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守りたいもの3

 宴会は盛り上がりを見せ、人とエルフが入り混じって食事や会話を楽しむ中、私たちもその輪の中にいた。

 あちこちで笑い声が弾み、杯が鳴り合う音が夜気に溶けていく。色んな人からお礼や激励の言葉をかけられ、胸に溜まっていた重さが、少しずつほどけていくのを感じた。


「マリ様ぁー! 私は、私は感動していますぅ!」


 感極まった様子の大柄なエルフが、腕を広げてこちらへ突進してきた瞬間――

 左右から伸びた手が、見事にその勢いを止めた。


「そこまでだ」


「距離感を覚えてください」


 アルベルト様とコルテが、まるで打ち合わせでもしていたかのように同時に動いたのだ。

 息の合った様子に、思わず笑みがこぼれる。エルフは名残惜しそうにしながらも、素直に引き下がっていった。


 やがて日が傾き、キャンプファイヤーに火が灯る。

音楽が始まり、足取り軽やかな踊りの輪が生まれると、宴はさらに熱を帯びていった。


「少し、挨拶に行ってきますね」


 そう言ってコルテが席を外した後、私とアルベルト様は、火から少し離れた場所にある丸太を見つけて腰を下ろした。

 火の粉がぱちりと弾け、夜風が髪を揺らす。


 エルフ族に親しまれている地酒は、果実のような甘い香りがして驚くほど飲みやすい。

 私たちは今日、何度目かも分からない乾杯を交わした。


「調子はどうだ?」


 穏やかな声が、焚き火の音に溶け込む。


「時々立ちくらみはありますが……だいぶ回復しました」


 アルベルト様は静かに頷き、私の言葉を確かめるように受け止める。

 炎の揺らめきに照らされた横顔は、昼間よりも柔らかく、どこか遠くを見ているようだった。


「……そうか。では、元気のない原因は、やはりフォンテか?」


 私は少し間を置いて、ゆっくりと頷く。

 今こうして皆が笑顔でいられるのは、フォンテが身を犠牲にして私に魔力を渡してくれたからだ。その事実を思うたび、胸の奥がちくりと痛む。


「はい……泉も、森の妖精たちも力が戻りましたし、本当ならフォンテももう姿を見せていいはずなのに……」


「回復には個体差がある。フォンテは、かなりの力を使った。反動で、今は静かに力を蓄いでいるのだろう」


 アルベルト様は焚き火を見つめたまま、淡々と続ける。


「焦らず、確実に回復する方がいい。無理に表に出て、再び力を失えば意味がない」


「……そうですね。私も、そう信じています」


 少しだけ胸が軽くなった気がして、私は視線を彼へ戻す。


「ところで……アルベルト様こそ、お体は大丈夫ですか?」


 問いかけると、彼は一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし、それから小さく笑った。


「私は魔力がないからな。皆のような疲れはない」


 自嘲するように口元をゆるめ、誤魔化すようにジョッキを口に運ぶ。その仕草が、いつもの彼らしくなくて、胸の奥がざわついた。


 私は知っている。

 嵐の夜、誰よりも冷静に状況を見極め、声が枯れるほど指示を飛ばしていた姿を。

 精霊の加護を受ける魔法が、どれほど体力を削るものかも。


「嘘っ!」


 思わず声を上げてしまい、アルベルト様は驚いたように目を見開いた。

 スカイブルーの瞳が、炎の光を映して揺れる。


「アルベルト様が頑張っている姿、ちゃんと見ていました。だから……そんな風に、自分のことを言わないでください」


 私の言葉に、彼はしばらく黙り込む。

 焚き火の音だけが、二人の間を満たしていた。


「……ありがとう、マリ」


 低く、静かな声。


「だが、どうしても考えてしまう。私に、ちゃんと魔力があれば……もっと多くの人を救えたんじゃないか、と」


 横顔には、後悔と責任、そして長い年月消えることのなかった痛みが滲んでいた。

 キャンプファイヤーの炎が揺れるたび、その感情が浮かび上がっては、また闇に溶けていく。


 アルベルト様は私から視線を外し、静かに炎を見つめる。

まるで、そこに過去の記憶が映っているかのように。


「昔……私のせいで、母を失った」


 低く落とされた声は、火のはぜる音にかき消されそうで、それでも確かに耳に残った。

 炎に照らされた横顔は脆く、ほんの少し触れただけで崩れてしまいそうだった。


「……それは……」


 言葉が、喉の奥で詰まる。

 慰めるべきなのか、否定すべきなのか、それともただ聞くべきなのか――分からない。

 私は、ただ彼の言葉を遮らないように、そっと息を整えた。


「王子という立場上、幼い頃から命を狙われることがある。四歳の頃だ。

 私を守ろうとして……母は亡くなった、と聞いている」


「……“聞いている”、とは?」


 問いかけた私の声は、思ったよりも小さかった。


「その時の記憶が、私にはない。

 目の前で母を失った衝撃で、四歳以前の記憶が消えてしまったらしい。

 顔も、声も、抱きしめられた温もりさえ……何一つ覚えていない」


 淡々と語られる言葉が、胸に突き刺さる。

 覚えていないことが、どれほど残酷なのか。

 忘れてしまったからこそ、想像するしかなく、その想像が彼を責め続けているのだ。


 現王妃ヴォ―チェ様は実の母ではないと聞いている。

 それでも彼女は、アルベルト様にも私にも、分け隔てなく優しさを向けてくれた。

 その温かさを知っているからこそ、彼が抱え続けてきた孤独が、余計に際立つ。


「ルナとは血が半分しか繋がっていない。

 だが、母君は私や兄をルナと分けることなく、同じように育ててくれた。

 ……まあ、兄には嫌われているがな。

 “母親を殺した弟”だから」


 自分を嘲るように、彼は小さく笑った。

 その笑いが、あまりにも痛々しくて――胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


「そんなの……っ、アルベルト様のせいじゃない!」


 気づけば、私は立ち上がっていた。

 怒りと悲しみと、どうしようもない悔しさが一気に溢れ出す。


「生まれてきただけで責められるなんて、おかしい です!

 守られた命を、罪みたいに背負う必要なんてない!」


 勢いで立ち上がったせいで、視界が一瞬揺れた。

 くらりと身体が傾ぐと、アルベルト様が驚いたようにこちらを見上げる。


「いつだって自分より他人を優先して、

 立場や容姿を誇ることもなくて……

 それなのに、どうして自分だけをそんなふうに責めるんですか」


 胸の奥が熱くなる。

 言葉にしようとして、はっと気づく。


 ――私は、何を言おうとしている?


「私は……そんなアルベルト様が……っ」


 好き、と言いかけた。

 喉まで出かかったその言葉を、必死に飲み込む。


 けれど、その言葉を言うにはまだこの感情と向き合えていない。


 アルベルト様の瞳が、かすかに揺れる。

 炎の光を映したその瞳に、戸惑いと、期待と、ほんの少しの弱さが混じる。


「……私のことが?」


「き、嫌いじゃないです!」


 自分でも分かる。

 今の返事は、まったく可愛くない。


 一瞬きょとんとした表情を見せたあと、アルベルト様はふっと肩の力を抜いた。

 そして――


「ははは。……そうか、ははは!」


 今まで一度も聞いたことのない、素の笑い声だった。

 張り詰めていた何かを、やっと手放したような笑顔。王子でも指揮官でもない、ただの青年の表情。


 その姿があまりにも愛おしくて、私までつられて笑ってしまう。


「すまない。つい、笑ってしまった」


「いえ……私も、変なこと言いましたし」


「いや」


 アルベルト様は静かに首を振る。


「……そこが、君のいいところだ」


 薄暗い中でも、彼の頬がほんのり赤いのが分かる。

気づけば、二人のジョッキはすっかり空になっていた。


 ――まずい。


 これ以上ここにいたら、取り返しのつかないことを言ってしまいそうだ。


 ちょうどその時、キャンプファイヤーの輪の中から、

コルテと、血縁者のエルフのリルさんが並んで私の名前を呼んでいる。

 並ぶ姿は、どこか兄弟のようにも見えた。


 ――今だ。


 私は勢いよく立ち上がる。


「呼ばれているので、行ってきますね」


「マリ……」


 名を呼ばれた瞬間、手首を取られた。

 逃げる間もなく引き戻され、私は再び丸太に座らされる。


 視線を上げると、アルベルト様の影が覆いかぶさった。

 逃げ場を失った距離に、彼の気配だけが満ちていく。


 次の瞬間、頬にそっと触れる温もり。


 驚くほど優しくて――

 それでいて、逃げ道を塞ぐような触れ方だった。


「……やっぱり、嫌だな」


 低く、掠れた声。


「え……?」


 問い返すより早く、指先がわずかに頬をなぞる。


「……誰かが君に触れるのは、嫌だ。

それが、人でなくても」


 熱を帯びた指先。

 逸らすことを許さない、真っ直ぐな視線。


 胸の奥が、きゅっと縮まる。


「マリは……」


 名前を呼ばれただけなのに、心臓が大きく跳ねた。


「は、はい?」


 間の抜けた声が出てしまい、余計に恥ずかしい。


 アルベルト様は、何か言いかけたまま唇を閉じる。

 その沈黙が、言葉よりも雄弁だった。

 

 ――続きを、言わせてはいけない。

  

 これは、酔いのせい。

 そう思わなければ、胸が壊れてしまいそうだった。


「わ、私たち……だいぶ酔ってますよ!

そうですよ、うんうん!」


 自分でも分かるほど、必死に明るい声を作る。


「疲れてると、お酒のまわりも早いですし!

いやぁ……お酒って怖いですね!」


 アルベルト様が何か言おうとする前に、言葉を重ねる。


 一拍置いて、彼は小さく息を吐いた。


「……ああ。そうだな」


 視線を伏せ、名残惜しそうに――けれど確かに、距離を取る。

 触れていた手が、ゆっくりと離れていく。


 その時、少し離れた場所でニヤニヤとこちらを見ているコルテと目が合った。


「で、では! コルテのところに行ってきますね!」


 返事を待たず、私は早足に二人の元へと向かった。


「マリ様、どうも〜」


 コルテの口元は、相変わらず楽しそうだ。

 隣のリルは、顔を真っ赤にしてこちらを見ている。


「アルベルト様……大胆でしたね。

見ているこちらまで、どきどきしました」


 その言葉に、リルが大きく頷く。


「皆、見ていましたよ。 ほら――」


 指さされた先では、エルフの男性たちがアルベルト様を囲み、杯を掲げて賑やかに笑っている。


「讃えられてますね。

エルフは、しとやかに愛を育む種族ですから……

あの行動は、かなり刺激的だったと思います」


 うっとり語るリルに、私は頭を抱えたくなる。


「……明日から、どんな顔をして過ごせば……」


「ふふ、大丈夫ですよ」


 いつの間にか、コルテがすぐそばに来ていた。


「マリ様は、もっとご自分の心に正直でいいんです」


 そして、静かに続ける。


「王子殿下は、我慢なさる方です。マリ様が拒めば、それ以上は踏み込みません」


「……」


「ですから」


 にっこりと笑って。


「次に踏み込むのは、マリ様の番ですよ」


 それ以降の記憶は途切れ途切れで、

 次に目を覚ました時、私は自分のベッドの上で朝を迎えていた。


 頬に残る、あの温もりだけが――

 昨夜のすべてが、夢ではなかったと教えるように、

微かに熱を帯びていた。


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