第2話 爺ちゃんはたまげた
「こりゃ……たまげたなぁ」
「うん。まさか美宇が、棋譜を全部覚えてるなんて!」
1手目から93手目全部覚えてるとか、なんてわかりやすい天才性。
「そっちじゃないわい」
「え?」
「わし、美宇ちゃんがそれくらいできるの知っとったし」
「マジでっ!?」
聞き出してみると、一度読んだ本の文字を丸暗記できるくらいぶっ飛んだ記憶能力があると、美宇の爺ちゃんから自慢されたことがあるらしい。
「ただ、ここまで将棋ができるとは思わなかったがのぉ」
しかも、知識は将棋道具が届くまでの一週間分だけ。いや、全てを覚えているのだとすれば1週間で十分なのか? ただ、単純な読みの力に関しては記憶能力に加え頭の回転の速さとか必要なんだろうなー。
「じゃが、それ以上に驚いたのは弦の将棋じゃな」
「ははは……」
そこから爺ちゃんは語り始めた。
曰く、振り飛車に対して居飛車穴熊が猛威をふるい始めたのは最近のことらしい。
「30年前は最近じゃねぇよ」
「わしにとってはここ最近じゃよ」
洗練された居飛車穴熊の駒組みは、振り飛車側からの手出しを抑え、にもかかわらず居飛車穴熊が完成すれば穴熊側の勝率は8割を超えるとか。
そして、その勝因が今回の将棋でも出た、どこかで先手が歩を手持ちにし、三筋の歩を突き捨て、そこに手持ちにした歩を打ち込むあの手順だ。
飛車が4ニにいるせいで4ニ角と引けず、角の効きが2四の地点になくなり、そこから飛車先が突破されるのは対振り飛車基本の攻めなんだとか。
「じゃが、弦。
大事なのはそこからじゃ」
「はぁ」
「この手筋は覚えておれば、そして相手が知らなければ出来てもおかしくない。
しかし、その後の4三銀を咎めたあの攻めは、少なくとも初の実践で見えるようなもんじゃない」
「すごかった!」
「…………」
「普通は取り敢えず2三飛成としておきたい所を弦、お前よく見えたな?」
どう答えるべきか。
いや、決まってるな。
「そりゃ、俺は天才だからな!」
「……あれは知ってたのではなく、その場で思いついたってことかの?」
「そうだ!」
「弦は積み木も遊具もすごい!」
「ん? なんのことじゃ?」
「あ」
美宇は爺ちゃんに洗いざらい話してしまった。コレは怒られるか? と身構えていると――
「偶然ではない、か。
弦、お前にパソコンを買ってやる」
――は?
「は?」
「そんでネット将棋、てのをやるとええ」
ネット将棋、確か前世でも合ったな。
「将棋教室とかじゃないの?」
「この辺りにそんなのないのぉ」
「ないのか……」
「そんで、小学1年生に上がったら、小学生名人全国大会にでるんじゃ」
「それに出るとどうなるんだ?」
「そこで優勝でもすれば、プロも、お前の親も、奨励会への入会に賛成してくれるじゃろう」
奨励会、確かプロに入るための養成所だったか。プロ棋士になりたいって話はお母さんから聞いてるのだろう。
「いちばんじゃないと入れないの?」
あ、美宇。
「そんなことはないがの。恐らく、弦の親はそれぐらいでないと認めてもらえないじゃろうて」
爺ちゃん、そうじゃないだ。美宇が心配してるのは俺が一番になれないことじゃない。
「わたしは、入れないの?」
俺と一緒にいられなくなること、だろう。
「……いや、奨励会の下部組織に研修会ってのがあってなぁ、そっちは小学生低学年の部である程度成績を残せるくらい強けりゃぁ入れてくれるはずじゃ」
ん?
美宇は低学年の部?
ってことは……
「俺は小学生全体の大会で優勝しろっていうことか」
「それくらいできにゃぁ、研修会すっ飛ばして奨励会入会試験は受けれんわなぁ」
あ、普通は研修会入るのね。
「わたしもそっちはいる!」
「いやぁ、女流棋士になるなら、研修会に入らにゃ――」
「――」
爺ちゃんが美宇と言い合っている。そもそも他人と口論する美宇を見たのは初めてな気がするな。俺とならともかく。
そういえば、
「爺ちゃん」
「んぁ?」
「研修会とか奨励会って週何回あるの?」
「あー、確か月二回じゃなかったか?」
「え?」
美宇は呆然としてその言葉を飲み込むのに時間を要した。
その様子を見て、爺ちゃんはニヤリと口元を歪める。
「あー、そうかそうか!美宇ちゃんは弦と離ればなれになるんじゃないかって思ったわけじゃな?」
「ぅ~~~~!」
美宇はソファーに顔を突っ込んでうなりだした。どうやら恥ずかしかったようだ。
「安心せい。研修会と奨励会は同じ日曜にやっとると聞くし、片方が寂しい時間を過ごすってこともないぞぉ」
追撃を受けた美宇はソファーぽふぽふ叩いている。
可愛い。
「んじゃ、弦。わしと一局指そうか」
「あ、ああ」
「!」
並べ直していると、美宇がソファーから這い出てくる。座布団を頭の上から被っているのは赤くなった顔を隠しているつもりなのだろうか?
可愛いだけだぞ。
あ、伏せた。
どうやら俺の心の声が届いたらしい。
「それと弦、今のうちに正座しておいたほうがええ。美宇もじゃ」
「……はい」
「うん」
正座痛いんだよなぁ。慣れればいいのだけど。
「「お願いします」」
並べ終わり、爺ちゃんとの対局、今生二度目の対局の始まりだ。
「弦、お前の将棋、偶然じゃないことを証明してみせぃ!」
「あぁ!」
振り駒で爺ちゃんの先手番となった。
7六歩、8四歩。
「お、王者の一手じゃな」
「何それ?」
「二手目8四歩はな、すぐに角道を開けないことで、相手に戦型を委ねるという意味があってな。それで王者の一手といわれとるんじゃ」
「へー」
角道をすぐに開けると戦型を制限できるってことか。
まぁ、俺には関係ないな。
指してもいい範囲の中で適当に指してるだけだし。
「なんかかっこいい!」
そういや、すごいところがみたい、だっけか。美宇の前ではなるべく王者の一手、8四歩と突くようにするか。
続けて爺ちゃんは6八飛……将棋が終わった。
「ん?
どうかしたんじゃ?」
「なんでもない」
やべぇなチート。これが定石なんだから俺千日手すら起こらなくね?
そんな事を考えながら8五歩、7七角、3四歩、6六歩、6ニ銀、3八銀、4ニ玉、4六歩、3ニ玉、3六歩。
爺ちゃんの四間飛車は美宇の時と違って4六と3六の歩を早めに突いている。何をする気なのやら。
しかし、考慮することもなく5四歩だ。どうせ能力が教えてくれるし。俺にできることと言ったら、1手先ではなく、3手、5手先を能力で覗き見てお互いの手の意図を推測するくらいか。これが出来ないと会話が噛み合わなくなりそうだし。
そこから7八銀、5ニ金、6七銀、7四歩、4八玉、5三銀、3九玉、6四銀。
「ぬぅ」
「ん?」
「やはり早めの7四歩はシステム対策なんじゃな?」
「システム?」
なんだよシステムって。
「つい先日の話じゃが」
「先日?」
「そう、5年前の話じゃ」
「はぁ」
「猛威を奮った居飛車穴熊、それを打ち破ったのがシステムと呼ばれる戦法じゃ」
「……あー、だからか」
だから、四間飛車にしたのか。さっき俺が居飛車穴熊を使ったから。システムって戦法で俺を倒そうとしたのか。何気に大人げないな、爺ちゃん。さっき始めたばかりの子供相手に対策とは。
「しかし、先程の将棋で現れた弦の早めの3六歩、今回で言う7四歩は7五歩の攻めに使うためにしては突くのが早すぎた。その理由は相手が穴熊対策のシステムなら急戦を挑み潰すため、じゃな?」
じゃな? って言われても知らねぇよ。
しかし、俺の能力は今回穴熊のルートを示さなかった。つまり、そういうことなんだろうな。
「ま、そういうこった」
「ふむ、システムと言う名前は知らぬがこの形が穴熊つぶしの戦法だとは見抜くのか」
「…………」
「弦、ぜったいそこまでかんがえてない」
「ぬ」
「バカだし」
「バカじゃないし!」
「だとすれば、運が良かったということかの?」
「ちがう!弦はすごいの!」
「ふむ」
「すごいから。いつもすごい結果をだすの。何も考えてないバカだけど、弦はせかいいちすごいの」
答えになってない。
なってないけど、美宇が一番本質を突いてる気がする。
「考えなくても、結果を出せるか。確かにソレが一番しっくりくるのぉ」
「うん!」
「…………」
「ま、その真偽はこれからわかるじゃろ」
「ん?」
「将棋はここからが本番じゃ」
5八金。
俺も続けて7五歩、7八飛
「美宇、振り飛車を使うなら、戦端が開かれた場所に飛車を移動させて受ける手筋は覚えておくと良いぞ」
「うん」
7六歩、同銀、7ニ飛、8八角、5五角。
「ぬぅ?」
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ここで躊躇なく5五角とな?
弦め。本当に考えなくても結果を出すという美宇ちゃんの言葉を信じたくなるわい。
ここは5五角ではなく、7七歩がわかりやすい攻めの一手。
典型的な焦点の歩。同角と取れば、7六の銀が飛車に抜かれる。かと言って、同飛車と取れば6六角が厳しいように見える。そのままだと飛車が取られるので7八飛と下げるが、8八角成、同飛に結局7六飛と銀が抜かれる。
故に7七歩に対する正着は、同飛、6六角に6七銀じゃ。
飛車角交換されるも、美濃囲いは飛車の打ち込みに強い陣形。更に8三角の打ち込みで馬が作れる筋を見せておきながら、1一角成を見せているので受けなし。
これで難解ながらもシステムを見せて不発に終わった4六歩、3六歩辺りが負担となって僅かに後手良しながら、実質五分といったところじゃろう。
しかし、恐らく弦はソレで満足しておらん。
5五角は7七歩に比べれば狙いが読みにくい。パッと見では、7七歩の狙いが消えておるわけではないから、4七金と受けさせてから7七歩が狙いに見える。4七金は美濃囲いの発展形、高美濃囲いになるわけだから一見ただ7七歩と打たれるよりむしろ先手良さそうに見える。しかし、高美濃囲いは美濃囲いに比べて横の攻撃、つまり飛車の打ち込みに弱い。まずソレが最初の狙いじゃろう。
次に、4六の歩を放置して、6七金と上がる手もある。これは7七歩の狙いを消す代わりに4六の歩を献上する事になるじゃろうな。つまり、5五角、6七金、四六角、3七銀、5五角、5六歩、3三角といったところか?
これもまた1局じゃが、こちらの駒がバラバラに過ぎる。やる気が起こらんのぉ。
戻って5五角に4七銀。
これも7七歩の狙いから飛車を打ち込まれた際、4九の金に付いてる紐が玉だけになるから、指したい手ではないのぉ。
考えれば考える程この5五角、よく出来ておる。
この場面で指したい手がないわい。
やはり、5年前のシステムは工夫なしでは運用できぬか。というか、工夫なしで運用できぬ欠点をこの場の思いつきで咎めてくるコヤツは何ものだという話じゃよな。いや、わしの孫なのだが。あらかじめ知っておったなどということはあるまい。将棋を見たのは一週間前が初めてと聞く。
「爺ちゃん」
「ぬぅ」
そういえばこの将棋は時間を決めておらなんだな。30分60秒のつもりで10分程考え込んでいたが、少し考えすぎじゃな。美宇ちゃんもウトウトし始めておる。可愛いが、可愛そうじゃ。
「すまんすまん」
わしは7五歩と打ち込んだ。
結局、読んだ手はどれも指す気がせんかった。よって少し趣向を凝らした一手じゃ。
もし、この7五歩に先程の7七歩打、同飛、6六角、6七銀、7七角成、同角に7五飛と攻め合ってきた場合、
続けて1一角成、2ニ銀、同馬、同玉に6六角。
これが一応王手飛車取りじゃ。もちろん、大駒が飛車だけになってしまうが、角を銀香との二枚替え。しかも相手の囲いはボロボロ、こっちの囲いは堅牢。この展開ならこちらも大分やれるじゃろうな。ただ、だからこそ弦もこの展開は避けてくるじゃろうが。
「ふー」
弦は少し息を吐いて4六角。
相変わらずのノータイムじゃな。1九角成を防ぐため、3七銀か3七桂かじゃが、正直好みじゃな。3七桂ではこちらの指す手がなくなりそうじゃし、3七銀でいくかの。
3七銀、5五角、5六歩。
5六歩を無視して7七歩は打てぬ。今回は7五歩があるでな。銀が抜けぬから、7七歩には同角がある。よって退く一手じゃな。
3三角、2八玉、7七歩打。
ようやく来たか。今回の7七歩には同角はない。さっきは角に歩が当たっていたから角が引く間にこっちも角を引けたが、今回は同角に7五銀がある。同銀、同飛で角がどくと飛車が抜かれる形になってしまうのじゃ。
よって7七飛、6六角に、3八金じゃ。
「やぐら!?」
「ん?どこが?」
「はんたい!」
「……あー、右に矢倉を作るなんてあるんだな」
「おもしろいじゃろ?」
「うん!」
美宇ちゃんはかわええのぅ。
弦の将棋は全く可愛げがないがの。
さて、ここは弦が確実に勝とうと思えば2ニ銀、と守りを固めつつ手待ちするのが確実だろう。弦に手待ちされれば、こちらとしては4七金と、得になっとるかどうかもわからん矢倉の形を作成せにゃいかん。他に指せる手もないしのぅ。
「あ、俺か」
7七角成。
ぬ?
わしは当然同角じゃが、これじゃと弦は次の1一角なりを受けねばならんだけに少し息を吹き返した感じがするのぉ。
2ニ銀、6六角打、3一金。
「ふむ」
今までちっとも隙を見せなんだ弦の僅かな隙。
罠か?
しかし、ここまで来たら行くしかなかろう。
2ニ角成、同金、4一銀。
「わりうち!」
弦は顔色を変えず。相変わらずのノータイムで同玉。
2ニ角成。
「ぎゃく……てん?」
美宇ちゃんが首を傾げる。
しかし、呆然とする美宇ちゃんを横目に弦は笑みを浮かべていた。
4四角。
来たか。
2一馬、9九角成
「あれ?」
美宇ちゃんにはパット見逆転模様にさえ見えた状況が、数手で覆ったように見えたのじゃろう。実際にはずっとわしの不利のままじゃ。
さて、1一に馬の効きが通ってる限り、香は取れぬ。
よって6七銀。
これで馬がおとなしくしていれば6六桂打。馬が桂馬を取れば、こちらも香が取れる。
4四馬。
じゃよなぁ。
こっちの馬の動きが封じられた上に4三に馬の効きがあったのでは勝ち目はない。
じゃから、4五歩、3三馬、3五歩、同歩、4六桂。
この瞬間が甘いと見たのだろう。7五飛と走る。
ここで3四金打じゃ!
これが最大の勝負手。
馬が逃げれば後手の頓死もありうる盤面……なんじゃがなぁ。
弦はここでもノータイム。
当然の同馬じゃった。
せっかくわしの捻り出した勝負手なんじゃからもう少し考えてくれてもいいものを。
同桂、7九飛成、9五角打。
玉がどこにも動けない、相当怖い盤面のはず。しかもわしの玉は囲いに入っていて、こちらに桂馬でも金駒でも一枚渡せば弦の玉は詰む状況なんじゃから。
安全に勝ちに行こうと7三歩と合駒してもいい盤面じゃ。それでなんともないのじゃから。
しかし、やはりと言うべきか、弦はノータイムで8九竜。
こちらも1一角と香を補充する。
そして弦は3六香打。
その手の意味を、一瞬置いてわしは理解し、破顔する。
「はっはっはっは!
心得ておるのぉ!」
「うん?」
「?」
わしはその提案に答えるように、3三馬と引いた。
これが詰めろ。もちろん、3ニ金と打っておいてなんともない。
じゃが、あの3六香打、あれが――
3七香成、同玉、
3六飛打、4八玉、
4九金打、5七玉、
6五桂打ち、6八玉、
5九銀打、同金、
5七銀打。
――弦による形作りの提案だったわけじゃな。
「負けました」
「ありがとうございました」
11手詰めの詰めろ。
しかも直前に8九竜で入手した桂馬まで使った、手駒に歩しか残さない美しい詰みあがり。
「あーやっと終わったー」
「つかれたー」
二人は正座を崩してゴロゴロ転がりだす。
「弦」
「なーにー?」
「将棋は楽しいか?」
「…………」
「正直に答えればえぇ。何も叱ってるわけじゃないからな」
「……楽しい」
「本当じゃな?」
「ああ。その、勝つのは楽しいよ」
「……そうかそうか。勝つの楽しいか!
ならばええ!ええんや」
子供らしからぬ完成された強さ。不可解な考慮時間のなさ。指す手と本人の思考がズレる異常。まるで他人が、いや将棋の神が弦に乗り移って代わりに指しとるみたいじゃが……本人が楽しいならそれでええ。わしが口を挟むことでもないじゃろ。そうと決まったわけでもないしなぁ。
「だがな、弦。
もし将棋やめたくなったらいつでも爺ちゃんに言ってくれな?」
「……うん」
「爺ちゃんとの約束やで?」
「うん、約束」
===================
爺ちゃんにはなんかバレてる気がする。いや、このチート自体はバレるわけないんだけど、不自然なことには気づいてるっぽい。でも、やめる気はない。この力で好き放題する。その決定に変わりはない。
だけど、そのために演技とかする必要あるんかなぁ。
考えるふりとか?
…………いらんな。
美宇もすごい俺が見たいっていってるし。
それで破綻したらその時こそやめればいい。この力の使い道はいくらでもあるだろうし。
「爺ちゃん、なんか弦くんと楽しそう」
ん?
そんな声に振り向くと、美宇が頬を膨らませてこちらをジト目で見ていた。
可愛い。
っていかんいかん。
除け者にして嫌われたら本末転倒だ。将棋で金を稼ぐより、美宇と結ばれる方が優先事項だからなっ!
この後爺ちゃんと一緒にご機嫌取りに奔走した。




