【第四話】トモダチ
修学旅行、一日目。
俺たちは、目的地であった沖縄に無事到着した。
初日は出席番号順に作られたグループでの平和学習だったから、澪と過ごせる時間は少なかった。
学校では常に一緒にいるからか、たった数時間離れていただけなのに、すごく変な感じがした。
「澪」
だから、夕食までの休憩時間にやっと澪を見つけたとき、思わず駆け足でそばに行った。
「真緒くん」
ぱあっと顔を輝かせる澪の頭を撫でたのは、もはや反射的な行動だ。
やっぱり、澪が隣にいるとしっくりくる感覚がある。
「部屋、行こうか」
「郁人くんと梓くんは?」
「すぐに来るって。まだ課題の感想シート集めてた」
「そっかぁ」
今日のホテルの部屋割りは、明日の自由時間のグループで一部屋、ということに決まっている。
つまり、俺と澪と、郁人と梓。四人部屋だ。
郁人も梓も穏やかな人だから、居心地は悪くなさそうで安心している。
「わぁ、綺麗なお部屋だね」
鍵を開けて中に入ると、一番に目に飛び込んできたのは、沖縄の青い海……ではなく、二台のシンプルなダブルベッドだった。
今夜、澪と同じベッドで寝るのかと思うと、なぜか呼吸が少し苦しくなる。
一週間前、一緒にゴムを見かけるようなことがなければ、邪な想像なんてしなかっただろうに。
「真緒くん、ふかふかだよ」
澪はベッドにうつ伏せになって、立ち尽くす俺を誘うような視線を向けてくる。
胸に渦巻く何かを息と共に吐き出し、ベッドに腰かける。
澪の髪をさらりと指で梳かすと、制服の袖をくい、と引かれた。
「ん?」
甘えたそうな顔をする澪に、首を傾げて問いかける。
すると、澪は上体を起こし、俺の腕をぎゅっと掴みながら唇を重ねてくる。
「……澪、」
一瞬離れて、また触れて。
澪は数回口づけをしてきた。
回数を重ねるごとに、自分の内側で熟された色欲が焦ったく刺激される。
「真緒くん……ぎゅってして」
「ん……」
ねだられるままに、澪のことをぎゅうっと抱きしめた。
やっぱり、澪からはいい香りがする。
理由もなく胸がいっぱいになるような、甘くて切ない香りだ。
澪がもう一度キスをしようとしてきたとき、コンコン、と扉を叩く音がして、俺は急いで澪から離れた。
扉の向こうからは、郁人と梓の声がする。
ガチャリと扉を開けると、仲良く話している二人が立っていて、その光景に、途端に意識が現実の方へと引き戻される。
いや、澪とのキスだって、全て現実なのだけれど。
「あ、真緒くん、お疲れ様」
「梓、郁人、お疲れ様。夕飯までもう少しあるから、ゆっくりしよう」
俺が二人と話している間に、澪もちょこちょこと部屋の奥からやって来て、ピトッと俺の背中にくっつく。
「わぁ、ダブルベッドって意外と狭いね」
「そうか?こんなもんだろ」
梓がベッドに仰向けになって寝転がると、郁人も続いて横になって、寝返りを打ってみたり、手足を伸ばしてみたりする。
俺と澪は、その様子をもう一つのベッドに腰かけて眺めていた。
ふと、俺たちの視線に気づいた郁人が、少しだけ焦った様子で体を起こした。
「ごめん、びっくりしたよね」
「ん?何が?」
突然謝られたけれど、別に俺は驚いてないし、本当に何を言っているのか分からなかった。
澪も……驚いてはないけど、また、どこか寂しそうな目をしている。
どうして頻繁にそんな瞳になるの。
「真緒、澪、実はさ……」
いつのまにか梓も起き上がって、二人は改まって俺たちに向き合った。
「俺たち、付き合ってるんだよね」
「……!」
「急にこんなこと言って、ごめんね。距離感とかも、驚かせたかなって……」
今度は確かに驚いた……ような気がする。
でも、俺にとっては、郁人は郁人だし、梓は梓だし、特別何かが変わるというわけでもない。
距離感に関しては、俺たちも同じようなものだし……。
「嬉しい、話してくれて」
先に口を開いたのは澪だった。
澪は言葉の通り、本当に嬉しそうな顔をしている。
でも、やっぱり、奥の方にある寂しげな色はいつまでも消えない。
「良かった……でも、前から梓と話してたんだ。なんとなくだけど、真緒と澪には、安心して話せるかもって」
「え、そうなの?」
修学旅行の話し合いがあるまで、ろくに会話したことなかったのに。
むしろ俺なんて、パッと見では警戒されるような顔してるんじゃないのかな。
「真緒くんと澪くん、いつも優しい空気に包まれてるからさぁ……友達になれたらいいなって、密かに思ってたよ」
「え……」
梓の言葉は、間違いなく衝撃的だった。
客観的に見た俺たちには、優しい空気というものがあるのか。
……優しいって……なんだろう。
「へへ、嬉しいねぇ、真緒くん」
澪はこてんと頭を寄せてきて、赤らめた顔で笑う。
梓が言う「優しい」の意味を、俺はまだ理解しきれていないけれど……澪が笑っているから、俺も嬉しい。
「うん……嬉しい」
郁人も梓も、ホッとしたような表情で微笑んでいた。
俺にこんな笑顔を見せてくれる人が、澪の他にも現れるなんて……人生、何が起きるか分からない。
「ねぇ、ご飯とお風呂終わったら、トランプしようよ」
梓がニコニコしながらリュックからトランプを出すと、澪の瞳がきらりんと輝く。
トランプとかカードゲーム、結構好きなのかな。
「こいつ、ババ抜きめちゃくちゃ弱いよ」
郁人がそう言うと、梓はジトっとした目で不服そうに郁人を睨んだ。
澪は俺の体に寄りかかって、リラックスした雰囲気でくすっと笑っていた。
「てか、そろそろ夕飯行かなきゃな」
郁人がスマホの時刻を見せてくる。
確かに、あと五分で集合時刻だ。
「お腹空いた〜。ね、澪くん」
「うんっ」
梓と楽しそうに話す澪を後ろから見守りながら、郁人と並んで歩く。
郁人は俺より背が十センチくらい高いし、体格もいいから、こうして横にいるとかなり存在感がある。
「あ、真緒」
「ん?」
郁人は大きな体を少し屈めて、なぜか小声で声をかけてきた。
「風呂、どうする?」
「風呂?」
「大浴場か部屋のシャワーか選べるだろ。俺たちは部屋にするけど、二人も部屋だよな?」
「えっと……」
「……大浴場、結構人いると思うけど……澪のこと、いいの?」
「っ……!」
頭をガツンと殴られたような感覚だった。
目眩がするほど強烈に思ってしまった。
〝澪の裸を誰にも見せたくない〟と。
「ま、俺たちはどっちでもいいから、ゆっくり決めて」
「……うん……」
俺だって、澪の裸なんて見たことないのに。
内臓を鈍く叩くような独占欲が、身体の中で暴れていた。
◇
◇
◇
「澪、あのさ」
夕飯を終え、部屋へ戻る途中、少し眠そうな澪の肩を引き寄せた。
「……お風呂、部屋でいいよね?」
「?うん……あれ?大浴場も使っていいんだっけ?」
澪は、そもそも部屋以外の選択肢があることを忘れていたようだった。
そうと知っていれば、わざわざ話題に出さなかったのに。
「っ、真緒くん」
「何、どうしたの、泣かないで」
澪は突然俺の腕をぎゅっと掴んで、今にも泣きそうな顔になってしまったから、頭をゆっくりゆっくり撫でて、次の言葉を待つ。
「……真緒くん、行かないで。お部屋にいて」
「……!行かないよ、最初から部屋のつもり」
「……良かった……」
ポロリと涙を流した澪を、少しでも安心させたくて、ぎゅっと抱きしめる。
澪には、泣いてほしくない。ずっと笑っていてほしい。
「……俺も、澪に、行ってほしくなくて。だから、部屋でいいかって聞いたんだよ」
「っ……!」
きゅるりと光る瞳の周りについた水滴を、指先で拭った。
涙の粒一つまで独り占めしたいなんて、きっと常軌を逸している。
だけど、気持ちというのは、機械のように制御できるものではない。
思ってしまったものは、もう仕方がない。
「……部屋、早く戻ろう」
澪の手を引いて、郁人と梓の待つ部屋へ早足で向かった。
心臓が熱くザワザワとしていて、まだ知らない自分が殻を破って出てきそうで、少し怖かったから。
◇
◇
◇
四人全員が風呂を終えるのに、そこまで時間はかからなかった。
風呂上がりの澪は、いつもより幼く見えた。
同時に、とても艶っぽかった。
俺と一緒に買いに行った化粧水と乳液をつけて、腕や脚にも一生懸命ボディクリームを塗っていた。
その姿を、郁人にさえなるべく見せたくなくて、俺は澪を隠すようにベッドに座っていた。
澪は、髪を乾かすのは苦手なようだった。
俺が風呂から上がったとき、ちょうどドライヤーの電源をオフにしてころんと寝転がったから、何気なくその髪に触れてみたら、まだまだ湿っていて驚いた。
「おいで」と言ってドライヤーを持つと、素直にちょこんと俺の前に座ったから、時間をかけてしっかりと乾かしてやった。
澪は心地良さそうにまどろんでいたけれど、トランプの前に寝てしまうのはかわいそうだし、定期的に声をかけて起こすようにした。
「また負けたー!」
「やっぱり弱いな」
ババ抜きは三回戦やって、三回とも梓が負けた。
たった三回対戦しただけでも分かってしまった。
梓は負けるべくして負けている……。
「ふふ、梓くん、ババ持ってるといつも、」
「あー!澪!ストップ!俺は小学生の頃から気づいてたけど、この歳になるまで言わないでおいたんだ」
「は⁉︎何⁉︎教えてよー澪くん」
「えへ……」
澪が言おうとしていたこと、俺にも分かる。
梓は、ババを持っているといつも、梓から見て右から三番目に置くんだ。
あと、逆に自分が引くときは、相手から見て右端を引きやすい。
「もうババ抜き終わり!大富豪しよ」
拗ねた梓の提案で、そのあとはいくつか違うゲームを楽しんだ。
澪もたくさん笑っていて何よりだった。
そろそろ寝ようかというときには、梓がトランプを片付けながらこんな言葉をこぼしていた。
「ふふ、やっぱり友達とトランプ最高だな〜」
普通の人からしたら、取り留めのない言葉なのだろう。
けれど、俺はそれを聞いて、自分は二人の「友達」になれたのだと、初めて心の底から思えた。
そうか、これが、「友達」なのか、と。
「おやすみ〜」
郁人が電気を消してくれて、一瞬で部屋が真っ暗になる。
もう眠気が限界に達した澪と、一つの布団で温まる。
「ん……」
澪はもぞもぞと俺の胸に顔を埋めて、まもなく小さな寝息を立て始めた。
身体に伝わる澪の体温が、胸をひどく締めつける。
心の一番柔らかい部分に、澪の色が染み込んで、もう二度と消えないんだ。
無限に湧き出してきそうな何かを鎮めるように、澪の頭を撫で続けた。
この儚く脆い温度を、守りたい。離したくない。




