ツリーハウスへ
案内され着いた先は、おとぎ話に出てきそうなツリーハウスだった。
大樹の太い枝の上に器用に組まれた家々は、それぞれのドアに木彫りの動植物が飾られ、住む者が一目でわかるようになっている。
獰猛な動物たちから身を守るため、エルフはほとんどを木の上で生活し、地上に降りるのは食料を探す時だけだという。
「マリ様と、コルティアナ様はシマリスのハウスになります」
オストロの低く落ち着いた声に導かれ、私とコルティアナさんはドアに可愛らしいリスの木彫りが施されたツリーハウスへ通された。
この世界にもシマリスがいることに、思わず親近感が湧く。
オストロ様の視線は冷たいけれど、完全に拒絶するものでもなく、ぎこちない距離感を感じさせた。
「食事は中に用意してあります。どうぞ、ごゆっくり」
オストロ様は淡々と告げ、すぐに立ち去ろうとするかと思いきや、しばらく私たちを見守るように立っていた。
改めてその顔を見ると、二十代後半ほどの年齢だろうか。美しさは神々しいほどで、思わず息を飲む。
「私の顔に何か?」
気付かれたのか、オストロ様が首を傾げる。その仕草さえも、静かで整った美しさを湛えていた。
「マリ様は長旅でお疲れでしょう。ご案内、ありがとうございます。では――」
コルティアナさんは一礼し、私の肩を軽く抱いて部屋へと導く。
木の香りと微かな樹液の匂いが漂う室内は、静かで落ち着いた雰囲気だった。
窓の外を覗くと、森の緑が柔らかく揺れ、先ほどまでの禍々しい泉の記憶が遠のく気がした。
「こらこら、アルベルト様以外にそんな顔しちゃダメですよ!」
おでこを軽く突かれ、何のことかと思いながらコルティアナさんを見る。
「エルフ族はその美しさと魔力の強さで人を魅了します。気を付けないと、相手の思うつぼですよ!」
「ただ、素直に綺麗だなと思っただけだよ……。それに、オストロ様はここに来る間怖かったし、私なんて魅了したって良いことなんてないでしょう?」
コルティアナさんは盛大にため息をつき、私の反応を半ば呆れたように見つめる。
「はぁ~、良いですかマリ様。貴女には何ができますか?」
この世界で私にできることといえば、たった一つしかない。少し肩の力が入る。
「水を出せます。あと、最近は少しだけ雨雲を呼んで、雨を降らせられます」
「はい、正解です。では第2問、マリ様は皆から何と呼ばれているでしょうか?」
皆とは、一体誰のことだろう……。胸の奥が少しざわつく。
「正解は“水呼びの乙女”です」
「乙女だなんて……そんな歳じゃないのに、恥ずかしい……」
「いやいや、気にするのはそっちじゃありません! 良いですか、マリ様の名はすでに国中に広まっているんです」
この世界に来てからまだ三か月ほどしか経っていないのに、私の噂は森にまで届いているという。
村や町に寄るたび、水を出す力を見せ続けたせいだろう。
王都では雪を数回降らせ……いや、落としてしまったこともある。
ピピアーノでも雪を降らせてしまったし……。
そんなことを考えていると、胸の奥がざわつく。
私の力で、この森も本当に助けられるのだろうか――不安が静かに押し寄せる。
窓の外に広がる木々の緑はまぶしくも、どこか遠く感じられ、緊張が少しずつ心に重くのしかかる。
これから訪れる試練を思うと、背筋が自然と伸び、覚悟が少しずつ固まっていくのを感じた。
「水不足で困っているヴェルナードでは、マリ様の力が喉から手が出るほど欲しいのです」
コルティアナさんが力を込めて言う。
「水を出すことしかできないのに、皆をだましているみたいだね……」
「そんなことはありません。そろそろ自覚してください、マリ様。貴女の能力は素晴らしいです。
エルフたちはその力を求めています。泉の水を戻せるのは、貴女しかいないのですから……」
そうコルティアナさんに言われても、私には自分の力が特別なものだとは思えなかった。
…
「自覚かぁ……そう言われてもなぁ」
この旅が始まってから、コルティアナさんは少しピリピリしている。
私のことを守ろうとしてくれるのはいつものことだが、心配が過ぎる気がした。
別れ際にエミル様に言われた言葉も頭をよぎる。
「お前、狙われてるぞ。気をつけろよ」
普段はおちゃらけているエミル様の目が、あの時だけは本気だった。
「だからって、一体何に気をつけたらいいのか……」
私はツリーハウスの窓縁に腰を掛け、エミル様とコルティアナさんから言われたことをゆっくり思い返していた。
「水呼びの乙女か……大層な呼び名だなぁ」
“そんなことないよ、マリの力はまだほとんど目覚めてないんだから! 女神くらい言われてもいいと思うよ”
「フォンテー!」
薄水色の髪を揺らしながら、フォンテがひらひらと舞い降りてきた。肩に乗ると、私と一緒に外を眺め始める。
“この森の精霊は臆病だね。それにだいぶ弱ってる”
「視線は感じるけど、どうやら警戒心が強いみたいだね」
“風と土の精霊が多いかなー。水はもう存在が消えかかってる。エルフたちは精霊に近い生き物たちだから辛いと思うんだ”
「きっと、人魚だったらこんな問題すぐに解決しちゃうんだろうな」
ふとあの真っ黒に淀んだ泉を思い出し、膝元の本に視線を落とす。長旅になるので持ってきたが、意外と忙しくて半分も読めていない。
実話をベースにした人魚の話で、女の子の人魚が陸に憧れて地上で生活する内容だった。
“その本って……?”
「あ、これね。この前城下町に行ったときに買ってもらったの。人魚って本当にこの世界にいるんだね。雨を降らせたり、海を鎮めたり、人を癒やしたりできるんだって」
“そうだよ。怪我や病気も治せるし、歌も上手。それにおせっかい”
「ふふ、フォンテは本当に会ったことがあるみたいに言うね」
“あるよ”
薄水色の大きな瞳が、私を真っ直ぐ見つめる。
“私は死にかけて消えかかっているところを、人魚に助けてもらったの”
「そうだったんだ……」
“そんな顔しないで。今は元気だしね!さぁ、明日から頑張ろうね”
「うん」
明日、駄目元で雨を降らせてみよう。
それで効果がなければ、限界まで水を出してみる。
皆の前で失敗してがっかりさせるのは避けたいので、朝方こっそり試してみよう――
そんなことを考えていると、ツリーハウスの扉が軽く叩かれた。
「入ってもいいか」
「どうぞ」
コルティアナさんが微笑みながら返事をし、声の人物を招き入れる。
入ってきたのはアルベルト様とラルフだった。コルティアナさんはすぐに二人を案内し、部屋の奥で手際よくお茶の準備を始める。
「ラルフも座ると良い、コルテもだ。ここは王城ではないのだから、たまには一緒に」
座るアルベルト様の後ろに控えていたラルフは、少し躊躇しながらも隣に腰を下ろした。
それを見て、アルベルト様は満足そうに微かに口角を上げる。
「この森で採れた茶葉を使った紅茶をご用意しました。ミルクと合わせると、より香りが引き立ちます」
コルティアナさんが丁寧にカップを並べると、ふわりと甘く深い香りが部屋に満ちる。
「この紅茶はこの森でしか飲めません。森の外に出すと一気に鮮度が落ちるので、貴重なのですよ」
そう言ってコルティアナさんは私の隣に座る。ラルフは黙ってカップを手に取り、一口含むと目を細めた。
「なるほど、これは魔力も含んでいますね」
私も口に含むと、どこか木の実のような優しい苦みが広がり、すぐに甘さに変わった。
一瞬、緊張の糸がほぐれる。王城を出発してからの長旅と、様々な出来事で常に張りつめていた自分を思い返す。
「明日からまた忙しくなる。今日はゆっくり休むように」
「はい。アルベルト様もずっと働かれていてお疲れでしょう? 無理はなさらないでくださいね」
「あぁ……」
私たちのやり取りを静かに聞いていたコルティアナさんは、そっと立ち上がる。
「さてと。暗くなる前に、少し外の様子を見てまいりますね。ラルフ、付き合ってくださいますか?」
「……私ですか?」
意外そうに戸惑うラルフを、コルティアナさんは軽く背中に触れ、優しく促す。
「ほら、行きましょう! 少しでも情報はあった方がいいですから」
ラルフはゆっくり立ち上がり、振り返りながら扉の向こうへ。フォンテも興味津々で後を追った。
残された私とアルベルト様の間には、紅茶の湯気が静かに揺れている。
「……落ち着かないか?」
不意に声をかけられ、私は慌てて首を振った。
「い、いえ! 紅茶がおいしいので、つい……」
アルベルト様はふっと笑みを浮かべ、湯気の向こうでカップを傾ける。
その横顔を見ていると、胸が少し熱くなるのが分かった。
「そういえば」
話題を探していた私は、机の端に置いていた本を手に取る。
「この前、城下町で購入しました。 人魚のお話なんですけど……」
「人魚の本?」
アルベルト様が少し興味深げに眉を上げる。
「ええ。海の底で暮らしていた女の子の人魚が、陸に憧れて地上で生きようとする話です。雨を呼んだり、海を鎮めたり、人を癒やしたり……そういう力も持っているそうです」
「人魚は水の精霊と近い存在だと言われている」
アルベルト様は顎に手を添え、真剣に考えるような目をした。
「……マリが気になるのは、やはり“雨を呼ぶ”ところか?」
「はい。私に似ているなって……でも、人魚のように何でもできるわけじゃないですし」
「人魚が万能だからといって、君が劣っているわけではない」
アルベルト様は言葉を続ける。
「君の力は、この国にとってかけがえのないものだ。……私はそう信じている」
真正面からそう言われ、頬がじんわり熱くなる。
胸の奥に重くのしかかっていた焦りが、少しだけ和らぐのを感じた。
「マリ一人で気負う必要はない。どうか、私のことを頼ってほしい」
アルベルト様の声には、ただの励ましではなく、私を守りたい、無理をしてほしくないという強い思いが込められていた。
その思いに、私は小さく頷くしかできなかった。
紅茶の湯気と夕暮れの光の中で、私とアルベルト様の間に、穏やかな時間が静かに流れた。
気づけば、ツリーハウスの外では夕暮れが始まり、木々の隙間からオレンジ色の光が差し込んでいた。
沈みゆく太陽とともに、胸の奥で芽生えた思いも、静かに形を取り始めているように思えた。




