道の途中で2
アルベルト視点
街の憲兵団へ盗賊を引き渡した後、私は騎士たちの何名かをそのまま街に残すよう命じた。
ただの盗賊にしては身なりや武具が整いすぎている――そう判断せざるを得なかったからだ。
負傷した従者たちに、私は厳しい声で告げた。
「ここに留まれ」と。
無理を押してでもついて来ようとするのは分かっていた。だが今は、戦力よりも彼らの命を守ることが先だ。
案の定、従者たちは渋ったが、やがて私の意図を理解し頷いてくれた。
「城に電報を送った。兄上が来るかもしれない」
「……あぁ、それが良いな。これは、ただの襲撃ではなさそうだ」
隣のエミルも、いつもの軽薄さはなく、真剣な表情を浮かべている。金色の瞳が鋭く光っていた。
正直、今ここでエミルが隣にいるのは頼もしい。苛立ちも覚えるが、必要な時に頼れるのは昔から変わらない。
ラルフとコルティアナ、そしてエミルの従者も見事な働きをしてくれた。
襲撃者たちを殺さず、しかし確実に動きを封じていく手際は驚くほど鮮やかだった。
魔法と剣がまるで呼吸を合わせたように連携し、無駄のない動きで敵を追い詰めていく。
そして極めつけは、マリの放ったあの一撃だ。
あの瞬間、完全に形勢はこっちに傾いた。
――あの「やってしまった」顔。
思い出しただけで、一瞬危うく笑みがこぼれそうになり、慌てて堪える。
「レオが来るのは良いが、そんなに待てるのか? 先を急いでるんだろ」
「あぁ、そうだな」
兄上である第一王子レオナルドや援軍と合流できるのは、とても心強い。
出立前、兄上は珍しく複雑な表情を浮かべながら「しっかりやるように」と私に告げた。どうやら、兄上もフォルトナの森のことを気にかけていた。
水不足が深刻化する以前、兄上はフォルトナの森へ視察に赴いていたことを思い出す。
「エルフは実に素晴らしい種族だ。まさに生きる歴史といえる」
杯を揺らしながら、兄上がふいに口にした言葉を、私は今もはっきりと覚えている。
「森の奥には、千年を越えても涸れぬ泉がある。海と繋がっていると聞くが、森に生きる者以外がそれに触れることは、決して許されぬ」
その声が耳に残るように響いた次の瞬間――。
“王子よ”
不意に、私の肩へ白いフクロウが舞い降りた。琥珀色の瞳が妖しく光り、低く声を発する。
“悪いが、ここで待つ時間さえ惜しい。一刻も早く森へ向かわねば、手遅れになりかねん”
私は眉をひそめ、しばし考える。兄上を待つか、急ぐか――その狭間で答えを探す。
やがて、長く息を吐き出し、決意と共にマリへ視線を向けた。
「……我々は明日、出立する」
⸻
その夜、食事を終え部屋に戻ろうとしたマリを私は呼び止めた。
襲撃の際に彼女を十分に守れなかったことを謝りたかった。
それに……怖い思いをしていないか、どうしても気がかりだったのだ。
「えっと……中に入りますか?」
その一言に、私は動揺して固まってしまう。
「中に? 君の部屋に?」
自分で言いながら、あまりに間の抜けた返答だとわかっていた。余裕のない自分がもどかしい。
マリは困惑した表情を浮かべたが、廊下から近づく人の気配に気づき、私の手を取って部屋へと招き入れてしまった。
バタン、と扉が閉じる音がやけに大きく響き、静寂が余計に胸を締めつける。
女性の部屋へ自ら足を踏み入れてしまったことに、胸の奥がざわついた。
手持ちぶさたのまま立ち尽くしていると、マリは座る場所がないと気づき、ベッドのふちに腰掛ける。
視線を向けられ、私も躊躇したが、仕方なくその隣に腰を下ろした。
近くで息を整える彼女の横顔を見ると、ほっとする反面、守れなかった後悔が強く押し寄せてきた。
「アルベルト様、今日はお疲れさまでした」
気遣う声に、私は返事をできず、ただ黙って彼女を見つめた。
まだ頬は青ざめ、震える指先が膝の上でぎゅっと握り締められている。
恐怖と混乱の影がその表情に色濃く残っていた。
儀式の時にも、マリは極地に立たされていた。だがその時は私やフォンテがそばにいて、彼女を支えることができた。
今日のように直接、命を刃にさらされることは初めてだったはずだ。
彼女の瞳に残る怯えを見て、胸の奥に冷たい痛みが走った。
「私のことより、マリ。君は大丈夫か? すぐにラルフを向かわせたつもりだったが……間に合わなかった。気を失ったと聞いたが、身体に異変はないか?」
「ちょっと魔力を使いすぎちゃったみたいで。咄嗟だと、調整がうまくいきませんね」
そう言って苦笑するマリ。その笑みが無理をしているのは、すぐに分かった。
あの混乱の中で彼女は恐怖に立ち向かい、自ら魔法を使ったのだ。
「今は私と君の二人きりだ。無理をする必要はない」
マリがパッと私を見上げた。丸く柔らかな薄茶色の瞳が、私の視線を真っ直ぐに受け止める。彼女は視線をそっと外し、頬をわずかに赤らめた。
「……正直に言うと、今にも逃げ出したいくらい怖いです。一人で眠れそうにないので、コルティアナさんの部屋に行こうかと」
その声の震えに、かすかな息遣いが混じる。
普段は強くあろうとするマリが、今はただ、素直に「怖い」と告げてくれる。
「私なんかより、皆さんのほうがもっと大変なのに……一度襲われただけで、こんなに弱気になってしまってごめんなさい」
マリが泣きそうな表情で視線を落とした。
その姿が胸に刺さる。守ると誓ったのに、泣かせてしまいそうになっている。
「他人と比べることはない。君は、よくやってくれている」
本当に、彼女には感謝しかない。
準備もなく呼び出され、私たちのために力を使ってくれている。どれほどの負担を押しつけているのだろう。
守りたい。その思いが胸に満ちていく。
言葉を探しているうちに、マリの体がわずかに揺れた。そしてすぐ、力が抜けるように傾いた彼女を、私は咄嗟に支えた。
「マリ!」
返事はなく、規則正しい寝息だけが聞こえてきた。彼女をそっと寝台に横たえる。
「……だいぶ魔力を消耗したのだな」
明日から、フォルトナの森に入るのだ。ゆっくり眠れるのは今日で最後かもしれない。
必ず守る。誰よりも、私が。
それは王子としての義務ではなく、一人の男としての誓いになりつつあることを、私は自覚していた。
「おやすみ、マリ」
静かに息を吐き、立ち上がろうとしたその時。
服の裾が小さく引かれる感触に気づき、私は振り返る。
「……」
いつの間にかマリの指先が、私をの服を掴んでいた。瞳は閉じられたまま、頬には一筋の涙が伝っている。
このまま去るわけにはいかず、私は再びベッドに腰を下ろすしかなかった。
マリの頬に手を伸ばしかけて、途中で止める。
触れてしまえば、引き返せなくなりそうで。王子としての立場も、冷静さも、すべて揺らぎそうになる。
ただ彼女が安らかに眠れるよう祈りながら、握りしめた拳を膝の上に置く。
「どうか、夢の中だけでも穏やかに」
窓の外から、森を渡る風の音がかすかに響いていた。
月明かりに照らされたマリの寝顔は、あまりにも儚く、それでいて力強さを秘めていた。
私はその姿を胸に刻みながら、長い夜を迎えた。
…
カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
まぶしさに瞬きをして、ぼんやりと目を開けると、そこにマリの顔があった。
「……っ」
至近距離にある安らかな寝顔に、心臓が跳ねる。
どうやら私は、彼女のそばでそのまま眠ってしまったらしい。
失態だ。
けれども、この静けさを壊すのが惜しいと思ってしまう自分もいる。
「アルベルト様……」
葛藤している脳に、マリの柔らかな声が飛び込んできた。どうやらまだ眠っており、寝言を言っていたらしい。
可愛い――それだけでは足りない。
無防備に自分の名を呼ぶその姿が、胸の奥深くに甘く突き刺さる。
「だめだ、だめだ、落ち着け」
言葉にして気持ちを落ち着かせ、小さく息を吐きながら自分に言い聞かせる。
ベッドから身を起こし、できるだけ音を立てないように足を床に下ろした。
そして私は、そっと扉を開け、振り返らずに部屋を後にした。
マリの部屋を出た瞬間、扉の前に立っていたエミルと鉢合わせる。
「……おいおいおい! お前まさか――一晩、マリと一緒だったのか?」
「……あぁ」
私は気まずさを覚え、思わず視線を外す。
「先を越されたな……で、どうだった?」
「どうとは?」
「ははっ、惚けるなよ。アル、初めてだろ? あー、色々教えてやればよかったな」
「……なんの話だ?」
「なんの話って……お前、何もしていないのか!?」
エミルは信じられないものを見るように、目を大きく見開いた。
「マリを励まし……そのまま眠っただけだが?」
「信じられない! 本気で何もしてないのか!?」
彼は思わず後退りし、頭を抱えてうろたえる。
「はあ……なるほどな。真面目なアルベルト王子、優しすぎて行動できない、と」
「そんなことはない!」
「じゃあ、何だ? マリを励まして寝ただけ? 王子としても男としても、それで満足なのか?」
私は思わず唇を噛み、視線を床に落とした。
「……満足も何も、守るのが最優先だ。余計なことは考えていない」
エミルはくすくす笑い、肩をすくめる。
「まったく、女を泣かせる才能はあるのに、手を出す度胸はないとはな」
「だから、かんべんしてくれ……っ」
エミルは満足げに笑い、軽く私の肩を叩いて去っていった。
残された私は、頬の熱を誤魔化すこともできずに立ち尽くす。
浮かんでしまったマリの寝顔に、胸の奥で密かな誓いを新たにした。
――その直後、声をかけられる。
「……アルベルト様」
低い声に振り向くと、廊下の影にラルフが立っていた。真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「ラ、ラルフ……聞いていたのか?」
「……はい」
短い返答。それ以上は語らず、ただ静かに視線を向けてくる。
言い訳は喉にひっかかり、声にならない。
――最近、ラルフはマリと接することが増え、表情も柔らかくなった気がする。
もしかしたら、彼もまたマリに……。
「先ほど、コルタリアの従者より――ここで別れると伝えられました」
「そうか」
「朝食を終えれば、双方それぞれの道へ立つことになります」
ラルフはそこで言葉を切った。
それ以上も以下もない、淡々とした報告。その無表情の奥に、何を隠しているのかは分からなかった。
…
街の出入り口にある門の前で、私たち一行とコルタリア国の従者たちは向かい合い、挨拶を交わしていた。
数日間の旅を共にしたことで、互いの距離も近くなったらしく、握手を交わす者も多い。
「……エミル様、そろそろお別れの挨拶を」
低く響いたのは、エミルの従者――ナキの声だった。
彼が呆れを隠そうともせず、こちらに歩み寄る様子を、私はじっと見つめる。
「アルベルト様、マリ様。道中、主が色々とご迷惑を……申し訳ありません」
ナキは深々と頭を下げ、横目でエミルを鋭く睨む。
よくできた従者だ、と私は心の中で思った。
「はーいはい。……いやー、楽しかったな、マリ」
エミルの声に、マリがわずかに眉をひそめるのを見逃さなかった。
「え、あ、私は別に――」
「ははっ! コルタリア国で待ってる。正式な招待状を送らせるからな」
その笑みの裏には、ただの興味では済まない何かがあるが、エミルを問いただしてもあいつは口を開かないだろう。
マリはエミルから握手を求められ、その手を取った瞬間――ぐい、と引き寄せられる。
不意に近づく距離に息を飲むマリを、エミルはまっすぐ見つめ、耳元で低く囁いた。
マリの目がわずかに見開かれる。
「エミル様、まさか……」
マリが小さく呟く声が耳に入り、エミルは軽く頷く。
あえて私たちの視界に入る距離で、みせつけるような行動をとるのは、周囲を牽制する意味もあるのだろう。
理解しながらも、マリを取り戻したい気持ちをぐっと堪える。
だが、胸の奥にくすぶる悔しさと苛立ちはすぐに後悔へと変わった。
その直後、エミルは軽やかな笑みを浮かべ、いつもの陽気な姿に戻る。
先ほどの真剣な顔は、まるで幻だったかのようだ。
「じゃ、またな」
言い放つと同時に、マリの頬に奴の唇が触れるのを私は目撃した。
その瞬間、空気が一変しエミルの背後から鋭い剣の抜ける音が響き渡った。
「ナキ、主人を殺す気か?」
「エミル様こそ、戦争でも起こす気ですか? それとも、また担がれたいんですか?」
ナキはエミルの喉元ギリギリに刃を向け、冷ややかな眼差しで牽制する。
私は咄嗟に、マリを自分に引き寄せた。
ナキは静かに剣を収めたが、緊張はなお続き、空気は凍り付いていた。
マリの側に来たコルティアナが、信じられないという表情で彼女の頬を袖で擦るのを横目に見ながら、私は胸の内でため息をつく。
「さあ、行きますよ、ぼんくら王子」
「お前、それが主人に対する言い方か?」
「主人らしいことしていれば、言いませんよ」
二人の言い争いを見送りながら、私は馬車が去っていく様子を目で追った。
少し解けた緊張のなか、頭上から軽やかな羽音が響き、トルビネが肩に飛び乗る。
「若いのう~」
達観したような眼差しで、フクロウは私たちを見下ろしていた。
その視線に、私は思わず肩の力を抜いた。
―――――
こうして、フォルトナの森の入り口にたどり着いたのは、城を出発してから一週間と二日後のことだった。
田畑や干上がった井戸に水を降らせるマリは、魔力の消耗で額に汗を滲ませながらも、一切の弱音を見せない。
その背中には、守るべき者としての責任感と、不安を抱えながらも前へ進もうとする揺るぎない強さが宿っていた。
体調は万全ではないのだろう。
だが、その意志を尊重したい――そう考え、私は常に彼女のすぐそばに立ち、必要な時には支える距離を保った。
「森の入り口はどこですか?」
せかすラルフの声が森の静寂を切り裂く。
“待て待て、今探してるところじゃ”
トルビネが空高く舞い上がり、広げた翼で森を見下ろす。その鋭い目が木々の隙間をすみずみまで探る。
影深い木々が続き、風ひとつない森は不気味な静寂を漂わせる。息を呑むような空気に背筋が凍る思いだ。
“こっちじゃよ”
トルビネの視線の先で一本の木が消え、細い道が現れた。馬車は通れず、徒歩か馬に乗って進むしかない。
マリはコルティアナと共に馬に乗っていた。自然と、彼女たちの視界に収まる距離を保ちながら、後ろから見守る。
「……アルベルト様の視線、痛いです……そろそろ限界です」
その声が耳に届く。自覚はなかったが、守らねばという気持ちが、無意識に厳しい視線として表れていたのかもしれない。
森はただ静かというわけではない。村人から“帰らずの森”と恐れられ、獰猛な魔物や人を避けるエルフが住む。深く踏み入れる者はほとんどなく、長い歴史の軋轢とエルフの気位の高さが、人間にとって危険な場所としての威圧感を作り出している。
ラルフが何度も「失礼のないように」とマリに注意を繰り返していたが、私もその言葉を胸に刻みつつ、彼女を守る手を緩めることはできなかった。
森の中の無言の視線が、俺たちをじっと見守っているかのような圧迫感。胸の奥が締め付けられる。
お喋り好きな騎士やコルティアナも、いつもの冗談は影を潜める。森の奥へと進む一行は、神聖で恐ろしくもある道を、ただ静かに踏みしめながら前へ進んでいた。




