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成人の儀2

私はドレスを持ち上げるようにして、パーティー会場を離れ、静かな場所へ向かった。

 階段を下り、外に出ると、風が頬を撫でて心地良い。


“王子様を放っておいていいの?”


 会場から出ると、フォンテがふわりと空中に姿を現した。

 ズンズン歩いていく私に置いていかれまいと、羽をパタパタさせながらついてくる。


「いいの。アルベルト様だって、自分で好きな人を選んだ方がいいでしょ?」


“う〜ん……でも、今の様子じゃそう見えなかったけどなぁ〜”


「ねえ、フォンテ。私とアルベルト様は、ただの契約で結ばれただけの仲なの。……でも、本当はね。彼にはそんな義務じゃなく、心の底から愛し合える人と幸せになってほしい」


 あんなに多くの令嬢たちに囲まれる姿を見て、改めて思い知らされた。

 私は、アルベルト様とは違う世界の人間なんだって。


“もぅ〜、マリったらそんな暗い顔してたら、アルベルト様に心配されちゃうよ?”


「……どうせ私なんて……いてもいなくても変わらない」


“はぁ〜!? せっかくあんなに可愛くしてもらったのに! もぉ、アルベルト様に怒られちゃえ〜っ!”


 ぷん、と顔をそむけたフォンテは、ふわっとそのまま消えてしまった。

 そこでやっと私の足が止まり、気が付くといつもの南の庭園に来ていた。


「足、痛い……」


 履き慣れないハイヒールで背伸びをしたせいだった。少し走っただけで、かかとは熱を持ったようにじんじんと疼いている。

 近くのベンチに辿り着くと、私はドレスの裾を気にしながら、逃げ込むように腰を下ろす。


「あーあ……やっぱり剥けちゃってる」


 そっとヒールを脱いで覗き込めば、案の定、両足とも無残な靴擦れになっていた。赤く腫れた肌が、夜の空気に触れてひりひりと痛む。


 「レディ、どうかなされましたか?」


 不意に降ってきた声に顔を上げると、そこには一人の青年が立っていた。

 夜の闇に溶けそうな白銀の髪と、吸い込まれそうなほど深い金の瞳。その佇まいは、まるで雪の夜に現れる精霊のように、冷たく、そして美しかった。

 

「具合が悪いのですか?」


「いぇ、あの……」


 青年は迷いなく膝を折り、私の目線に合わせて腰を落とした。至近距離で見つめるその美しさに、心臓が跳ねて言葉が詰まる。

 私が気圧されていることに気づいたのか、彼は「ふふっ」と優しく喉を鳴らして微笑んだ。


「……足が、痛くて」


 やっとの思いで絞り出すと、彼は「かわいそうに」と呟き、私の足首にそっと手を添えた。

 その掌は驚くほどひんやりとしていて、火照った患部に心地よい。


「少し、冷やした方がいいですね」


 彼が手をかざすと、指先から透き通るような冷気が立ち上がる。

 魔法のような光景に、私が何かを問いかけようとした、その時――。

 コツコツと石畳を叩く、誰かの靴音が近づいてくるのが聞こえた。


「残念、私はここまでのようです。……どうか無理をなさらないで」


 青年は名残惜しそうに、けれど穏やかに微笑むと、瞬きをする間にその姿を消してしまった。

 後には、心地よい冷たさと、微かな冬の香りが残っているだけだった。


「やっと追いついた! お前、意外と足が早いな」


「えっと、エミル様……ですよね?」


 黒地のスーツには、控えめながらも目を引く金の刺繍が施され、胸元には真紅の薔薇が一輪、堂々と咲いている。

 普段の軽薄な印象とは打って変わったその姿に、思わず私は誰だか分からず一瞬戸惑った。


「未来の妻にダンスを申し込もうとしたら、会場から颯爽と出ていくのが見えたんでね」


「……何ですか、それ」


 “未来のなんちゃら”は都合よく聞こえないふりをして、私は素っ気なく返事をした。

 それが妙にツボに入ったらしく、エミル様は楽しそうに笑うと、私の隣に断りもなくドカッと腰を下ろした。


「ちょ、ちょっと! 勝手に座らないでください! こんなところ見られたら、何て言われるか……」


「アルの婚約者だからか? でも今日は、ほとんど会話もなければ目も合わせていなかったみたいだけど?」


 その言葉には返す言葉が見つからず、私は思わず視線を逸らした。

 エミル様はニヤニヤと私の反応を楽しみながらも、その視線にふと陰が差す。


 居心地が悪くなって立ち去ろうとした私の腕を、エミル様がさっと掴む。


「おいおい、その足で歩けるわけないだろ?」


 焦ったような声に、私はしぶしぶベンチに戻された。


「ほら、ちょうどいいものがある」


 そう言って微笑むと、上着の内ポケットから小さな薬瓶と柔らかなハンカチを取り出した。

 慣れた手つきで、けれどどこか優雅な動作だ。彼は端を歯で噛むと、器用にハンカチを裂いて小さく折り畳む。

 そこに、瓶から淡い緑色の液体を数滴、染み込ませた。

 森の雫を閉じ込めたようなその液体は、微かに清涼な香りを放っている。

 彼はそれを、私の赤く腫れた傷口にそっとあてがおうとした。

 しかし――その指先が私の肌に触れる直前、彼は一瞬だけ躊躇するように動きを止めた。


「俺より前に、誰かここへ来たのか?」


 低く落ち着いた声。

 私は足元に残るひんやりとした余韻と、消えた青年の残像に動揺する。


「え?……いぇ、誰も」


 思わず否定していた。これ以上、問題を増やしたくないという直感が私に口を噤ませたのだ。


「そうか。コルタリアは魔法を使える者が少ない分、薬草学が発達しているんだ。この薬は傷によく効くから、少し我慢してくれ」


 エミル様は疑う様子もなく、私の前に屈み込んだ。

 彼が薬を塗ると、あんなに疼いていた痛みがみるみる引いていく。


「……すごい、痛くない……」


「惚れたか?」


「は!? なぜそこでそうなるんですか!?」


「ははっ、遠慮ないな。まあ、そのまま靴を履いてみな」


 彼の言葉に従ってヒールを履くと、あてがった布が目立つこともなく、恐る恐る立ってみても痛みはなかった。


「ほんとに、痛くない……すごい……」


「妹がよく靴擦れしてたから、自然と覚えた。これでダンスも問題ないな」


 そう言って笑ったエミル様の顔は、どこか遠くを見るような、少し寂しげな表情をしていた。

 その表情に気づきながらも、私はまずお礼を言うことにした。


「……ありがとうございます。ただの自信過剰な王子様かと思ってましたけど、少しだけ見直しました」


「……本当に失礼な女だな。まあいいさ。命を狙われる生活してると、こういうのは自分でできないと困るからな」


 ぼそりとそう呟くエミル様。

 視線は庭園の向こう、静寂に包まれた景色を見ているようで、何か別のものを見ているようだった。


「……命を、狙われるんですか?」


「ああ。乳母に、側近に、他国のスパイ。家族以外のほぼ全員にな」


「……え」


「コルタリアは野心家が多い国だ。王族を殺してでも上に立ちたいって連中がゴロゴロいる」


「……そんな国、あるんですか……」


「あるとも。俺のじいさんも、襲ってくるやつを返り討ちにして王位を掴んだ。今の親父で、ようやく二代目ってとこだ」


 私が絶句していると、エミル様は不意に噴き出した。


「ははっ! お前、今すごい顔してたぞ」


 楽しげに笑いながら前のめりになった彼の胸元で、ひときわ目を引く赤黒い石が光を受けてちらりと見えた。

 その不思議な色に、私は思わず視線を奪われてしまう。


「……その石、珍しい色ですね」


 そう問いかけるよりも早くエミル様は気付き、すっと石を服の下に隠した。


「なんだ? そんな所覗き込んで、欲情でもしたか?」


 悪戯っ子のような目で私を見てくるので、思わず私は視線を逸らしてしまった。


「赤くなるなよ、冗談だ。さぁ、そろそろ戻るぞ! その足だったら何曲か俺と踊れるな」


「少しなら……。ん、誰と?」


「俺と。 その傷の礼に良いよな?」


 強引にエミル様に手を引かれ、私たちは来た道を戻っていく。

 気持ちが落ち着いたら戻るつもりではあったが、彼と行くとなると話は違ってくる。


「いやいやいや、エミル様とは戻れません!」


「じゃあ、俺の嫁になるか?」


「なりません!」


 言い合う内に、見覚えのある金の装飾の眩しい扉が見えてきてしまった。


「じゃあ、俺の国に遊びに来いよ」


「まぁ、それくらいなら」


「よし、約束だ。というわけだから、アル、聞いてたか?」


「アルベルト様?」


急に出てきた名前に、周りを見ると息を切らしたアルベルト様が背後から急に現れた。


「聞こえたよ。 マリ、君は一体どこに行っていたんだい?」


 アルベルト様が私の元まで早足で近づくと、彼の首筋に汗が流れているのが見えた。


「エミル、助かった」


「俺は別に……。マリが国に来る約束もできたし、上手い物でも食ってくるわ」


 エミル様はひらひらと手を振りながら会場へ向かいかけたが、ふいにピタッと足を止めた。


「……忘れてた」


 独り言のように呟き、彼は私の元へと戻ってくる。

 彼は私の前に立つと、少し腰を折って目線を合わせてきた。

 至近距離で見つめ合う、その金色の瞳。先ほどの青年と同じ色のはずなのに、エミル様の瞳はもっと熱を帯びていて、印象がまるで違う。

 ……そう思った直後、私は我に返って慌てて顔を背けた。

 しかし、逃げようとした私の腕を、エミル様が力強く引き寄せる。


「今日のお前は、格別に綺麗だ」


 耳元に触れるほどの距離で、彼は吐息と一緒に甘く囁いた。


「そこまでだ」


 アルベルト様が険しい表情で、エミル様から私を引き離すと腕の中に収める。


 エミル様は楽しそうにニヤニヤしながら両手を上に上げ、降参のポーズを見せた。

 その姿は自信に満ちており、笑みの中には遊び心が溢れていた。

 何も言わずに背を向け、颯爽と会場の中に姿を消してしまった。


「まったく……あいつは油断も隙もない」


 アルベルト様は深いため息をつきながら、視線を伏せたまま私を抱きしめる腕に力を込めた。

 通りすがる人々の視線が刺さるようで、胸の鼓動がどんどん速くなっていく。私は今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。


「あの……アルベルト様。そろそろ離れていただけませんか?」


「その前に、君は私に言うべきことがあるのでは?」


 静かだが、逃げ場のない圧を含んだ声に、私はただ瞬きを繰り返すばかりだった。

 彼はまた小さく息を吐き、今度は私の腰に手を添えて、まるで答えを待たないかのように歩き出した。


「ちょ、ちょっと……どこへ行くつもりですか?」


 彼は何も答えず、ただ私を導くように歩を進める。


 そしてたどり着いたのは、また――ダンスの中心だった。

 けれど今回は、私たちの前に先客がいた。


「ルナ……? まさか、着替えたのか?」


 アルベルト様が驚いたように呟き、私も思わず息をのむ。


 氷のような青のドレスを纏っていたはずのルナ様が、今はまるで炎をその身に宿したかのように立っていた。

 深紅のドレスに金糸の刺繍がきらめき、揺れるたびに燃え上がるように美しかった。

 その正面に立つのは、黒のタキシード姿――エミル様だ。


「よ、また会ったな。ルナ嬢がどうしてもって言うからさ。祝いの席だし、断る理由もないだろ?」


 ふざけた口ぶりとは裏腹に、その顔にはほんの少しの緊張が見える。

 ルナ様はその言葉にも首を振らず、ただ静かに微笑んだ。


 その瞬間、演奏が始まった。

 情熱的で異国の風を思わせる旋律が、会場の空気を一変させる。


 ――二人のダンスが幕を開けた。


 ルナ様のドレスは炎のように揺れ、エミル様の腕がそれをしっかりと受け止め導いていく。

 金の刺繍が光を受けて舞い踊り、空間までもが魔法にかけられたようだった。


「……あの赤いドレス……」


 私の唇から、自然に声が漏れる。


 ――そう。あれは、コルタリア王族の正装と同じ色合い。

 エミル様の装いと対になるよう、意図されたように仕立てられている。


 氷の魔法を操り、誰よりも冷静だったルナ様。

 けれど今、エミル様に向ける微笑みはどこまでも柔らかく、あたたかかった。


「私たちも、負けていられないな」


 アルベルト様が囁くように言い、腰に添えられた手に少しだけ力がこもる。

 私は自然と引き寄せられ、彼と共にステップを踏み始めた。


 けれど、うまくついていけない。

 鼓動が早すぎて、呼吸が浅くなる。


 やがて、踊りの流れの中でルナ様たちと近づいた瞬間、エミル様がアルベルト様へ何かを耳打ちした。

その言葉にアルベルト様が驚いたように目を見開いたかと思うと、突然、私の両脇に彼の手が添えられる。

 

 ――次の瞬間、ふわりと体が宙に浮いた。


「きゃっ……!」


 会場が沸き立ち、どよめきと歓声が波のように響く。令嬢たちの中には、悲鳴に近い声を上げる者もいた。


「マリ、足は……痛くないか?」


 その問いに、私はようやく思い出した。

 そうだ、ほんの少し前まで歩くのも辛いほど靴擦れが酷かったのだ。


「え、ええ……今はもう大丈夫です。エミル様の薬のおかげで」


「……なんてことだ」


 アルベルト様は苦いものを噛み潰したような複雑な表情を浮かべると、私を抱き上げたままダンスの輪を強引に抜け出した。

 そのまま自分の足で私の部屋の前まで運び、待機していたコルティアナさんへ私を預ける。


「マリ、今日はもうゆっくり休みなさい」


 有無を言わせぬ口調でそう言い残すと、彼は一度も振り返ることなく去っていった。


「やっぱり……過保護だな、アルベルト様」


 ぽつりと零した独り言に、隣でコルティアナさんが優しく、けれど全てを見透かしたように微笑んだ。


 その夜。私はベッドの中で、なかなか眠りにつけずにいた。

 銀色の青年、エミル様、そして、アルベルト様。

 今日出会った人たちの顔や、かけられた言葉を思い出すたびに、胸のあたりがざわついて落ち着かない。

 あまりにも想定外の出来事が重なりすぎて、頭の処理がまったく追いついていないのだ。


「……なんだが、すごく疲れた」

 

 静かな暗闇の中で、ふぅ、と深い溜息をつく。

 契約上の婚約者であるアルベルト様があんな行動に出るなんて予想外だったし、エミル様のからかうような態度も、あの消えた青年の正体も、謎が多すぎる。

 考えれば考えるほど、絡まった糸のように思考が迷走していく。

 私は諦めたように毛布を頭まで被ると、せめて明日には、この奇妙な騒がしさが静まっていることを願って目を閉じた。





挿絵(By みてみん)

[氷炎の舞姫]



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