骸骨として2
「それじゃ、行ってきます。」
平日にもかかわらず私服に身を包んだ僕は、眠れずに目を赤く腫らした父に挨拶をした。昨夜は質問攻めにあったが、僕の決意が固いことを理解してくれたのか、もうなにも言ってこない。諦めたという方が正確かもしれないが。
「亮太。お前の役割はただの骸骨だと言ってたがな・・・、やっぱりそれだけだとは思えねえ。鳥人に聞けるだけ聞いといた方がいいぞ。あとな、」
父が僕の頭をポンポンとたたく。
「・・・なるべく早く帰って来いよ。」
父は多分辛いだろう。それでも、別れ際にはこうやって笑顔を見せてくれるのだ。相変わらずのイケメンぶりに、僕は気恥ずかしくなって少し俯いてしまった。
僕は父の手を離れて、足早に家から遠ざかった。歩くことに集中しないと、頭が感情で溢れそうだったからだ。今生の別れでもあるまいし、と独り言を呟いてみたが、ちっとも心は落ち着かない。本当に感情はままならない。
駅に着いた。時刻はAM9時30分、今頃クラスメイト達は授業を受けている頃だろう。父には学校を休んで、街を見ていきたいと言っておいた。あの鳥は放課後に声をかけてきたから、恐らく再び現れるのは6時間後くらいだ。時間は十分、目的地も決まっている。
僕は乗りなれない路線の切符を買うと、タイミングよく来たガラガラの電車に乗り込んだ。
規則正しいレールのリズムに揺れながら、右に流れていく景色を見流す。走り始めて10分足らず、コンクリートの灰色はすぐに見えなくなって、窓の外は緑で一杯だ。時折見える採石場やダムのおかげで、手持ちぶたさな車内の時間を退屈せずに過ごすことができる。
だが今の僕は、この状況にさえ焦燥感を味わっている。それは過去への憧憬だろうか。・・・そんなことは、あってはならないはずだが。
車内にはほとんど人がいない。平日のこんな時間に、田舎に行く人間なんて稀だろう。しかしなんとなく分かっていたが、今この電車に乗っている人間の目的はおそらく皆同じだ。いつもこの時間に行く人たちなのかもしれないが、僕にはそれは知りえない。ただ、姿勢や、表情に纏う雰囲気が、皆似ていて、不思議と居心地がいいのである。連帯意識はどこででも僕らについてくる。僕が持つ悲しみや、向こうに座っているおじさんやおばさんの悲しみも、この古びた電車が肩代わりしてくれているような気さえするのだ。
甲高い金属音とともに、体が加速方向に揺れる。目的地に着いたようだ。
僕と一緒に、何人かの人がこの駅に降り立った。
『足也山霊園前』
「久しぶり、母さん。」
僕は思わず微笑んでしまって、周りに見られていないか気になった。
ーーー
「母さん。これから旅に出るんだ。」
水がつるつるに研磨された墓石の表面を伝う。付着していた砂ぼこりがとれて、石に刻まれた文字がくっきり見える。僕は念のためにと、もう一度水をかけた。
「父さんは泣いてた。カッコつけてたけど。」
母の笑う顔が目に浮かぶ。父さんの話をするとあの人はいつもノロけるか笑っていた。今もきっと微笑んでいるのだろう。
僕は鞄から布を取り出して、墓石を念入りに、まんべんなく拭いていく。
「母さんは何て言うかな。まあ、何を言われても僕は行くけどね。今日は報告しに来ただけさ。」
墓石は見事にピカピカだ。もう掃除する必要はあるまい。そう思って、墓の目の前に腰を降ろす。
「・・・確かに怖いよ。まさか僕が選ばれるとは思わなかったし、鳥の誘い方もすごく変則的なんだ。不安しかない。」
父には言えなかった言葉が次々とあふれでてくる。僕もカッコつけていたのだろうか、この弱音は母には見せられても父には見せられない。心配をかけたくないというより、僕の根っこをさらけ出すのが嫌なのだ。心には鎧を、顔には鉄仮面を。そんな少年時代を、長くおくりすぎた。
「鳥は僕の役目を骸骨だといっていた。骸骨に魂を宿らせるだけで良いと。確かに骨だけの体なら、そもそも動けないから面倒ごとにも巻き込まれない。だけどそれは嘘だ。必ず何かある。彼らが僕を選んだ理由が。」
思わず声のボリュームが大きくなる。僕はそんなこともお構いなしに、母に僕の決意を語った。
「多分、危険だ。何かに巻き込まれて、怖い想いをするかもしれない。この世界に帰ってこれたとしても、恐らく非日常を生きることになると思う。だけど、行くんだ。僕はそんな世界に飛び込む。そして手に入れる。」
僕は立ち上がる。
「あの頃の自分と、今の自分と、本当の自分を。」
その瞬間、足元に紫の閃光が迸った。不規則に見える光の筋が瞬く間に魔方陣を描き出し、精緻なルーン文字が隙間なく僕を囲む。この世には存在しない未知のエネルギーが空間を満たし、空の色さえ変えている。
目を瞑りそうになる激しい光の奔流の奥に、この魔法の主が姿を現した。
「そして、生きる今を、かい?いいねえ、本当に素晴らしい。君は全てを理解しながらそれでも求めるんだ、全てをね。」
「僕は貪欲なんだ。昔も、今も、未来も、全部欲しいんだよ。鳥。」
エネルギーの流れに鳥のケープは暴れ、ヘルメットはベルトをバタバタと遊ばせている。僕はこの流れのなかで、立っているのが精一杯だ。
「ならば行きたまえ、新しい世界に。時は満ち、時代は動く。君と同時に、君のクラスの内五人が同じ世界に転送されるだろう。世界は荒れるが、君はどうだろうか。君は賢いから、転送先の骸骨がただの骸骨でないことは分かっているはずだ。真実を知ったとき、君はどうするんだ?ああ、楽しみだ、この瞬間を待っていた!」
鳥は大声で叫ぶと、更に魔力を高めていく。魔方陣もその輝きを増し、最早周りの風景は見ることができない。それでも僕は、母の墓石に向かって最後の別れを呟いた。
「母さん。制限時間いっぱいまでありがとう。」
僕は思わず微笑む。
「いってきます。」
その日。ある高校で、6人の学生が行方不明になった。当初こそ混乱があったが、放課後の教室に魔力の残骸が確認され、すぐに「神隠し」だと皆気付いた。彼らの失踪は隠蔽されることはないが、決して報道されることはない。不気味な国家の統制によって、この世界にはいまだ平穏な時が流れることになる。