砂漠の王子
王都へ到着すると、晴れやかな表情を浮かべた王様とお妃様が私たちを出迎えてくださった。
その少し後ろには、感情の読み取れない顔で立つレオナルド王子の姿もある。
すでに報告は届いていたのだろう。
王様は私の姿を見るなり、一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに破顔し、「期待以上の成果だ」と大いに喜んでくださった。
そして、労いの言葉とともに――平民が一生暮らしていけるほどの褒美を授けてくださった。
……授けて、というより、半ば押し付けられたような気もする。
言葉にはされなかったが、王様の表情にははっきりと「次も期待している」と書いてあって、思わずアルベルト様と顔を見合わせ、少しだけ引いてしまったのは内緒だ。
ふと視線を感じて顔を上げると、レオナルド王子と目が合った。
けれど王子はすぐに視線を逸らす。
その先を追うと、彼の視線はコルティアナさんに向けられていた。
そこに浮かんでいたのは、先ほどまでの無表情とは違う、どこか穏やかで――優しさすら感じさせる表情だった。
そして、一週間。
いきなり変わってしまった髪の色にも、ようやく慣れてきた。
最初の頃は、寝ぼけたまま鏡を見ては毎回「ひゃあー!」と叫び、そのたびにメイドたちが慌て、騎士団まで駆けつけるという騒ぎを何度も起こしてしまった。
最近は少しずつ驚く回数も減ってきているから、どうか許して欲しい。
そんなこんなで、少しずつ城での生活にも馴染んできた。
午前中は、簡単な座学や魔法訓練があるものの、午後は自由時間。
自由時間と言えど、遊んではいられない。
何故なら、今のヴェルナード国は深刻な水不足。
しかも、今は真夏。
太陽は毎日容赦なく照りつけ、空には雲ひとつない。
広場の噴水は干上がり、町の井戸の水位は日に日に下がっていく。農地では干からびた作物がうなだれ、川の流れも細くなってきたと話を聞いている。
絶対に水を枯らしてはいけない時期なのだ。
そこで、私はアルベルト様に提案し、城や町の井戸に魔法で水を補充することになった。
王様も魔法で水の供給を行っているのでそのお手伝い。
まずは城の貯水槽を満たし、それから街の井戸へ。広場や市場、貴族街、庶民の家々の前へ週に一度、魔法で水を供給して回った。
日が暮れる頃にはぐったりするほどの疲労感が押し寄せる。けれど、井戸の水に歓声を上げる人々の姿を見ると、心の底から 「やってよかった」 と思えた。
……ただ、私の魔法はまだ小雨を降らせる程度の力しかない。
一時的に井戸を満たすことはできても、根本的な解決には程遠い。
このままでは、いずれ限界がくる。
「悩んだって仕方ない、実行あるのみ!」
パチン、と両手で頬を軽く叩くと、決意が体中に走る。何か解決策を見出すには、まず知識を得ることが不可欠だ。翌日、私は全力で水の供給を完了させ、城の書庫へと足を運んだ。
―――――
「ど、……どうしよう」
雨を降らせる手がかりを求め、城の図書館へ足を踏み入れると、想像以上の広さに圧倒される。
天井まで伸びる本棚の間に並ぶ無数の書物の中から、目的の本をどう見つければよいのか、途方に暮れてしまった。
年配の司書さんが難しそうな顔で忙しそうに本の整理をしていて、話しかけるには気が引けてしまう。
「どうした?」
久しぶりの声に心臓がドキリと跳ねた。
「アルベルト様?」
難解なタイトルの本を数冊抱えたアルベルト様が、反対側の本棚から現れた。
「あぁ、珍しいな、こんなところで」
「ちょっと勉強しようと思ったのですが、どこから手をつければいいのか……」
「どんな本を探しているんだ?」
「ざっくりとですが、水魔法に関する書物はありますか? 天気に期待できそうもないので、私の力をさらに強化して国に役立てたいと思いまして……」
その問いに対して、アルベルト様は一瞬返答をためらっている様子があった。もしかして、私が身に余る大それた考えを持っていると思われたのだろうか。
魔法大国の大魔法使いたちでも解決できない問題を、突然現れた私が何とかできるなんて、おこがましい事だと自覚してはいたけれど……。
「ご、ごめんなさい。私なんかが調べても、分かるわけありませんよね。出しゃばってしまいました」
急に恥ずかしさが込み上げ、早口になってしまう私に、アルベルト様は少し慌てた様子を見せる。
「いや、違うんだ。君がこの国のために何かしようとしてくれる事がとても嬉しく、言葉にならなかった」
アルベルト様は優しく微笑んだ。
「ありがとう、マリ」
アルベルト様は、私が頼んでいた水魔法に関する書物を的確に選び、通りかかったメイドさんに私の部屋まで運ぶよう頼んでくれた。
その気の利く行動に、さすが王子様だと感心せずにはいられなかった。
その後、アルベルト様に誘われ南の庭園へ向かった。庭園は夏の日差しを浴びて原色の花が鮮やかに咲いているが、どの花壇も寂しげだった。
魔法で水やりをしたが、すぐに乾き切ったカラカラの土が顔を出す。この光景を見るたびに、私は自分の無力さに打ちのめされる。
そんな私の様子を見てか、アルベルト様がふと話題を振ってくれた。
「ところで、ルナの成人の義に着ていくドレスは決まったか?」
「妹のルナ様の成人の義ですか?」
アルベルト様の妹であるルナ・リグノーア様は、お人形のようなクリッとしたアイスブルーの瞳と、ふわふわと揺れる美しい金髪が印象的な、まさに王家の花と言える美少女だと聞いている。
学園では常に学年トップの成績を誇る、将来を嘱望される逸材であると。
「あぁ、この国は18になると平民、貴族問わず祝い事をするのだがラルフから聞いていなかったか?」
ルナ様は18歳の誕生日に日本で言う成人式にあたる成人の義、別名デビュタントを行うとのことだった。
貴族の中でも、一国の姫となるとその規模は並大抵のものではなく、各国から来賓がこれからやってくると言う。
なるほど。最近、城の中で様々な様式の飾りを見かけていたのはそのせいだったらしい。
「王族って大変ですね」
私が呟くと、アルベルト様はほんの少し眉をひそめながらも、にっこりと柔らかい笑みを浮かべて答えた。
「ルナからしたら、むしろそれが良いのかもしれない」
含みを持つアルベルト様の言い方が引っ掛かったが、会ったことのない姫様の話を聞くのは失礼だと思い頷くだけにした。
それにしても、ダンスの練習やマナー講習が多かった理由が知れて良かった。
アルベルト様と話しながら庭園を歩いていると、広場の方から剣戟の音が響いてきた。騎士たちが訓練しているらしい。ふと目を向けると、見慣れた栗色の髪が視界に入る。
「あ、ラルフだ」
ちょうど彼もこちらに気づいたのか、軽く会釈をして近付いてきた。
「お楽しみのところ申し訳ありません、アルベルト様」
まずは主であるアルベルト様へ、きっちりとした礼。だが、次の瞬間、マリを見る彼の目が僅かに細まった。
「マリ様、先ほどのダンスレッスンですが……実に見応えがありましたね」
「……ど、どうもです。というか、ラルフまた私に黙っていたでしょ!」
「何のことでしょうか? それにしても、マリ様が足を踏み続ける姿、あれはある意味圧巻でした」
「むっ……!」
思わず唇を尖らせる。今日はダンスの練習があったのだが、どうにも難しく、ダンス講師の足を何度も踏んでしまった。
「マリはラルフと仲が良いようだ」
そんな私たちのやり取りを見ていたアルベルト様が、穏やかに微笑む。
「そ、そんなことは……!」
ラルフが珍しく慌てている。
「ラルフに任せていれば安心だ。引き続き頼む」
「もちろんです。成人の義の場で、お笑いの余興など必要ございませんので、マスターしていただきます。ですよね、マリ様?」
「……うぅ、がんばります……」
悔しいけれど、ラルフの言うことは正論だ。王子の婚約者の私がダンス中に足を踏み続けるなんて想像しただけでも恐ろしい。
自主練しておこう。
そんな私のやり取りを横で聞いていたアルベルト様は、静かに微笑んでいた。
「ふふ、マリは本当におもしろいな」
いつものキラキラとした王子様の笑顔ではなく、自然に笑う姿に私の心臓が早くなった。
「何か変だったか?」
「いえ、初めて笑っている所を見たので素敵だなと……」
思っていたことをそのまま言ってしまい、後悔の嵐が襲ってくる。
頬が火照っていくのを感じ、反射的に両手で顔を覆った。
私の照れる様子が面白いのか、アルベルト様はクスクスと笑いながら私に距離を詰めてくるのが指の隙間から見えた。
「顔を見せて?」
耳元で囁かれる少し掠れた低い声。
アルベルト様は顔を隠す私の手を退けようと、そっと手を重ねてきた。
不意に触れた指先が熱を持っているようで、びくりと肩が跳ねる。そっと重ねられた手は、思ったよりも優しくて、けれど逃げられそうにない。
「ラ、ラルフが見ています!」
「彼はもういないが?」
ラルフのいた方向を見れば、すでに訓練に戻り打ち合いをしている姿が彼方に見える。
そんな気を使えるならば、私の講義ももう少し優しくして欲しいと思ったが、今はそれどころではない。
アルベルト様がまた一歩距離を詰めてくる。
「む、無理です!」
勢いよく言い切ったものの、心臓がバクバクとうるさい。顔が熱い。こんなの、まともに向き合えるわけがない!
もうダメだ。逃げよう。
私はくるりと身を翻して一歩足を進める。石畳を踏む音が庭園に響いた。
陽ざしがまぶしく、余計に視線を下げたくなる。背後から名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返るなんて無理。無理無理無理!
「マリ!」
名前を呼ばれても、こんな顔見せられるはずがない。足を速める。焦るほどに足元がもつれて、上手く進めなかった。
―――――
軽やかなドレスのおかげで、庭園の小道を勢いよく駆け抜けることができた。
こんな姿をラルフに見られたら、また叱られるだろう。けれど、今はそれどころではない。
ふと振り返るが、アルベルト様が追ってくる気配はない。
足を止めずにさらに進むと、庭園の花々が途切れ、代わりに背の高い木々が視界を埋め始めた。
陽の光が葉の隙間から揺らめき、風が木々をざわめかせる。
奥へと足を踏み入れると、目の前がふっと開けた。そこには、静かに水をたたえる池がぽつんと広がっていた。
「……素敵な場所」
思わず呟きながら、水面を覗き込む。透き通る水の中を、色鮮やかな魚が一匹、優雅に泳いでいた。
「この魚……」
少し前に図鑑で見たことを思い出す。この世界の海に生息する魚は、どれも驚くほど美しい色彩を持っている。
「そういえば、お城の西側には海があったはず……」
ここまで来たのは初めてで、思わず胸が高鳴る。耳を澄ませば、遠くから微かに波の音が聞こえてくる。
静かに息を整えながら、そばの木の根元にそっと腰を下ろした。
枝葉の隙間からこぼれる陽ざしが、地面にゆるやかな模様を描く。視線を向けると、水面がきらきらと揺れながら光を映していた。頬をかすめる風は心地よく、さっきまでの焦りが嘘のように和らいでいく。
ただここにいるだけで、不思議と心が落ち着いていく気がした。
「あー、もう。アルベルト様、からかいすぎです……」
頬に手を当てて深呼吸するが、まだ心臓がバクバクとうるさい。
私にとっては、あまりにもハードルの高い出来事だった。
「女性の扱い、慣れてるんだろうなぁ……」
「まぁ、アルベルトは顔も良いし物腰も柔らかいからな」
「え?」
「や、どうも」
突然の声に驚き、慌てて見上げる。
視線の先には、太い枝の上に寝そべる男性の姿があった。
彼は軽やかに身を起こすと、しなやかな動きで目の前に着地する。
褐色の肌に金色の瞳、短めの黒髪のもみ上げの中に、ひと房だけ赤く染まった髪が目を引く。
「まぁ、アルはレオと違って掴みどころがないから、なかなか手強いかもな」
腕を組みながら首を傾げると、大ぶりの耳飾りがジャランと音を立てた。
胸元が大きく開いた襟なしのシャツに、派手な金の刺繍が施されたサルエルパンツ。
一見、軽薄そうな雰囲気だが、彼の言葉にアルベルト様の兄であるレオナルド様の名前が出たことで、少し警戒心が芽生える。
さらに、私をじっと見つめるその目から、さっきまでの軽い調子が消えていた。
まるで私のことを知っているかのように――。
頭をフル回転させ、心当たりを探る。そして、一つの名前が浮かんだ。
「……コルタリア王国の、アズィーム様でしょうか?」
「おお!さすがアルの嫁候補だな。俺のことはエミルでいいぞ」
「エミル様、お褒めいただきありがとうございます。私のことをご存じなのですね」
ラルフの教えのおかげというのが少し悔しいが、アルベルト様の顔を潰さずに済んでホッとする。
そんな私をよそに、エミル様はまるで面白いものを見つけたかのように目を輝かせ、一歩、また一歩と近づいてきた。
思わず見上げる形になり、良くないと分かっていても、その金色の瞳から目を逸らせない。
――エミル・アルカマル・アズィーム。
彼の名は、南方の砂漠に広がるコルタリア王国の王子として知られている。
ヴェルナードとは異なり、魔力を持つ者は少ないが、薬学の発展で知られる国のはず。
けれど、彼からは確かに魔力の気配が感じられた。
「なぁ、お前、水を操れると聞いたが、精霊なのか?」
「いえ、普通の人間ですが……」
無遠慮なお前呼ばわりに、つい態度に出てしまう。
「ははっ、面白い。お前、俺の十二番目の嫁になれ」
「は!?絶対に嫌です!」
「即答か。ますます欲しくなったな」
思わず素で返してしまい焦ったが、エミル様はむしろ楽しそうに笑っている。
アルベルト様に振り回されるだけでも大変なのに、この南国の気まぐれな王子の夫なんて――考えただけでも恐ろしい。
「あぁ、いいことを思いついた」
「ひゃっ!」
エミル様が悪戯っ子のような笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間、ふわりと視界が揺れた。
……抱き上げられている!?
「ちょっ、降ろしてください!」
抗議を無視して、彼は軽々と私を抱えたまま城の中へ向かって歩き出す。
すれ違う騎士やメイドたちが驚いた顔をするが、誰も止めようとしない。
いや――止められないのだろう。
相手は隣国の王子。軽々しく機嫌を損ねれば、外交問題に発展しかねない。
心の中で、面倒事を起こしてしまってごめんなさいと、アルベルト様に必死に謝るうちに、たどり着いたのは見覚えのある扉の前だった。
「おーい、アル! 開けていいか?」
「エミルか……仕方ないな、どうぞ」
「えっ、このまま入るの!? ちょっと……!」
慌てる私をよそに、エミル様は扉の前に立っていた騎士が動くより先に、自ら扉を開け放った。
抱えられたままの状態で部屋に踏み込むと、机に向かっていたアルベルト様と、その傍らに控えるラルフが視線を向けてくる。
終わった……。
顔を両手で覆うが、隠しきれるはずもない。
この城の中で、水色の髪を持つのは私だけなのだから。
[南の庭園の先には]




