守りたいもの2
エルフの里は、嵐を越え、少しずつ本来の活気を取り戻しつつあった。
オストロ様の慌ただしい姿を何度か目にしただけで、話の続きを切り出せずにいる。
今夜は泉の復活を祝う宴会だ。
「この宴会は、騎士やメイドと看病をしてくれたエルフたちが主催なんです」
コルテの声は明るく、楽しそうに弾む。
看病した側とされる側が心を通わせ、意気投合した結果らしい。
これまで交わることのなかった者たちも、同じ心を持つとわかれば、距離は自然と縮まるものだ。
あの嵐を共に乗り越えた連帯感も手伝い、人とエルフのカップルが誕生する光景には、驚きと祝福の声があちこちから上がっていた。
会場の手前で、強面の騎士が顔を真っ赤にしながら金髪美人のエルフ女性と腕を組んでいる様子を見て、私は思わず微笑む。
「マリ様も宴会に参加しませんか?」
コルテが少し遠慮がちに手を差し伸べる。
その手の温もりに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そうだね……行こうか。コルテ、なんだか嬉しそうだね」
「人とエルフが一緒に宴会なんて、前代未聞ですよ!」
空元気も混じっているかもしれないが、彼女の瞳の輝きには嘘がない。自然と頬が緩む。
森の空気に包まれながら足を踏み入れると、既に宴会は始まっていた。
野外の立食形式で、木の実の装飾が柔らかな光に照らされ、森に甘い香りと笑い声が満ちている。
コルテと二人、テーブルに近付こうとしたその時――背後から、ふわりとした可愛らしい声が響いた。
“はーい、マリちゃん元気?”
振り返ると、エアリーナ様がヒラヒラと手を振り、少年の姿のトルビネ様を伴って近づいてくる。
“さぁトルビネ、正直に言いなさいな”
エアリーナ様にそっと背中を押され、トルビネ様が戸惑いながら一歩前に出た。
“……すまぬ。わしが、オストロに言ったのじゃ……”
深く頭を下げられ、私は思わずコルテと目を合わせる。
何の話なのか、まだ理解が追いつかない。
“コルティアナを盾にして、マリを動かしてみてはどうかと……愚かなことを口にしたのは、わしじゃ”
その声には、取り繕いようのない後悔が滲んでいた。
トルビネ様は、コルテがハーフエルフであり、泉の毒に侵されにくいことを知っていたはずだ。
それでも――恐怖と焦りが、判断を誤らせたのだろう。
“オストロの思惑も察してはおった。だが……まさか、本当に血の繋がったコルテを突き落とそうとするとは……”
言葉の端が震え、小さな肩がかすかに揺れる。
琥珀色の瞳には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。
その姿に、私の胸も締めつけられる。
“本当に……すまなかった!”
深く頭を下げるその姿は、言い訳も弁明も許されぬ覚悟そのものだった。
“私からも謝るわ。……本当に、ごめんなさい”
エアリーナ様の声は穏やかでありながら、揺るぎない意思を帯びている。
その様子を黙って見ていたコルテが、静かに口を開いた。
「もし……マリ様に何かあったら、私もトルビネ様と同じことをしたかもしれません」
初めて見る、強い光を宿した瞳。
その覚悟に、私たちは言葉を失う。
“それでも――”
エアリーナ様は真剣な表情で言葉を継いだ。
“トルビネは、越えてはいけない一線を越えた。二人の命を脅かしたのだから”
「エアリーナ様……」
“だから、けじめをつけましょう。マリ、腕を出してもらえるかしら?”
私と、半泣きのトルビネ様が向かい合う。
エアリーナ様は淡々と、しかし確かな動きで、私の左手首に触れた。
触れた瞬間、じんわりとした熱が広がる。
その光の中から、まばゆい銀の華奢な腕輪が姿を現した。
“この腕輪は、トルビネがマリちゃんと契約を結んだ証よ。魔力量の多い子だから、力になるはずよ”
銀色の腕輪は、トルビネ様の羽色を思わせ、柔らかく光を反射している。
それは私と彼を結ぶ、逃れようのない絆の象徴だった。
“これでマリちゃんは、風の魔力を自由に使えるわ。コルテちゃんも、必要な時は迷わず使ってちょうだい”
エアリーナ様の微笑みは、包み込むようにあたたかく、
張り詰めていた空気を静かに溶かしていった。
“少し疲れたわ、休もうかしら。マリちゃん、また会いましょう。”
そう言い残すと、エアリーナ様はフワリと風に乗り、空高く舞い上がる。
私たちに微笑みを向け、溶けるように視界から消えた。
「……嵐のようでしたね。」
コルテはまだ空を見上げ、余韻に浸っている。
「そうだね……。それで、えっと、トルビネ様はこれからどうするの?」
“トルビネで良い。そなたとは主従契約を結んだからな。わしはこれから、エアリーナ様の力が戻るまでおそばで御使いする”
そして急に、トルビネ様は何かを思い出したように、膝をつき私を見上げた。
トルビネ様の琥珀色の瞳が真っ直ぐ私を見つめる。光に揺れるその瞳は、あどけない少年の面影を残しつつも、確かな覚悟を帯びていて、時が止まったような感覚に襲われた。
“エアリーナ様を救ってくださったことを心から感謝する。あの方は何ともない言い方をしているが、マリ様の力がなければ、力を取り戻すことは出来なかった。”
その琥珀色の瞳はさらに光を増し、幼さを残した少年の顔には似つかわしくないほど澄んでいて、胸の奥がざわつく。
「様なんてつけないで。それに、早く立って……」
気恥ずかしさから思わず目を逸らす。自分よりも若い彼に跪かせることが、こんなにも胸を痛めるとは思わなかった。
“じゃあマリも我を呼び捨てに、これで対等じゃ。”
口元にほんの一瞬、少年らしい笑みが浮かぶ。
“そしてマリよ、如何なる時も我はそなたの力になることを、ここに誓おう。”
その言葉に冗談や飾りは一切なく、空気がしんと静まったように感じる。ふわりと風が二人の間を抜け、銀の腕輪がかすかに震えた。
「トルビネ……」
真剣な眼差しに嘘はない。
彼は私の手をそっと取り、冷たい指先が腕輪に触れる。まるで忠誠を誓う儀式のように唇を近づけると、腕輪が淡い光を放ち、羽音のような風が舞い上がった。
胸の奥に、不思議な安堵と、言葉にできない重みが広がる。私は息を吸い込み、しっかりと彼の瞳を見返した。
“あの堅物のオストロがお主に興味を持ったのも納得いく。何と心地よい力じゃ。”
トルビネは満足そうに頷く。幼い姿に似合わぬ毅然とした雰囲気を見せつつ、私は自分が膝をつかせたことを思い、慌てて手を引く。
「うわっ!」
“おぉ、マリは大胆じゃの。”
勢い余ってトルビネに抱きつく形になってしまい、慌てて離れようとするが、腕で軽く抱き留められる。
「ちょっと!そういうわけじゃ……!」
背丈がほとんど変わらない彼の顔が近い。心臓が跳ねる。
「はーい、そこまでです。さあマリ様、こんなフクロウなど相手にしている場合ではありませんよ」
軽やかな声とともに、コルテが私とトルビネの間へすっと割って入る。
有無を言わせぬ手つきで私の手を引き、その様子をトルビネはどこか楽しげに眺めていた。
「マリ様、だいぶ目立ってしまいました。これ以上続くようですと、私、アルベルト様に顔向けできません」
「え……?」
「どうかこれ以上、殿方を刺激なさらぬように。――特に精霊相手は厄介ですから」
冗談めいた口調とは裏腹に、視線は鋭い。
「マリ様は力が強く、それに……可愛らしい。自覚がなさすぎます。ですから、しばらく男性と目を合わせるのも禁止です」
思わず反論しかけるが、真剣そのものの眼差しに言葉を飲み込む。
どうやら、私は大人しく従う以外の選択肢はないらしい。
「……そろそろ、彼女と話をしてもよいだろうか」
背後から、そっと肩に手が置かれる。
低く落ち着いた声に、私ははっと振り返った。
「アルベルト様……!」
“ほう。精霊相手にまで気を揉むとは、王子もなかなか余裕がないのう”
いつになく落ち着いた、年長者めいた口調でトルビネが言う。
アルベルト様の眉がわずかに動いたが、表情は終始穏やかなままだ。ただ、肩を抱く腕にほんの少し力がこもる。
……やっぱり、心配性だ。
「ご心配には及びません、アルベルト様」
私は慌てて言葉を挟んだ。
「トルビネが、これから協力してくれることになったんです。ですから、きっともっとお役に立てると思います」
「……マリ」
背後で、コルテが小さく、疲れたように息を吐く。
アルベルト様とトルビネも一瞬だけ沈黙し――なぜか、ほぼ同時に静かにため息をついた。
理由が分からず首を傾げる私に向かい、トルビネはあらためて一歩下がり、丁寧に一礼する。
“では、また会おう。呼ばれれば、いつでも風とともに現れよう”
囁くような声とともに、柔らかな風が頬を撫でる。
次の瞬間、彼の姿は宙に溶けるように浮かび上がり、やがて光の点となって消えていった。
残されたのは、腕輪に宿る微かな温もりと、まだ消えきらない風の余韻。
「……さて」
沈黙を断ち切るように、コルテが軽く手を叩く。
「気を取り直しましょう。せっかくの宴ですし、お食事に参りませんか」
「はい」
私は頷き、アルベルト様と並んで再び宴の輪へと戻っていく。
胸元で、そっと銀の腕輪に触れながら――
まだ私は、あの風の感触を、心のどこかで手放せずにいると、アルベルト様がふいに足を止めた。
「少しだけ、待って欲しい」
穏やかな声だったが、有無を言わせない静けさがあった。
コルテは一瞬こちらを見て、何も言わずに距離を取る。
アルベルト様は私の前に立ち、視線を落とす。
そのまま、ゆっくりと私の手を取った。
指先から伝わる体温に、胸がひくりと跳ねる。
「……契約か」
責めるでも、問い詰めるでもない声音。
「理にかなっている。あの場では、最善だったのだろう」
一拍、間が空く。
彼は私の手を離さず、親指で手の甲をなぞった。
「だが――」
ほんの僅か、声が低くなる。
「君が、誰かのものになるように見えるのは……正直、面白くはない」
「アルベルト……様?」
その言葉と同時に、彼は私の手を持ち上げ、
迷いのない動きで、手の甲に唇を落とした。
一度だけ。
深くもなく、誓いのようでもなく。
けれど、確かに。
アルベルト様は唇を離し、静かに言う。
「……君の力も、選択も、尊重しているつもりだ」
そう前置いたうえで、視線を私に戻す。
「それでも――」
わずかに目を細め、
「君がここにいる限り、俺の目の届く場所にいてほしいとは思う」
強さはない。
命令でもない。
けれど、揺るぎのない本音。
彼は私の手をそっと離し、いつもの穏やかな表情に戻った。
「行こう。皆が待っている」
そう言って歩き出す背中を、私は一瞬見つめてから、慌てて並ぶ。
胸元で、そっと銀の腕輪に触れる。
そこに残る風の名残と、手の甲に残る温もり。
二つの気配が、胸の奥で静かに重なっていた。




