中枢の人々
エレナ王女襲撃事件から一夜明けた今日。勇者召喚に国内に封印された冥王の黄泉帰りと踏んだり蹴ったりのローズエンドは、建国以来最大の危機にあるといえる。
パッカーノはその版図を広げんとする帝国の脅威に対抗するため、帝国と国境を接する友好国カスティリヤに常備軍のほとんどを出兵させた。首都であるシェルモールドには有力貴族たちの私兵団を配備し、王族を警護する親衛隊にはパッカーノの私兵団が増援として加わった。冥王の黄泉帰りによる魔獣の大量発生には、国民の集団疎開で対応する。その誘導を行うのもパッカーノ私兵団であるので、冥王封印の地から私兵団は完全撤退することになる。
「うああ、目が痛い。襲撃のサイレンで叩き起こされたうえにパッカーノさん徹夜で会議するんだもの!なんか頭がぐわんぐわんするー!」
「やかましいぞ。どうでもいいが寝るなよ、まだ聞きたいことがあるのだ。」
若い優男が会議室をのたうち回る。他にも数人の男が黙ってその様子を見ていたが、注意したのはパッカーノだけだった。
「謎の勢力が姫様を襲撃したとなると、私の私兵団を親衛隊に加えるだけではまだ心許ない。貴族どもはシェルモールドに住んでいる者以外なかなか出兵しないし、常備軍も城に6000ほど残るのみ。おい陸軍参謀、本当にもう余剰兵力は残っていないのか。」
「しつこいなぁ、これ以上絞ってもなんっにも出てこないよ!もう陸軍に残ってるのはこの僕ヤグサとそこのおっさんとメーゼちゃんぐらいのもんだよ。」
「参謀、メーゼルワーゲンです。」
ヤグサの秘書メーゼルワーゲンは淡々と訂正する。後ろで束ねた金髪が、小さな首の動きにふわりと揺れた。そこのおっさんとは陸軍将軍のことだが、ヤグサの言い様にも反応せずただじっと腕を組んでいる。
昨夜から続くこの会議に出席しているのは皆各機関の重役であり、いわばこの国の頭脳だ。方針決定に特に大きな発言力を持っているのが宰相と陸軍参謀であり、実際この会議で発言しているのはヤグサとパッカーノがほとんどである。もちろん最終的な決定権は王にあるのだが、基本的に王は会議に口を出さない。信用出来る者に一切を任せ、その責任を自身が負う。それが彼のやり方だった。
テーブルの奥に座る王は、二人のやり取りをじっと聞いている。
「…それに、実際十分だと思うよ。パッカーノさんの私兵団は一応ローズエンド最強だし、カスティリヤもそうそう抜かれるとは思えない。部隊が冥王に付きっきりだったのも黄泉帰りを察知するためでしょ?集団疎開さえ完了すれば余裕はあるはずだよ。」
「確かに現状ではな。だが我らが計画を練る間に、他に企みをもつ者がいることも忘れてはならない。王族と国の存続のために我らは動いているが、姫様を襲撃した者の目的も未だ分からんのだ。不足の自体が起こらんはずはないだろう。この場は解散し各自の仕事に戻ってもらうが、またいつでも召集に応じられるよう心しておいてくれ。皆さん、そして王よ、それで宜しいか。」
パッカーノはテーブルの面々を見回す。しかしヤグザは目配せするものの、他の誰も彼に反応しなかった。パッカーノは予想外の沈黙に狼狽する。
「み、みなさん?どうしたのですか。なにか異論がおありか。」
その様子を見ていたヤグザとメーゼルワーゲンは顔を見合わす。メーゼルワーゲンは残念そうに静かに首を振ると、ヤグザもやれやれと首を振った。
「パッカーノさん、よく見なよ。」
パッカーノは眉をひそめる。
「大分前からみんな寝てるよ。」
「…」
パッカーノすらも黙り込む。話す者の居なくなった会議室には、オヤジどもの控えめなイビキが響くばかりであった。
会議室からいち早く出たヤグサは自室へと向かう。無論寝るためであるが、彼も若くして陸軍参謀に上り詰めた切れ者なのだ。自身がやるべき仕事はきっちりとこなす。
「メーゼちゃん、頼みたいことがあるんだけど。」
「メーゼルワーゲンです、参謀。」
二人はなにやらごにょごにょと密談している。先ほどまで眠っていた陸軍将軍オルドは欠伸をしながらヤグサに絡んだ。
「おいヤグサ、どうなったんだ。戦争か?」
「ホントに何も聞いてなかったんだね。常備軍はカスティリヤで帝国と睨めっこだよ。おっさんみたいな戦争バカの出る幕はないと思いたいね。」
「シェルモールドに残った常備軍はオルド将軍の直属になります。本土決戦出来ると良いですね。」
良くないからね、とヤグサはメーゼルワーゲンに突っ込む。また二人の会話になってしまったのでオルドはさっさと自室に引っ込むことにした。
彼もまた、ヤグサを信頼しているのである。サボっているわけではない。
「じゃあ宜しくね、メーゼちゃん。」
訂正するのが面倒くさくなったのか、メーゼルワーゲンは黙ったまま軽く礼をして任務に戻っていった。
「やっと眠れるな…」
ヤグサは一人つぶやくと、フラフラと自室に向かった。
「ヤグサめ。また勝手になにか画策しているな。普通なら報告義務の放棄として軍法会議ものだが。」
大臣の一人、トルトンは忌々しげに毒を吐いた。といってもこの男も寝ていたので、いつもより悪口に切れがない。
「彼は有能な男だ。威厳の欠片もないがな。」
こちらも大臣の一人、バミウスである。褒めて落とすのが彼の悪口スタイルだが、こいつも寝ていたためいつもの追撃がない。
二人は事務作業には秀でているがずば抜けて優秀というわけではない。だが国の運営には彼らのような人材も必要なのだ。
パッカーノは二人の言葉を聞き流して、奥に座る王に語りかけた。
「王よ、本当によろしかったのですか?てっきり嫌だ心配だと引き留めると思っていたんですが。」
王は一拍おいてため息をはいた。
「・・・この状況では仕方ない。現に城内に敵が侵入した。最早国内でもっとも安全な場所はここではないのだ。それに、あの娘の力は・・・戦場にあってはならないものだ。気掛かりなのは魔獣のことだが・・・」
「親衛隊はこの国の最高戦力です。ご安心を。」
パッカーノは王の悲痛な表情を歯痒く思っていた。そもそもこの王は、戦争など望んでいないのだ。時代がそれを許さないだけで。
「あの娘に会えなくなるのは辛いな・・・」
この会議の序盤で決まった重要案件。それは、親衛隊によるエレナ王女避難作戦であった。
―――
ヤグサから任務を与えられたメーゼルワーゲンは、長い廊下をシャキシャキ歩いていた。目的地は昨日襲撃のあったエレナ王女の部屋である。そこでは現場の検証と状況把握のため多くの作業員が行きかっていた。
メーゼルワーゲンはその中から明らかに仕事をしていない見物人を探し出し、声をかけた。
「…久しぶりね。姫様も。」
「あ、姉さん。」
「あら、メーゼじゃない。」
メーゼルワーゲンが声をかけたのは、別室から起きてきたばかりのエレナとルクスであった。
「扉が真っ二つ…ルクスも派手にやったものね。」
「姉さん、私が戦った相手は何者だったんだ?やっぱり帝国の刺客だろうか。」
ルクスはここぞとばかりに質問した。作業員や召使の間でいろいろな説が囁かれているが、より政府中枢に近いメーゼルワーゲンになら正しい情報が得られるかもしれない。エレナも彼女の言葉を待った。
「上は一応第三勢力を警戒するらしいけど、多分帝国の仕業だろうって考えているわ。城に兵力を釘づけにして、自由に動かせる部隊を少しでも減らそうとしているんじゃないかしら。他国にも同じ手口が使われていないかどうか情報提供を打診するそうよ。」
メーゼルワーゲンの話は城内に流れる情報と大差ないものだった。しかし彼女の口から聞くとなんだか信用できる気がする。エレナとルクスの浮ついた気分が少し静まった。
「まあ、相手が誰でも私は負けないがな!」
ルクスは自信満々に腕を掲げる。エレナはそれを見て笑顔になった。
エレナはメーゼルワーゲンに向き直る。
「ところでメーゼは私たちに何の用?」
「…」
メーゼルワーゲンの青く冷たい瞳が細くなる。周囲の人間に聞こえないよう、二人の耳元で彼女は囁いた。
「ここでは言えないわ。着いてきて。」
メーゼルワーゲンが歩き出す。二人もその後を追った。
廊下を歩いていくとどんどん人気がなくなっていく。メーゼルワーゲンはルクスの部屋まで来ると、足を止め二人に向き直った。
「中で話していい?」
「え・・・ちょっと待って!」
ルクスはドアを開けて勢いよく部屋に入る。再び閉ざされた扉の向こうからは、モノをひっくり返すような騒々しい音が聞こえてきた。
エレナはそれが可笑しくて笑っていたが、見るとメーゼルワーゲンがこちらに顔を近づけてきている。
「姫様、ルクスには貴女から話してください。貴女にこれからのことを伝えます。」
「・・・私も、なにもしないわけにはいかないのね。」
エレナは自分の胸に手をやる。心を掴むように指を曲げた。
「違うわ。貴女になにもさせない為にこれから行動するのよ。・・・姫様には、親衛隊とともに城塞都市オルガイアに避難していただきます。」
メーゼルワーゲンの言葉にエレナは愕然とする。
「私が・・・シェルモールドを離れるの?」
「ええ。明後日の出発になります。」
「私が避難するくらい、ローズエンドには危険が迫っているということでしょう?私だって戦えるわ。」
「エレナ。」
メーゼルワーゲンがぴしゃりと言う。
「それは最も許されない行為よ。」
エレナは顔を歪める。彼女は自身の力を国のために活かせないことが悔しいのだ。
「勇者召喚の話は聞いているでしょう?帝国の戦力は増えるばかり・・・貴女は王族として、生き残らなければならないわ。」
メーゼルワーゲンは俯くエレナに語りかける。その口調は優しく、慈愛に満ちたものだった。
部屋のドアが開いた。
「よし!もう入って大丈夫だぞ・・・って、なんだ、何があったんだ。」
状況がわからずルクスは二人を交互に見ている。
「ほら、今日はルクスと話しなさい。明後日までに気持ちの整理をね。」
メーゼルワーゲンはその場を離れる。ルクスはいまいち空気がつかめないままエレナに話しかけた。
「・・・その、なんだ。茶でも飲むか?取り敢えず部屋に入ろう。」
そう言われて初めて、エレナは顔をあげる。相変わらず顔は歪んだままだが、その瞳には何故か赤い炎が灯っていた。
「ええ。・・・これからのことについて、話しましょう。」
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「クフフフ…」
闇の支配する洞窟の奥深く。じめじめとした不気味な空間に男の笑い声が反響する。黒いローブに身を包んだその男は、手に持った松明を掲げて洞窟最深部の壁を照らした。
その壁には―赤い衣を纏い、茨の冠を冠し、心臓に真っ青な宝石を持った―骸骨が張り付いていた。まるでそこに磔にされ、封印されたかのように。
「今回は失敗しませんよ…貴方が再び、私を殺してくれるまで。」
男は改めて骸骨の顔を見る。
「ねえ?冥王。」
男は堪え切れなくなったように再び笑い出す。男は振り返りそのまま来た道を引き返した。
―誰もいなくなった暗闇の洞窟。
――存在するはずもない二つの眼。
―――骸骨はその目に炎を灯し、男の足跡を見つめていた。
『これからのことを、考えなければ。』
次回やっと主人公回だよ