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ピピアーノ高原3


 アルベルト様の酷い傷が見る見るうちに治っていく。その速さに、私は目を疑い、ただただ見守ることしかできなかった。


「実は、もうほとんど痛くないんだ」


「うそ……」


 傷はまるで時間を巻き戻すかのように、見る間に元の肌へと戻っていく。傷の痕跡がほとんど消え、安心して涙がまた溢れてきた。


“ずるいずるい”

“なみだちょうだーい!”


 精霊たちが飛び跳ねながら私の顔を狙って涙を舐め取る。小さな手のひらでぺろりと舐めるたび、くすぐったい感覚が広がる。


「ちょっ、くすぐったい!」


“おいしいね!” “げんきもりもり!”


 周囲の緑が一層深く、鮮やかになり、精霊たちが次々と光をまといながら空中を舞い始めた。

 その自由自在な飛行が、次第に美しい円を描き、一つの光の輪が形作られる。輪の中で、精霊たちは静かに舞いながら輝き、まるで夜空に浮かぶ星々が集まったかのような神秘的な光景が広がっていった。


「マリ、今から私たちは、ひとつの奇跡を目にすることになるかもしれない」


 アルベルト様が真剣な眼差しで光の輪を見つめ、静かに言う。

 その言葉に、私は胸が高鳴りながら、目の前に広がる奇跡的な光景に息を呑んだ。


 光が一瞬強くなり、次の瞬間、眩い閃光が辺りを包み込んだ。

 思わず目を閉じ、光が収まるのを待って、ゆっくりと瞳を開ける。


 ふわりと風が舞い、まるで空気そのものが優しく震えているかのように、清らかな光がきらめき始めた。


 腰まで届く長い髪は、朝露に濡れた新緑のような淡い翠色で、光を受けるたびにその色が柔らかく変化し、風そのものが髪の一部のように揺れているようだった。


 翡翠のように透き通る瞳は、穏やかさを感じさせながらも、深い光を宿し、まるで何もかもを見透かしているかのようだ。その瞳に吸い込まれそうになりながら、目を離すことができなかった。


 繊細な金細工が施されたドレスは、風に乗せられてふわりと揺れ、胸元や腕を飾る装飾が彼女の荘厳さを一層引き立てている。

 そして、背にはまばゆく透き通る羽根が広がっている。それは精霊の証しであり、星の粒子をまとったかのように淡い光を放ちながら、風とともに優雅に揺れ動く。


“やっと来られたわ”


 柔らかな声が響いた瞬間、頬を撫でる風が温かなぬくもりを帯びて感じられた。


 目の前に現れたのは、ただの精霊ではないことが分かる。彼女は周囲を見渡し、私たちに気づくと、ゆっくりと降りてきた。その姿の美しさに圧倒され、私は言葉を失った。


“いや~、本当に助かったわ!ありがとう!”


 彼女がその勢いで私を抱き締めると、私は一瞬何が起こったのか分からず、ただその豊かな胸に顔を埋めてしまった。大胆な服装に驚きながらも、その温もりに包まれて、私はしばらく言葉を失っていた。


“ピピアーノに来られないわ、魔力も足りないし、すごく困ってたのよ~!”


温かい抱擁から解かれると、アルベルト様がそっと近くに歩み寄り、彼女を見上げた。


「エアリーナ様、お久しぶりです」


 アルベルト様が膝をつき、礼をする。その姿に私は驚き、もう一度彼女を見た。


“あらあら、ヴェルナードの坊っちゃんじゃない?大きくなったわね〜”


 エアリーナ様という名の女性は私から離れ、アルベルト様に近づこうとしたが、彼は素早く華麗に回避する。その動きに思わず感心する。


“ちぇっ、まぁいいわ。久しぶりに美味しいご馳走をいただけたしね。私も精霊達も回復したわ、改めて礼を言うわ”


 私はエアリーナ様の言葉に、何が起きたのか全く理解できず、困惑した顔でアルベルト様を見つめる。


「こちらの女性はエアリーナ様。こう見えて風の精霊王だ」


“うふふ、はじめまして。様なんて付けなくていいわよん。あなたのお名前は? ……っと聞く前にちょっと良いかしら、さぁ気合いで立ってる坊っちゃんは座っていなさいな”


 エアリーナ様が人差し指をひょいっと動かすと、風がアルベルト様の足元に吹き、彼は軽やかに座らされてしまう。


“これで良いわね”


 エアリーナ様が満足げにうなずくと、再び私に視線を戻した。


「エアリーナ様、初めましてマ、マリです!」


 緊張からか、どうしてもうまく言葉が出てこなかった。風の精霊王に会えるなんて、全くの予想外で、頭が追いつかない。ふとラルフが、精霊王に会うというのは奇跡のようなものだ、と以前話していたのを思い出した。

 目の前にいるエアリーナ様の強いオーラと魔力を感じると、確かにその言葉が本当だと心から実感せずにはいられない。


“精霊達があなたのこと噂していたから、会ってみたかったのよね。まさかこんなに可愛い子だったとは思わなかった!”


「そんな!私なんてただ魔力が多いだけで大したこと……」


 エアリーナ様は笑みを浮かべながら、私の手を握ってきた。突然、彼女が静かな声で何かを口にし始める。まるで魔法の呪文のようなその言葉を一つ一つ紡ぐごとに、手のひらから暖かい魔力が流れ込んできて、体の中がポカポカと温かくなる。


“感じるでしょ?”


「あたたかいです」


「やっぱり思っていた通り、私たちとっても相性が良いわ!」


 私の魔力とエアリーナ様の魔力が共鳴し、二人の体が光り始める。その瞬間、灰色の雲が空を覆い、湿った風が周囲を包み込んだ。エアリーナ様の瞳と髪の色が一変し、深い緑色に変化する。


“ねぇ、ここに来てからよく泣いたりしていない?”


 エアリーナ様が私の涙跡に気づくと、優しく微笑んでくれる。その笑みは、まるで全てを受け入れてくれるようで、私の心の中で何かが解けていくような気がした。


「恥ずかしい話ですが、感情が制御できなくて、今日なんて何度泣いたか分からないです」


“精霊達がマリちゃんの魔力に興奮していたから、影響を受けたのね。大丈夫よ、ちゃんとやり方を覚えれば良い関係になれる”


 エアリーナ様は穏やかな笑みを浮かべ、私の不安を溶かしてくれるように言葉をかけてくれる。

 その温かさに、私は胸が熱くなるのを感じた。


“良い感じにほぐれてきたわね。さぁ、雨を降らせるわよ~!”


「雨ですか!?」


“今のマリちゃんなら出来るのよ。自分でも分かるんじゃない?”


 エアリーナ様の言葉通り、私の内側に秘められた力が直感的にわかる。水をただ押し出すのとは違っていた。


“上手よ、ゆっくり引き出してみて”


 両手を胸の前に置き、奥底に流れる力を静かに探ると、どこからかじわりと温かさが湧き上がってくる。暖かさが手のひらに集まり、その部分をそっと引き上げ、空へと解放していくかのような感覚に包まれる。


 集中している最中に、ふと幼い頃の母の声が頭をよぎる。


『水はね、火と良きライバルに、地と心を許せる友に』


「……そして、風と深い絆の兄弟に」


“その言葉、懐かしいわ。親友がよく口にしていたのを、今でも覚えている”


 エアリーナ様は目を閉じ、どこか遠い記憶に浸っているかのようだった。

 淡い水色の髪をなびかせた少女が、エアリーナ様と心を通わせながら語り合う情景がふと見える。私たちの魔力が溶け合うかのような、心地よい不思議な一瞬だった。


“おっと、いけないわ。さぁ、意識を戻して、もう少しよ!”


「はい!」


 その声に従い、私は再び両手のひらを高く掲げ、今度は雨を呼び起こすことに集中した。手のひらの中に、確かな魔力の粒が集まるのを感じると、次の瞬間、すべてが動き出した。


 ズバババ!!


「ひっ!」


 しっかり踏ん張らないと倒れてしまうくらいの勢いで、私の手から水の柱が現れて天に昇っていく。

 その後すぐポツリと頬に触れたのは、明らかに水の粒で手で確認する前にスッと消えてしまう。


“あらら~”


 エアリーナ様は空を見上げながら、少し困った顔をしている。

 その表情の原因は空から降ってくるものにあった。

 なんと降らせてしまったのは雨ではなく…。


「……雪?」


“ううふ、気合い入れすぎちゃったわね”


 空から降るのは真っ白な玉雪。

 私とエアリーナ様の魔力を含む雪は、辺りを白に染めながら三日三晩降り積もることになった。


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