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【第二話】セイテンノヘキレキ

澪に「友達になってくれ」と言われたあの日から、時は刻々と過ぎてゆき、気づけば夏も越えて、秋がやって来た。

この数ヶ月を経て、俺と澪はいわゆる〝普通の友達〟というやつになれたのだと思う。


昼休みに一緒に弁当を食べたり、教室移動を一緒にしたり。

体育でペアを作るときに迷わず互いを選んだり、放課後にコンビニに寄り道したり。

夏休みにも、たまに会って図書館で勉強してた。

こんな感じで、今ではすっかり、俺と澪は二人でいるのが当たり前になっている。


正直、この状況には、自分でもものすごく驚いている。

今年の春まで、一人でいるのが日常で、気楽で、普通の高校生っぽい交友関係とは縁がなかった俺が、赤の他人とこんな風に過ごすようになるなんて。

本当に、人生ってのは不思議なものだとしみじみ思う。


まあ、ここまで上手くやれているのには、それなりの理由があるとは考えている。


まず、俺も澪も口数は少なめだということ。

お互いにテンションの起伏が小さく、基本的に静かな人間なのだ。

無言の時間が続いても別に気まずくないし、急にぽつりと喋ったっていい。

これは、次第にそういう雰囲気になったというわけではなく、割と最初から澪には気を遣わなかった。


もちろん、初めて話しかけられたあの日はビビったし、急に距離を詰めてくるなんておかしいやつだと思ったが、いざ二人で過ごしてみると適度な距離感で、居心地良くて。

無理に愛想を良くしたり、明るく話そうとしたりしなくても大丈夫だ、という謎の安心感があった。


あと、俺も澪もインドアだというのも、かなり重要なポイントな気がする。

昼休みは澪が俺の席まで来て、互いに本を読んだり絵を描いたり、好きなことをしている。

グラウンドに行ってサッカーをしよう、なんて誘われることは決してない。



今日の昼休みも例外ではなく、俺は先週末に買った小説を読み、その向かい側に椅子を持って来て座る澪は、ノートに絵を描いている。

ねこ、いぬ、うさぎ、くま、ひつじ……今日は動物を描く日らしい。


「?」


「っ……」


ノートに増えていくゆるいタッチの動物たちを眺めていたら、急に澪が顔を上げた。

澪と目が合うのには、いまだに慣れない。

それが不意打ちなら尚更だ。

色素の薄い瞳が、カーテンの隙間から入る太陽光を反射して、さらにその透明感を増す。


「真緒くん、この中に好きな動物あった?」


「……猫かな」


「ふふ、猫かぁ」


澪は機嫌良さそうに笑って、再びノートに視線を戻し、手を動かし始める。


『しろねこ』

『くろねこ』

『みけねこ』

『さばねこ』

『とらねこ』


俺の発言の後、澪は猫しか描かなくなってしまった。

シャーペンだから一色しかないし、何種類も描き分けるのは難しいと思うのだけれど、澪は楽しそうに猫を描き続けていた。



「澪、帰る?」


「うん」


帰りのホームルームを終え、いつも通り荷物をまとめて、澪に声をかける。

澪がリュックを背負うと、サイドにつけられたギターとピックのキーホルダーがカランと揺れる。


あのキーホルダーは、俺が好きなバンドのライブに澪と行ったとき、一緒に買ったもので、実は俺のリュックにも同じものがついている。

元々は弟と行く予定だったのだけれど、前日に弟が熱を出してしまったためダメ元で澪を誘ったら、あっさりオッケーしてくれた。

きっと知らない曲ばかりだっただろうに、澪は終始ニコニコしていたし、俺がグッズを買うと言ったら、自分も欲しいと言ってレジに並んでいた。


ライブの日のことをぼんやり思い出していたら、一歩先を歩いていた澪がくるりと振り向く。


「真緒くん、明日クラスマッチだね」


「だな。早めに休憩したいなー」


「ふふ、僕も」


「まあ卓球だからまだマシか。五月のバレーはマジで嫌だった」


「でも、真緒くんは別に運動が苦手なわけじゃないでしょ。ダブルスのペア、ほんとに僕で良かったの?」


「澪しかいないだろ。てか、澪だって下手じゃないよ」


「……そっか」


「ん」


クラスマッチといえば、俺たちが初めて話したのもクラスマッチの日だったな。

春の陽気が張り切りすぎて、夏に足を踏み入れかけたような暖かい日だった。

突然気温が下がって半袖だと頼りなくなった今日の気候とは対照的だ。


「……空、綺麗」


澪が呟いたことを、俺も思っていた。

少し肌寒くなったけれど、あの日も今日も夕焼けが綺麗だというところは同じだ。


赤から紫への繊細なグラデーションが、ヴェールのような薄い雲を纏っている。

その美しさに見惚れていると、まるでどこか違う世界へ来てしまったのではないかという感覚になる。

この感覚を、俺は案外気に入っている。


「……こういう神秘的な景色を見てると、何か始まりそうな感じがするよな」


運命的な出会いとか、超常現象とか、ドラマや小説にしかないような、あっと驚く何かが。


「まあ、実際は何も起きないけど」


俺がこんなことを考えているなんて、中学の奴らに言ったらそれこそ驚かれるだろうな……。


「じゃあ、何か始めてみる?」


「え?」


澪の方に顔を向けた瞬間から、

ほんのわずかな間だけ、

俺の目に映る世界は、

スローモーションになったようだった。


澪が何をしようとしているのか、

それを理解できないまま立ち尽くした俺に、

一体何が起こったのか。


頬を包まれる感覚と、

唇に柔らかいものが触れる感覚。


感覚だけ、事実だけが伝わってきて、

思考は停止したままだった。


その再生ボタンを押したのは、口を離した澪が発した声だった。


「真緒くん」


「……澪……今、の……っ」


じわじわと頭に血が巡り、次第に自分がされた行為について理解する。

理解しても訳が分からなくて、脳内がめちゃくちゃになる。


澪は、静かに動揺する俺の首に腕を回して、潤んだ瞳で見つめてくる。

その瞳は、堪らなく熱っぽくて、俺の知らない色で切なく輝いていた。


なんだよ、この視線。

身体が……熱い。


「真緒くん……僕のこと、好きになって」


「……は……?」


「ちょっとずつでもいいから、僕のこと好きになって。僕をもっと知って」


「っ……」


澪は、鼻の先が触れ合うくらい近い距離で、必死で懇願するような甘酸っぱい声で畳みかけてくる。


「真緒くん……」


ちゅ、と再び重ねられた。

避けたいとは思わなかった。

なぜかは分からない、けれど、俺の身体は反射的に澪を受け入れたんだ。


「お願い……」


「っ……!」


きゅう、と首に抱きつかれて、顔を埋められた。

澪の吐息と、匂いと、体の感触が、全部全部甘くて、身体も心も何かがおかしくなりそうだった。

いや、もう、このときにはおかしくなっていた。


「……いいよ」


「……へ……」


「澪のこと、もっと知りたいよ」


「……!」


さら、と澪の後頭部を撫でたのは、本能的な行動だった。

もっと知りたいというのも、確かに俺の本音だった。


「真緒くん……ありがとう」


「……泣くなよ」


澪の瞳の端で光る涙を拭う。

そして俺たちはまた歩き出す。

この一歩の前と後、何も変わっていないようで、何もかもが変わっていた。


勝手にキスして、勝手に泣いて、本当にどうかしてる。

どうかしてるのに、湧いてくるのは、拒絶とは対極にあるような感情だった。

澪をそんな風にさせたのは何なのか知りたいと思った。

だから、もっと澪に触れてみたい。

もっと―――。



「……」


眠れない。

普段の寝つきはいい方なのに。


『真緒くん……僕のこと、好きになって』


目を閉じたら、帰り道の澪が脳裏に浮かぶから。


「っ……」


好きってなんだ。


友達にはなれた。

キスもできてしまった。


けど、好きって何。


俺は……澪のことを、好きなのかな。


モヤモヤするのが、心だけだったらまだ良かった。

なんで、身体までモヤモヤするんだよ。

どうして……下半身に熱が溜まるんだよ。


「……っ、はぁ……」


夕方の澪の表情は、声は、俺に縋るような触れ方は、苦しそうに艶いていた。

心臓をさらさらと撫でてくるような儚さと、お腹の奥からふつふつと情欲を掻き立ててくるような色気が混ざり合っていた。


『真緒くん……』


『お願い……』


思い出しただけで、酷くクラクラする。

とりあえず、早く、この熱をどうにかしたい……。


「っ……!」


吐き出されたものは、すぐにゴミ箱に捨てて見ないようにした。


「……何やってんだ俺……」


澪で〝する〟日が来るなんて、微塵も考えたことがなかった。

でも、どうしたらいい?

今までの半義務的な行為では感じたことのなかった、内側から甘く湧き出すような気持ち良さを知ってしまったなら。

さらにはその事実と、根源となる欲に、素直になることを求められる立場に最初から立っていたなら。



「澪、おはよ」


「!真緒くん、おはよう」


「着替え行こ」


「……!うん!」


やはり、昨日のことを気にしていたのだろうか。

俺がいつも通り話しかけると、澪は分かりやすく安心したように微笑んで、ちょこっと横にくっついてついてきた。


「俺たち、第一試合だっけ」


「そうだよ、相手は隣のクラスだったかなぁ」


何もなかったみたいに話しているが、俺だって昨日のことは気にしている。

結局、寝不足だし。


「あ、日焼け止め塗るの忘れちゃった」


「卓球だから塗らなくてもいいだろ」


ガチャリと更衣室の扉を開けると、まだ少し早い時間帯だからか、ちょうど他に誰も人はいなかった。

騒がしい中に入っていくのは苦手だからラッキーだ。


「あ」


荷物を棚に置いて、体操服を出そうと袋を開けたら、この間入れておいた日焼け止めがあったことに気づく。

やっぱり塗りたいかなと思って、何も考えず澪の方を見てしまった。


「っ……」


すらりとした指が、ボタンを一つ、また一つ、ゆっくりと外していく。

ゆるりとシャツが落ちて顕になる肩、鎖骨、細い腕。

天使の羽のような白い肌の面積が増えて、ぞくぞくとした感覚がつま先から駆け上る。

澪はふわりと体操着を身につけたあと、今度はベルトに手をかけて、それで―――。


「み、っ、」


「?」


「澪……日焼け止め、あるよ」


澪の着替えを一時停止するかのように声を発してしまった。

コトリ、と日焼け止めのボトルを置いてみると、澪は目をまあるくしてこちらを見る。


「……真緒くん……」


次の瞬間、その瞳がじゅわりと色を変えながら、とろんと溶けた。


「やっぱり、塗った方がいいかな……?」


澪はするりとズボンを脱いだあと、ゆらゆらと近づいてくる。

ごくりと唾を飲み込んでも、与えられた刺激は到底処理しきれない。


「っ、澪、ちょっと……」


制止しようとしても……というのはポーズだけで、この身体も心も、詰まるところは、澪のことを止めたいなんて思ってないんだ。


「真緒くん……」


「ん、っ……」


十数時間前にされたことを、再びされている。

澪にされるがまま、口づけを受け入れている。

しかも、今の澪は、無防備に綺麗な脚を晒している。


「……真緒くん、僕でドキドキするんだね、嬉しい……」


俺だって、誰かに本気で興奮するなんて、ましてやその相手が澪だなんて、現実味がなくて、起きていながら夢を見ているようなふわふわした感覚だ。


「澪……」


そのとき、廊下からこちらへガヤガヤと集団が向かってくる音が聞こえる。

慌てて澪を引き剥がして、体操ズボンを押しつけた。


「……早くズボン穿いて」


「真緒く、」


「早く」


「っ、うん……」


男子更衣室で男子がズボンを脱いでいたって、何も問題などないはずなのに。

このときの俺は、澪の脚を他の男に見られるかもしれないという状況に、なぜか焦っていた。


本当は、脚どころか、今の澪をほんの少しだって見られたくなかった。

自分がやましいことをしていたという自覚からなのか、それとも俺の中には既に、澪に対する凄まじい独占欲があるからなのか。


そんなことすらまだ分からない俺が、澪のことを好きだと純粋な音で言える日が来るのだろうか。

来るとしたら、そのとき澪の目に浮かぶのは、寂しそうな涙ではなく、幸せそうな涙になるだろうか。

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