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風の精霊王の復活

 私は精霊たちと共に、フォルトナの泉のほとりに立っていた。

 かつては森の命を映していたその水面は、今は濁り、冷たい灰色に沈んでいる。

 風は止み、枝のざわめきすらない。世界全体が、息を潜めているようだった。


 ――この泉を蘇らせなければ。

 エルフの民を、そしてフォンテとコルテを取り戻せない。


 オストロ様からコルテを無理やりに引き剥がして逃げることも、一瞬は考えた。

 けれど、まだ癒えぬ騎士たちの傷、力尽きたメイドさんたちの姿を思えば、それはただの逃避に過ぎない。

 誰も救えず、すべてを失う未来が見える。


 だから私は、この泉に賭けるしか、道は残されていない。


「……飛び込んでみたら、良いかな?」


 問いかけるように声を漏らすと、肩や腕に留まっていた精霊たちが、一斉に小さく首を振った。

 淡い光の粒が、ふるふると震えて私の頬に触れる。止めるように、慰めるように。


――そうだよね。無茶は、もうできない。


 深く息を吸い、まぶたを閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、さっきの回復魔法。

 同じように手を組み、静かに願いを重ねる。


 どうか、この泉に命を。


 ゆっくりと、胸の奥から温かな何かが溢れ出していくのを感じた。

 それは水のように流れ、光のように広がり、やがて全身を包み込む。

 指先が淡く光り、足元の水面がふるりと揺れた。


 ――ああ、この感覚。間違いない。

 祈りと姿勢、それが発動の条件なのだ。


 風が頬を撫でた。優しく、懐かしい匂いを連れて。

 エアリーナさんはこの森の風になっていると、あの時に言っていた。

 ならばきっと、この風も彼女。私を見守ってくれている。


 風は空へと昇り、遠くに積乱雲を集めていく。

 重く、深い夏の雨雲だ。

 やがて、乾いた大地を濡らす強い雨が降る――そんな光景を、私は心の中で描いた。


「……お願い」


胸の奥で囁いたその言葉が、合図のようだった。


 ポツ、ポツ――。

 大粒の雨が頬を打ち、同時に、熱い涙がこぼれ落ちた。


 けれど涙は地面へ落ちず、ふわりと風にさらわれ、天へ昇っていく。

 まるで、願いそのものが空に吸い込まれていくように。


 もっと。もっと強く。

 普通の雨じゃ足りない。

 オストロ様が「もう止めてほしい」と懇願するほどの雨でなければ、みんなを救えない。


「お願い……」

 

 その瞬間、世界が弾けた。


 空が裂けるほどの轟音とともに、滝のような雨が降り注いだ。

 風が渦を巻き、森全体が震える。

 精霊たちは歓声を上げ、光の粒が乱舞する。


 私はその中心で、ただ祈りを続けていた。

 ――どうか、この命に代えても。


 “わぁ! いいぞーいいぞー!”


 精霊たちが喜びの声を上げ、数はどんどん増えていく。やがて泉の上空を覆い尽くすほどになり、水と風の精霊たちは雨に打たれながら全身で歓喜を表現していた。


 分厚い黒雲が空を埋め尽くし、雨はさらに強く地面を叩く。けれど、不思議とその雨は痛くも冷たくもなく、むしろやわらかなぬくもりを帯びていた。


 この雨は、フォルトナの森とその周辺に降り注いでいる――そう、精霊たちが教えてくれた。


 “マリ、マリ! 泉の水が戻るよ!”


 「まさか、こんなに早く戻るなんて……!」


 精霊に促されて視線を泉へと向ける。そこには、目も開けられないほどの強い光が広がっていた。次に見た時には、水位が見る間に上昇し、辺り一帯に風の魔力が満ちていくのを感じた。


 ――フォルトナの泉を満たすのに必要だったのは、魔力。

 水と風、その両方。


 そして私は、なぜかその二つを同時に操ることができた。


 ピピアーノでの出来事が脳裏をよぎる。

 あのとき――エアリーナ様が私の額にくれた口づけ。

 あの瞬間、胸の奥に灯った小さな幸せは、やがて風の魔力となって私の中に根づいた。


 私ひとりの力では、到底ここまでの嵐を呼ぶことはできない。


 それにしても――。


 「どうしよう……さすがにやりすぎちゃったかな」


 豪雨は嵐となり、木々を薙ぎ倒していく。枝や果実が空を舞い、森全体が激しく揺れていた。

 精霊たちは相変わらず楽しげに舞い踊っているが、私の胸の奥には不安が広がっていく。


 動物たち……それに、エルフたちのツリーハウス……。

 嵐が過ぎ去るまで、待つしかないのだろうか。


 迷いの中で立ち尽くしていると、不意に耳元で囁く声がした。


 「……フォンテ?」


 思わず名前を呼ぶ。そうであってほしい――そんな願いを込めて。


 “ごめんなさいね、私よ”


 次の瞬間、目の前で風が渦を巻いた。

 巻き上がる風の中から現れたのは、若草色の髪をなびかせ、相変わらずきわどい衣装を纏う美女――風の精霊王、エアリーナ様だった。


 「エアリーナ様ー!!」


 「エアリーナ“さん”でしょ? ふふふ、マリちゃん、パワーアップしてるわね。素敵だわ!」


 そう言って、彼女は勢いよく私を抱きしめる。 


 「ふふ、まさか本当に呼び起こされるなんてね」


 エアリーナさんは指先で風をすくい取りながら、楽しそうに笑った。


 「あなたの魔力、本当に凄いわ!」


 彼女はウインクして続けた。


 「おかげで、フォルトナの泉を浄化できる。 ありがとう、マリちゃん」


 自分の体を確かめるように腕を回し、軽く息をついたあと、満足げに笑みを浮かべて空に手をかざす。


 すると、私たちを包み込むように優しい風が吹き始めた。

 その風が、嵐の勢いをそっと押し返していく。

 雨風はもう私たちに触れることなく、濡れていた服も瞬く間に乾いていった。


 まるで、彼女の笑みと同じ――穏やかで、あたたかな風だった。


「凄い! 地面まで乾いてる」


“ふふ。これでマリちゃんとゆっくり話せるわ”


「体は大丈夫ですか? 魔力を使いすぎたとトルビネ様から聞いて、心配していました」


“徐々に回復はしていたの。最後にマリちゃんの魔力が一押しになって力を取り戻せたわ。本当にありがとう”


「良かったです……本当に」


“精霊たちが弱っていると、親心で力を使いすぎちゃうのよね。ほんと、水の精霊王がいないおかげで大変だったわ”


 エアリーナさんはため息をひとつつき、少し疲れた表情で空を仰いだ。

 力はまだ完全ではないが、その瞳には、守るべきものへの思いと覚悟が確かに宿っていた。


「水の精霊王が不在なんですか?」


 精霊にはそれぞれ、火・水・風・土の王がいる。

本来なら四人揃っているはずだ。


“ 水の精霊王は、もう7年も姿を消しているの。そのせいで、ヴェルナード王国には徐々に雨が降らなくなってしまったわ……。全く、あいつは一体どこに行ってしまったのかしら”


 水の精霊王のことを「あいつ」と呼ぶ口ぶりから、エアリーナさんとの親しさがうかがえる。

 空を見上げる彼女の目には、単なる空の色だけではなく、何か遠くを見つめるような光が宿っていた。


 水の精霊王が不在という話は初耳だった。

 私が呼び出される召喚術は何度も失敗していたと聞いていた。

 確かに、いない者を呼ぼうとしていたのなら、術が成功しないのも当然のことだろう。


“気配は少しだけあるのよね”


「水の精霊王の気配……? じゃあ、どこかに……」


“でもほんのわずかよ。見間違いそうなくらい微かな気配。でもあれは間違いなく、どこかにいるの”


「何かあったのでしょうか。エアリーナさんみたいに力を使いすぎたとか……?」


“あいつが誰かのために力を使いすぎるなんてことは、ないわね”


“はぁ、あいつのせいでこちらは大変よ。最近は至る所に変な結界が張られて、自由に往き来できなくなっちゃうし。まったく、ヴェルナード王国はどうなっちゃうのかしら”


 エアリーナさんはまた深いため息をつく。

 ピピアーノの時に結界で来るのが大変だったと話していたが、通るにはかなりの力を使うらしい。

 私やアルベルト様は特に感じなかったので、どうやら精霊向けの結界だろうか。


 話している内に空に広がる灰色の雲の隙間から、薄い光が差し込み、雨粒がキラキラと輝いて落ちる。

 その光景に、一瞬、世界が救われた安堵と、まだ残る不安が同時に胸を締め付けた。


 二人で難しい顔をしていると、空から白い羽がひらりと一枚落ちてきた。

 確認しようと上を見上げる前に――


“エアリーナさまぁぁああ!”


 突然、私たちの間を割るように白いものが落ちてくる。

 エアリーナさんは軽く人差し指で空に円を描くと、その白いものは地面に届く直前でふわりと止まった。

 目線の高さまで浮かんだそれは、フクロウだった。


「トルビネさま……?」


“おぉ、マリか! 本当によくやったな!”


 トルビネは私の声に顔を上げるや否や、白髪の少年の姿に変わり、涙を浮かべて抱きついてきた。

 あまりの急接近に、一瞬息が詰まる。


“あら、トルビネのその姿は久しぶりね。マリ、この子ね。興奮すると姿が変わっちゃうのよ、ふふふ”


 ふふふじゃないです。

 見た目は可憐な少年でも、中身は何百年も生きていると思うと、どう反応すれば良いのか困ってしまう。

 前に不意な接触もあったので、距離を取りたい気持ちもあった。


“こらこらトルビネ、マリが困っているわよ”


 エアリーナさんが手首で空に円を描くと、トルビネはすっと体を離した。

 改まった様子で片膝を折り、エアリーナさんに深く頭を下げる。


“主よ、復活を心よりお待ち申し上げておりました”


「心配させてごめんなさい。貴方には苦労をかけましたね。マリを呼んでくれたのですね」


“白鱗の子ですから、すぐに分かりました。魔力の他に、何か別のものも感じます、とてつもない力です……”


“そうね、私の与えた力もここまで使えるとは思わなかったわ。貴方もその姿になれるということは、力が戻ってきているのですね”


“全てはマリのおかげです”


 トルビネ様はそう言いながら、琥珀色の瞳でじっと私を見つめてきた。

 美少年の顔で見つめられると、中身を知っていても、心臓がドキリとする。

 距離を置こうと思いつつも、少し嬉しい気持ちが混ざるのが複雑だった。


「そんな、私はただ皆を助けたかっただけです。無我夢中で、うまく説明できませんが……エアリーナ様も泉も元通りで、本当に良かったです!」


“うふふ、マリは本当に良い子ね~”


“えぇ”


“あれれ? トルビネ、惚れちゃった?”


“な、何をっ! 高位精霊が人間に惚れ込むなどありえませぬ!”


 トルビネ様は顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。

 耳まで真っ赤に染まっていて、その仕草があまりにも可愛らしく、思わず私はクスッと笑ってしまう。


「トルビネ様、本当に人間の男の子みたいですね」


“あら、そうよ? トルビネはまだ百年ちょっとしか生きていないから、人間で言うと十五歳くらいかしら。だからマリちゃん、気を付けて~”


 ニヤニヤと意地悪く笑うエアリーナさんに、トルビネ様が慌てて手を振った。

 リッカルド王と並んで話していたり、落ち着いた口調からは年長者のように思っていたけれど、どうやらそれはエアリーナさんの先代従者の口癖を真似していたらしい。


 ――あのキスも、ただの挨拶だと思っていたのに。

 フクロウに啄まれたような出来事が、今になって妙に意味を持ちはじめる。


“マリよ、エアリーナ様の言葉を本気にするでないぞ!”


「わ、分かってますってば!」


“はーい、とまぁ。雑談はここまでにしましょ”


 私とトルビネ様の言い合いが始まりそうなところで、エアリーナさんがすっぱりと話を切った。

 まったく、誰のせいでこうなったのかと言いたいところだけれど、彼女の表情がすっと変わるのを見て、私は口をつぐむ。


“良い子ね。それじゃあ、行きましょうか”


「行くって……、どこにですか?」


“もちろん、オストロ坊やのところよ”


 エアリーナさんが片手を上げ、人差し指で円を描く。

 瞬間、柔らかな風が足元から吹き上がり、私たちの身体がふわりと浮き上がった。

 まぶしい光が視界いっぱいに広がり、次の瞬間――すべてが白に溶けた。


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