霧の牢獄
アマリウス伯爵城は、アズイン王国の中心部から離れた山間に位置している。
アズイン王国と、隣国との国境を形成する長く雄大なミーティア山脈ーーその3つの谷の合流地点に佇む。周囲を険しい山肌に囲まれる姿は、さながら天然の牢獄のようだ。
城の小窓から、変わり映えのしない景色を見下ろす。今朝は霧が晴れず、白一色の世界。昨日も、一昨日も、そしておそらく明日も、この城はこの霧の中に沈み続けるのだろう。
「ノニエ!」
朝支度をしていると、いつもの声が飛んでくる。はい、と返事をして重い腰をあげる。今日は何が気に入らなかったのだろうか。うまく寝付けなかったのだろうか。この霧が気に入らないのであれば、気が合うところだというのに。
だが、予想に反してアマリウスの機嫌はよかった。手に持っていたティーカップを置くと、話を切り出す。
「ノニエ、気づけばお前がこの城にやって来て、だいぶ経つな」
「はい、アマリウス様。確か、今日でちょうど......2年だったかと」初めて馬車でやって来た日も、今朝と変わらぬ霧の深い日であったなと、ふと思い出す。
「そうだ。2年前の今日、お前は私のものとなった。初めての日の高揚感を、今でも覚えているよ」
アマリウスは微笑みながら、ノニエに歩み寄ってくる。
「従者に描かせた紙絵どおりの可憐さ、輝きを閉じ込めた髪、熟れた桃のような頬。幼き頃から夢に見た女神のような神々しさだったーーあの日」
「お前が、私のものになった」
声が、出なかった。突然首を両手で捕まれ「痛い」という暇もなく、力いっぱいに持ち上げられる。頭が取れてしまいそうな衝撃に、必死で抗いながら声を振り絞る。
「や.......やめ」
「初めての夜、まだ怖いからと私の誘いを断ったお前を、私は許した。なぜならお前は私のものだから。誘いを断ろうが私を避けようが、私のものという事実は変わらないから。それから2年が経ち、今もなお寝室を別にしていることも、私は許した。愚図なお前が私の期待に答えられずとも、何度も同じヘマをしようと、私の書斎を勝手に使おうと、お前は私のものだから」
何か答えようと必死に声を振り絞るが、ヒュッ、ヒュッと空気が伝うだけで何も意味をなさなかった。罵声を浴びせることや、物に当たることはあっても、決してノニエには手を出さなかったアマリウスが、息を止めんばかりの勢いで力を強める。
「これは、なんだ」
くしゃくしゃの紙が、突きつけられる。おそらく便箋であったであろう紙切れの真ん中に、罫線を無視して走り書きの文字が添えられていた。
ーーーー眩しさから逃れるために、彼らは海へ逃げたのだ。
Danck Schern
「シェルン、はか......」
「誰だぁ!!!コイツはァ!!!」首を絞める手が緩んだかと思うと、次は床に力強く叩きつけられた。
「誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ」
「なんで、お前は、私以外の男と、文をやりとりしているのだ?裏切る気なのか?」
ここで、ようやく自体が読み込めた。
アマリウスは、私がどこかの殿方と姦通しているのではないかと疑って、ここまで激昂しているのだろう。
「故郷の男か?私が知らぬ間に街へ行っていたのか?王都で知り合ったのか?もしや城内の.......」
「違います!濡れ衣でございます。その方とは、会ったこともなければ、話したこともございません......!信じてください、私にはアマリウス様だけが......」
アマリウス様だけが、なんだというのだ。切迫した事態だというのに、こんなことで言葉が詰まってしまうのだから、私は馬鹿なのだろう。
「男というのは、否定しないのだな?」アマリウスは苛立ちのままに髪を掻きむしる。
「燃やせ、お前の手で」
「......!」
「何にもない、というのであれば、燃やせ。お前の手で、今すぐに」
手紙を手渡されると、もう一度文を読む。
ーーーー眩しさから逃れるために、彼らは海へ逃げたのだ。
Danck Schern
「......っふ」
思いがけず、頬が緩んだ。シェルン博士からの手紙に、喜びを感じている自分がいた。
「関係がないなど、嘘ではないかァ!!」
右頬を殴られ、部屋の反対側まで吹き飛ばされる。
「ノニエノニエノニエノニエノニエノニエノニエノニエノニエ.........」
呪詛のような言葉を聞きながら、意識が遠のいていくのを感じた。
私は、ここで殺されるのだろうか。いらなくなった玩具を捨てるように、霧の中に処分されて、白の世界の一部になるのだろうか。もう2度と両親にも会えないままに、ここで人生を終えるのだろうか......?学校にも行きたかったな...。やりたいことも、いっぱいあったのに。会いたい人も、いたのに。
「......ねえ、神様、お願いします。私の最後のお願いです」
最後の力を振り絞るように、くしゃくしゃの便箋を、祈るように折った。




