【第五話】ハジケル
修学旅行二日目。
俺は一番早起き、澪は一番のんびりさんだった。
澪が起きた時点で、自分の支度は全て終わっていたから、寝起きでぽやぽやの澪の支度を手伝った。
朝食を終えたら、早速ホテルを出発。
午前中は決められたグループで水族館を回った。
偶然、澪は梓と同じグループだったから、かなり過ごしやすかったみたいだ。
その証拠に、水族館から次の目的地へ行くバスの車内で、撮った写真を俺に見せながら、楽しそうに色んなことを話してくれた。
バスを降りれば、いよいよ自由時間。
四人で商店街などをたっぷり観光できる。
なんといってもまずは昼食から。
郁人が事前に調べてくれた沖縄料理のお店に行くと、それなりに混んでいる中だったが、ゆったりと座れるテーブル席に案内してもらえてラッキーだった。
「澪、どれ食べたい?」
メニューを広げて尋ねると、澪は何回かページを行ったり来たりしながら、最終的にゴーヤチャンプルを指差した。
「苦いかな?」
「苦いけど美味しいと思う。もし食べれなかったら俺が食べるよ。あとは?」
「んー……真緒くんは?」
「俺は……沖縄そばとか?」
「美味しそう、僕も気になってた」
知ってる。
ゴーヤチャンプルと同じくらい、何度も沖縄そばのページを見ていたから。
「ん、真緒たちも決まった?」
「うん、頼もう」
呼び出しボタンを押せば、すぐに店員が来てくれた。
郁人が先に注文を始めたが、梓と二人で食べるとは思えない量を読み上げたので、澪と一緒に呆気に取られていた。
逆に、俺たちが注文するターンでは、「足りる⁉︎」と本気で心配された。
「真緒も澪も、少食なんだなぁ」
「普通にそれぞれ一人前頼んだけど……」
「ふふ、そうだよね。僕たち大食いだから、感覚がバグっちゃってる」
郁人はともかく、梓は小柄だから大食いとは意外だった。
それは澪も同じだったようで。
「梓くんが大食いなの意外……!僕と身長同じくらいなのに」
「縦にも横にも成長しなくてね〜。よくビックリされるし、昔は恥ずかしかったな」
梓が少し顔を赤くしながらそう言うと、隣に座っていた澪が、ガタッと身を乗り出した。
「恥ずかしくなんかないよ!美味しそうにいっぱい食べるの、すごく、憧れる……」
後半にかけて声量は小さくなり、最後は脚の力が抜けたみたいに腰を下ろし、俯いて俺の身体に寄りかかってきてしまった。
「ふふ、嬉しい……でも、澪くんも素敵だよ。今朝のフルーツヨーグルト、すっごく美味しそうに食べてて可愛かった」
「か、っ、そ、そんな……」
「ね、真緒くん?」
会話のボールが突然自分に投げられて、ほとんど脊髄反射のように声を発していた。
「可愛いよ」
「っ……⁉︎」
「あ……」
言葉が飛び出してから、自分が澪を可愛いと思っていることを認識した。
普通は逆だろう。
「可愛い」と認識したから、「可愛い」と声に出して言うはずだ。
……ダメだ、日本語も分からなくなりそうだ。
「お、来た来た!」
タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど注文した食事が大量に運ばれてくる。
郁人も梓も、キラッキラに目を輝かせている。
「真緒くん」
「?」
俺にだけ聞こえる小さな声で、澪が俺の名前を呼んだ。
横に視線をやると、これまでで一番嬉しそうに頬を赤らめる澪が、こちらを見つめていた。
「僕たちも食べよっ」
「……うん」
ああ、そうか。
澪は、可愛いんだ。
どうしようもなく可愛くて、すぐに壊れてしまいそうだから、どんな手を使ってでも守りたいんだ。
昨年まで一匹狼だった俺は、いつのまにか、他人に対してこんなにも強い感情を持つようになっていた。
◇
◇
◇
昼食の後、商店街をぶらぶらと散策していたとき。
ふと、白と淡いピンクを基調としたブレスレットが目に留まった。
近くに行って説明書きを見てみると、天然石と珊瑚で作られたものらしい。
「それ、買うの?」
いつのまにか隣に立っていた郁人に、そう尋ねられる。
「なんか、澪に似合いそうだなって思って」
手に取って細部までじっくりと見てみると、繊細で上品な造りがよく分かり、余計に購買欲が刺激される。
「ふふ、俺もさ、梓に何か買おうかなって思ってたんだ」
郁人は近くに陳列してあるキーホルダーを眺めながら、穏やかな顔で話す。
「……どこにいても、考えちゃうんだよな、好きな人のことって。あれ好きそう!とか、これ似合いそう!とか……」
「……考えてる、いつも」
どこで何をしていても、澪のことを考えている。
今も、このブレスレットをつけて、澪がふにゃりと笑っている姿を、想像している。
「郁人も……そうなの?」
もう棚に戻す気のないブレスレットを手に、郁人の方を見る。
郁人は、ひだまりのような優しい微笑みを浮かべ、先ほど眺めていたキーホルダーを手に取った。
「よし、買いに行こうぜ!」
「……うん」
郁人が梓を想うように、俺も澪を想っている。
俺は、澪に……恋をしているのだろうか。
会計を終え、向かいの店で雑貨を見ている澪の元へ向かうと、小さなシーサーのマグネットの前でしゃがんでいた。
「澪」と声をかけようとして、直前でやめた。
ニコニコしながら雑貨を選ぶ横顔を、もう少し眺めていたくなって。
「!真緒くん」
柔らかくタレた目がこちらに気づいたとき、パッと大きく見開かれて輝いた。
「何か欲しいものはあった?」
隣にしゃがんで顔を覗くと、澪はへにゃっと笑い、持っていたマグネットを見せてきた。
「これ、真緒くんとおそろいで買おうかなって」
「……!」
「あとね、この貝殻のフォトフレームも可愛くて。真緒くんと撮った写真、飾りたいなぁって……っ、真緒くん?」
澪の頬に手を伸ばしていた。
そっと触れて、さらりと髪を耳にかける。
澪の可愛い顔が、よく見えるように。
「買おう。澪の買いたいもの、全部」
「っ……」
かあっと赤くなる様子を見ていると、もっと触れたくなってしまう。
どこに触れたら、どんな触れ方で触れたら、もっと可愛い表情を見ることができるのか……そんなことを考えている自分がいた。
このときの俺は、忘れていた。
今夜、過去最大級に俺の理性を揺さぶる状況が待っていることを。
◇
◇
◇
「……ここか」
ガチャリと扉を開けると、ダブルベッドが……一つ。
当然だ。
今日泊まるホテルは、昨日と違って二人部屋なのだから。
「真緒くん、荷物ってここに置く?」
俺に続いて部屋に入ってきた澪が、重そうなキャリーケースを部屋の隅まで引いてくる。
「うん、澪が広いところ使っていいよ」
荷物を運び終え、ふぅ、と一息つくと、澪は早速ころんとベッドに横になった。
「真緒くん……」
澪はこちらへ手を伸ばし、隣に来て、という風に、いじらしく見つめてくる。
ベッドにそっと膝を乗せると、ギシ、と軋む音がする。
「……真緒くん……」
「……どうしたの」
隣で横になって、甘えたいという顔をする澪の頭をゆっくりと撫でる。
「ん……」
澪は俺の胸元を引っ張って、ちゅ、と口づけをしてくる。
澪が一度キスを始めたら、しばらくは終わらない。
「まおくん……」
口を開け、舌が触れると、澪の瞳がとろんとしてくる。
このとき、俺はいつも、澪の耳の後ろを撫でる。
そうすると、澪が気持ち良さそうにするから。
それにしても、今日はいつもより少し長い。
どれだけ長くてもいいけれど……甘えたい気持ちが溜まっていたのだろうか。
そう思ったとき、澪の脚が俺の脚と脚の間に入り込んでくる。
「っ、」
上からも下からも澪の体温に侵されていくようで、頭がうまく働かなくなってきた頃、
コンコン、
と扉を叩く音でハッとする。
「真緒〜澪〜夕飯行こうぜ」
扉の向こうで郁人が呼んでいる。
「すぐ行く。先に行ってていいよ」
郁人に返事をして、とろけた顔の澪の身体を起こす。
「澪、夕飯行くよ?」
「ん……」
澪は名残惜しそうに頷くから、頭を撫でて優しく抱きしめた。
「またあとでできるよ。ね?」
「……うん」
少し表情が明るくなった澪の手を引いて、部屋をあとにする。
やはり、四人と二人とじゃ全然違う。
二人きりになると、澪の甘え方にブレーキというものがなくなる。
そして、俺も……危なかった。
まだ澪の寂しい瞳の理由も知らないのに、欲をぶつけるようなことはしたくない。
◇
◇
◇
夕飯を終えて部屋に戻る頃には、熱に浮かされていた心身もいくらか落ち着きを取り戻した。
このまま何事もなければ、澪を傷つけることなく、この夜を越えられるだろう。
何事も、なければ―――。
「真緒くん、お風呂あがったよ」
「ん、じゃあ俺も入って……」
スマホから澪へと視線を移した俺は、言葉を失った。
「……真緒くん……」
濡れたままの髪と、のぼせたような顔。
そして、肩から羽織ったバスタオルの隙間から覗く澪の身体は―――
何も、身につけていなかった。
「み、お……」
「まおくん……」
ゆらゆらと近づいてくる澪の妖艶さに気圧されて、思わずベッドの上で後退りをした。
けれど、澪は止まることなく俺の膝の上に乗ってくる。
「まおくん、好きだよ」
「っ、みお、」
次の瞬間には唇が触れていた。
いつも通り甘えるような、でも、いつもよりずっと激しいキスが降ってくる。
息継ぎのたび、澪自身の香りとシャンプーの香りが混ざり合って、ぶわりと広がって、肺から全身を染めていく。
澪が羽織っていたバスタオルは徐々にずれてゆき、白くて華奢な身体がすっかり顕になる。
時々漏れる澪の声が、あまりに甘くて可愛くて、聴覚からも神経を狂わされるようだった。
「っ、まおくん……」
澪が、俺の名前を呼んだ。
そして、初めてキスをされたあの日のように、
首に腕を回されて、顔を埋められたとき、
俺の中で、抑えていたものが勢いよく弾けてしまった。
「っ、まおく、」
膝の上に乗っていた澪をそのままベッドに寝かせ、覆い被さるように身体を屈めた。
そして、艶やかに誘うような唇に自分の唇を重ねる。
すぐに舌を絡ませると、澪の熱い舌が一生懸命にそれに応えようとしてくるから、余計に歯止めが効かなくなる。
「っ!」
キスをしながら澪の脚に触れると、ぴくりと動く。
すべすべの肌の上で指を滑らせると、澪は快感を逃すように小さく声を出す。
ああ、可愛い。
甘く溶かして、気持ちよくしてあげたい。
辛いことを全て忘れるくらい、心の奥までいっぱい満たしてあげたい。
「まお、くん、」
澪が熱に塗れた表情で、苦しそうに脚をすり合わせるから、俺はとうとうそこに触れてしまった。
ただただ澪の反応が可愛くて、夢中になって刺激し続けた。
澪が嬌声と共に果て、自身の右手にとろりとした感触を感じたとき、一瞬にして自分のしたことを冷静に理解した。
心臓が氷に触れたようにヒヤリとする。
……俺は、何を……
「まおくん……」
「っ!」
乱れた呼吸のまま、ベッドの上でくたりとしている澪を、咄嗟に抱きしめた。
「っ、ごめん、澪、ごめん……」
「へ……」
「ごめんね……」
謝罪などという後からいくらでもできることに、果たして意味があるのか分からないけれど、今はそれしかできなくて。
「……真緒くん、僕、嬉しかったよ」
「え……」
澪が耳元でぽつりと呟いた言葉が、じんわりと胸に染み込んでくる。
「初めて、真緒くんからキスしてくれたもん……それに、真緒くん、すごく優しく触ってくれて、気持ちよくて……今とっても幸せな気分……」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う澪が、同情で嘘をついているわけではないことはよく分かった。
澪は、心の底から、本当の気持ちを言ってくれたのだと、分かるよ。
「……うん、ありがとう」
それでも、罪悪感が完全に消えることはない。
せめてもの誠意じゃないけれど、バスタオルで澪の身体を丁寧に拭いて、下着と部屋着も綺麗に着せた。
澪はずっと柔らかい表情をしていて、途中からはこっくりこっくりまどろんで、着せ終える頃にはほとんど夢の中にいるようだった。
そっと布団をかけ、落ち着いた寝息が聞こえるのを確認したら、急いでシャワーを浴びつつ溜まったものを吐き出した。
澪のものを触った手で、だ。
澪から出るものは何だって綺麗だと感じるけれど、自分のそれはひどく醜く汚く見えてしまった。




