表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/61

フォルトナの泉1


 夜明けと共に、コルティアナさんに気づかれないようツリーハウスを抜け出した。

 森の冷たい空気を吸い込んで歩いていると――


「マリ」


 背後から呼び止める声に、思わず振り返る。

 木漏れ日の間に立つアルベルト様の姿があった。


「……なぜ、ひとりで?」


 その声は叱るようでもあり、心配するようでもあった。眉間には深い皺が寄せられている。


「君の魔力の動きを感じた。危ういことを考えてはいないか」


 ごまかせないと悟り、私はフォンテと話し合ったことを打ち明けた。

 泉の異変を確かめたいこと、そのために少し無理をしてでも魔法を使うつもりであること――。


 アルベルト様は納得しかねるように眉を寄せていたが、それでも最後には小さく息を吐き、「ならば私も共に行こう」と歩みを並べてくれた。


「ごほっ、……ん」


 その途端、彼は喉を抑えて咳き込む。

 私が声をかける前に、フォンテがふわりと肩に舞い降りた。


“アル様、だいじょうぶ?”


「昨夜から喉の調子が悪くてな……」


“長旅だったからかな~。疲れが出ちゃったのかもね”


「喉以外は特に変わらないのだが」


 ――いつの間にこんなに打ち解けたのだろう。

 ふたりのやりとりを聞きながら、穏やかな気持ちになった。けれど、その空気は長くは続かなかった。


 森が開けると、泉が現れる。

 朝の霧に包まれ、水面は一瞬きらめいて見えたように見えたが、すぐに昨日と同じ墨を流したような真っ黒な水面が広がっている。

 生き物の気配はまったくなかった。鳥も、魚影さえも。


「本来ならば透明度は高く、色とりどりの魚たちが泳いでいるはずなんだ……」


 アルベルト様が悲しそうに小さく呟く。


 私は膝をついて水を覗き込む。そして誘われるように水面に手を伸ばした、その瞬間――


 シュバッ!


「っ――!」


 矢が目の前を掠め、木の幹に深々と突き刺さった。

 思わず身をすくめると、矢を放った張本人――オストロ様が弓を構え、鋭い新緑の瞳でこちらを睨んでいた。


 アルベルト様は即座に剣を抜き、前に出る。

 緊張が弾ける寸前――


“ちょっと待った~!”


 フォンテがふわりと割って入り、両手を広げる。


“アルベルト様、彼はマリを止めたかっただけ。……今、この泉に触ったら大変なことになっちゃう!”


「さすが、マリ様の精霊だ」


 オストロ様はゆっくりと弓を下ろし、低く言った。


「そうだ。この泉は人間には毒だ。私が止めねば、彼女は危険にさらされていた」


「毒……?」


 耳を疑う言葉に息を呑む。


「少量なら問題はない。しかし一定量を超えれば、気道を塞ぎ、息を止める。……むかし、ある若き王がそれを知らず、勇を誇って飲み、命を落としかけた」


 オストロ様の視線は、アルベルト様を越えた先――まるで今ここにいない誰かを見ているかのようだった。

 私はただ驚いて聞いていたが、隣のアルベルト様はほんのわずかに瞳を細める。

 ――その王が誰であるか、気付いているのだろう。

 しかし彼は言葉を挟まず、ただ静かに泉の暗い水面を見つめていた。


「……恐ろしいことだ」


 ようやく絞り出した声は淡々としていたが、その奥には何か深い思いが隠れている気がした。


 オストロ様は弓を下ろし、しばし私を見つめたあと、低く頭を垂れた。


「……脅すつもりはなかった。驚かせてしまったことは謝ろう」


 その声音には険しさだけでなく、森を思う真摯な気持ちがにじんでいた。


 私は泉からそっと身を離し、胸を押さえる。

 確かにとても暗く濁っている、それにどこか禍々しさもかんじるが――その奥に潜む気配は、私の魔力をざわつかせた。


 優しく誰かが呼んでいるようなくすぐったい気持ちになる。


 隣に並んだアルベルト様は、剣を鞘に収めつつ私の方へ目を向けた。

 その眼差しは厳しくも優しくて、胸の奥にじんわりと熱を落とす。



「それで、あなた方はこんな早朝からどうしたのでしょうか」


「目が覚めてしまったので、泉の様子を見に来てみました」

 

「そうですか、朝食がもうしばらくしたら出来上がります。間に合うようにお戻りください」


「はい、ありがとうございます」


 オストロ様は会釈をすると、森の中へ入って行った。

 彼の魔力が気配が遠退いたことを確認すると、私は泉に向き直る。

 

「雨を降らせて、泉の水を清らかにしようと思います」


「近くに人の気配はないようだ。 できるか?」


「やれるだけやってみます……どうか大雨が来ますように」


 私は目をつむり、魔力に集中する。

 ピピアーノで掌から水柱を出した魔法はエアリーナ様と風の精霊たちの力のおかげだった。

 何度試しても水柱を出したのはあの1度きり。


「大丈夫、雨を呼べるようになったもの……」


 これまで何とか雨を降らせてきたのは、自分の水の力と、海や川から水を呼ぶ力を組み合わせたからだ。今回も同じ方法でやってみよう。

 そして、私の考えがあっていれば近くに水があると更に成功率が上がる。

 城で雪を降らすことができたのは海が近かったおかげ、ここに来る途中も川や湖が近い村の方が雨が降らしやすかった。


 泉の水は使わず、意識を川や少し離れてはいるが海に集中する。

 条件は悪くないはずだ、雪でも何でも出てこい!

 


ポテ ポテ


「いてて……。 これは、雹?」


あめ玉くらいの雹がポツリ、ポツリと降ってくる。微かに光っているのは魔力が含まれているからかもしれない。


ポテポテポテポテ……


徐々に量が増え、さすがに当たると地味に痛い。


「マリ、ひとまず森に入ろう」


「っ!」


アルベルト様は私の腰を抱き、素早くマントを外して雹から守ってくれる。自分の心臓が大きく跳ねる音が聞こえ、反射的に私は彼の胸板を押し返してしまった。


沈黙が一瞬流れる。


「大丈夫です」


「私が大丈夫じゃないんだ」

 

“氷かぁ……。森や精霊たちの栄養分にはなるけど、これじゃあ泉は戻せない”


フォンテが腕組みし、空を見上げる。私も振り返ると、もう雹は止み、地面にコロコロと氷の粒が落ちていた。魔力を含んでいるのか、溶けずに残っている。


「やっぱりエアリーナ様と一緒の時に出した魔法じゃないと、だめかもしれないね……」


「それは困りますね」


私の呟きに応えたのはアルベルト様ではなく、すぐ近くの木の影から現れたオストロ様だった。オストロ様に続くように、4人のエルフも静かに歩みを進める。


「何で……」


 彼の表情は、鋭い警戒から一瞬、眉間に皺を寄せた落胆へと変わった。

 オストロ様の眼差しは、これまでの穏やかな長老のものではなかった。

 深い森の闇よりも鋭く、突き刺すように私を射抜いている。


「探っていたようだが、魔力を抑えることなど、エルフには容易いこと……。それにしても、まさかマリ様は、水ではなく氷呼びの乙女だったとは」


 その声は失望に満ちていた。

 オストロ様は私の生み出した氷の塊を手に取り、口元へと運んだ。


「……上質な魔力を含んでいますね。だが――これでは足りない。

 さて、どうしたものでしょうか。……いっそのこと、貴女そのものを泉の捧げ物にしてしまえば、すべてが解決するのかもしれませんね」


 冗談めかした響き。だがその瞳には一片の笑みもなく、本気か虚言かを見極めることすら恐ろしい。

 泉を守るためなら、彼は本当に――。

 胸の奥にざわりと冷たいものが広がった。


 その刹那、アルベルト様が素早く前に出る。

 私を庇うように立ちはだかり、マントの裾がざっと広がった。


「ヴェルナードの王子よ、この森には王であってもそう易々と手出しはできない。大人しくしておいた方が良い、臣下の命が大事なら」


 オストロ様の声は一層低く、重く響いた。

 その裏に、焦燥と渇望が渦巻いているのを私は感じ取る。


「臣下だと?」


 アルベルト様の問い返す声は鋭いが、わずかに震えていた。

 ほんの一瞬、呼吸が乱れたのを私は聞き逃さなかった。


「あなた方が食べた食事には、一体どこの水が使われていただろう」


「まさかっ!」


 アルベルト様の顔色が見る間に蒼白へと変わっていく。

 頬の血の気が引き、唇がわずかに青紫に色を変え、胸が苦しげに上下していた。


「私たちは敵ではないはずだ!」


 張り詰めた声が森に響く。

 こんなにも焦燥を露わにするアルベルト様を、私は初めて見た。


「その方がマリ様もすぐに本気になってくださるでしょう? 聞けば、あなたの魔力は感情で変化すると」


 オストロ様の声が冷ややかに突き刺さる。

 確かに、気持ちの高揚や焦りに影響されて魔力が高まることはあった。

 そこまで私の情報が伝わっていることに、恐怖が背筋を這い上がる。


「ちょっとしたツテがありましてね。マリ様のことは少しばかり理解しているつもりです」


 微笑むこともなく、オストロ様からは表情が消え失せた。

 まるで仮面のように。


「さて、そろそろ朝食が始まったころでしょうか?」


 その冷たい言葉が、私の胸をぎゅっと締め付けた。

 心臓が早鐘を打ち、頭の奥で昨日の違和感が蘇る。


 昨日の夕食は妙に味付けが濃かった。自然と調和して生きるはずのエルフの食事にしては、あまりに意外だった。

 出された水も王都のものより甘ったるく、舌にざらりと引っかかる。あの時は気のせいだと思ったけれど――。

 私の体から一気に血の気が引いていく。


「何が目的だ?」


 アルベルト様が冷静に聞く。


「もちろん、泉の復活だ。私たちには彼女が必要でね」


「そんなことをしておいてか? 即刻帰らせて頂く」


 アルベルト様は私の腕を強く引き、早足にツリーハウスへ向かう。

 だがその歩調は次第に乱れ、肩で大きく息をしているのが分かった。

 息を吸うたび、喉が塞がれるように掠れた音が漏れる。


「アルベルト様、止まってください!」


「駄目だ……っ」


 掠れた声。顔は真っ青で、額に冷たい汗がにじんでいる。


「顔が真っ青です! フォンテ、アルベルト様を止めて!」


“う~んと。そうだ!”


 フォンテが地に両手を伸ばすと、水がうねり、透明な馬の姿を成した。

 その躯体は淡く光り、ひと息ごとに揺らめいている。


“これに乗って!”


「あぁ、助かる……」


 水馬が前足を折り曲げてくれる。

 アルベルト様は私を抱き上げるようにして背に乗せ、自らも乗り込んだ。

 水の手綱を握ると、不思議なことにその呼吸がわずかに落ち着き、蒼白な頬にわずかばかり血色が戻る。


 私は必死に彼の腕にしがみつき、祈るような思いで水馬の進む先を見つめた。


 ――どうか、間に合って。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ