第5話 勝負手
「6五歩ッ!」
美宇が眉間にシワを寄せる。
2五桂による両取りも、2ニ歩成のケアもせずに、5四桂打による銀の両取りすら見逃して6四歩。
美宇は今、自分が有利であることを自覚している。ならばコレが守るだけでは勝ち目がないと察した俺の無理攻めであることもわかるはず。
ここでどれだけこちらの攻めを捌けるか、見ものだな。特にここから始まる無理攻めは、演算能力を使って導き出した無理攻め。
2四歩の受けから始まる、どれを指しても形勢が動かない、長くはあるが集中力さえ切らさなければ乗り切れるような局面ではない。
ただ一度最善手を外しただけで転がり落ちる、棋力の限界に挑戦するような局面だ。
6四にあった歩は、元々6六にあった銀を釣り上げるために6三から突いたもの。一見すれば6五歩は同銀と取らせて銀を釣り上げるための餌。
だから、ソレに惑わされず5五銀左と出るのが正解に見える。
今まで5五銀左と出なかったのは、2ニにあった角が5五に効いてたり、それ以上に先手忙しい局面だったからだ。だから、むしろ6五歩突くはただの悪手。ただで5五銀と出られて、同銀、同角と進めば、
3三の浮いた金を睨みつつ、次の7四桂を見せたこの角が厳しすぎる。もし、美宇の持ち駒が銀と桂だけだから、7四桂で詰まないから問題なしと判断して4四金などと受ければ、
7四桂、9ニ玉。
一見端歩を突いても、王に届く前に角と桂馬が切り取られてしまうただの暴発。
だが、ここで4四角と角を切る手がある。
4四角、同歩、8二金。
そこから、8一金で俺の玉に21手詰めの詰めろが掛かる。
見えるかどうかはともかく、並べ詰めだ。適当に追えば詰む。これに同銀ではなく、金を無視して桂馬を外せば少しは続くが逆転のチャンスが無い。だからこれは俺の負け。
しかし、この局面では3六歩という無茶苦茶な手渡しがある。
なんとこれで先手には早い攻めがなく、後手は1三の角筋が通せて形勢互角。……演算能力の結論は泥沼な局面が延々続いた果ての美宇勝利と言っているが、辿り着けるはず無いので実質逆転だ。
ただ、これも一見すると2五桂による両取りがあって先手楽勝に見える。
実際、2四角と受けるなら、2四角、3三桂成、同角、
3四歩、4ニ角、
4四銀、同歩。
2四角の受けからここまでは一直線。こうなれば、ここからはどう攻めても先手勝ち。
だが、
この局面では2四角ではなく、無視して5五銀が強手!
先手の応手としては同角と取るのが先程までの念願の一手。しかし、このタイミングでは、相手の角切りが成立してしまう。
つまり、同角、4六角だ。
しかも桂馬を使ってしまっているので7四桂の筋がなくなってしまっている。ついでに相手の4六角を同角と切り取れば金に逃げられて散々だ。
この先は後手の3八銀が早いので後手勝ち。
よって、
この局面で5五銀は成立せず。
まとめると、5五銀に同銀なら美宇勝ちで、5五銀に3六歩に2五桂に2四角なら美宇勝ちで、5五銀に3六歩に2五桂に5五銀なら俺勝ちだ。
最後まで見抜けず、美宇勝ちだと読めば5五銀と指し、俺が勝つだろう。
最後まで見抜き、5五銀は俺勝ちだと悟れば6五同銀という唯一の最善手をつかめるだろう。
美宇が長く思考を続けている間、俺はそんなことを考えていると、いつの間にか美宇が俺の顔をじっと見つめていた。
無言で見つめられると、なんか恥ずいな。
「……弦くんー」
「ん?」
「これ、何手よんだらこうなったのー?」
6五歩を指す事になった経緯を聞いてるのか。
えーと、確か47手先を読んで勝負手を指さなきゃ勝機が無いって話になったんだったな。だから、
「47手先、かな?」
「やっぱバカだよぉ」
「バカじゃないし! ……何が?」
「4の24じょうー」
……あー、そういえばそんな話したな。
詰みまで覚えるなら一度に指されるかもしれないパターンは約4つ。詰みまで50手だとしたら相手の指す手の数だけ分岐するから25回4を掛けた数だけ手を覚えればいいとか。4の25乗に元の必要な分岐点9つを掛けて約1京手覚える必要がるから、ソレを覚えるのは流石に非現実的だとかなんとか。
ん?
俺は47手分の分岐を見て逆転の目が無いと判断したんだから、相手の指す数だけ、つまり4の24乗手精査したことに……。
「俺スゲーな」
「弦くんがこわれたー」
実際には相手が有利なままでいられる手の数が1つにならないか、で演算能力に精査させたのだから、間違ってはいないのだが。改めて、演算能力やべぇ事してるな。
「アレだ」
「んー?」
「大局観ってやつだ」
「うそー」
「あのまま長引かせるだけの手を指してても、逆転のチャンスは転がってこないと大局観で判断したんだろう」
「ひとごとー?」
「さー、続きだぞ、美宇!
それともまだ考えるか?」
長く考えたほうがいいって爺ちゃん言ってたけど、取り敢えず小学生名人大会用と考えると、15分以上考えても意味は薄そうだしな!
別に誤魔化すために急かしてるわけじゃないぞ!
「きまったー」
「おぉ」
「6五銀ー」
「いぃ!?」
マジか。アレを読み切ったのか。
美宇の頭脳演算能力並じゃね?
「あってるはんのー」
「?
……美宇、どう読んだ?」
「んーと、5五銀に3六歩で手まちー」
「おぉ」
ちゃんと読めてる。
「2五桂がわなー?」
「そうそう!」
完璧じゃないか!
「よかったー」
「よかった?」
「……えっとねー、2五桂がなんでわなー?」
「俺に聞くのかよ!」
読めたんじゃないの?
「ちょっと、よみきれないー。でも」
「でも?」
「このきょくめんー、角道空いてて、飛車と銀のききが当たってて、桂馬もってたらー、だいたいつぶれそーだなーって」
「おうふぅ」
それ本物の大局観じゃねぇか。
「あとね」
「うん?」
美宇が若干ニヤけながら、こう続けた。
「弦くんの顔がね、どぅやぁーってしてたから、たぶん、2五桂もわなかな、って」
「……そ、そんな顔に出てたか」
アレか。
だから俺の顔を見つめてたのか。
「これが、たいきょくかん?」
「多分違うと思う」
弦観とか、そんな感じのなにかだ。
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しばらくお互いに照れ合って、落ち着いた頃、対局を再開した。
「6四歩」
「同銀!」
まぁ、これは同銀しかないわな。
「6五桂」
美宇は来たなー、って顔してる。角に当たると同時に5七の地点に効きが当たるのでこの桂馬はかなり迫力あるだろう。6六角なら5七の地点に効きが一つ足されるが、桂馬を刈り取る歩も6六に進めなくなるので、3六歩などが間に合いそうに見える。
ついでに、演算能力で俺は自身の表情を固定した。
「顔かたまったー」
よく見てるな!
目を瞑ってさっさと先を読めよ。
俺は美宇の顔眺めるけど。
また暫く美宇がウンウン唸っていたが、ようやく答えを見つけたらしい。
「6六角!」
まぁ、そうだわな。
そこ以外に逃げると、例えば8六角、3六歩、5八飛、6三歩、7五銀、3七歩成でも5七の地点が受けにくい。
このと金を銀で払うと、3七銀、5七桂成、同金、同角、同飛、5六歩で中央突破されてしまう。
実際には、この後5九飛、5七歩成、5四歩、同飛、6六桂、5五飛、4六銀くらいで受かってるので先手勝ちなのだが、
こんな危ない順に有利な側から突っ込もうとは思えないだろう。
「5六歩」
ここでは3六歩も5六歩もあった。5六歩は手が広い攻め合いを挑む形になり、3六歩は攻防混じった形で手が広い局面に進む。一見3六歩のが間違えやすいそうな局面だが、平凡にどれを選んでも先手勝ちに繋がっているので、攻め合いを挑んで一手間違えたら終わりの局面を目指すほうがまだマシである。
よって5六歩を選んだ……が、美宇が図書館にある数多の本から入手した知識はこういった単純な攻め合いに、より効果を発揮する。
コレは負けたかもな。普段の美宇は中盤で間違えるのだが、今回はメタ読みも合ったとはいえ、一度として間違えなかった。
この指定局面戦は美宇が間違えなければ勝てるとはいえ、演算能力を使って間違えさせに来てる以上、運だけでどうにかなるような次元ではない。最後の最後、あの2五桂だけは運も味方したかもしれないが、アレは大局観を手に入れたという見方もできる。
美宇の将棋が、一旦の完成を見せたと言ってもいいだろう。
美宇の大会戦が楽しみだな。
…………その前にネット将棋か何かで持ち時間15分30秒用の将棋に慣れさせなきゃならんけども。
「同歩」
放っておけば桂金交換になるから当然の同歩だな。
「同飛」
さて、ここではどう指しても先手の有利に変わりはない。しかし、この先はどう指しても読み切るには非常に厳しい局面が現れる。
一番平凡な手は5七歩だろう。
ここで飛車が5一に帰るのであれば、2ニ歩成から波乱なく先手勝ち。それを防ごうと5ニ飛と戻っても、やはり2ニ歩成からの攻めが厳しい。
1一香に当たっているので飛車道を遮断しても受けきれない。よって飛車か角で切り取る必要がある。同飛車では単に飛車交換から、2一飛と打ち込んでおいてこれはもう攻めが止まらない。
後手にできるのは3ニ金と角を守るくらいだが、6三銀成と平凡に攻められて同銀、6一飛成では勝ち目がない。
だから6三銀成には3一金と蓋をするしか無いが、
7ニ成銀が王手なので同金と取るしかなく、
飛車角交換を強要できるとはいえ、2ニ飛成、同金、5四角が厳しすぎる。
よって、
の場面では同角と取るしか無いが、今度は単純な5六桂が先程の展開以上に厳しい。
桂銀交換なら5三桂の両取りが見えるが、2四歩、4四桂、同歩、6三銀が早すぎる。
よってコレも後手負け。
だから、5七歩には
6六飛車だ。
恐らく今の美宇もこれを考えているはず。
この後同歩、3八角までは一直線だが、
飛車の逃げ場所が難しい。もし、2筋からの突破に拘り、2六飛車なんてしようものなら、2五歩が痛すぎる。
同飛車では4七馬で飛車と銀の両取りが受からない格好だ。
2六飛車には3六歩で5七の地点が受からないからな。
だからといって、2五歩に
2八飛と逃げると2筋から飛車を使うために飛車を2筋に残した意味がなくなる。
やるなら、
ここで直接2八飛だが、4七角成が
銀に当たっていることに変わりないので受けるなら5五銀左しかなく、
これでは同銀、同銀で5七の地点が受からない。
よって、
ここでの飛車の逃げ道は5九しかない。
当然4七角成。
そして、今度は5七の地点が足りているから5五銀引き……とはできない。もし、5五銀引きなんてしてしまうと、
同銀、同銀、四八銀で飛車が死ぬのだ。
だから、戻って
ここで6五歩、4六馬で銀桂交換で攻め合いに出れば、先手勝ちだ。
…………ただ、これ先手が最善手を指し続けてるのに銀桂交換の駒損の上に5九飛と攻めに使う予定の飛車が封じ込まれているなんてありえない。先手どこかで間違えた、と考え出すと大変なことになる。
確かに、それは事実だ。
実はあの平凡な5七歩。
これが一気に一手間違えれば逆転する状況まで後手が盛り返す疑問手だったりする。しかし、悪手ではない。結局先手勝ちなのだし、美宇にとっては恐らくこの展開が一番勝ちやすいはず。そう考えれば、むしろ美宇にとっての最善手だ。
だが、この銀桂交換の攻め合い、
後手がここから全力で守りに入ればそうそう終わらない。そういう意味では攻めが成立しないと考えて、5七歩を打たずに別の手を考える可能性も有り得る。どう守っても一手一手でしかないと、手数が増えるだけで先手勝ちと判断できれば、それは回避できるだろうが。
美宇は……まだ長そうだな。
「ぅー」
しかめっ面でうんうん唸る美宇は、恐らく5七歩から詰むかどうか、もしくは5七歩以外にいい手がないかを考えているのだろう。どちらにしても直ぐ答えが出るようなモノではない。
それにしても――
「ふぁ~」
――眠い。
ちらりと時計を見ると2時を指していた。
もう14時か。
この5歳ボディが昼寝を要求する時間である。
「かんがえたいから、ねてていいよー?」
…………美宇も俺が寝てたほうが存分に考えられるか。
自分にそんな言い訳をしつつ、俺は美宇に甘えることにした。
「そうさせてもらうわ」
「んぅ!?」
正座している美宇の膝の上に倒れ込む。
膝枕だ。
幼稚園でするとは思っていなかったのか、美宇は一瞬口を開けて呆ける。
「…………ぁ」
周囲を目線だけで確認し…………数人がこちらを見てキャッキャ言い出したのを捉えてしまう。
「うぅ……」
俯く美宇の顔は、必然的に膝枕を手に入れた俺の視線とぶつかった。
顔を赤くして、小さくなっている美宇を見て、俺はにっこり笑顔だ。
「んー!
はやくねるー!」
「むぎゅ」
美宇の手のひらで顔の形を崩された俺は、睡眠欲求に身を任せ、幸せな眠りにつきました。
===================
もー!
弦くんはもー!
「……ふぅ」
弦くんの寝顔を眺めて、声にならない苦情を引っ込める。
いきなり変なことするから、頭の中の将棋盤が吹っ飛んだよ……。
私は目を瞑り、記憶を引っ張り出す。他の人は思い出せなくなるって言うけど、私にそれはわからない。思い出せないってすごく怖い。弦くんのことを忘れちゃったら、弦くんに忘れられたらって思うと泣きたくなる。
弦くんも私と一緒でそんなことならないから、バカな話だけどー。
さー、つづきつづきー。
この5七歩だめなら、7五桂で攻め合ってどうかとおもうんだけどー
普通に6ニ歩って打たれるだけでつながらないー。
ゆっくりしてると7四歩が間に合っちゃう。
だからだめっぽい。
……もしかしたら、5七歩のところで7五銀とか守りに入る手もあるのかもしれないけどー
ここで5七歩と打った時みたいに、6六飛車ってしてくれればー
同銀にー、4七角成。
これは5七歩って打ったときと比べて飛車先が通っちゃってるから、この瞬間に攻めきれそー。
ふつうに6四桂打、6三銀、4ニ飛打、6ニ歩打で、
あとは、5ニでぶつかりあえばー
5ニ桂成、同銀、同飛成右、同金、同飛成!
これは私のあっしょう!
でもー、
この局面、ぜったい他に手があるよー。
たとえば3六歩。
このとき、私に手がない。
……んー、弦くんには見えそうなんだけど、私には見えない。
2五桂も2ニ歩成も、無視されて負けそうだし、6四桂もこの局面じゃつながらないしー。
私が負けるのってだいたい、こういう局面のせいだとおもうー。本で勉強するまではもっとこういう見えない局面? があったしー。
「はぁ」
間違いたくないなー。
私は目を開いて視線を落とす。
こういうときわー、弦くんの寝顔を眺めて気分てんかんー。
…………あ。
もしかして、これっ!
=================
「おきてー」
「ぅん?」
目が覚めると美宇の顔が。
ちらっと時計を見ると2時30分。もう幼稚園が終わって、帰る頃だ。
「かえるー」
「だな」
俺達は荷物をまとめて、外に出る。今日は水曜だから美宇の母親が迎えに来る日か。
「9五歩」
「?
……あぁ」
一瞬何を言われた分からなかった。そういえば将棋やってたな。
「わすれた?」
なんか美宇が泣きそうな顔で俺を見てるんだけど。
俺はさっさと寝る前の情報をまとめて演算能力に放り込み、盤面を出力。
そのまま答えも出力だ。
「6六飛。
俺は忘れないよ」
「……うん!
同歩っ!」
完全に忘れてたけどな。
情報を覚えてるかどうかは関係なく、一度認識してれば演算能力に放り込める情報になる。だから、思い出せなくなるってことはない。
さて、結局美宇はどうしたんだったか。
…………5七歩やめて、9五歩か。
すごいな。
美宇は今までこういう絶妙なタイミングでの端歩突きが出来なかったはず。というか出来た事がない。
美宇曰く、「ここではしふは見えないー」だそうだ。
実際端歩は突き合ってるからいつでも9五歩と突ける反面、毎回確認してたら切りがないっていうのはある。
成長したな、美宇。
で、今回の端歩の意味は6六飛を強制しているところだ。例えばあの局面は7五銀などでも勝ちだと演算能力は言っているものの、7五銀に3六歩と返されるとその次の手が非常に難しい。
しかし、9五歩に3六歩はない。
このまま9四歩と攻め合えば、先手の端攻めに後手の攻めが追いつかないのだ。3六歩が成立するのは先手がゆっくりとした攻めや受けに走った場合のみ。
だからといって9五歩に同歩と付き合えば、
この9三歩という手筋の端攻めがある。
受け方は色々あるが、これも3六歩は全く間に合わない。
狙いはこのままにしておくと9五香で端を破ることにある。
だからといって単純に同香と付き合っていくと、
もう一度9四歩と放り込まれてさらに同香、そして8六桂だ。
こうなると、次の9四桂跳ねを受ける手段がない。
事ここに至っては飛車角交換から始まる後手の猛攻も間に合わない。
なら、9三歩の瞬間にはどうかと言うと、
6六飛、同歩、5六角
これが後手の切り札だが、平凡に6七金、4七角成、
これが銀と飛車の両取りだが、やはり平凡に4九飛と受けておいて、
3八馬、5九飛、3六歩
手順に銀を守っていた4七の歩を取り除いて3六歩を間に合わせて来たが、冷静に3五歩と合駒されておいて攻めが止まってしまう。
同銀、同銀、同角は9四桂の逆襲に会って寄り。
斜め駒が入っているので9三玉に8二銀があるからだ。
これは、
この場面で馬と飛車の交換を挑んでも同様の結末を迎える。
よって、
この9五歩には無視して6六飛と攻め合うしか道はない。
「5六角」
だから先程と同じ手順で最後の攻撃に出る。
「6七金」
「4七角成」
「4九飛」
「3八馬」
すべて読み筋なのだろう。美宇は軽やかに応じていく。
「5九飛」
「3六歩」
「9四歩!」
「4六角」
ここで手抜いて攻めてくるか。
こういう単純な攻め合いになると手数計算が大事になるが、美宇が間違えることはないだろうな。さすがに的確だ。
「9三歩成」
「同香」
「同香」
「同玉」
最後同玉を同桂では9四桂から受けがない。
同玉ならまだ少し粘りが効く。
「8五桂」
「8ニ玉」
「6五歩!」
冷静だな。
しかし、この一手は美宇の読みの範疇にはあるまい。
「9四銀!」
「!」
相手の打ちたいところに打て、という格言通り、9四桂と打ちたいだろうから9四銀だ。ついでに8五の桂も狙える。もちろん、詰みまでの手数が伸びるだけだし、攻め駒を守りに使うせいで結局勝ち目が見えない。……こういうのをクソ粘りというらしい。
「むぅー」
「美宇ー、弦くんー」
迎えが来たようだ。
車に乗り込んで、再び美宇は目を瞑って思考に入る。
「美宇、眠いの?」
「……」
「今日はまだ目隠し将棋続いてるんです」
「あー、考えてるのね」
ここ数ヶ月続けてるので、もちろん美宇の母親も知っている。
「7三桂成!」
早いな。
答えが明確に存在する終盤戦は、美宇の得意をするところだが、読み切ったか?
「同銀」
ここを同桂とすると7四桂でまずいから同銀になる。
「同銀成」
やはりここも同桂や同角とすると7四桂で寄り。
「同玉」
「9ニ飛打」
「8ニ桂打」
「6四銀打」
これは、詰みを狙った動きじゃないな。
もちろん、ここで逃げればこちらの玉は寄るのだが、同角がある。
「同角」
「同歩」
同玉と切り取りたいが、8ニ飛成があるので6ニ歩と受けておく。
「6ニ歩打」
「9一角打」
この枚数を足してきた動きも、詰みを狙っているんじゃない。持ち駒の銀を使わせに来てるんだ。しかし、打たなければそれはそれで寄るので打つしか無い。
「9三銀打」
「9五歩打」
これが厳しい叩きだ。
美宇に持ち駒を使わされたせいで、もう後手は相手の玉を寄せるだけの戦力がない。だからひたすらに耐えて、駒損の攻めを強要させなくてはならないのだけど。
これを同銀とってしまえば8五桂の王手銀取り、むしろこちらが駒損してどうしようもない自体に陥る。
しかし、だからといって8五銀と逃げれば9四香が更に厳しい。
この香車、同銀引き、同歩、同銀、8ニ角成で終わるから、取れないのだ。
よって、9五歩打には同銀、8五桂打を受け入れるしか無い。
もう美宇の狙いは明らかだ。
全駒狙いである。
まったく、誰のせいでこんな酷い指し方をするようになったのやら。
「だいたい弦くんのせいー」
……まぁ、こちらの玉は寄らない可能性が存在する限り寄らないからな。そうなるのも道理なのだけど。
「6四玉」
「6六香打」
「6五香打」
「9三桂成」
これでは駒損の攻めは期待できない。
ならば、入玉を目指すのみ!
「5五銀打」
「8ニ角成」
「5四玉」
「6五香」
「4五玉」
「8一馬」
「5四歩」
香を見捨て、馬の効きを遮断し、いざ新天地へ!
「5六歩」
「3七歩成」
銀もいらん!
と金があれば問題にならぬわ。
「5五歩」
「3五玉」
3六玉では5四馬が王手になる。
侵入地点は2六からだ。
「3九香打」
「4八馬」
馬が取られては入玉しても詰まされてしまう。
「5六飛」
「3六歩打」
入玉を遮断するための飛車だろうが、遅いわ!
「4六銀打」
「2六玉」
「3七銀」
「同馬」
飛車の睨みがなければと金が増えたものを。
「同香」
「同玉」
馬も消えた。
しかし、入玉はなったぞ!
「5八飛」
「4八銀打」
「3九歩打」
「1七香」
「…………」
この1七香は1筋に銀や角を置かれるのを防いだ一手。美宇の眼が、そこまでやるの? って言ってるな。
少し考えて、同香。
そこで2七歩だ!
この2八歩成は防げまい。
「3八香」
「2八玉」
「4八飛」
「1九玉!」
「あー……」
そして、美宇はようやく気づいたらしい。
自分の持ち駒に、横に効く駒がないことに!
この状態で1九玉は相当詰まし辛いぞ!
「……いつからー?」
「美宇が全駒を狙いに走った時、具体的には50手前だな!」
「……………………バカでしょ」
おい。
そこはすごいー! だろ。
「3六香」
「2八歩成」
この瞬間、3三香成と、金を拾いに行けば2六歩で更にと金が増える仕組みだ。
「4六角」
だよな。
これで2六歩は2八角から詰むので2七歩と打つしか無い。
「2七歩打」
このタイミングなら3三香成で金を補充できる。が、なんと5五銀、3七角、3六歩と角を追っていくことで粘れる展開がやってくるのだ!
美宇はどうするかな?
そんな風にワクワクして待っていると、美宇の視線が俺をジトーっと見つめていた。
「…………5四馬」
「ぐぅ!」
ずるいぞ!
顔色を見て罠を見抜くなぞ!
「3五歩!」
「……3八銀」
そう。
4六角の睨みがある限り、3八銀から俺の玉が寄ってしまっているのだ。
もはや粘ることすら出来ぬ。
「3六歩」
「2七銀」
「3七香!」
「3六馬」
ここまで、か。
動かしたい駒が無いな。
3九香成なら、2八角、2九玉、一八銀打まで。
2七と金なら同馬で、次の2八馬までの一手詰め。
3八銀と合駒しても、角が香越しに玉を睨んでるので同馬に同香と出来ないので意味なし。
だから、
「負けました」
「……ありがとうございました!」
投了一択だ。
「強くなったなぁ」
「うんも良かったー」
美宇がこてん、とこちらに体を預けてくる。3時間くらいかかったからな。こっちはノータイムだから全部美宇の思考時間だし。そりゃ疲れるわ。
「美宇、弦くんに勝ったの!?」
「はんでありだからー」
「それでもすごいじゃない!」
「すごいー」
「――――」
興奮する母親に、美宇が適当な返事を返していく。
普通逆じゃない?
暫くして、美宇はこっちに目線を向ける。
「ねー」
「うん?」
「これで、私も優勝できるー?」
…………確か、小3以下ならアマ2段で優勝候補だと聞く。
「運が良ければ」
「じゃー、もっと、強くなるー……」
そう言って、美宇はスヤスヤ寝息を立て始めた。
美宇、優勝したいのか。
「美宇はねー、弦くんに追いつきたいんだってー」
「そういうこと、なんですね」
美宇は俺と一緒にいたい、自分よりすごいところを見たい、ぐらいしか願望を見せない。
優勝したいってのも、結局俺と一緒にいたいって事か。
変わらないなぁ。
「変わったと思うよー?」
「はい?」
「対等でいたい、って思うようになったんじゃないかなー?」
……………………美宇のお母さんって、やっぱ語尾伸ばすんですね。




