祈りをのせた紙鳥
少女ノニエは考古学者を夢見ていた。
太古の生物の化石を発掘し、歴史の謎を紐解き、廃れてしまった文明に思いを馳せる。
遠い過去と現在とが、すーっと一本の線で繋がるような感覚。
ベッドの上でも、沐浴中でも、ご飯の時だって、目を瞑ると、見たことのない生命循環の一端が鮮明に浮かんだ。
村近くのセーラ川のように細く長い首を持つ獣が、同じく教会よりも大きな四足歩行の亀もどきをぐるぐる巻きにしている様子。
腰にアオベリーの葉っぱを巻いた毛だらけの老爺が、岩同士を叩きつけて、武器を作っている姿。
書物に記されていた史実とノニエ個人の妄想とが入り乱れているのだが、ノニエはこれらが歴史のどこかで実際に起きていたはずだと信じていた。彼女にとっての、ロマンだった。
少なくとも、空想に浸ることは、苦い現実世界を送るノニエにとって唯一の救いでもあった。
パンッ パンッ パンッ
屋敷の主人であるルークス・アマリウス伯爵が、3回手を叩いた。合図を聞いて、ノニエは慣れたように、台所でお湯を沸かす。テキパキと珈琲の準備をし、書室の扉を叩くと、今度は中から「ドンッ」と、机を叩く音がした。
「遅い。お前はいつも愚鈍だな」
「申し訳ございません、アマリウス様。以前、味が薄いとおっしゃっておりましたので、挽いた豆を少量ずつ蒸して、珈琲を抽出しておりまして......」
ノニエの言葉を遮るように、伯爵は机上の筆記具を投げつけた。
「...っ!」
当たらないよう、咄嗟に身体を避けると、珈琲を入れたポットが揺れ、大きな音を立てて床に落ちる。
「も、申し訳ございません......!」
「ふん。家事すらまともにできんとは、とんだ不良品を掴まされてしまったものだな」
もう一度小さく謝罪を口にして、罵詈雑言を尻目に伯爵の書室を離れた。
ノニエ・ノーヴェンは、身分の低い貴族の両親のもとに生まれた。
兄妹はいなかったが、優しい両親と、美しい毛並みの白い犬の3人と1匹で、慎ましくも幸せな生活を送っていた。
しかし善良だった両親は、数年前の大飢饉の際に、領民の生活苦に胸を痛め、減税や食糧配布を繰り返した果てに、周辺領主からの反感や多額の借金を抱えてしまった。
疲弊し、日に日に痩せ衰えていく両親を思って、ノニエは故郷から遠く離れた辺境伯爵の元へ嫁ぐことを決めた。
歳上ながら未婚であったアマリウス伯爵は、妙齢で目鼻立ちの整ったノニエを、最初こそ可愛がり多額の融資を実家に送ってくれたが、それはある種「愛玩動物に向ける所有欲」のようなもので、ノニエの心と言動が思い通りにならないことを知るや否や、先ほどのように冷酷な一面を見せるようになった。
そんな辺境伯のことを、ノニエは愛してこそいなかったものの、感謝していた。
生家に多額の資金援助してくれたことは勿論だが、辺境伯の屋敷には、アマリウス伯爵の書斎の他に、大きな書庫が2つあり、夫人であるノニエも自由に閲覧することが許されていたのだ。自分が体験し得ない物事を、本を通して追体験する。それはまさに好奇心の旅というもので、彼女にとっては何よりの至高だった。ノニエがノニエという生命体として存在するために、「書」は必要不可欠だった。
すべてが理想通りではないが、自分にとって大切なものを大切にできる人生。ノニエにとって、今はそれで十分だった。
メイドたちが談笑する給仕室を通り過ぎると、地下へと伸びる長い階段がある。書物が日に焼けないよう、一切の自然光を断絶した空間は、正しく闇。使用人たちは怖がって近づきたがらないが、ノニエにとっては、本という名の星々が照らす銀河を、旅しているようだった。
屋敷2階分ほどの深さの空間に、庭の高木と同じくらいの高さの本棚が、所狭しと並べられている。
サイドテーブルの置かれた部屋中央まで歩くと、手持ちランプを机上に置いて、腰掛ける。そして、近くの本棚に手を伸ばし、一冊の本を開いた。
「黒亜紀後期に絶滅したマーラウルスの骨格を再現すると、頭部を一周するように、眼球が5つ付いていたと思われる......?すごい進化ね。視野が後方にも及ぶということ...であれば狩りの腕はだいぶ良かったのだろうか」
考古学にも、いくつかの研究分野があり、多くの書物が発刊されているが、中でも『シェルン発掘調査日誌』シリーズが一番のお気に入りだ。
著者は、アズイン王国で唯一、考古学科が設置されている王立大学にて、教授を務めるダンケ・シェルン氏。実際の発掘調査を、絵図や考察とともに記したものだ。
単に発見物を羅列しただけでなく、細かな傷や汚れ、窪みから、時代背景を推察する知識量と想像力が素晴らしい。
ある時なんかは、鋭利に尖った石片の左上に見られる楕円状の凹みと半弧の傷を挙げて、その用途について、こう考察していた。
ーーこの窪みは、きっと親指をかけるためのもの。古代の狩人が、獲物の皮を剥ぐために使っていたのかもしれない。何度も、何度も、硬い腱を断ち切るために石を滑らせるうちに、こうして指の形に摩耗していったのだ。この石には、一つの家族を養った男の手の汗と、獲物の血の匂いが染み付いているーー・・・
中には荒唐無稽な話も混じっているのだろうが、彼の研究のスタイルはノニエにとっても好印象であった。自分には無い視点を得ることは、平々凡々な日常の、ひとつのスパイス。
シェルン教授の著書を読み、そこから自分なりの解釈を書き起こすのが、密かな趣味になっていた。
ーーーー目が5つもあるなんて、夏の暑い日はきっと眩しいですね。
N.N.
白い便箋に、ゆっくりとインクを走らせる。
真ん中に、たった2行が大胆に書かれた紙を、丁寧に折り、人差し指で折り目をなぞる。
ひと折り、またひと折りと指さきを操ってゆくと、平面だった紙が首の長い鳥のような形へと姿を変える。
「シェルン教授のもとへ」
ノニエがそう呟くと、鳥は紙でできた羽根をピタペタとぎこちなく動かし始めた。
よろよろとノニエの周りを1周すると、徐々に慣れてきたのか、出入り口の外の灯りを目指して高く飛び上がった。
紙折り。1200年前に「紙」が生み出された時から伝わるこの技術は、精度の差こそあれど、貧富の差に関わらず広く王国内で用いられている。アズインの民にとって、「折る」という行為は何よりも神聖なもので、どの家庭も幼子が銀食器を持つよりも早く、紙を折らせる。ノニエ自身、3歳で家中の布巾を紙兎に変えて母親に叱られていた。
「神に祈る」という言葉の語源が「紙を折る」だと主張する信仰派閥もあるが、その前後関係は定かではない。
「紙が神...ね。わからないでもないわ。こうやって紙に刻まれているからこそ、数千年の時すら超えられるのだから」
夜空を飛ぶ紙鳥の羽音が、段々と遠ざかっていく。誰もいない地下室に、彼女の言葉だけが取り残された。




