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白鱗の人魚2

アルベルト視点

 寒さで震えが止まらず、呼吸もままならない。痛みで意識が遠のき、死を覚悟する。

 だが、怖さよりも後悔の方が大きかった。


 この国のこと、失った記憶のこと、そして巻き込んでしまったマリのこと――。

 そんな中、ふと懐かしい声が耳に届く。


「アルは大きくなったら何になりたいのですか?」


 遠くで、でも確かに知っている声だ。

 その声に重なるのは、自分を優しく見つめる碧色の瞳の記憶。

 温かく、安心をくれる色。


「そう、王様になりたいの。ふふふ、頑張ってね、あなたならきっとなれるわ」


 胸の奥に小さな光が差し込む。痛みでぐらつく意識の中でも、心が少し落ち着きを取り戻す。


「私はずっとアルとレオのそばにいるわ。だから安心して、好きなことをやりなさい」


 そして、声がさらに静かに、しかし強く届く。


「マリを、守ってあげてくださいね」


 碧の瞳は同じ色だ。

 懐かしさとは違った、柔らかく優しく、頼みごとを託す色。

 その瞳を思い出すと、胸の奥に熱い決意が湧き上がる。


 守らねばならない人がいるマリだ。

 ただの仲間でも、助けたい存在でもない。

 俺が守りたいと、心の底から思っている少女。


 俺はまだここにいたい。

 そして、絶対に、マリを自分の手で守り抜きたい。


  

 深い水底に沈むような意識の中で、もうひとつの存在が現れる。

 黄金の光をまとい、揺らめく水のように姿を変える大いなる影。


『まだ行くには早い』


 低く響く声は、胸の奥に直接届くようだった。精霊王だ。


『おまえには託されたものがある。王としてだけではない。ひとりの男として、護るべきものが』


 揺れる意識の中、再びマリの姿が浮かんだ。

 彼女の泣き顔が、心を強く締め付ける。


『弱さを知る者だけが、真の強さを得られるのだ』


 伸ばされた光の手が、沈みゆく俺の体を支える。

 懐かしい声と藍の瞳、そして精霊王の力強い言葉が、私の命を支えるように包み込んだようだった。







「アルベルト様、目を開けて下さい!」


 女性の声が震え、俺の体を必死に揺すっていた。

 返事をしたくても声が出ない。


 ――その瞬間。

 唇にあたたかなものが押し当てられた。

 水の底から引き上げられるように、ゆっくりと痛みが消え、指先に感覚が戻っていく。


 重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは乱れた髪と涙に濡れた頬。

 大粒の涙が次々にこぼれ落ち、俺の胸元を濡らしていた。

 少女は自らの影で俺を覆い、守るように顔を寄せてくる。


 その姿に、息をのんだ。

 透き通る海色の髪、輝く金の瞳。

 胸元で揺れる真珠のネックレス。

 そして腰から下には、純白の鱗と二股に分かれた尾ひれ――。


 マリは、人魚になっていた。


 唇が離れると、少女は確認するように大きな瞳で覗き込んでくる。

 そして、私はようやく頭がはっきりしてきた。


「マリ……!」


 名を呼んだ瞬間、彼女は小さく肩を震わせる。


「だめ……! まだ……力が足りない」


「ごめんなさい……! 私がもっと上手くできれば……!」


 金の瞳が涙に濡れる。

 その細い指が俺の顔を何度もなぞり、壊れそうなほど必死だ。


 マリはもう、自分の姿が変わってしまったことさえ気付いていない。

 ただ俺を助けたいという、まっすぐな思いだけを感じた。


 彼女の点は定まらず、苦しそうに何度も謝ると、また唇を重ねてくる。

 柔らかく甘い口付けに頭がおかしくなりそうで、それ以上を求めてしまいそうになった。

 これも、人魚の力なのだろうか。


「うん、これで大丈夫……。また、水の中でも息が……」


 とりとめのない言葉を零しながら虚ろな微笑みを見せると、マリは体を預けてくる。

 急な接触に、俺の心臓はこれ以上ないほど早く打った。


「マリ! これは、その……」


 押し戻そうとしたが、様子が違う。

 異変に気付き体を起こすと、彼女は真っ青な顔で意識を失っていた。


 その瞬間、白い物が視界の端で飛び立つのが見えた気がしたが、それを目で追う体力さえ今はない。


 泉から這い上がることはできたが、森に戻ったエルフたちに見つかれば、彼女は抵抗もできず拘束されるだろう。

 そして、この姿のマリを誰かに見られたら、奪われ、一生この森に縛り付けられてしまうかもしれない。


 ――それだけは絶対に嫌だ。


 オストロとマリを愛おしく見つめる情景が、ふと頭をよぎる。


「……ありえない」


 吐き捨てるように言葉を発し、頭から追い出そうとした。

 だが胸の奥で、沸々と煮えたぎる感情が膨れ上がる。

 怒りにも似た焦燥と、どうしても彼女を守りたいという強い願いが渦を巻いた。


 その瞬間、不思議な力が身体を満たしていく。

 重く沈んでいた四肢が軽くなり、呼吸が深くなる。閉じかけた瞼がはっきりと開いた。


「マリ、行こう」


 抱き上げたマリの温もりが、さらに力を与えてくれる。

 森の中を進むほどに、感覚は異様に研ぎ澄まされていった。

 数百メートル先の花の香り、その蜜を吸う蝶の羽音、木々の影で息を潜めるエルフたちの気配までも手に取るように分かった。


 ――近づく魔力。コルティアナだ。


「マリ様! アルベルト様!」


 馬上から姿を現した彼女が、目を見開いて駆け寄ってくる。


「アルベルト様……そのお姿は……」


 問いかけの意味を理解する余裕はなかった。

 今はただ、マリを安全な場所へ運ぶことだけが最優先だ。


 腕の中で眠る彼女を確かめると、魔力は落ち着きを取り戻し、足もすでに人間のものへと戻っていた。

 その事実に、思わず安堵の息が漏れる。


「乗れますか?」


「あぁ、大丈夫だ」


 やや遅れて現れた翼を持つ白馬が、膝を折り屈む姿勢を取った。

 私はマリを抱えたまま、その背へと軽々と乗り込む。――自分でも信じられないほどの力で。


 そして、コルティアナの導きに従い、森を後にした。





―――――






 ベッドで眠るマリの手を握っているうちに、いつしか自分も眠ってしまったらしい。


 コルティアナが探しに来てくれたおかげで、俺たちは無事にツリーハウスへ戻り治療を受けることができた。

 ――マリが人魚になったことは、俺以外誰も知らない。


「目が覚められましたか? お二人とも、ご無事でなによりです」


 マリの隣のベッドで横になり、老女のエルフから魔法治療を受けているコルティアナが、安堵の表情を見せた。

 彼女は毒が抜けきらぬうちに動いたせいで、ここに着いた途端に崩れるように倒れてしまった。青ざめた顔を見ると、どれほど無理をしたかは明らかだった。


「無理をするな。君の代わりはいないのだから」


「ふふ……そうですね。そんなアルベルト様こそ、大丈夫なのですか?」


「泉の水を飲んだのは一度きりだった。もう一晩眠れば回復する」


「そうですか。……良かった。髪色も元に戻られたようですしね」


「髪色?」


 結った黒髪へと視線を落とす。


「ええ。美しい金色に染め上がっていらっしゃいました」


「……どういうことだ?」


 髪色が変わるなど、聞いたことがない。

 だがマリが姿や瞳の色すら変えるのを見た今、あり得ない話でもない。


「王妃様やレオナルド様の金色とは違いました。もっと強く輝いて……まるで王様のような光を帯びて」


 いつか、自分の髪も家族と同じ金色に染まればと願ったことがある。だが、それは夢のまた夢の話だ。


「いや……見間違いだろう。この森の日差しは強い。それに君は疲れていた」


「そうでしょうか……」


 納得しきれぬ顔をするコルティアナ。さらに何か言おうとした、その時だった。


 マリの手が、かすかに震えた。


「マリ……」


 名を呼ぶと、繋いだ手に力がこもる。やがて瞼が開き、太陽の光を切り取ったような金色の瞳が姿を現した。

 数度の瞬きのあと、思い出したようにハッとした顔で俺を見つめる。


「ここはっ?」


「ツリーハウスだ。すぐにコルティアナが迎えに来てくれたおかげで、君をここに運ぶことができた」


 マリは起き上がるなり、俺の顔や体に触れて確かめ始めた。

 その仕草が、あの口付けを思い出させる。思わず俺は、その手を掴み止めてしまった。


「俺は……んん、私は大丈夫だ。それより君の体調はどうだ?」


 気恥ずかしさを隠すように二度ほど咳払いをする。だが胸の奥の鼓動は収まらず、やけにうるさい。


「私は大丈夫です。でも……どうして?」


「どうして、とは?」


「アルベルト様は泉に落ちて……私、追いかけて……。……だめ。その後が思い出せません。私たち、どうやって助かったんですか?」


「覚えていないのか?」


「……全く」


 真っ直ぐな瞳。そこに嘘はない。

 隠す理由もないだろう――信じるしかなかった。


「……私の精霊が、泉に落ちた私と君を守ってくれた」


 気づけば、咄嗟に嘘をついていた。

 本当のことを告げれば、彼女を混乱させるだけだと直感したからだ。


「そう……だったんですか。余計なことをしてしまいましたね……ごめんなさい」


 今にも泣き出しそうな姿に、胸が締めつけられる。

 抱き寄せると、マリの髪から甘い香りがふわりと広がった。

 理性を総動員して抑え込んでいるのに、彼女をこのまま抱きしめたまま離したくなくなる。


「アルベルト様も……コルティアナさんも無事で……本当に良かった」


 そう言ってすり寄るマリが、あまりに愛らしい。

 俺は初めて、自分の理性が限界を迎えつつあるのを、はっきりと自覚した。


耐えろアルベルト!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほんと、耐えろアルベルト様ですね!!笑
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