小国の災難
「失礼します、王よ。」
パッカーノは重厚な入り口から半身を出して、この部屋の主に声を掛けた。すぐに奥の書斎から声が返ってくる。
「んぬ?パッカーノか?さっさと入れ。」
パッカーノは扉を閉め、床に散乱した本を踏まないよう慎重に歩を進めた。なんとも大袈裟な動きになってしまうが、自身の体型は把握している為決して無理はしない。といっても少し恥ずかしいので、奥で書き物をしている王に見られぬよう消音に努めた。
王の御前にたどり着く。
「王よ、ドアを閉めてくださらねばノックも出来ませんぞ。」
本と書類に囲まれた王は、掛けていた眼鏡をずらしてパッカーノに目を向ける。
「この部屋は埃っぽくて辛抱ならん。なぜこの部屋には窓すら無いのだ。」
あなたが王で、窓があっては暗殺の可能性もあるからです・・・とは、彼も分かっていることだ。ブーブー文句を垂れながら、王は何年もここで勉学や研究に勤しんでいる。その風貌は王というよりも学者や賢者といった感じだ。長く伸びた白髪と、顔に刻まれた往年の溝は、彼の年齢には少し似つかわしくない。端的に言えば老けているということだが、それも王の貫禄を醸し出すのに一役かっている。
「パッカーノ、ところで、あれはどうだった。」
王は目線を書類に固定して、ぶっきらぼうに尋ねた。その仕草にパッカーノは微笑む。これは王の照れ隠しだ。
「ははあ、あれとはパーティーのことですかな?つつがなく終わりましたし、まあ成功と言えるでしょう。私のスピーチもウケましたし。」
「え!?ホントに!?お前のスピーチウケたのか・・・って違う!そっちじゃなくてだな、その・・・あれだ。あの子は、どう、だったのだ。」
親子共々ひどい言いようだが、王の心配性を見ていると怒りも沈む。普段パーティーにもなかなか出席しない無口な王だが、娘のこととなると一気に感情豊かになるのだ。
「・・・姫様の振る舞いは素晴らしいものでした。気品に満ちた、可憐で妖精のようなその美貌・・・王族の娘として、あれ以上のお人は居ませんでしょうなぁ。」
険しい王の顔が弛緩する。密かに上がった口角を隠すように、王は再び書類に俯いた。
それを見てパッカーノは和みつつ、ここに訪問した本来の案件について王に切り出す。
「王よ。・・・帝国の件で、気になる情報が。」
パッカーノが纏う雰囲気を変えた。そこに居るのは気の良い親父パッカーノではなく、冷徹宰相、鬼のパッカーノだ。
王も手を止め、パッカーノの顔を見た。
「近頃はきな臭い動きが多いな・・・。帝国は列強の覇権がそこまで欲しいか。なんでもいいが、戦争だけは勘弁してほしいな。」
「王よ。」
パッカーノは王に顔を近づけ、小声で伝える。
「最早、そうも言っていられなくなりました。」
「・・・何があった。」
「帝国が勇者を召喚しました。それも、五人です。」
王は思わず立ち上がり、よろよろと本棚に背中を打ち付けた。まだ信じられないといった顔でパッカーノを睨む。王の頬を冷や汗が伝った。
「そんな馬鹿な・・・!勇者の召喚はそう簡単に出来るものではない!それも五人だと!?戦争どころか世界が征服されてしまうわ!!」
「ですが事実です。先ほど、この大陸を異常な魔力が覆いました。そしてその魔力が一点集中したのが、帝国領サンタグニール。広範囲に魔力が散布された後、その全てがある一点に集まるのは召喚魔法が発動されたことを裏付けます。」
パーティーの後、城に配置されている魔法騎士の全員が異常な魔力を感じ、パッカーノに報告がきた。このことを知るのは彼らのほかに、将軍や陸軍参謀などの数人しかいない。しかし今回の事件は魔法に通じる者にならすぐに理解できるものであり、国中にこの話が出回るのは時間の問題だろう。
「なんにしても、対策を考えねばなりません。ひとまず会議室へ。」
パッカーノは小さく礼をして、一歩引き下がる。王は暫くそのままでいたが、何かを決したように口を固く閉め、机に掛けていたマントを掴み取った。
「パッカーノめ、よくも冷静にいられるものだな。」
王はマントをはためかせ、早足で歩きながら悪態をつく。パッカーノは平然とした顔つきだ。
「何も、国の難事はこれだけではありませんからな。」
「ふむ、そうか・・・ん?」
王は思わず立ち止まる。
「今何と言った・・・まさか、まだ何かあるのか。」
パッカーノの顔を見る。彼は無表情だが、ここまでの移動で少し息が上がっている。太っているからだろう。
だが王は違和感を覚えた。いつもの宰相とはどこか雰囲気が違う。いつもよりもその息づかいに遠慮がないというか、周りへの気遣いに頭がまわらなくなっているというか・・・。
もしかして、もしかするとパッカーノは。
「パッカーノ、お主、焦っておるのか?」
あのパッカーノが焦っている。常に冷静なあのパッカーノが。
「・・・王よ、あなたには敵いません。」
パッカーノは王を正面に見据え、大きく手を広げて見せた。その表情には諦めの色が見える。
「実は・・・勇者の召喚に呼応するように、違うポイントで微量の魔力と法力が感知されました。本当に、ごく微量です。」
王はまどろっこしそうにパッカーノを急かす。
「ええい、一から聞くぞ。なぜ微量の力を感知できたのか、そしてそれがなぜ気になるのか、その問題は皆も承知しておるのか。さっさと言え。」
魔力は草にも石にも風にも宿っている。それらを使役できるのは生き物のうちその術を知っているものだけだが、微量の魔力など空間にも満ちていて、それらが検出されるなど意味不明だ。また法力は人の心に宿る力だが、応急処置に法力魔法(字面とは違い、魔法とは全く違うものである)が使われている今、それが検出されるのも普通のことだ。
残る特異性の可能性はそれらが検出された場所のみ。王はパッカーノの言葉を待った。
「・・・微量の魔力、法力を感知できたのは、その場所に私の部隊が駐屯していたからです。そしてそれが気になるのは、その場所があまりにも神聖で、危険な場所だからです。そもそもあそこで、魔力が検出されること自体あってはならない。」
王は理解した。パッカーノの言葉の意味、そして彼がこれを言いたくなかった理由も。
「王よ、私は・・・」
「パッカーノ。お主はこの問題を自分だけで背負う気だったのだろう。確かにこう困難が続くと、儂らにとって大きな負担だからな。しかしな。」
王はパッカーノの肩を掴み、その眼を頑と見つめる。
「儂はな、王なのだ。お主らの先頭に立ち、お主らの一切の行動に責任をもつ、国家の父なのだ。お主一人に重荷を背負わせるわけにはいかん。儂は清廉潔白の王道を歩むつもりはない、民を守れるなら血で血を洗う修羅の道さえ通ってみせよう。だからパッカーノよ、儂にことの一切を伝えるのだ。儂には頭を悩ませることぐらいしか仕事がない。」
王の確固たる理念に、パッカーノはついに降参する。力のない声で、今この国に起きている最も恐ろしい案件について王に報告した。
「・・・私の部隊が・・・私の部隊が封印していた、魔王窟の最深部に・・・人一人分の、法力と魔力が検出されました・・・。冥王の、黄泉帰りだと思われます。このことを知るのは王宮に王と私しかいません。どうかご内密に・・・!!」
冥王の黄泉帰り。それは遥か昔、「焦土作戦」を決行し不死皇帝と呼ばれた魔族の聖遺骸に魂が宿ることを言う。その間魔物は聖遺骸のある魔王窟に一斉に進撃を始め、その魂を消滅させんと動くのだ。それが彼らの本能が成せるものなのかは謎だが、人間にとってはこれが一番悩ましい。なぜなら、黄泉帰りがあったとしても、不死皇帝が目覚めるわけでは無いからだ。そもそも、何故黄泉帰りがあるのか今でもわかっておらず、数百年に一度こういうことがあるが、いつのまにか遺骸から魂は消えてしまっているのだという。
なんにせよ、黄泉帰りがあった時は魔物が住処から出ばってくるため人里に被害が及ぶ。いつもなら国の常備軍を辺境にまわし国民を保護するだろう。
だが、今は状況が違う。だからこそパッカーノは、この問題への対処に関して、その責を一身に受け止めたかったのだ。
「王よ、この情勢では常備軍をそう易々と散開させるわけにはいきません。疲弊させるなどもっての他です。ですから、多少の国民の犠牲は覚悟して、安全地帯への疎開を開始させます。その警護には私の私兵団を向かわせます。」
冷徹宰相、鬼のパッカーノ。思えば、国を動かす上で残酷とも言える決断をするとき、いつも矢面に立っていたのはパッカーノであった。それ故に、この真面目な男には似合わぬ二つ名が出来てしまったのだ。
彼の案が最善手であることは明らかであった。
王は再び歩きだし、会議室へと向かう。
「儂の知らんうちに汚れ仕事ばかりやりおって。昔からお主は変わらん。おかげでいつもの調子を取り戻せたわ!グハハハハハハハ!!」
王の豪快な笑いに、パッカーノもつられて微笑する。二人は長い廊下を経て、会議室の扉を開けたのだった。
ーーー
「パッカーノはどうしたのかしら。ねえルクス、なにか心当たりはない?」
王女エレナは、堅苦しいパーティーの後自室に引きこもっていた。王女としての振る舞いを身に付けてからは、城内でも多少の息抜きが必要になってしまった。もう城内で好き勝手出来るような年齢ではない。
というわけで、幼馴染みルクスとのガールズトークである。
「そうだな・・・城内の者も慌てていたし、何か起こったのかもしれないな。私はエレナ付きだからそこそこの機密は教えてくれるんだが・・・」
ルクスは全く遠慮のないタメ口でエレナに喋りかける。だがそれは彼女らにとって自然なことであったし、むしろ外で恭しく話す方が内心可笑しくて堪らないのである。
「ところでエレナ、さっきのパーティーで随分と男に言い寄られていたじゃないか。気になる奴はいないのか?」
エレナは顔をしかめてベッドに顔をうずめる。枕を頭の上にぎゅうっと押さえつけた。
「全然だめよ、みーんななよなよしちゃって。少なくともルクスよりも強くなくちゃ話にならないわ!」
ルクスは苦笑する。彼女自身に傲る気持ちは微塵もないのだが、実際その剣の腕前は確かなものであり、並の王国騎士などは相手にならないだろう。それは彼女の才と努力の賜物であり、そこを越える王族など滅多に居ない。なんにせよ、エレナは自分の気に入った相手としか結婚などする気はないようだ。
「しかしエレナが気に入りそうな者なんて、東の果ての魔王とか、後はただ一人大陸を制覇した不死皇帝くらいじゃないか?今は冥王のあだ名も付いてるし凄く強そうじゃないか。」
エレナは眼を輝かせるルクスにじと目で返答する。
「二つ名に憧れているのはルクスでしょうに・・・冥王は残虐非道で有名よ。魔王は・・・外見によるわ。まあ、会うときは絶対戦争の最中でしょうけど。」
エレナに言い返され唸っていたルクスは、ハッと思い付いたようにエレナを見返した。
「勇者はどうだ?奴らはみな総じて法力が強い。そして国の一大事に現れて危機から救ってくれる存在だぞ!カッコいいんじゃないか?」
エレナは何度目かのため息を吐いた。
「前に召喚されたのは500年前よ。私の生きているうちにまた召喚されるかしら。」
エレナはますますベッドに沈み、ルクスももう降参と大手を広げてベッドに飛び込む。二人で仲良く、そのまま眠りに落ちそうだったが、その時間を邪魔する者がいた。
部屋に響くノックの音。
エレナはだるそうに起き上がり、ドアノブに手を掛けた。
『ごきげんよう、ローズエンドのお姫様。』
すぐさま動いたのはルクスだ。
「エレナ下がれええぇぇえ!!!」
ルクスは無理やり体を捻りベッドから一気に跳躍する。エレナがその場にしゃがんだのを瞬時に確認すると、空中で居合いの構えをとり、着地ざまにドアを一閃した。
ドアが金属製の装飾ごとたたっ切られ、凄まじい轟音を響かせながらヒノキの木材が吹っ飛ぶ。ルクスの華奢な体から繰り出される剣戟は、一撃必殺の威力を秘めていた。
『クハハハハハ、凄いですねぇ、危うく切られるところでしたよ。』
ルクスは心のなかで舌打ちする。やはり仕留め損ねていた。
「エレナ!こっちへ!」
「え、ええ!」
いまだに状況が掴めないエレナは大人しくルクスに従う。ルクスはすぐさま魔法結晶を割り、非常事態を告げるサイレンを鳴らした。
けたたましいサイレンが城内で響く。すぐさま魔法結晶が割れた位置に親衛隊が駆けつけるだろう。
『優秀ですねぇ、女騎士さん。安心してください、今日はご挨拶に来ただけですよ。我々はどこの国にも属さない第三の勢力です。目的はまだお教え出来ませんがぁ・・・そういう輩もいると、覚えておいてください。クハハハハハハハハハハハ!!』
殺気が消える。ルクスは声の主が去ったことを確認すると、剣を鞘に戻した。
「エレナ、怪我はないか。」
エレナは暫く呆然としていたが、声を掛けられてやっと我に帰った。
「ええ、大丈夫。・・・いまだに何が起こったのかわからないけどね。」
「私もだ。ただエレナがドアを開けようとしたとき、その向こうから恐ろしいほどの殺気が漏れだしてきていた。反射的に斬ってしまったが・・・相手は相当な手練れだな。」
廊下の方からドタドタとした足音が聞こえてくる。親衛隊がやって来たのだろう。
ルクスも、エレナも、この国に何かが起こり始めているのだと理解した。そして昨日までの他愛ない毎日が、遥か昔の、懐かしささえ覚える遠いものになっていくことも、二人は感じていたのである。