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バレンタインデーの夜は悪魔を喚ぶのにちょうどいい

作者: ぜんざい

 オーブンの扉を手早く閉め、スイッチを入れる。後は待つだけだと、船山恭二は一息ついた。慣れない物を作るのに少々時間を使い過ぎた。夕食は簡単に済まそう。


 くたびれた灰色のスウェットの袖に付いた粉をはたきつつ、使った調理器具を端に寄せる。中古で買ったレシピ本を部屋の小さな本棚に戻そうとしたところで、恭二は見慣れない本が紛れていることに気がついた。何の気無しに手に取り、無造作に革の装丁をめくった。


「わっ」


 その瞬間、本から猛烈な勢いで毒々しい色の煙が溢れ出す。思わず本から手を放す恭二だったが、なんと本は何の支えも無しに宙に浮き、煙を吐き出し続ける。やがて噴出が止むと、煙は一か所に集い、奇怪な生き物の姿に変わった。


 濡れたような光沢をもつ黒曜の肌。ねじくれた角が生えた頭部には人とも獣ともつかぬ相が浮かび、背には蝙蝠のような羽が生えている。腰から生えた細い尻尾は不気味にうねり、あまつさえ、この生き物はわずかに地面から浮いていた。


「クハハハハハハ! 愚かな人間よ、よくぞ強欲の書を手に取った。忌々しき教会の犬どもに焚書されたが、このオレがその程度で滅ぶと思ったか!」


 テンション高めな怪生物に対し、恭二はさりげなく鍋に湯を沸かしながら対話を試みた。


「あの、すみません」


「なんだ、人間。今のオレは上機嫌だ。言うだけ言ってみろ」


「このアパート壁が薄いんで、あまり大きな声を出さないでいただけると……」


「あ、ゴメン。……はっ!? 悪魔がご近所トラブルなど気にしていられるか!」


「なるほど、貴方は悪魔さんなのですね」


「いかにも。オレは欲深い人間や妄執に囚われた人間の前に現れる“強欲の書”の悪魔だ」


「僕は恭二です」


「貴様の名など聞いておらんわ……。調子の狂う人間だな」


 凶相を歪めて不快そうにする悪魔。恭二はそっと鍋に塩を入れた。


 ちなみに恭二は気がついていないが、悪魔の話す言葉はバベルの塔が崩れるより前に使われていた統一言語であり、相手が知的生命体であれば使っている言語に関係なく意思疎通が可能だ。


「まあ良い。せっかく復活できたのだ。悪魔としての本分を果たそうではないか。恭二とやら、この強欲の書が手元に現れたということは、何か欲しているモノがあるのだろう? もしも貴様がオレの出す難題を達成出来れば、悪魔の力でどんな願いも三つ叶えてやろう」


「欲しい物が無いとは言いませんが、悪魔との契約や知恵比べって失敗すると酷いことになるのでは?」


 悪魔が人間を口車に乗せて魂を奪おうとする話など、いくらでもある。恭二の懸念は当然のことだった。実際に、この強欲の書の悪魔の狙いも恭二の魂だ。遥か昔の焚書から復活したばかりの悪魔は、非常に腹を空かせていた。目の前にいる人畜無害そうな人間を騙くらかして魂を貪り食おうとすることは悪魔として至極当然である。


「ククク、心配するな。オレは他の悪魔に比べれば優しい方さ。ルールを説明してやろう。オレは三つの難題を貴様に与える。一つ達成できれば望みを一つ叶えてやる。三つ達成出来れば、先ほど言った通り三つの願いが叶うという訳だな。――ただし、達成できなかった難題一つにつき貴様の魂を三分の一、いただこう。なぁに、人間というのは意外と丈夫だ。全て奪われでもしなければ、すぐに死んだりはせんよ。一つでも成功すれば良いのだ。簡単だろう?」


 鍋にパスタを投入しながら、恭二は答える。


「うーん……。悪魔に遭うことなんて滅多にないでしょうし、せっかくのチャンスなのでお受けします」


「ハハハハ! そうこなくては!」


 簡単に誘惑にのった恭二に悪魔は笑いが止まらなかった。今も昔も、人間とは欲深く愚かなものだ。当然、魂を残してやるつもりなど全くない。


「強欲の書の悪魔■■■■の名のもとに三題の契約を交わす!」


「うわっ」


 悪魔が宣誓すると滲み出すように大きな砂時計が現れた。悪魔は砂時計を撫でながら笑う。


「そうそう、言い忘れたが、制限時間は二十四時間だ。さて、最初の難題だ」


 恭二は知りえぬことだが、悪魔という存在は嘘を吐けない。そして契約は誠実に遂行しなければならない。忌々しい神によりそう定められているのだ。故に、絶対に達成不可能な難題を与えることも出来ない。


「オレは実のところ、人間の食べ物が好きでな。この契約を交わす時は毎回食べ物に関わる難題を出すことにしているのだ」


 悪魔は恭二を観察する。部屋は狭く、来ている服は灰色でくたびれている。このことから恭二が貧者であると想像できる。となれば、話は簡単だ。金持ちにしか手に入らないような高級食材を要求すれば良いのだ。


「卵と胡椒を使った料理を差し出せ。それが最初の難題だ! ククク、たかが料理を出すだけで達成できるのだ、オレが慈悲深くてよかったなぁ!」


「どうぞ、カルボナーラです」


「うまい! ……んん?」


 悪魔は首を傾げた。はて、自分が思わず口にしたこの食べ物は何だ?


 口に広がるのは濃厚な卵とチーズの味。それを惜しみなくかけた粗びきの胡椒が引きしめており、実に美味だ。


「いや、待て、何故貴様のようなその辺の雑草食んでそうな男がこんな高級食材を出せるのだ」


 悪魔の計略は完璧だった。――焚書にされる以前、卵や胡椒が高級食材だった時代と国ならば。


「卵も胡椒もスーパーで買った普通の品ですよ? 特に高級品という訳ではありませんが」


「ちょっと何言ってるのか悪魔わからない」


「湯を切ったパスタに生卵と粉チーズを混ぜて一気にかき混ぜると麺の熱でイイ感じになるんです。カルボナーラと言ってますが、実際はチーズ入り卵かけパスタって感じです。いやあ、今日のご飯にしようと準備しててちょうどよかった」


「わからない」


「美味しいですか?」


「うん」


「よかった」


 悪魔が思考を手放していると、空中に一枚の羊皮紙が現れる。恭二が手に取ってみると、そこには『悪魔になんでも命令できる券』と書いてあった。一つ目の難題クリア!


「次のお題はなんですか?」


 恭二の声に悪魔の悪魔的頭脳が現実への帰還を果たす。


 悪魔は自分に言い聞かせる。落ち着け。難題の方向性は間違っていないはずだ。何せ昔はこの難題で何人もの人間から魂を奪ってきたのだ。


 思考すること数秒。悪魔は理解した。恐らく、この国は胡椒の産地なのだ。ついでに鶏も沢山いるに違いない。であれば、自分がよく召喚されていたあの国の人間たちが好んでいたアレは逆に入手困難なはず!


 悪魔はもう少しこの時代と恭二のいる国である日本について知ってから契約を持ち掛けるべきだった。


「よし、次の難題は……紅茶だ。香り高い紅茶を出してみろ」


「ちょうどよかった。食後に、と今淹れたところだったんですよ」


「まって」


「アッサム、お嫌いですか? 僕はミルクを入れて飲むのが好きなんですが」


「あっさむ」


「はい」


「……おいしい」


「よかった」


 二枚目の『悪魔になんでも命令できる券』が発行された。


「おかしい……一体どうなっているのだ……?」


 悪魔は頭を抱えた。このままでは魂を奪えない。それどころか、願いを叶えるのに魔力を使い、さらに飢えてしまう。せめて最後の難題だけでも失敗させなければ。


「……よし、決めた」


「はい。なんでしょうか」


「チョコレート、という物がある」


 要求するのはまたしても(悪魔の常識では)高級食材。媚薬や精力剤として貴族や王族に珍重される液体。これだけでも恭二のような推定貧乏人に架すには酷な難題だが、悪魔はさらに無茶を加えることにした。


「これを甘い菓子にしてオレに食わせてみろ! ククク、大量の砂糖を加えなければ非常に苦い、そもそも液体であるチョコレート、菓子にできるものならばして――」


 ――――チン♪


 オーブンが鳴った。出来上がりを知らせて、鳴った。


 耳慣れぬその音に、悪魔はなぜか強烈な悪寒を覚えた。コキュートスの冷気にも耐えられる己が、震えている。


「ちょうどよかった」


 恭二が笑む。悪魔には、その顔がなんだかとても恐ろしいものに見えた。


「今日はバレンタインデーだったので、つい浮かれてチョコレートケーキを焼いていたんですよ。料理は趣味でよく作るんですけど、お菓子はたまにしか作らないので手間取りました」


「ちょこれーと、けーき」


「冷やしてから食べるつもりだったんですけど……温かいケーキも乙なものですね。中にガナッシュを仕込んでおいたので、ほら、切ると蕩けたチョコが垂れてきて、自画自賛しますがなかなか美味しそうですよ」


「あ、ああ……」


 恭二は手早く切り分けると皿に盛り、紅茶のお替りと共に差し出した。


「さあ、どうぞ」


「ふぁい」


 全ての難題が達成された瞬間である。チョコレートケーキはおいしかった。


「なんなんだこの時代は……」


「悪魔さん?」


「何でもない。ほら、とっとと願いを言え」


 もはやヤケになった悪魔が催促すると、恭二は口を開いた。


「願い……そうですねぇ。実は僕、結婚願望が強いんですよ」


「なるほど。つまり、女だな。まかせろ、そういうのは悪魔の得意分野だ!」


 復活してから初めて自分の常識が通用しそうな展開に、悪魔の元気がちょっと回復した。魂を食いそびれて空腹なのは残念だが、それはそれとして契約を違えるつもりはない。恭二に発行した三枚の『悪魔になんでも命令できる券』には魔力が満ちており、心から望みを口にすれば、次の瞬間には解き放たれた魔力が世界を恭二の為に改竄するだろう。……すごいのは券であって、悪魔は特に何もしないよね、とか言ってはいけない。


 悪魔がちょっとワクワクする中、恭二は望みを告げる


「じゃあ、悪魔さん。僕と結婚してください」


「ふぁああああああああああああ!?」


 尻尾を逆立て、悪魔が奇声を上げた。同時に『悪魔になんでも命令できる券』から解き放たれた魔力が世界を書き換え、恭二を悪魔は夫婦となった、これは文字通りの意味で神に祝福され、契約に縛られる存在である悪魔はお嫁さんの自覚が急速に芽生えていった。


「ななな何を口走ってるんだ貴様はぁ!」


「僕、結婚相手に求める条件が二つあるんです。一つはご飯の好みが近いこと。悪魔さん、僕の作った料理を美味しいと言ってくれましたね」


「味覚の前に種族とか性別とか気にしろぉぉぉ!」


「では、二つ目の願いで悪魔さんを人間の女性っぽくお願いします」


「どちくしょおおおおお!」


 悪魔の身体が一瞬光ると、そこには角や羽といった特徴を残しながらも可愛らしい黒髪の女性が立っていた。


「更に三つ目の願いを行使。悪魔さんがなんかイイ感じにこの世界に溶け込めるようにお願いします。戸籍とか国籍とかそのへん」


 恭二のふわっとした願いを受け、魔力が世界を駆け巡る。悪魔は完全に日本人女性としての存在を確立し、角や羽は第三者が見てもスルーしてくれるようになった。


「………………もうどうにでもなーれ」


 一晩であまりにも多くの変化をもたらされた悪魔は茫然自失。そんな彼女の肩を恭二は優しく抱き寄せた。


「幸せにします」


「ふあっ!? み、耳元で囁くなぁ」


 結婚してから人化したのがまずかった。『悪魔になんでも命令できる券』は悪魔の肉体を恭二のお嫁さんとして最適化していたのだ。つまり、一言で言うと相性抜群。鼓膜を撫でる声ですら快感なのであった。


 なんとか空気を変えようと、悪魔は疑問を口にした。


「そ、そういえば、結婚相手に求める条件の、二つ目って何なんだ?」


「嫁にするならTS悪魔っ娘にしようと昔から決めてました」


「ピンポイントォォォォ!」


「あと、正直もう辛抱たまらんので、いいですよね」


「ちょ、なにをするやめ――」


 強欲の書は普通では叶えられないような願いを普通じゃない強度で願い続ける者の元に現れる。


 悪魔の叫び声が、出来立てのチョコレートケーキより熱く、甘いものに変わるまで、あと三分。







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