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1~治験

「それで、例の治験の事だけど……」

「はい。対象者はもう決まっていますし、全てが順調に進んでいます。特に何も心配いりません」


 国内最大手の製薬会社である「日本リーベル」の新薬開発部では、治験の段階まできていた新薬の「ホライゾン」に会社の命運がかかっていた事もあり、開発に携わった大澤(おおさわ)金城(きんじょう)は、早くこの新薬が世に出て多くの患者を救う実績を上げさえすれば、今後、自分たちの母体企業である「リーベル・グループ」から独立して、自由に新薬の開発に(いそし)しめるはずだと考えていた。




「だから何でこの家のポストの中に、製薬会社の治験の説明パンフレットが入ってたんだよ!個人情報ダダ漏れじゃねえか!!」

 東京都内に在住している三木(みき)博也(ひろや)は、黙りこくっている両親にかなり荒れた様子で食って掛かっていた。

「博也……うちは、非課税世帯なのを知っているだろう?」

 父の三木(みき)達郎(たつろう)は、お茶をすすりながらワザと博也から目を逸らせて溜息混じりに呟いた。

「博也。お願いだからこの治験を受けてくれないかな……?」

 そう言いながら母親の三木(みき)静江(しずえ)は、入れ歯を外して洗浄剤の入ったコップの中に自らの入れ歯を慣れた手つきで沈めた。

「金か!?収入が足りないんだろ!俺が、働いていないから!!」

 博也は、自らの不甲斐なさを嘆いたが、博也が実際に社会で働いた経験は殆どと言っていいほど無く、働いてもどこも長続きしていないのが現実だった。

「この新薬の治験は、計二十四回。報酬は一回につき約二万円だ。単純計算で合計四十八万円。ただ、薬を飲むだけでだぞ!こんなおいしい話は中々ないぞ!博也!!」

 達郎は妻の静江がコップに沈めた入れ歯を一瞬だけ見つめた後、今回の治験の具体的な報酬の話をようやく切り出した。

「大体、何の薬だよ?」

 ここで、ようやく博也が一番大事な事を両親に問いかけた。

「それは……」

 達郎は少しだけ間をあけてから、意を決したかのように話し出した。

「博也。これは、お前のような人格に障害のある……つまりパーソナリティ障害の患者の為に開発された新薬だよ……」

 博也は、達郎の説明を黙って聞いていた。


「わかったよ……やるよ……」

 博也は、この新薬の治験に協力する事に何故か?あっさりと承諾した。




 日本リーベル製薬会社が、新しく開発した新薬「ホライゾン」は、日本初の人格障害、パーソナリティー障害に特化した適応薬として六年間の研究、開発期間を経て、治験の段階まで辿り着いていた。


 博也は治験の厳しい基準に基づき、医師からしっかりと説明を受けた後、同意書にサインをして、その後身体検査等を済ませて治験の為の準備を整えた。


「俺が、社会性が全くないばかりに。ロクに働けない人間だから……」

 博也は、年齢三十九歳。その年齢の割には、長い間働けない状態が続いていた。それは、博也自身が良く分かっていた目を背けたい現実でもあった。

 これから二年間。博也は新薬を服用しながら、月に一度くらいのペースで病院の診察を受けて、経過観察を続けていく事になる。



「では、これが最初の一ヶ月分のお薬です。必ず主治医の指示通りに服用してください。もし……大丈夫だと思いますが、副作用のようなものが現れたら、直ぐに病院の方へ電話をして主治医の診察と、場合によっては精密検査等を受けてください。何か分からない事などありませんか?」

 薬剤師からそう聞かれた博也は、首を横に振ってから、

「いえ。ただ、お金は……?」

「治験薬ですので、お金をいただく必要は一切ございません」

 博也は、不器用に作り笑いを浮かべながら、

「なら、大丈夫です!」

 そう言って院内薬局から処方された新薬をリュックサックの中に荒っぽく詰め込んで、病院を後にした。


 病院を出た博也は、自宅に帰るためにバスに乗り込んでバスを降りた後は、歩いて鼻歌を歌いながら帰宅した。


 新薬の「ホライゾン」は、クリーム色と青色のツートンカラーのカプセル型の(じょ)放剤(ほうざい)で毎朝一カプセルを朝食後に飲むだけで、その効果は二十四時間持続する薬効を持っていた。  

 博也は、特に服薬に関して大きな不安などは感じていなかった。


 こうして「ホライゾン」の服薬を始めた博也は、その後特に大きな変化もなく二週間服用を続けていた。

 服用を始めて三週間くらい経ったある日の朝、いつも目覚めの気分がこの上なく最悪だった博也が、何とも言いようのない爽やかな気分で目を覚ました。


「あ~、なんか今日は、気分がとても良いよ!」

 博也は珍しく(ひげ)を剃り、歯も磨いて髪形を整えて、しばらく入っていなかった風呂を自ら沸かして入浴まで済ませて、両親を驚かせていた。

「新薬が、効いてきたのね!」

 母の静江は、変わり始めた博也の姿を見て、父の達郎と共に喜びを隠せない様子だった。

 一見、新薬の効果が(いちじる)しく現れたように見えた博也だったが、この後、新薬「ホライゾン」によって劇的に人生を狂わされる事となる。しかし、この時はまだ誰一人としてその想像を絶する程の急展開を予想する事など出来ずにいた。


「ホライゾン」の治験開始から一ヶ月が過ぎた。博也は、治験開始前の無気力で憂鬱な引きこもり状態から脱却し始めていた。障害者就労支援センターに登録を済ませて、平日の月曜日から金曜日。センターに通いながら、ビジネスマナーやパソコンの技術習得、軽作業や認知行動療法などのセンターが組んでくれたカリキュラムを熱心にこなしていた。



「金城さん。例の治験の対象者の三木博也の事ですが……」

「大澤。今のところ三木博也以外には、治験は実施していないのか?」

 日本リーベルの新薬開発部の金城と大澤は、治験開始から一ヶ月が過ぎたタイミングで今のところ唯一の治験対象者である三木博也の状態を把握すべく日本リーベルの開発部に送られてきたレポートやデータを入念にチェックしていた。


「金城さん。今現在三木博也のみの治験段階ですが、レポートやパソコンに送られてきたデータを見る限り、顕著な好転の様子がハッキリと確認できています!」

「ふむ、確かに。だいぶ活動的、且つ前向きに変化してきているようだな。これから更に意欲の向上、それに伴うビジネスマナーやパソコンのスキル向上。問題のコミュニケーション能力の改善に関しても就労支援センターのスタッフや仲間たちと良好な人間関係の構築が出来ているとのレポートが上がっている。極めて順調だ!」


「何としてもホライゾンを世に送り出して、一大センセーショナル的な話題を()(さら)えば、我が社の知名度も評判も文句なしに上がってくるだろう。副作用も今のところ大丈夫なようだな!」

「はい、金城さん。このまま順調に事が運べば、我々は大きく世界を変える事が可能になります。ただ、唯一問題があるとすれば……」

「大澤。それに関しては今の段階で話す事ではない。今後も経過をしっかりと見守っていくだけだ!」

「……はい」

「製薬会社として患者の疾病の改善こそが命なんだよ……このまま日本中にパラサイトなる引きこもりのニートの中高年を増やすわけにはいかないんだ!公には出来ないが、国からの開発費用援助の事もある。必ず成功させねばならないミッションなんだ!」

「はい、かしこまりました。全力を挙げてこのミッションに取り組みます!」




「ただいま!!」

 元気で大きな声を響かせて、博也がセンターから帰宅した。

「おかえり!」

 母の静江は、日に日に元気で活動的になっていく博也の姿を見ていくうちに、心から喜び、期待に胸を膨らませながら我が子の成長を応援していた。それは、父の達郎も同じだった。

「母さん。今日は、エクセルで表やグラフを作ったよ!入力のスピードも格段に上がってきたんだ!ブラインドタッチの練習も始めたよ!」

 博也は、生き生きとした表情で静江に少し興奮気味にセンターでの成果を報告するのが日課となっていた。

「おう、博也。おかえり!」

 達郎も博也の生まれ変わったような姿に嬉しさを隠せないようだった。

「父さん。治験の話を持ってきてくれてありがとう!今、俺は……人生が、生きていることが楽しくてしょうがないよ!毎日が充実して、新鮮で、将来への希望に満ち溢れているよ!!」

 博也は、気分が高揚しているのか?治験の話を持って来てくれた達郎に満面の笑みを向けて感謝の意を伝えた。

「そうか……お前ならきっと成功する!頑張れよ!」

 達郎もつられて気分が高揚していたのか?声が若干上ずっていた。



 治験開始から三カ月が過ぎた。博也は、センターの訓練生の障害者の中でもトップクラスのビジネスマナーとPCスキルを身に付けていた。言葉の使い方も年相応になり、センターでの電話応対を任されるまでに成長していた。


「三木さん!!」

 副センター長の神崎(かんざき)真奈美(まなみ)は、右手に何かの資料を持ちながら、完全に習得したブラインドタッチでタイピングの練習をしていた博也を呼んだ。

「神崎さん。またタイピングのスコアが伸びました!」

「凄いじゃない!あっ、あのね。ちょっとお話したいことがあるから筆記用具を持って奥のミーティングルームに来てくれる?」

「はい!今すぐ行きます!」



「ホ、ホントですか!?」

 ミーティングルームの中で、神崎は博也にハローワークの非公開求人の紹介をしていた。アパレル業界大手の一部上場企業の障害者雇用だった。福利厚生などの勤務条件は、文句の付けようの無いものだった。


「チャレンジしたいです!!」

 博也は、この案件に興奮しながら目を爛々と輝かせて飛びついた。

「オッケー!まずは、会社見学。その後、五日間の業務実習を経て、最終面接を行って、上手く行けば内定よ!」

「はい!頑張ります!」

 博也は、今までの人生で味わった事の無い気分の高揚感に包まれていた。

「あとね、三木君。最終面接の事なんだけど……」

 神崎は、少し呼吸を整えてから博也に話しかけた。

「親御さん同伴の面接なのよ。ご両親二人でもいいし、どちらか一人でも。自宅に帰ったら、ご両親に伝えておいてね!」

「は、はい!」


 センターの帰り道、博也は何とも表現しがたい不思議な感覚に包まれていた。全身にパワーが(みなぎ)り、まるでこの世の中が自分中心に回っているかの様な圧倒的な優越感に満たされて恍惚の表情を浮かべていた。溢れんばかりの喜びを爆発させぬよう必死に冷静さを装っていた。


 この朗報は、センターを通して日本リーベルの金城と大澤にも伝えられた。「ホライゾン」の治験は、怖いくらいに順風満帆に進んでいるかのように見えた。自宅に帰った博也の信じ難い報告を聞いた両親は、感極まって泣き出してしまう。その様子を見ていた博也も、本当にこの治験を引き受けて良かったと安堵の表情を浮かべていた。


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