道の途中で1
人生二度目の馬車は、とにかく見た目が派手だった。
全体が金であしらわれ、鳥か竜か分からないモニュメントが馬車のてっぺんでキラキラと輝いているコルタリア王族専用の馬車。
乗り心地は格別で、ソファも壁もふわふわ。寄りかかっても痛くない。
移動が楽なのか、フクロウ姿になったトルビネ様は、私の膝の上で心地よさそうに熟睡している。
そしてなぜか、コルタリア王国の馬車に、私とアルベルト様、そしてエミル様が乗っている。
「帰り道が一緒なら、同乗しようぜ!」
この鶴の一言が原因だ。
エミル様が帰国する途中まで、一緒に馬車に乗りたいと言い出したからだ。
今やコスタリア国から水や物資の援助を受けているヴェルナード国は、エミル様の申し出を断れない。
そのため、使用人さんたちはどんな無理難題が来るのか身構えていたらしい。
だが、実際のところは「甘いものが食べたい」「可愛いメイドが欲しい」程度の要求で、皆ほっと胸を撫で下ろしていたと、コルティアナさんが話してくれた。
「マリ! 見てみろよ。この鳥はヴェルナードにしか生息していないんだ!」
エミル様はアルベルト様のことなどお構いなしに、馬車の中でも休憩で村に寄っても、常に私にかまう。
遠征の日程に合わせて帰国を決めたに違いない。
彼にあちこち振り回されて、これでは森に着く前に疲れてしまいそうだ。
「なあ、そういえば。さっき、やけにアルの従者と仲良くなかったか?」
何を思ったのか、急にエミル様がにやりと口角を上げ、ラルフの話を持ち出した。アルベルト様の眉毛がピクリと反応するのが目の端で見えた。
「さっきも親しげだったしなぁ。やけるよなぁ、アル?」
「……くだらない」
低く短く返したアルベルト様は、視線を逸らす。
確かにラルフとは会話が増えたが、座学や魔法のコツを聞いているだけで、いつも通りの毒舌と理詰めで精神をすり減らしているのは変わらない。
それもこれも、フォルトナの森で皆に迷惑をかけないためだ。
「マリはラルフのことどう思っているんだ?」
唐突なエミル様の質問に言葉が詰まる。
どう思うとは、何をどう思えばいいのだろうか。
「そうですね、生きるために必要な人ですかね」
ラルフがいなかったら、この国で生きる知恵も力もつけられなかったし、正直感謝はしていた。
私の言葉に驚いたように固まる二人。
何をそんなに驚いているのか分からない。
エミル様の相手をずっとしていた疲れもあり、丁度いいので放っておくことにした。
―――――
王都を出発して五日目。
アルベルト様は日に日に口数が減り、今日はとうとう一言も発していない。
馬車の中は、妙に重たい空気が漂っている。
その静けさを破るのは、決まってエミル様だった。
私に冗談を振ったり、わざと距離を詰めてきたりと、明らかに隣のアルベルト様を意識している。
……心臓に悪い。
下手をすれば国際問題になるやり取りを、なぜこうも平然とやってのけるのか。
落ち着いて座っていられない。
今回も馬で移動しているラルフは、馬車の中の様子は見えないものの、アルベルト様の異変にはすでに気づいているようだった。
ラルフと窓越しに目が合うと、彼はほんの少し眉をひそめた。
――そのとき、森の奥から突然、馬車の前方に黒い影が飛び出した。
「敵襲ー!」
ラルフの声が鋭く響き渡り、馬車は急停車した。四方から数十人の武装した男たちが、武器を手に取り囲んでいる。
「金品を出せー! 抵抗すれば容赦はしないぞ!」
アルベルト様はすぐさま立ち上がり、剣の鞘に手を添えた。
その冷静な姿に、私の全身に緊張が走る。
エミル様もまた、戦う覚悟を見せていた。
「盗賊か、人数は多くないな」
「油断はできない。 俺も手を貸す」
二人は馬車のカーテンの隙間から外を覗き込み、即座に状況を把握する。
「負傷者を出す前に、私は向かう。エミル、お前は絶対に無理をするな。ここで何かあれば、本気で国同士の問題になる」
エミルは静かに頷き、アルベルト様は素早く立ち上がった。
「マリ、君は絶対にここを動くな。エミル、トルビネ、頼む」
“もちろんじゃ”
アルベルト様は迷うことなく馬車を飛び降り、剣を抜いて戦場へ駆けていった。
耳をつんざく金属音、怒号、そして悲鳴。
目の前で広がるのは、見たこともない現実だった。
血の気が引いて、息を吸うことさえ苦しい。
そんな私の手を、エミル様が強く握った。
「場が悪いな……」
低く呟く声。
外を見据えたままエミル様は私の手を離さないが、更に力が込められた。
「悪いなマリ、俺も行く。外には出るなよ!」
その声に返事をする間もなく、エミル様も馬車の外へ飛び降りて行ってしまった。
膝に座るトルビネ様が、励ますように羽でそっと私の腕に触れた。
“恐れるな、王子らは相当の剣の腕前。簡単には攻め込めぬじゃろうよ”
「……そうですよね」
私は必死に深呼吸し、胸の鼓動を落ち着かせようとする。
そのとき、訓練中ラルフに言われた言葉が頭に蘇った。
―アルベルト様に守ってもらっているだけでは、足手まといになりますね?
本当にその通りだった。
私は何もできず、ただ守られるだけの存在だ。
そんな私をトルビネ様が心配そうに見上げた瞬間、馬車の扉が勢いよく開き、黒い影が乗り込んできた。
「見つけたぞ!」
黒いターバンに皮の装具を身に着けた男が、刃の長いナイフを振りかざしながら、じりじりとこちらへ近付いてくる。
「トルビネ様、逃げて!」
“何を言う! 逃げるのはお主じゃ!”
トルビネ様は私の前へ飛び出したが、男の鋭い視線を浴びた瞬間、羽ばたきが止まった。
“まさか、お前は――!”
「トルビネ様っ!」
そのまま落下するトルビネ様を抱きとめた私は、必死に逃げ道を探す。けれど馬車の小窓から彼を逃がすことくらいしかできない。
「逃すか」
男の感情を排した低い声が、狭い馬車の中に冷たく響いた。男は大きな掌を突き出し、強引に私を捕らえようとする。けれど、私は死に物狂いで身を翻し、その手から逃れた。
「くそっ! なんで捕まらない!」
苛立ちを剥き出しにした言葉を吐くと、男は逆上したようにナイフを振り上げた。
昼間の明るい陽光が窓から差し込み、不吉なほどぎらりと刃を光らせる。
死の恐怖に身がすくみ、反射的に目を閉じかけた、その時。
――集中してください、マリ様!
脳裏に響いたのは、訓練中のラルフの声だった。
― 目線、指先、魔力──相手の全てを捉えるのです
“マリ、やっちゃえ!”
肩先にポンッと軽い衝撃が走り、フォンテの声が耳元に響く。
次の瞬間、体中から熱い力が込み上げてくるのを感じ、私は思わず手を前へ突き出していた。
水が渦を巻き、勢いよく前方へ噴き出す。
緊張と焦りから加減を誤り、予想以上の大量の水が一気に噴き出した。
男の顔に水が直撃し、馬車から弾き飛ばされると、そのまま気絶してしまった。
噴き出した水が太陽の光を受けて小さな虹を描く。
戦いの緊張と不思議な美しさが同時に広がり、思わず息を呑む光景となった。
「うわっ……!」
周囲は一瞬たじろぐ。エミル様が驚きの声を漏らし、ラルフは眉をひそめつつ苦笑した。
アルベルト様も目を見開くが、すぐに剣を構え直し、盗賊たちに気迫を示して仲間に指示を出す。
動揺した盗賊たちは、一瞬の隙を突かれ、戦意を削がれた。
ラルフはすぐさま私の護衛に付き、怯える私の手を、そっと包み込むように握ってくれる。
「……がんばりましたね」
その低く穏やかな声に、安心と緊張、そして言葉にできない感情が一気に胸を駆け巡る。
顔を上げると、ラルフは柔らかな表情で、ただ真っすぐに私を見つめていた。
「ラルフの言ったことを思い出して……ちゃんと相手を見たよ」
私の言葉に、ラルフはわずかに目を見開き、それから「そうですか」と静かに頷いた。
その直後、ふと彼の髪の毛の先が、月光を浴びたように淡い銀色に染まっているように見える。
「あれ、ラルフ……の、髪が……」
不思議に思って手を伸ばそうとしたが、そこまでだった。
先ほど放った、魔法の反動が一気に全身を襲う。肺の奥が焼けるように熱く、急速に視界が暗転していく。
膝の力が抜け、崩れ落ちそうになった私の体を、ラルフが迷わず抱きとめる。
「……あなたを危険にさらしてしまって、申し訳ありません」
静かに低い声が落ちる。
「予想以上に、あの人は焦っているようだ」
意識の底に沈む寸前、確かにその言葉を聞いた気がした。肌に触れた温もり、近くで響く心臓の鼓動、そしてその声。
けれど目を覚ましたとき、あれが夢だったのか現実だったのか――私は確かめることができなかった。
ゆっくりと意識が戻ると、馬車の中は静まり返っていた。
「……ラルフ?」
膝にはトルビネ様が丸くなり眠っていて、すぐ隣ではアルベルト様が私の手を強く握っていた。
その瞳は視線を逸らさず、複雑な色を帯びて私を見つめている。
「……ラルフの方が、良かったか?」
耳を疑うような問いかけに、思考が追いつかない。
ただ、無意識に名前を呼んだだけ。意味なんて、なかったはずなのに。
「アルベルト様、ごめんなさい。私、言っていることがよく分からな――」
言い終えるより早く、アルベルト様の顔が急に近付いてきた。
「なっ……!」
慌てて両手を伸ばし、思わず彼の口を塞いでしまう。
ちょうどその瞬間、膝の上で眠っていたトルビネ様が目を覚まし、ぱちりと私たちを見上げた。
「……不意打ちが効かなくなったな」
アルベルト様は小さく笑うと、そっと私の頭を撫で、すぐに距離を取った。
けれどその横顔は、どこか寂しげに見えた。
「君が目覚めたことを皆に伝えてこよう。まだ処理に時間がかかる、休んでおくと良い」
そう言い残し、彼は静かに馬車を降りて行った。
扉が閉まる音がやけに大きく響き、残された空気が胸に絡みつく。
“おぬし、なかなかの手だれじゃのう。見ておらんわい”
膝の上でトルビネがくつくつと笑い、フォンテが馬車の窓際に座りながら得意げにしている。
トルビネ様のその声には、からかいと、ほんの少しの優しさが混ざっていた。
「……手だれって、何の話ですか」
顔が熱くなるのを誤魔化すように小声で返すと、トルビネ様はさらに面白そうに目を細める。
“お主の前では己の心を隠すのが下手すぎる。それが救いでもあるかもしれぬがな”
その言葉に、胸がぎゅっと痛んだ。
寂しそうに背を向けたアルベルト様の姿が、どうしても頭から離れない。
「マリ様ー!」
バンッと扉が開き、さっきまでの思考が吹き飛ぶほどの勢いで、コルティアナさんが中に入り私を抱きしめる。
「お側にいられず申し訳ありませんでした」
半泣きになりながら言葉を重ねるコルティアナさんの姿に、私は呆気に取られてしまった。胸の奥に張り詰めていた緊張がふっと解けていくのを感じる。
視線を横に向ければ、トルビネ様とフォンテが顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめるような仕草をしていた。
襲撃の際、最初に狙われたのはヴェルナード王族の馬車だったという。
その馬車に乗っていたコルティアナさんやナキさんは応戦していたため、私のもとへ駆けつける余裕がなかったのだと説明してくれた。
「悔しいですが……エミル様には感謝せねばなりません。コルタリアの馬車に同乗していたおかげで、マリ様の危険は最小限に抑えられたのですから」
その言葉を耳にした瞬間、私はあの襲撃を思い出した。
馬車に乗り込んできたターバン姿の男――。
あれは本当にただの賊だったのだろうか。
金品ではなく、むしろ私自身を探していたのではないか。
そう考えた途端、背筋に冷たいものが走り、身体が小さく震えた。
その不安をコルティアナさんに打ち明けると、彼女は眉根を寄せ、唇をきゅっと結んで難しい表情を見せた。
「……そうでしたか……」
小さく漏れた声は低く重く、そこに状況の深刻さと、なお明かせぬ何かを抱えている気配がにじんでいた。
コルティアナさんの沈黙が、かえって胸を締めつける。
そこにあるのは、まだ口にされぬ真実。
それを悟りながらも、私はついに問いただす言葉を紡ぐことができなかった。




