア王国に、私が、ですか?」
「正式にマリに招待状が届いてのぉ……」
立派な玉座に腰を下ろしながら、リッカルド王は気まずそうに頬をポリポリと掻いている。隣に座るお妃様のヴォーチェ様も、申し訳なさそうにそっと目を伏
せられた。
城に戻って早々、謁見の間に通された私とアルベルト様は、王様たちから驚きの説明を受けることになった。要はエミル様のお父様――現コルタリア王国の国王から、直々に私宛の招待状が届いたのだという。
宝石と砂漠の王国、コルタリア。
そこは豊かな金山を持ち、宝石の採掘や薬学が目覚ましく発展している国だ。数年前までは、雨不足に悩むコルタリアにヴェルナード王国が水や魔法の支援をしていたのだが、今は立場が逆転してしまっている。同盟国とはいえ、現状ではコルタリアの方が立場が上なのだ。
「コルタリアの文字だが、マリも読んでみるか?」
「はい。あとで辞書を引きながら……あれ?」
「どうしたのじゃ?」
「……文字が、読めます」
「ほぉ……」
王様は特に驚く様子もなく、何故か一人で納得したように頷いている。
受け取った金ぴかの封筒は、中に厚手のカードが入っているのか、ずっしりと重かった。宛名を見れば、コルタリアの言葉で私の名前が、これまた煌びやかな金文字で記されている。
習ってもいないはずの異世界の言葉が、まるで母国語のようにスラスラと理解できてしまう。その事実は、便利な反面、自分の存在が塗り替えられていくような言いようのない恐怖を私に抱かせた。
手紙の内容は、エミル様がお世話になったお礼に、私を最高の形でもてなしたいというものだった。
表向きは、コルタリア王国の建国を祝う『三大祭り』の一つに、国賓級の来賓として招きたいという、この上なく名誉な誘いだ。
けれど、その丁寧な文面からは、「断ることは許さない」という砂漠の国の王の、強引な意思が透けて見える気がした。
かつてはヴェルナードが水や魔法で支援していた立場だったけれど、今や状況は逆転している。盛大なイベントに正式に招待された以上、今のヴェルナードの立場では、どんなに不安があっても断るという選択肢は存在しなかった。
「……まるで、逃げられない檻に招待されているみたい」
心の中に芽生えた小さな不安を悟られないよう、私はただ、重い封筒をぎゅっと握りしめることしかできなかった。
「アルベルトに同行させたかったのじゃが、あやつには別に頼みたいことがあってな。それが済んでから合流することになる」
反論したそうに前のめりだったアルベルト様が、王様の言葉にぐっと耐え、難しい顔をしながらも静かに目を伏せた。
「その代わりに、コルテとラルフに行ってもらおう」
「えっ、ラルフもですか?」
私に同行するラルフを想像しただけで、思わず身震いしてしまった。
彼はアルベルト様の側近だ。主を離れて、私なんかに同行して本当にいいのだろうか。
「ラルフなら安心だ。コルタリアで何が起きるか分からないからな」
アルベルト様も王様に賛成した。けれど、あのラルフが私を全力で守ってくれる姿なんて、今の私には全く想像ができなかった。
「不安か?」
謁見の間を出た後、私たちは南の庭園に向かった。
ベンチに腰を下ろすと、アルベルト様が優しく問いかけてくる。
「エミル様の有言実行力は凄いですね。こんなに早く招待されるなんて……」
エミル様は国に戻るとすぐに父親に知らせたのだろう。あの強引で真っ直ぐな彼をどう扱えばいいのか、考えただけで頭が痛くなってくる。
「君にとっていいニュースか分からないが、ルナが同行すると言い出したよ」
「ルナ様が?」
ルナ様自ら「マリと一緒にコルタリアへ行く」と願い出たそうだ。いつも冷静な彼女にしては珍しい行動だとアルベルト様は言う。
「ルナはあんな調子だが、この国が枯れていくのを誰よりも悲しんでいるんだ。各地を回って民を助けたいと言っているのを、兄上が全力で止めていたよ」
「今回も、止められてしまうのでしょうか?」
「それが、今、兄上はエルフとの会談で留守なんだ」
ということは、まさか、お兄様のチェックなしで出発できるということ?
私の驚いた反応が面白かったのか、アルベルト様はクスリと笑うと、手を伸ばして私の頭を優しく撫でた。
「どうか、妹を頼むよ。私も用事が終わり次第、すぐに向かうから」
「……早く、来てくださいね?」
私の頭を撫でていた手が、ピタリと止まった。
不思議に思って顔を上げると、その手はゆっくりと私の背中へと回される。
「君は……本当に、可愛いな」
「か、可愛い!?」
そんなことを言われたのはいつ以来だろう。ぼっと顔が熱くなるのを感じる。そんな私を見て、アルベルト様がまたクスクスと喉を鳴らした。
「本当は、君と一瞬たりとも離れたくない。コルタリアへ行かせるのは、私が不安なんだ」
揺れるスカイブルーの瞳に見つめられて、目が離せなくなる。
「どうか、私が行くまで、マリが無事でありますように……」
アルベルト様は祈るようにそう呟くと、私の額に、慈しむような優しいキスを落とした。
額に残る熱い感触に、私は心臓が壊れるほど跳ねるのを感じながら、ただ彼を見つめることしかできなかった。
…..
コルタリア王国への出発まで一週間。たっぷり時間があるように思えたけれど、国外へ出るための手続きや荷物の準備に追われ、日々はあっという間に過ぎていった。
城の中もどこか落ち着きがなく、廊下を行き交う使用人たちの足取りもいつもより速い気がする。
「ねえ、コルテ。最近よく耳にする『北の国』って……」
「マリ様、それは貴女様が気に病むことではありませんよ」
ある日、ふと気になって尋ねてみたけれど、コルテにやんわりと制されてしまった。それ以上は深く踏み込めず、私は準備に専念することにした。
けれど、私の胸には別の小さな違和感も居座っていた。
この一週間、王様のそばでいつも影のように控えているバルディ宰相の姿を、一度も見かけなかったのだ。
あの仕事熱心で、お城の知恵袋のような彼がいない。城の慌ただしさは、案外そのせいもあるのかもしれない。
忙しいアルベルト様も、公務の合間を縫ってお茶や食事に誘ってくれたが、ゆっくり話す時間は取れない。
彼は顔を合わせるたびに「長期休暇のはずだったのにな……」と、力なく呟いている。その肩の落とし方や、少しだけ隈の浮いたスカイブルーの瞳を見ていると、私の心までしん、と冷たく沈んでいくのがわかった。
「マリ様、準備は整いまして?」
出発を明日に控えた日、廊下で珍しくルナ様に呼び止められた。彼女の強い意思に王様が折れ、同行が許可されたのだ。
「はい! 無事に身支度は終わりました。明日からよろしくお願いします」
「アル兄様も一緒が良かったですけれど、仕方がありませんわね」
ため息をつく姿さえ絵画のように美しい彼女は、少し大人びた、凛とした空気を漂わせている。
「アルベルト様が一緒の方が、心強かったですよね」
兄妹仲がいいのだなと思って同意した私に、ルナ様は少し意外そうな視線を向けた。
「本当ですわ。アル兄様が一緒でしたら、あの方、何があってもマリ様を一番に守り抜いたでしょうに……。私も、お兄様がいてくださった方が、安心して貴女をお預けできましたわ」
「えっ……?」
「私一人では、マリ様の危なっかしさをカバーしきれるか不安ですもの。ですから、同行する騎士やメイドからは決して離れないでくださいませね」
「あ……はい。ありがとうございます、ルナ様。粗相のないよう気を付けます」
思わず背筋が伸びる。どうやらルナ様は、私が失敗しないか不安なのと同時に、本気で私の身を案じてくれているようだ。
……あれ? でも待って。
以前のルナ様なら、私とアルベルト様が二人きりで過ごすなんて、面白くないって顔をしていたはずじゃなかったっけ? 「お兄様に貴女をお預けできれば安心」なんて、まるで二人の仲を認めているような言い方……。
私が不思議に思って首を傾げていると、ルナ様はそれ以上何も言わず、羽根が舞うような軽やかなカーテシーをして去っていった。
ルナ様の後ろ姿を見送っていたコルテとエマが、我慢しきれないといった様子で吹き出した。
「噂には聞いていましたが、マリ様は本当に鈍感なのですね」
「そうなの! アルベルト様だけではなく、ルナ様まで。本当にお気の毒でならないわ」
二人に散々冷やかされ、私は顔を真っ赤にして逃げ出した。エマもコルテも旅の同行に自ら志願してくれた。二人が一緒なのは心強く、コルタリアでもこんな風に笑い合える時間があればいいなと、小さく願った。
そして、ついに出発当日。
城門には、驚くほど豪華な馬車が二台と、数人の護衛兵が用意されていた。
けれど、何度周囲を見渡しても、エマの姿がない。昨日まで「楽しみですね!」と可愛らしいツインテールを揺らして笑っていた彼女が、どこにもいないのだ。
嫌な予感がしてコルテに尋ねると、彼女は困ったように眉を下げた。
「ああ、エマなら……急用ができたとかで、先ほど慌ただしく実家へ戻られましたよ」
コルテの言葉に、私は目の前が真っ暗になるような衝撃を受けた。
あんなに一緒に行くことを喜んでくれていたのに、挨拶もなしにいなくなってしまうなんて。期待していただけに、ぽっかりと胸に穴が開いたような寂しさが押し寄せてくる。
心細さを抱えたまま顔を上げると、そこには見送りのためにアルベルト様が立っていた。けれど、その顔を見て私は思わず足を止めてしまう。
……怖い。
私は自分が何かとんでもない失敗をして彼を怒らせてしまったのではないかと、言いようのない不安に襲われた。
「気をつけて。私も仕事が終わり次第、すぐに向かう」
「ア、アルベルト様も、あまり無理をなさらないでくださいね」
私の震える声に反応したのか、彼の氷のような瞳がわずかに揺れた。
「……マリ、君にこれを」
アルベルト様が差し出した掌には、あの不思議な光を放つ真珠のネックレスがあった。
「これって、アルベルト様の大切な……」
「マリを守ってくれるはずだ。私が行くまで、持っていてほしい」
彼がそっと私の首にネックレスをかけてくれた、その瞬間――。
ズキリ、と頭の奥が鋭く痛んだ。けれど、直後に彼に強く抱き締められたせいで、痛みも思考も一瞬で吹き飛んでしまった。
「……無事でいてくれ」
耳元で囁かれた、押し殺したような切実な声。
怒っていたのではなく、私を心配してくれていたのだと気づき、胸がいっぱいになる。けれど、あまりの恥ずかしさに耐えきれず、私はつい「おどけ」てしまった。
「あ、ありがとうございます……っ。なんだか、お兄ちゃん……いえ、お父さんみたいですね!」
その瞬間、アルベルト様の体がぴくっと固まった。
「なっ! 兄……父親だと!? 私は、そんなつもりで……っ」
「そろそろお時間です。出発いたしますよ」
あきれ顔のラルフが声をかける。私はそれに従って、逃げるように振り返ろうとした。
けれどその瞬間、ぐいっと腕を強く引かれ、視界がアルベルト様の顔でいっぱいになる。
「……っ!?」
柔らかな何かが、私の頬に触れた。
一瞬だけの、触れるだけのキス。
アルベルト様は驚きで固まる私を満足そうに見つめると、勝ち誇ったように穏やかに笑った。
「続きは、また会った時に」
「っ――――!」
声にならない叫びを上げながら、私は突き飛ばされるように馬車へと駆け込んだ。
馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外では、薄灰色の雲が空を覆い、じわりと霧が立ち込め始めていた。
王様のそばにいつもいるはずのバルディ宰相の不在。「北の国」という不穏な言葉。そして、出発の直前に挨拶もなく消えたエマ――。
ヴェルナードの海を背に、馬車は未知なる砂漠の国へと進んでいく。頬に残る微かな熱と、胸に去来する得体の知れない不安を抱えたまま、私の新しい旅が始まった。




