独占と誘惑
「エミルと、マリ……?」
予想外の組み合わせに、アルベルト様がわずかに目を細めた。
「なぁ、アル。こいつ、俺にくれよ」
そう言いながら、エミル様は軽々と抱き上げていた私をそっと床に下ろす。その仕草はまるで、気に入った宝石を試しに手に取って、じっくり鑑定するかのようだった。
「エミル様、またまたご冗談を……」
ラルフが引きつった笑みを浮かべる。口調こそ丁寧だが、顔には「悪趣味にもほどがある」と書いてある。
「ラルフ、口を慎め」
「……っ!」
低く鋭い声に、ラルフの肩がわずかに跳ねた。
エミル様の雰囲気が、一瞬にして変わる。
さっきまでの軽薄さは影を潜め、まるで王族の威厳そのものを纏ったかのような冷ややかな視線がラルフに向けられる。
ラルフが立場上、強く反論できないことを利用して、わざと抑え込んでいるのがわかった。
それを見て満足したのか、エミル様は肩をすくめて、私に目を戻した。
「なぁ、いいだろ? こいつ、アルに困っているらしいし」
「そ、それはまた別の話で!」
「ははは。なぁ、俺の十五番目の妻に迎えてやってもいいよな?」
「え、さっきは十二番目って言ってましたよね!? 増えてる!」
「細かいことは気にするな」
冗談めかしたやり取りを続けながらも、エミル様の瞳はどこか鋭い光を帯びていた。
冗談の皮を被りながら、確かな意図を持って私を値踏みしている。
ぞくり、と背筋が凍る。
そして――
エミル様の指が、私の顎をすっと持ち上げた。
「なっ……!?」
驚いて身を引こうとした瞬間、彼の腕が素早く腰を引き寄せる。
「お前、いい反応するなぁ」
囁くような声が、妙に耳に響く。
ふわりと香る、異国のスパイスのような香り。
そして、見下ろす彼の瞳には、どこか獲物を弄ぶ捕食者のような光が宿っていた。
ぞわり、と腹の底が冷える。
腕を振りほどこうとするが、彼の腕は想像以上に強く、細身に見えるのにまるで鋼のように硬い。
「俺に求められる女なんて、そうそういないんだぜ? 感謝して欲しいくらいだ」
……プチン。
何かが、切れた。
「はい?」
無意識に漏れた声は、自分でも驚くほど冷たかった。
確かに、エミル様は顔も良いし、立場も申し分ないのかもしれない。
でも、中身はどうだろう。
他人をモノのように扱い、勝手に所有しようとするその態度。
何より、こんな男にされるがままになっている自分自身に腹が立つ。
「エミル様」
できるだけ静かに、ゆっくりとした動作で、私はエミル様の手を掴んだ。
そして、一本一本、指を丁寧に外していく。
「――ふぅん?」
エミル様はおもしろがるように口元を緩めたが、その力は次第に弱まる。
私は、その隙を逃さず、一歩、後ろへと身を引いた。
「私、そんなに安くないんで」
睨みつけるように言い放つと、エミル様は目を丸くした後、次第に楽しそうに笑い出した。
「……はは、いいねぇ。やっぱりお前、思ったよりも面白いな」
エミル様の口元に浮かぶ笑みは、相変わらず軽薄だがその奥底に潜む何かは、先ほどよりも深く、ねっとりとしたものになっていた。
私の背後で、アルベルト様の気配が微かに揺れる。
ちらりと振り返ると、彼は拳を強く握りしめていた。
いつもの冷静な表情ではなく、どこか張り詰めた空気を纏っている。
そして、その視線が向けられている先はエミル様だった。
エミル様の指先が、私の腕に触れようとした、その時だった。
ひゅん、と風が裂ける音が響いた。
次の瞬間、ふわりと宙へ引き上げられ、気づけば別の腕の中にいた。
力強く、けれどどこか熱を帯びた体温が背中越しに伝わってくる。
「エミル」
鋭く低い声が部屋の空気を震わせた。
「戦争でもしたいのか?」
その言葉が放たれた瞬間、空気が凍りついた。
ぞくりと背筋を走る震え。それに反し、私を包む腕はそっと優しく支えている。
振り向くまでもない。
この冷たく張り詰めた空気が、アルベルト様の表情をすべて物語っていた。
エミル様はしばしの沈黙の後、ゆっくりと口角を上げる。
「……へぇ」
その瞳が揺らめいた。
まるで、面白いものでも見つけたかのように。
「アルってば、そんな顔もするんだな」
言葉には余裕が滲んでいた。
アルベルト様は何も言わず、ただ静かに私を守るように抱きしめ続ける。
ふざけた態度のまま、エミル様は私たちを交互に見やり、やがて肩をすくめた。
「……はいはい、今日はこのくらいにしておこう。退散っと」
ひらひらと手を振り、彼はあっさりと踵を返す。
扉が閉まる音が響き、静寂が訪れる。
それでも、アルベルト様の腕は解かれなかった。
「……アルベルト様?」
不安を滲ませながら見上げると、彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
「ラルフ、外へ」
低く短い指示。
ラルフは無言で一礼し、足音を忍ばせながら部屋を出る。
扉が静かに閉じられる音が、やけに大きく響いた。
そして——
ぎゅっ。
腕が、私を締め付けた。
「……っ」
息が詰まりそうなほどの強さ。
「はぁ……」
耳元で、長い吐息が落ちる。その温かさがくすぐったくて、熱い。
「……はぁ。君はどうして、次から次へと問題を引き寄せるのか」
呟く声が、わずかに震えている。
「そんなの……アルベルト様のせいです」
「私の?」
「アルベルト様がからかったりするから、エミル様と出会ってしまったんです……」
抗議のつもりで顔を上げると、彼の驚いた瞳とぶつかる。
その後、短くため息が落とされた。
「本当に君は……自覚が足りないというか、無防備というか」
「え?」
「強い魔力は、精霊も人も惹きつける。それに、マリ自身の魅力もあるからこそ、誰もが君を求めずにはいられない」
「それって、どういう……」
アルベルト様が、私を深く見つめる。
「マリがとても魅力的だってことだ」
その言葉が落ちた瞬間、体温が急激に駆け上がった。
——ドサドサドサ!!
「きゃーーー!!」
「いきなり雪が降ってきたぞ!!」
「怪我人はいないか!?」
外から響く怒声と悲鳴。
驚いてアルベルト様と顔を見合わせる。
「マリ、まさか……」
「はいぃ、やっちゃったかもしれません」
涙目になりながら、慌ててバルコニーに駆け寄ると、目の前に広がるのは——
一面の雪景色。
城も、庭も、城下町までもが、冬のように真っ白に染まっていた。
澄み渡る青空の下、降り積もった雪が陽の光を反射し、淡く輝く。
使用人たちが右往左往しながら、城の敷地内を駆け回っていた。
慌ててバルコニーの手すりに身を乗り出す。
屋根が潰れたりしていないか、誰かが滑って怪我をしていないか——。
ぽん、と肩に温かな手が置かれる。
「心配しなくていい」
アルベルト様の低い声が、静かに響く。
「この雪は、ピピアーノの時と似ている……おそらく、被害は出ない」
アルベルト様は手すりに積もった雪をそっとすくい上げ、静かに目を落とす。
「それに今の季節、この雪はとても貴重だ。しばらくは水の心配をしなくて済むだろう」
その言葉に、少しだけ気持ちが落ち着く。
視線を巡らせると、ラルフが外へ出て、冷静に指示を飛ばしていた。
慌ただしく人は動いているが、どうやら深刻な状況ではなさそうだ。
「……ただ」
「え?」
アルベルト様の声が、わずかに低くなる。
「これを見てしまったら、エミルはさらに君を求めるだろうな。あいつだけで済んでマシだとと言うべきか……。各国の来賓が到着する前で良かった」
その言葉が、背筋を撫でるように冷たかった。
私の魔法が、思わぬ形で人を引き寄せてしまう。
アルベルト様の言葉の意味を、もっと深く考えなければならない——。
「……マリ」
「はい?」
「その……私に触れられるのも、嫌なのだろうか?」
「……え?」
先ほどの冷たさはなく、アルベルト様の不安げな声音に、思わず見上げてしまった。
彼の腕は、まだ私の肩を包んでいる。
エミル様に触れられたときの嫌悪感はここにはなく、むしろ、安心するほどに温かい。
「アルベルト様に触られるのは……嫌じゃないです」
小さく呟くと、彼の瞳がふわりと揺れた。
「……そうか」
安堵の表情を浮かべながら、アルベルト様はゆっくりと私の髪を撫でる。
その手のひらの温もりが心地よく、思わず目を閉じる。
不思議と、さっきまでの不安が静かに溶けていくのがわかった。
ふと、思う。
「これって、お兄ちゃんみたいな感じなのかな」
その言葉を呟いた瞬間、アルベルト様の手がぴたりと止まる。
「……お、お兄ちゃん?」
震える声が、耳に届く。
見上げるとアルベルト様の瞳が、驚いたように大きく見開かれていた。
「はい。今はとても安心しますし、お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなと思いまして」
そう笑顔で答えると、アルベルト様は一瞬固まった。
その理由を私が知る由もなく、ただ彼の変化を不思議に思いながら、私はそのまま微笑んだ。
―――――
テラスに佇むアルベルトとマリの姿を、エミルは少し離れた場所から見つめていた。
そこからでは、二人の会話の内容は聞こえない。ただ、アルベルトの優しげな表情と、マリのほっとした顔が見えるだけだった。その風景は、まるで絵画のように静かで穏やかだ。
エミルはじっとその様子を見守りながら、細く微笑んだ。その笑みには、どこか楽しげな、そして計算された冷徹さが含まれている。
「エミル様、ほどほどになさってくださいね」
突然、背後から低く静かな声が響く。エミルはすぐにその声を認識し、振り返ることなく答える。
「それは、難しい話だ。聞いていた通り、マリは魔法の制御ができていない。囲うなら今かもな」
従者は静かに言葉を続けた。
「本当に、野心だけは一人前なのですから。叔父上様に怒られるのは私なのですよ、それを忘れないでいただきたいです」
エミルは再び肩をすくめると、少しだけ目を細めた。
「気をつけるよ」
従者は何も言わず、再び無音でその場を去った。気配が完全になくなったことを確認すると、エミルの視線がわずかに鋭くなり、ポケットから取り出した自分の手をじっと見つめた。
「怖いのか、俺は……」
マリに触れたその手は、まるで冷たい風に晒されていたかのように震えていた。
恐怖なのか、それとも高揚感なのか、あるいはもっと別の、答えのない感情に支配されているのか。エミルはその答えを見つけられず、ただ空虚にその震えを感じるだけだった。
「はは、やっぱおもしろいなマリは」
その言葉が、風に乗って消えたように静かに響いた。少しだけ笑みを浮かべながら呟くその顔には、どこか楽しげな表情が浮かんでいるものの、何かを隠しているようにも見える。
しかし、エミルの目線の先にいるマリは、その言葉を知ることは決してない。
彼女が無邪気に笑うその姿を、エミルはただ静かに見つめるのだった。




