大人の事情の正体
翌日。
ユウは落ち着かないまま授業を受けていた。
ノートに文字を書いても頭に入らず、黒板の文字も遠い。
昼休み前、神代先生が教室に顔を出し、ユウに目を向ける。
「王子寺、少し来てくれるかい」
その声の硬さだけで、ユウは胸が強く締めつけられた。
ミナミとコウが心配そうに視線を送ってくる。
廊下を歩き、職員室へ。
先生は机の上に一冊の封筒を置く。
「アズサさんに確認した。
資料の閲覧は“本人が希望すれば許可する”とのことだった。
だから……これは君に託すよ」
ユウは封筒を受け取る。
震えているのが、自分でも分かった。
「開けても、後悔しないかい?」
「はい。知りたいです」
神代先生は深く頷いた。
ユウは椅子に座り、ゆっくりと封を切る。
中にはたった数枚の紙。
だが、その一枚目の文字を見た瞬間、息が詰まった。
「……転居命令……?」
それは、姫川アズサの職場からの通達だった。
「業務上、各地の支部に定期的に異動すること」
「家族も帯同が原則であること」
そして──
「数週間前、次の異動先の決定。来月初旬、転居。」
理由は仕事。
それも、逃げているのではなく、強制的に移動し続けなければならない職務。
「さくらは……ずっと、こうだったんですか?」
神代先生は言葉を選ぶように口を開く。
「アズサさんは国家規模の支援機関に勤めていてね。
彼女の業務は、派遣先の支部が定期的に変わる。
数年どころか、半年で移動になることもあるらしい」
「そんな職が……」
「あるんだよ。大人でもしんどい。
まして高校生の娘を連れて行くのは、並大抵じゃない」
ユウは拳を握る。
「じゃあ、さくらは……
自分がいなくなるのを分かってるから、誰とも深く関わらなかった……?」
「だろうね。
そして恋愛はもちろん、親しい友人関係すら避けようとしたはずだ。
別れが前提の生活は、想像以上に苦しい」
ユウの視界が少し揺れた。
知りたかった答えが胸に刺さる。
「……じゃあ、どうすれば」
神代先生は静かに告げる。
「君がどうにかしようと思っても、簡単には変えられない。
大人の事情というのは、そういうものだ」
その言葉は残酷だったが、真実でもあった。
ユウはうつむく。
それでも声だけは折れなかった。
「さくら……こんな理由で……ずっと一人で……」
「王子寺」
先生は優しく続ける。
「君は賢い子だ。
この事実を知っても、彼女を責める気持ちはないだろう?」
「もちろんです。
ただ……つらかったんだろうなって……」
封筒の紙を見つめながら、
ユウは気づく。
さくらがあれほど優しくて、
あれほど距離をとるのが上手だった理由。
きっと“別れ慣れしてしまった”からだ。
「……俺、諦めません」
ユウは静かに、しかし真っ直ぐに言った。
「さくらがどこへ行っても、気持ちがなくなるわけじゃない。
何もしないで離れるなんて、嫌です」
先生はほんのわずか目を細める。
「君のそういうところ……昔から変わらないね。
強くて、優しくて、頑固だ」
ユウは立ち上がった。
「このこと、本人にちゃんと聞きます。
逃げたままにしたくない」
封筒を握りしめ、職員室を出る。
廊下を歩く足音は震えていたが、その歩幅は確かだった。
夕方。
海沿いのバス停──さくらがよく一人で座っていた場所に、ユウは向かった。
潮風の匂いを吸い込んで、心を整える。
「さくら……俺、全部知ったよ。
それでも……好きって言うから」
覚悟を決めるように、ユウは拳を握った。
明日、彼はさくらに会いに行く。
逃げたまま終わらせないために。




