愛しい気持ち2
時はフォルトナの森から帰還した翌朝に戻る。
三週間ぶりの自室のベッドは、驚くほど心地よくて、私は泥のように深く眠り込んでしまった。朝の光がカーテンの隙間から差し込み、ようやく重い身を起こして化粧台の前に座る。
ふと、鏡の中に強烈な違和感を感じて、吸い寄せられるように視線を移した。
「!」
そこに映っていたのは、瞳が鮮やかな金色に変色した自分だった。
驚きすぎて、喉の奥から声が出ない。
一体、いつからだろうか。そういえば道中、エルフの人たちから「瞳が綺麗だ」と何度か言われたことを思い出す。あの時は極限状態でそれどころではなかったので、単にお世辞か何かだと思って聞き流していたのだ。
「私の目が、なんで……こんな色に……」
「まさか、目の色が変わったことに今まで気付かなかったんですか?」
背後からやってきたコルテが、信じられないといった顔で鏡越しに私を見ていた。
「忙しかったし……、疲れてたし」
「そうですね。それどころじゃなかったですものね。……本当に吸い込まれるような、美しい瞳ですよ」
「でもっ……この色は……」
金色はこの世界において、特別な意味を持つ。
それは気高き王族の証であり、同時に、強大な魔力をその身に宿していることの証明でもあった。
レオナルド様やルナ様が持つ、太陽の欠片のような輝かしい金髪。エミル様が宿している、すべてを見透かすような神秘的な金の瞳。それらは選ばれた者にしか与えられない、誇り高き色彩のはずだ。
「……なんで」
鏡を見つめる指先が、わずかに震える。
ただの異世界人であり、自分では魔力さえ十分に制御できていないはずの私に、なぜこの「色」が現れているのか。理解しようとすればするほど、思考は迷宮に入り込み、出口を見失ってしまう。
「もしかしたらマリ様にも、特別な血が受け継がれているのかもしれませんね」
「いや、そんなはずは……」
ふと両親の顔が頭に浮かぶけれど、二人ともごく普通の日本人が持つ黒い髪と暗い瞳の色をしている。私のように髪が水色だったり、瞳が金色だったりはしない。
ただ、母と別れる時、何かを知っているようだったのを思い出す。
「母さん……」
私は、母からお守り代わりにと持たされた真珠のネックレスをそっと握りしめた。
すると、手のひらの中の真珠が、まるで母さんの体温が移ったかのように、じわりと熱を帯びた。
思えば、あの時……母さんと別れる直前の、あの表情。
母さんは、何かを知っていたような気がしてならない。
手のひらから伝わる不思議な温かさは、不安に揺れる私の心を、まるでお母さんが側にいてくれるかのように優しくなだめてくれるようだった。
「……ふふふ。マリ様、色々と調べなければならないことが増えましたね」
不意に、鏡越しにコルテが意味深な笑みを浮かべた。
彼女の視線が、どこか楽しげに細められる。
「ですが私としては、その瞳のことも気になりますが……。昨夜、アルベルト様と一体何をされていたのか、そちらのお話もじっくり聞かせていただきたいです!」
「なっ……!」
心臓が跳ねた。昨夜の、あの耳元で囁かれた声や、抱きしめられた時の温もりが一気に蘇る。
まさか見られていたわけじゃないだろうに、コルテの「生暖かい視線」は、すべてを見透かしているかのようだった。
アルベルト様とのことを思い出し、一気に顔に血が上る。
それをごまかそうと視線を泳がせたが、コルテはニヤニヤと表情を緩め、生暖かい目で私の次の言葉を待っている。
昨日のことを話さなければならない雰囲気になってしまい、彼女に上手く誘導されたこともあって、結局、私はすべてを白状する羽目になってしまった。
「ふふふ……ふふふふふ!」
コルテのニヤニヤはもう止まらない。それでも手だけはプロの動きで、私の髪を鮮やかに整えていく。
「ついに、ついにですね。アルベルト様と結ばれるんですね!」
「何を言っているの、このメイドは……」
そもそも「婚約者」という肩書きは、異世界から来た私がこの城で安全に生きやすくするために、アルベルト様が期間限定で貸してくれた慈悲のようなものだ。
――じゃあ、昨日のあの抱擁はなんだったのか。
友情とか、そんな軽いものじゃない。あの時、私を見つめていた彼の瞳からは、私を愛しいと思う、隠しきれない熱情が伝わってきていた。
アルベルト様だって男性だ。極限状態から帰還して、つい魔が差しただけだろうか。
いわゆる吊り橋効果というやつだろう。あんな窮地を共にしたのだから、一時的に感情が高ぶってしまっただけかもしれない。
「アルベルト様は、その……兄のような存在で……」
自分に言い聞かせるように口に出してみる。
そう、彼は世話好きで、いつも私を心配してくれて、心から優しい人だ。かっこいいし、紳士だし、正真正銘の王子様だし。理想の男性像なのだと言われれば確かにそうなのだけれど。
必死に自問自答を繰り返している私を横目に、コルテはうっとりするような、それでいてすべてを見透かしたような表情を浮かべる。
「マリ様、すごい顔をしてますよ。ふふ、アルベルト様も思い切りましたね。まぁ、こうでもしないとマリ様は一生気付いてくれませんものねぇ」
「ちょっとコルテ? さっきから好き勝手言ってくれるけど、色々勘違いしてない?」
「してるのはマリ様です! はい、できましたよ」
水色の髪は上品なハーフアップにまとめられ、前髪は横に流れるようにセットされた。おかげで、鏡の中に煌めく金の瞳がいっそう際立って見える。
「城の中は比較的安全ですが、今まで以上に慎重に行動してください」
コルテがそれまでの明るい声を少し潜めて、真剣な表情で私に告げる。
「慎重に? なぜ?」
「金の瞳を持つ者は人魚か、それとも闇の種族か。あるいは王族か……。とにかく、コレクターもいるくらいですから用心してくださいね!」
コレクター。眼球を摘出してホルマリン漬けにして棚に飾るような、おぞましい光景を想像してしまい、思わず身震いした。
「……気を付けるわ」
「はい。そういえば先程伝達がありましたが、しばらくお休みをして良いとのことです」
「えっ、ラルフの厳しい講義もないってこと?」
「勿論です! なので、たっぷりアルベルト様と甘い時間を過ごせますね!」
「コルテー!」
散々冷やかして満足したのか、彼女は「仕事がありますから」と軽やかな足取りで部屋から出て行ってしまった。
休みをもらったものの、一人で部屋にいると昨日のことばかり考えてしまう。
気分転換に廊下を歩いていると、白いローブを着た人達がやってくるのが見えた。すれ違いざまに会釈をすると、顔を二度見される。
「失礼ながら、マリ様で宜しいでしょうか?」
「そうですが」
その中の若い男性が、モジモジと顔を火照らせながら声をかけてきた。
以前、私の日傘をまじまじと観察していた研究員の彼だ。
「あの、僕、城で研究をしている者です。マリ様が持ってきたイモの生育に成功しまして、現在国中で収穫期を迎えています!」
「イモ……?」
私が貢献したらしい話だが、全く見当がつかない。
「説明が足らず申し訳ありません。マリ様が異世界から持ってきた苗を育ててみたところ、痩せた土地でもよく育つことが分かったため各地方に配りました。それがもうすぐ収穫時期になります」
中年の女性が男性の後頭部をべしっと叩きながら言葉を添えてくれた。
苗――。母がこちらの世界に来る前に、サツマイモの苗を私に持たせてくれたことを思い出す。
初夏に植え秋に収穫するサツマイモ。各地方に配るほどは持ってきていないはずだ。
一体どうやって繁殖させたのかと言うと、さすが魔法大国。土魔法を使い成長を早め、苗を増やし、雨不足で作物を育てることが難しい土地に配った。
大体どんな畑でも育つサツマイモは、この雨不足のヴェルナード王国にぴったりな食物だったそうだ。
「異世界からきた植物を前にして、研究者の血がいてもたってもいられませんでした。見た目は紫、中は黄金、味は甘いときました。あれは何なのでしょうか?」
「サ、サツマイモと言います」
「サツマイモ! なんと奥深い響きだ!」
研究者の男の語りが熱く、ぐいぐい身を乗り出してくるため、後ろにいる女性に首根っこを捕まれている。
「すみませんね、新人なもので……。無礼をお許しください」
女性は一礼すると、男をずりずり引きずりながら行ってしまった。
どうやら私が持ってきたサツマイモの苗が、食糧難解消に少しでも貢献してくれたようで嬉しく思う。
「サツマイモかぁ。久しぶりに食べたいな」
焼き芋がいいだろうか、やるならとことんこだわって石焼き芋にしようかと考えを巡らせた。
数日が、先日の研究者の男性に声をかけられる。今日は一人のようだ。
「こんにちは、マリ様!」
「こんにちは」
挨拶を返すと、男の顔が真っ赤になる。
どこか具合が悪いのだろうか。
「あの、マリ様にどうしても聞きたいことがありまして……っ!」
男はあらい息遣いをしながら詰め寄ってきた。発熱でもしているかのような熱量に押され、自然に何歩か後ろに足が動いた。
興奮する彼に突然手を握られ、流石にまずいと思った時だった。
「マリ、やっと見つけた」
低く、どこか焦燥を含んだ声。
どこから現れたのか、アルベルト様が私を守るように男との間に割り込んでくれた。
どきん
心臓が一度大きく跳ねると、その後はもう暴走したように止まらない。
アルベルト様と合わせる顔がないと思っていたのに。いざ姿を見て、その低い声で名前を呼ばれただけで、こんなにも胸が熱くなった。
「彼女に何か用か?」
アルベルト様が男に放った声は、今まで聞いたことがないほど冷たく、鋭いものだった。
目の前に広がる彼の背中が、あまりに頼もしくて、同時に今の私には眩しすぎて、私はそのマントの端を握りしめたい衝動を必死に抑えた。
「あ、アルベルト様……」
小さくその名を呼ぶ。
振り向いた彼の瞳が優しく私を映す。その吸い込まれそうなスカイブルーに見つめられ、私は、もう自分の気持ちに正直になっても良いのかもしれないと、心のどこかで強く確信していた。
私はいつの間にか「王子様」としてではなく、一人の男性として、心から求めてしまっている。




