第一章 誕生
主人公、 田代 二十の誕生時の状況です。
僕は生まれてすぐから母方の祖父母に育てられた。母は幼い頃からかわいげのない風変わりな性格だったようで、家族とも愛情や愛着といった感情を共有できなかったようだ。その原因は僕の祖父母、つまり母の両親にあるのかもしれないが、原因を探ってみたところで仕方のないことだ。若い頃の母は変わり者ながら勉強だけはできて、高校を卒業すると、大都市の大学の理工学部に奨学金で行ける資格を得た。そこからは実家に近況を報告することも帰省することも一切なく、研究に没頭したらしい。祖父母の方もこれまた娘の様子を見に行くわけでもなく、放置していた。大学入学から十年も経ったある日、母は大きなお腹をしてスーツケースにすがるように実家の玄関に立ち、「産まれそう」と一言言ったという。実際その時母は破水していて、足元には水たまりができていたという。後に祖母は「私がたまたま家にいたから、お前たち親子は命が助かったんだ」と僕に何度も恩着せがましく話して聞かせた。あきれたことに母は、中国で結婚もせずに妊娠して、妊娠検査も妊婦検診も一切受けず、いよいよこのままではいられないと自覚してようやく帰国したのだそうだ。
そうやって僕は産まれた。名前は、『二十』と付けられた。『にと』と読む。祖母が母に命名の理由を尋ねると、「この子が産まれた年や季節は忘れるかもしれないけど、二十世紀であることは間違えようもないから」としゃあしゃあと答えたそうだ。
母は出産が済むと、また性懲りもなく中国へと旅立った。祖父母は親戚や近所に「娘は中国で結婚した。夫婦ともに病気がちで、とてもこどもを育てられそうにないからこっちで預かっている」と苦しい言い訳を続けた。祖母の言ったことは、あながち全て噓というわけでもない。僕の両親は揃って重度の曜変天目茶碗中毒症だった。曜変天目茶碗は、世界の陶芸史上最も美しく、そして最大の謎に包まれた幻の茶碗だ。何百年にも渡り、日本でも中国でも多くの陶芸家や科学者が再現に挑み、敗れ去った。「曜変に手を出したら身上をつぶす」という警告が言い伝えられてきたが、曜変を追うものは後を絶たなかった。父はそうした陶芸家の一人であり、母はそうした科学者の一人であった。
幼いころから僕は、自分の家族が普通でないらしいと感じてきた。友逹にも、テレビや本の登場人物にも、明るく元気なお父さんとお母さんが必ずいるが、僕には両方いなかった。両親と暮らしていないのは、僕だけだった。祖父母の家で僕は金銭的には苦労なく育った。しかし、家で両親に関することを話題にすることはタブーだった。祖父母が留守の時に、母の古い卒業アルバムをこっそり探し出して、母の姿を探した。「お母さん」と話しかけるにはその少女の姿はあまりにも若すぎて不機嫌そうで、僕にとっての母はますますとらえどころのない存在になった。
お読みいただきありがとうございました。
ぜひ続きもご覧ください。