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ピピアーノ高原1

 夕食後、専用のテントで寝る準備を整えていると、フォンテが不意に現れた。ふわりと浮かぶ彼女は普段の陽気さとは裏腹に、少し深刻そうな顔をしている。


“ここは風の精霊が多いね”


「風の精霊……?」


 フォンテの言葉に耳を傾けつつ、外の風の音がやけに大きくなっていることに気付いた。


“マリのことに気づいてる”


「私を?」


“そう、マリの魔力に惹かれてるんだよ”


「魔力が多いからかな」


“それもあるけど、すごくマリの魔力がおいしいからだよ”


 魔力を「美味しい」と表現するフォンテに困惑しながらも、精霊には好みの魔力があるらしいという彼女の説明に耳を傾ける。そんな中、外の風がさらに激しさを増していった。


「このテント、大丈夫かな?」


“う~ん、ダメだと思う”


 フォンテが舌をペロッと出し、肩をすくめる。彼女には些細なことでも、こちらには死活問題だ。と、外の風が一際強く吹きつけ、テントが不安定に揺れた。


 そんなとき、ふとテント越しに感じる異質な気配――それは、沢山の視線を注がれているような感覚だった。


「外に誰かいる……?」


 徐々に高まる風音と共に、私は外の気配に引き寄せられるようにテントを出た。

 外の世界は異様な光景だった。


 ラルフが張った保護膜の中だけ、風が狂ったように吹き荒れている。風に乗って飛んできた小石や枝を防ぐため、フォンテが忙しそうに動き回ってくれた。


“これ、逃げられる?”


“うーん、無理だね。マリのこと、かなり気に入っちゃってるみたい”


「私次第って……え、危ないじゃない!」


 風がさらに強まり、身体が軽く浮き上がりそうな感覚に襲われる。と、その時、視界に飛び込んできたのは、小さな人影だった。


“きたきた!”

“まってた”

“いこういこう!”


 それは私の指ほどの大きさの、黄緑色や淡い緑色の髪を持つ二頭身の精霊たちだった。彼らは子どものように無邪気な声を上げ、私を囲むように飛び回っている。その数はざっと100以上。


“これだけ集まるのは珍しいよ。普通、ここまで多く集まるには目的が必要だから”


「彼らの目的って……?」


“もちろんマリ!”


「私!?」


“““そうー!”””


 精霊たちは口々に嬉しそうに答え、まるで宴の主賓を迎えたかのように喜びを爆発させている。


 そのとき――


「それは出来ない相談だね」


 低く響く声に振り向くと、そこにはアルベルト様が立っていた。彼の周囲には、淡い光のオーラが漂い、飛んできた枝や砂埃がその光によって弾かれていく。 ラルフも後ろに続き、魔法で主君と自らの身を守っている。


「やはり精霊の仕業だったか。さて……」


「アルベルト様、何度も言いますが、下級精霊に話は通じませんよ!」


 そう言うラルフの言葉を遮るように風が吹き荒れ、その突風に彼はあっけなく吹き飛ばされてしまう。

 色々な物が巻き込まれる中で、ちょうど私の目の前に常にラルフが身につけている白い手袋の片方がひらりと落ちてきたので思わず掴んだ。


「えっと、ラルフが……飛んでいきましたけど、大丈夫ですか?」


 強烈な勢いで攫われていったラルフを心配するが、アルベルト様は涼しげな表情をしている。

 ラルフの手袋に視線を落とすと、ゾワリと何とも言えないが不思議と懐かしい感覚を覚えた。

 アルベルト様はこちらに気付かず、精霊たちの動きに注意していたのでとりあえず手袋はポケットに押し込むことにした。


「何とかするだろう。それよりもマリ、危ないから私の傍に」


 彼の手が私の腕を引き寄せた瞬間、風がさらに強さを増し、地面が震えるような音が響き始めた。


「――コルティアナ!」


 アルベルト様が叫んだ方向を見ると、少し離れた場所でコルティアナさんが魔法を使い、風を抑え込もうとしていた。しかし、彼女の力でもこの暴風を制御することは難しいらしい。苦しげな表情を浮かべ、必死に手をかざしている。


 そんな中、風の精霊たちはますます勢いを増しながら、私に向かって手招きをする。


“いくよ、いくよー!”


 その瞬間、身体がふわりと浮き上がり、私は風の中に包み込まれた。アルベルト様が咄嗟に私の腕を掴み、そのまま胸元へと引き寄せる。


「アルベルト様!」


「大丈夫だ、私が守る」


 彼の声と共に、温かな光が私たちを覆った。オーラに包まれた私たちは、飛んでくる物体に触れることなく風に乗り始めた。


 下ではフォンテが手を振りながら叫んでいる。


“私は付いていけないの!アル様、マリをお願いねー!!”


 その声は遠くなる風の音に掻き消され、次第に聞こえなくなっていった。


 アルベルト様に抱かれるその腕の力強さを感じながら、私の心臓は激しく鼓動を打ち続けていた。目を開けることができず、ただ彼にしがみつくことしかできないまま、私たちは精霊たちの導く先へと進んでいった。





―――――





 風の精霊たちに包まれ、どれほどの時間が経ったのだろう。

 強い風が止み、足元に確かな地面の感触を感じた時、ようやく私たちは解放されたことに気づいた。


 そこは先ほどまでいた野営地とは明らかに違う場所だった。

 広場にはいくつかの風車がそびえ立ち、遠くからかすかにフォンテの気配が感じられる。おそらく、野営地から見えていた村だろう。


 雲ひとつない夜空が広がり、月明かりが石畳を淡く照らしている。

 竜巻も精霊の姿もなく、ただ静寂だけが辺りを支配していた。


「マリ、怪我はないか?」


 アルベルト様の落ち着いた声が、まだ混乱が解けない私の意識を現実に引き戻した。


「私はおかげさまで大丈夫です。アルベルト様は?」


「問題ない。……どうやら精霊たちは、力を使いすぎて一度姿を消したようだ」


「あんな竜巻、初めて見ました」


 もちろん、巻き込まれたのも初めてだった。

 必死にアルベルト様にしがみついていたせいで、手や足にうまく力が入らない。


 彼に目を向けると、精霊の加護で守られていたとはいえ、その限界があったのか、顔や服には小さな傷がいくつもついていた。

 いつも完璧な彼の姿が、こんなふうに乱れているのは初めて見る。


「どこかで休もう。私たちも体力を回復させないといけない」


 そう言いながら、アルベルト様は軽く拳を握り込む。

 その仕草には、安堵とともにわずかな焦燥が滲んでいた。


「……頑張ると思った矢先に、情けないな」


 彼は小さく呟いた。

 私は思わず彼を見つめる。

 いつも冷静で、自信に満ちた彼が、そんな言葉を口にするなんて思わなかった。

 それがなぜか、とても切なく感じた。


「アルベルト様は、すごく頑張っていましたよ」


 そう伝えたかったけれど、今の彼にどう響くのかわからず、結局言葉にはしなかった。


「……あそこの倉庫はどうですか?」


 少し離れた場所に、頑丈そうな木造の倉庫があった。

 近づいてみると鍵は開いており、すんなりと中へ入ることができた。


 倉庫の中はひんやりとした空気が漂い、外の風の冷たさとはまた違う、静かな冷気が肌を包む。

 古い木の香りと、乾燥した穀物のような甘く素朴な匂いが混ざり合い、どこか懐かしい気持ちにさせる。


 壁際には、大きな麻袋に詰められたラッテや、加工されたプロマが整然と積まれていた。

 積み上げられた袋の間に、厚手の布が掛けられた簡易な休憩スペースのような場所がある。


「ここなら、少し休めそうですね」


「ああ」


 アルベルト様は、軽く埃を払った布の上に腰を下ろすと、疲れた様子で肩を落とした。

 私もその隣に座り込むと、ふわりと柔らかな布の感触が背中を支えてくれた。


 倉庫の小さな窓から、月の光が細く差し込んでいる。

 その青白い光の筋をぼんやりと眺めながら、私はこの数日の出来事を思い返した。


 ……家族や友人のこと。

 投げ出してしまった仕事のこと。

 そして、ずっと怖くて聞けずにいる――私は元の世界に帰れるのか、ということ。


 考えているうちに、胸の奥がじんわりと痛くなり、ふと視界がぼやけた。

 気づけば、涙が頬を伝い、ぽろぽろと零れ落ちていた。


「……泣いているのかい?」


「え?」


 アルベルト様の言葉に驚き、慌てて頬を拭う。

 しかし、拭っても拭っても、次々に涙がこぼれて止まらなかった。


「怖かった?」


「いえ、これは……」


 どう説明していいのかわからなかった。

 心の中に積もっていたものが、突然あふれ出してしまっただけなのに。


「……ちょっと、疲れちゃいました」


 それだけ言って、私はそっと顔を背けた。


 アルベルト様は何か言いかけたが、少し考え込むような沈黙のあと、ふっと小さく微笑んだ。


「それは……うん。今はもう、何も考えずに眠ろうか」


 そう言って、彼はゆっくりと瞼を閉じる。


「……おやすみ」


 その一言が、妙に優しく胸に響いた。


 倉庫の中には、静かな夜の空気が満ちていた。

 遠くで微かに風の音が聞こえるが、もうあの時のような荒々しさはない。


 隣でアルベルト様が静かに寝息を立て始める。

 私もその穏やかな呼吸に耳を傾けながら、ゆっくりと目を閉じた。


 月明かりの下、静かな夜がゆっくりと流れていく。

 そして私は、知らぬ間に深い眠りへと落ちていった。





挿絵(By みてみん)

[あの風の行方は]

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