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白の来訪者1


 成人の儀から数日経ったある朝。

 目を覚ますと、真っ白なフクロウが私のタオルケットの上で眠っていた。


 フクロウといえば、枝に止まり夜の闇に目を光らせているイメージだ。

 けれどその子は、羽を少し広げて無防備に横たわり、ぐっすりと眠っている。

 私が身じろぎしても、まるで気にする様子もない。


「おーい、おはよう~。なんで君がここに? ……いや、フクロウって夜行性だったよね。今は寝る時間なのかも」


「どうかされましたか?」


 声のする方を振り向くと、天蓋の向こうからコルティアナさんがひょっこり顔を覗かせていた。

 彼女は毎朝、私を起こしに来てくれる。

 心配してくれたのか、今日は珍しく天蓋の中まで入ってきてくれたが、おっとりした口調と落ち着いた様子はいつも通りで安心する。


「起きたら、この子がいたの」


「あら……なんて可愛らしい子」


 コルティアナさんはフクロウをじっと見つめたあと、小さなタオルケットを手に取り、そっとその羽にかけてあげた。

 そうした優しさが、彼女の魅力だ。


「でも……どこから来たんだろう」


 王都には一応、木や小さな林はあるけれど、こんな立派なフクロウが住んでいるような場所なんてあるのだろうか。


「不思議ですね~。この部屋、鍵もしっかり閉めていますし、アルベルト様が防護魔法も張っておられます。ネズミ一匹、いや、虫一匹入る余地もないはずなんです」


「え!? それ、初耳なんだけど……!」


 私は思わずベッドの上で身を起こす。

 夜に部屋を出ることもなかったし、そんな魔法があるなんて気付かなかった。


「最近のことですよ? アルベルト様が急に貴重な精霊魔法をドアにかけたんです。 てっきり、マリ様もご存知かと」


「知らなかった……。なぜそんなことを?」


「ええと……“エミル様がどうこう言い出す前に”とか、“あいつは何をするか分からない”とか。とにかく、マリ様のことを心配しておられました。 ふふ、愛されていますね」


 コルティアナさんは頬に手を添えて、うっとりと笑う。

 思わず、エミル様の「未来の妻」発言が脳裏をよぎる。

 ……あの人なら、本当にやりかねない。

 それとも、私が逃げ出さないように閉じ込めているとか?


 真相を確かめたいけれど、昨日の微妙な空気のせいで、アルベルト様にはすぐ聞けそうにない。


 そんなことを考えていると、タオルケットの上のフクロウがもぞもぞと動き出した。


「ごめんね、起こしちゃった?」


 フクロウはふわりと羽を揺らしながら、ゆっくりと頭を持ち上げた。

 そして、まっすぐに私を見つめる――琥珀色の、美しい瞳で。


 何かを訴えかけるようなその視線に、私は目を逸らせずにいた。

 

 ツン。


「……えっ?」


 フクロウが首をかしげるようにして、自分のクチバシを私の唇にそっと押し当ててきた。

 そして、満足げに羽をふくらませ、今度は体ごとすり寄ってくる。


「ちょっ……大胆だよ、君!」


 くすぐったくて、ちょっと可笑しくて、だけど――どこか違和感がある。

 この子、ただのフクロウじゃない……?


 その時だった。


 ――ガチャ。


「何度かノックはしたんだが、急用なので失礼する」


 部屋の扉が開き、アルベルト様のどこか張り詰めた声が聞こえた。

 それに続く複数の足音が聞こえる。

 どうやら、ラルフも一緒にいるようだった。

 その瞬間、タオルケットの上にいたフクロウの体が、まばゆい光を放ち始めた。




「な、なにっ……!?」


 私は反射的に目を閉じる。

 目の奥に焼きつくような白い光。

 そして次の瞬間、肩を掴まれて、ぐいっとベッドに押し倒される感覚。


 ――それと同時に、唇に、柔らかく、温かなものが触れた。


 まさかと思いながら恐る恐る目を開けると、そこには琥珀色の瞳をした、美しい少年がいる。


「んんーっ!?」


 私は慌てて身を起こそうとするが、少年は唇を離そうとしない。


 横目でアルベルト様たちを見たが、彼は何も言わず、険しい表情で私たちを見つめている。



 なぜ――?


 胸の奥で、何かがぶつりと切れた音がした。


「やめてっ!」


 衝動的に、少年に向かって魔法を放つ。

 本来なら水鉄砲のように軽く飛ばすつもりだった。けれど、感情の高ぶりに呼応するように、魔力が暴走し、膨大な水が少年を襲う。


“素晴らしい力じゃ!”


 少年はそれを喜ぶように笑いながら、私から離れ両手を高く掲げた。

 水の奔流を祝福でも受け取るかのように迎え入れようとしている。

 そして、水の激流は、彼の手のひらに吸い込まれるようにして――音もなく、消えた。


 その姿に、私は言葉を失った。

 少年は涼しい顔で、こちらを見ている。


 白銀の髪、琥珀色の瞳。透き通るような肌に、どこかあどけなさの残る顔立ち。

 年の頃は、十四、五歳といったところか。

 腰に白い布を一枚巻いただけの簡素すぎる格好に、視線のやり場に困ってしまう。


「マリから、離れてもらおうか」


 鋭く響いたアルベルト様の声に、私は反射的に振り返った。


 彼はすでに剣を抜いていた。

 ラルフは構えた杖を強く握りしめ、コルティアナさんも小さな短剣を構えている。

 三人の切っ先は、目の前の少年――トルビネの喉元へと、静かに、迷いなく向けられていた。


 けれど、その切っ先をよく見ると、ほんのわずかに震えていた。


 剣を握るアルベルト様の腕にも、いつものような確かな力強さはない。


 ラルフも、コルティアナさんも同じだった。

 見た目は冷静を装っていても、その表情には焦燥と警戒、そして何かに抗うような緊張感が漂っていた。


 “だいぶ無理をしたようじゃな、王子よ”


「貴様を切るくらいは、まだできる」


 アルベルト様の低い声には、怒りと焦りが滲んでいた。


“まったく、ヴェルナードの王子は短気で困る。話の腰を折るでないわ”


 少年――いや、フクロウだったその存在は、片手をだるそうに上げると、指先で空に小さな円を描いた。

 その動きに呼応するように、風が渦を巻き、つむじ風が巻き起こる。


「なっ……!」


 風は、アルベルト様たち3人の体を軽々と宙へ浮かせたかと思うと、窓の外へと押し流してしまった。


 少年はため息をひとつつき、額にかかる長めの前髪の隙間から、私をじっと見つめた。


“やっと落ち着いて話せるわい。さて――娘よ。実に美味であったぞ。噂に違わぬ力、なるほど、我が人の姿を保てるわけじゃ”


「あなた……一体、何者なの?」


 私の問いに、少年はベッドからゆっくりと下り、片膝をついて頭を垂れる。

 片手を胸に当てるその仕草には、どこか古風な威厳が漂っていた。


“我が名はトルビネ。風の精霊王エアリーナ様の腹心なり。主と、フォルトナの森の救済を求め、汝のもとへ現れた”


 静かに名乗ったその声音には、年齢にそぐわぬ落ち着きと、確かな使命感が宿っていた。


 「トルビネ」――その名に、私はどこかで聞いた覚えがあるような気がして、目を細める。


 ……そうだ。ラルフの授業で聞いたのだ。

 風の精霊王エアリーナ。その忠実な従者として名を残す、森に住まう賢者の名。


 けれど、あの時の話はもっと抽象的で、伝承や神話のような扱いだった。

 まさか、本人がこうして目の前に現れるなんて――。


“その力を……我らに貸してほしい”


「まさか、エアリーナさんに……何かあったんですか?」


 私が身を乗り出して問うと、トルビネは小さくうなずいた。


“主は……力を使い果たし、今は深き眠りについておる”


「どうして、そんなことに……?」


“詳しい話はこの国の王も交えた方が良いじゃろう。ほれ、そろそろ来るぞ”


 トルビネがふと扉の方へ視線を送る。

 その直後、扉が勢いよく開かれ、甲冑のきらめきと共に数人の騎士たちがなだれ込んできた。


 騎士たちはすぐに少年の姿を確認し、瞬時に円陣を組むように彼を囲んだ。

 一斉に抜かれた剣が、風を切る音を立てて構えられる。


 その光景を目の当たりにしながらも、トルビネは相変わらずのんびりとした様子だった。わずかに口角を上げて、アルベルト様を見やる。


“早かったの、王子よ”


 その言葉に、アルベルト様の眉がピクリと動く。


「……これ以上口を開くと、森の賢者とて容赦はしない。切らせてもらう」


 低く静かな声には、怒りというより、押し殺した苛立ちと、限界ギリギリの焦りが滲んでいた。


 その気配を察したのか、トルビネは肩をすくめるようにして口を閉ざし、両手をすっと宙に上げる。

 挑発するでも、抗うでもなく、まるで「今はその時ではない」とでも言うように、大人しく騎士たちに身を委ねた。


 そのまま少年は、言葉ひとつ発さず、騎士団に連れられて部屋を後にしていく。


 残されたのは、私とアルベルト様――そして、張り詰めた空気だけだった。


 アルベルト様はゆっくりと私の方へ歩み寄る。

 私に手を伸ばしかけたその瞬間、彼は何かを思いとどまったように手を止めた。

 その指先はわずかに震え、ほんの少しだけ拳を握りしめる。


「午後には王を交えた会議が開かれる。だが、その前にトルビネへの聞き取りを行うことになるだろう。――マリ、君も準備が整い次第、来てくれるか?」


「……はい、分かりました」


 淡々とした声で必要なことだけを伝えると、アルベルト様はそれ以上は何も言わず、静かに扉の方へ向かった。

 その背中に、私は思わず声をかけた。


「あの! さっきは……ありがとうございました」


 ぴたり、と彼の足が止まる。

 でも、彼は振り返らない。背中越しに、絞り出すような声が返ってきた。


「君のものとは違う魔力の波を感じて駆けつけた。だが、結局……何もできなかった」


「そんなこと……」


「君を守ると、言ったのに」


 声がかすれる。そしてそのまま、彼は私の返事を待たず、静かに部屋から出て行ってしまった。

 私は、閉じた扉をぼんやりと見つめたまま立ち尽くす。

 張り詰めていた空気が少しだけ緩んだその時、勢いよく扉が開いた。


「マリ様、戻るのが遅くなってしまい申し訳ありません!」


 必死な形相のコルティアナさんが、髪を少し乱したまま飛び込んできた。


「コルティアナさん!? 大丈夫だったの?」


「はい。ご心配をおかけしてすみません。怪我はしていません。……アルベルト様もですが、ラルフ様がだいぶ魔法を防いでくれました」


「ラルフが……?」


 コルティアナさんが指をさす方向に視線を移すと、部屋の外、開け放たれた扉の先――


「……え?」


 そこには、廊下の片隅でうつ伏せに倒れ込んでいるラルフが見えた。

 彼はぐったりとしていて、近くの使用人たちは恐る恐る遠巻きに様子をうかがっているだけだった。


 私は慌てて駆け寄る。


「ちょっと、ラルフ!? 大丈夫なの!?」


 触れようとした瞬間、手のひらに軽い痺れのような感覚が走った。


「ああ……マリ様ですか。申し訳ありません、少しすれば動けますので……お気になさらず」


「気にしないわけにいかないでしょ、こんなところで倒れてるなんて……!」


 私が心配そうに顔を覗き込むと、ラルフはふっと息を吐いた。


「私に触れない方が良いです。トルビネ様の魔力が体内で暴れていて……少し、周囲にも干渉しています」


 魔力の暴走……授業で聞いたことがある。魔法の受けすぎや、過剰な術の反動で体内に魔素が暴発する現象。下手をすれば命にかかわる。


 けれど、ラルフはそれを笑って済ませようとしている。


「無理しないで。……ほら、こっち来て」


「ま、マリ様!? 本当に私には――」


 ラルフが焦るのを無視して、私は最近覚えた水の魔法で彼の身体をそっと浮かせる。

 魔力の波動を見ながら慎重にコントロールし、自室のベッドへ運んだ。


「お、お待ちを……」


 弱々しい抗議の声が聞こえるが、今の彼に反論する力はない。

 私がベッドへと下ろすと、コルティアナさんも息を呑みつつ手伝ってくれた。


「マリ様、本当にこのようなことは……」


「うるさい」


 私はラルフの脇腹を指でつつく。


「う……」


「黙って寝てて。私はこれから行くから、ここで好きに休んで。あ、後で怒らないでね?」


「……しかし」


 ベッドに横たわったまま、顔だけこちらに向けて必死に訴えてくるラルフ。

 なんだか、普段は冷静な彼のそんな様子が妙におかしくて、私はふっと笑ってしまった。


「はい、これ。気休めだけど」


 水の魔法で冷やしたタオルを絞り、そっと彼の額に当ててあげる。


「助けてくれて、ありがとう」


 ラルフはそれに何も返さず、ただ静かに目を閉じた。その穏やかな顔を見て、私もようやく少しだけ安心する。


「ふふ、さすがマリ様です。ではこちらで準備をいたしましょう」


 コルティアナさんが苦笑しながら、私の準備を手伝おうとしてくれる。


「じゃあ次はコルティアナさんの番。はい、そこの椅子に座って」


「えっ、私ですか?」


「顔色悪いよ。コルティアナさんの魔力が少ないのバレバレ。ちゃんと休まないと。他のメイドさんを呼んでくるから、しばらくここでじっとしてて」


 私は彼女の手を取り、優しく椅子に座らせた。

 彼女は少し迷ったあと、観念したように目を閉じる。


「……すみません」


「ううん、私こそ。すぐに気づけなくて、ごめんなさい」


 そう呟いたとき、ようやく心の奥底にたまっていた苛立ちと情けなさが、少しだけ溶けていった気がした。


「……さあ、私も急がなくちゃ。アルベルト様が待ってる」


 ドレスへと着替えるため、私は大きく息を吸い込んだ。



挿絵(By みてみん)

[白梟のトルビネ]

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