分離して始まった研究室
[研究室が分離ってあり得るんですか?」
その知らせを聞いた当時大学3年生だった僕は驚いて問い返した。
学部3年の三学期に所属している研究室が分離するといきなり知った人間の対応としてこれは自然なものだろう。
理系の大学生は普通の流れとして1~3回生では講義を取り、4回生で研究室配属され、一年間の卒業研究に打ち込む。
しかしながら、若干の例外が存在する。たまに1回生や2回生の頃から研究に打ち込みたいという奇特な学生の為に学部低学年から学生を受け入れる研究室やシステムが存在する。
僕が学部3回生のときにすでに研究室に一年間所属しているという通常から考えると謎な状況が発生していたのはそのような、特殊なシステムを使ったから、と言うわけではなくアルバイトが思った以上に長引いたからだからだった。
[君の場合はアルバイトという身分とは言え、長くこの研究室におったわけだし、うちに進学を考えてくれてはるみたいだから、話しておこうと思っとったんよ。]
そろそろ黒髪の全てが白くなろうとしている男性教授はそう言って続けた。
[本当はこの時期にアルバイトに、話して良いかどうかは迷うんやけどね。直属の学生には、話しとるけど、まだ、全体への開示前やからね。]
教授の関西のイントーネーションが多分に含まれた話し方を聞きながら,ここでいう全体とは学部全体のことだろうとあたりを付ける。確かに正式に研究室配属を決める決定期間はあと2,3週間後だ。いわゆる研究室配属バトルというヤツで、希望学生の多い研究室においては成績バトルやじゃんけんトーナメント、カエルのつかみ取り大会、が厳かに行われる。僕がアルバイトをしている生物学部の研究室は僕が所属している総合環境情報学部の先生が一応、名前だけ指導教員候補として載っているだけで僕の学部からは2年に一回一人くらいしか行かない。
僕は最初アルバイトでこの研究室を見つけたのだったが、後から学生引受の対象となっていると知って驚いたのだった。そのため、アルバイトで教授と顔馴染みになっているこの研究室に第一希望を出せば面倒臭い研究室配属バトルを行うことはなく研究室は決まったも同然と余裕をこいていたのだ。ちなみにカエルつかみ取り大会は環境問題系の研究室が特定外来生物のウシガエルを根絶やしにするべく始めたものであり、字面の馬鹿馬鹿しさに比べ、じゃんけんトーナメントよりは真っ当な選抜方法であったりする。
[まぁ、ニシ先生が独立するっちゅうわけで、分離やね。今の君の業務は私の研究室を手伝ってもらっているわけやけど、ニシ先生が独立するかんね。その場合は、分離した後のニシ研スターターメンバーとして卒業研究を行うことができるんよ。]
スターターメンバーという響きになんとなくかっこよい響きを覚える。
[でも、今僕がやっていることはニシ先生の研究とはあまり関連ありませんよね?]
男性教授は腕組みをすると少し困ったように言った。
[それはそうやけどね、一度、ニシ先生と話してみたらどうだい?研究としては面白いことをやっとるし、研究費は十分に取ってきている。動物実験をできる環境は準備できそうなんだけどプログラムとか情報系の人間が見つからなくて必要なんだそうだ。]
ニシ先生は一昨年からこの大学に非常勤講師として来ている先生だ。けれど、どこが”非常勤”なんだろうという頻度で大学にいるのを見かけた。つまり、そのニシ先生が非常勤から常勤になり研究室を持つから、研究室立ち上げ時のメンバーを集めているということらしい。
少し考えて僕は問うた。
「先生自身の研究室はどうなるんですか?」
僕の答えに男性教授は応えていった。
[僕の研究室はA地区に完全移動だよ。今、僕らが使っている研究室はA地区、B地区あることは知っているだろう。君はB地区しか来たことはないだろうけど、正しくはA地区の研究室がメインだったんだ。君のいるB地区のあの研究室、生物系研究棟B302は完全にニシ先生のエリアになるね。元々、A地区だけでできることは多いしね。]
「配属を選ぶ期間はいつだっけ?今月ではなかったよね?」
「来月の頭から3週間くらいです。」
「じゃあ、すごく急ぐ必要もないからね。よく考えると良いよ。」
そう言って教授は部屋を出て廊下を歩いて出て行こうとして、立ち止まった。
[それと、あと君は就職するつもりだっけ?それとも修士に進学だっけ?]
[今は進学する気でいます。]
[うーん、そうか。たぶん、これは言っておかなければならないのだけど、ニシ先生は前の大学で学生と上手くいかなかったことがあるらしくてね。まあ割とよくある話ではあるんやけどね。大学の先生も学生も人間だから、馬が合う,合わないはある。]
教授は困ったような、そうとも言えないような顔をしてそう付け加えた。
[とりあえず、ニシ先生と話してみてうまくやれそうかどうか考えてみてくれないかな]
下宿先に帰る準備をしながら先ほど言われたことを考える。大学4回生の時点で新規に作成される研究室に配属されるかもしれないと言うことについて考える。
正直な話、僕は勉強熱心な学生ではなかった。しかし、成績がすべて悪いか、勉強が嫌いかというと、そうではなく、好きな教科や講義では楽しみながら良い成績が取れた。逆に、苦手な教科ではどう頑張っても落第ギリギリの成績であった。つまり、高校の頃クラスに一人くらいはいる「成績は中だが、一つの教科だけものすごく良い成績をとる謎なヤツ」というのだった。
その集中力は大学に入ってから妙な方向に生かされ、大学1年の入学時にほぼ強制的に買わされた割高低スペックパソコンを大学二年次には分解し、メモリとOSを入れ替えて、大学近くの電気屋という名のジャンクショップに足を運ぶようになっていた。
そのため、学部3年の4月から始めた生物学系の研究室のプログラム関係のアルバイトは時給そのものの低さはともかくも実際の機械に触りながら色々なことを学べるという点で良い環境だった。
また、その際にやっていたツールを実際に使い、自分でも生物学の実験をしてみたいという気持ちがあったため、その研究室へ配属を考えていることを教授に話した。その時は二つ返事で了承されたため、4年次はアルバイトをしている研究室にそのまま持ち上がる気でいた。
ただ、今その持ち上がる気でいた研究室の教授から他の研究室を勧められたというわけだ。
おそらく、あの教授の研究室に行くことはできるし、その方が一般的な動きだろうというのは僕の目にもわかった。
しかし、ニシ先生の新しい研究室に配属される場合の研究室のスターターメンバーという言葉の響きと言葉の話の端々から感じられた自由にシステムを触って立ち上げることができそうな環境というのが僕の興味を引いた。




