【第一話】ハジマリ
二年一組、園田真緒。
同じく二年一組、永瀬澪。
俺たちは別に幼馴染ではないし、席が近いわけでもない。
部活で切磋琢磨するチームメイトでもないし、何かの発表で同じグループになったわけでもない。
きっと、本来なら交わることのなかったそいつと俺に、
その日だけ、明確な共通点があった。
その共通点は―――。
「園田くん、応援行かないの?」
「……行かないけど」
「そっか……僕も行かないよ」
〝クラスマッチで教室に残ったやつ〟ということだ。
◇
◇
◇
中学二年の頃、生まれつきの鋭い瞳のせいで、当時クラスで幅を利かせていた男子に「園田に睨まれた」と言いがかりをつけられたのが、俺の中学校生活の運の尽きだ。
元々大人しく、人と積極的に絡む性格ではなかったことも相まって、それ以降、女子にまで似たようなことを言われるようになるし、俺は徐々に避けられるようになった。
一方的に睨まれただの何だの言われたのはいい気分ではなかったが、一人でいること自体はそんなに悪いものではなかった。
自分のペースで過ごすのは楽で快適だ。
相手の顔色を窺って言動を決定しなくても良いし、無愛想で怖いと言われるこの顔を、無理やりニコリとさせなくても良い。
話す人がいなくたって給食は美味しかったし、昼休みは読書で充実していた。
雰囲気が合わなかった吹奏楽部を途中で辞めたって、一人でパソコンをいじって曲を作ることはできた。
その曲がネットで少し数字を伸ばせば、達成感だって感じることができた。
そんなこんなで俺は一匹狼のまま中学を卒業し、合わない人間たちとは違う高校へ入学した。
高校に入ってみれば、中学の頃のように言いがかりをつけてくるやつはいなかったし、用事があればみんな愛想良く話してくれるし……人間関係の風通しはとても良い環境だと思う。
しかし、だ。
この高校で二度目の春を迎えても、俺はいまだに一匹狼を継続している。
なぜか。その答えは割と単純だ。
中学時代、二年弱という短くはない期間、〝普通〟の生徒たちが〝当たり前〟にする取り留めのないコミュニケーションを、俺は全くしてこなかったのだ。
その影響は、想像以上に大きい。
誰かに話しかけようにも、第一声から何を発せばいいのか分からないし、そもそも、そんなに頑張ってまで友達が欲しいかと言われると唸ってしまう。
親友と呼べるくらい気が合うやつが見つかるならともかく、上辺だけの付き合いを苦労して維持するくらいなら、一人で気楽に好きなことをしていた方が有意義だ。
……という感じで、省エネライフスタイルに甘んじた結果、今日も俺は一人で昼休みを過ごしている。
「バレーしに行こうぜ!」
「明日の予行練習なー」
いつも通り読書をしていたら、前の席の男子たちがわいわい楽しそうにそんな会話をして、まもなく教室を出て行った。
彼らが言っていた「明日の予行練習」とは、クラスマッチの予行練習のことである。
うちの学校のクラスマッチは、毎年五月と十月に行われる。
今年の五月、つまり明日のクラスマッチでは、全校生徒がバレーボールかドッヂボールを選択し、男女別クラス対抗で試合をする予定だ。
まあ、お察しの通り、俺はこういった行事があまり得意ではないから……早めに負けて、応援などの盛り上げは陽キャの方々に任せて、ゆっくり教室で休憩したい。
我ながら、やる気がなさすぎると思う。
しかし、ないものはないから仕方がないんだ。
◇
◇
◇
翌日。
とても幸運なことに、クラスマッチは俺の理想的なプランで進んでいた。
俺の所属するバレーボールBチームは、一回戦で二年三組Aチームとあたり、見事に敗北。
その後、敗者復活戦に参加し、一回戦は勝ったものの、二回戦目であっけなく敗退。
昼休みまであと一時間を残して、出番は終了した。
のんびり読書をしていたら、あっという間にその一時間も経過して、試合を終えたクラスメイトたちが次々と教室に帰ってくる。
「うお!バレーAチームも準決勝じゃん!」
「マジで!?激アツ!」
ドッヂボールのチームの人たちが、午前中の試合結果が載った貼り紙を見て、歓喜の声をあげている。
Bチームとは対照的に、Aチームはなんと、準決勝まで勝ち上がっているからだ。
「ドッヂは?」
「え!ドッヂもAチーム準決勝じゃね?すご!」
「Bも惜しかったな」
どうやらドッヂボールの方も、似たような感じみたいだ。
……まあ、バレーのBは惜しくはなかったけど。
それにしても、みんな、いつも以上にテンションが高い。
一人静かにおにぎりを食ってる俺と、同じ人間とは思えないな。
学校でこんなにはしゃいで、家に帰ったら何もできなくなるんじゃないのか?
『まもなく、午後の試合が始まります』
校内放送が流れる頃には、教室に人はほとんど残っていなかった。
準決勝となると、やはりみんな応援に行きたいらしい。
ちなみに、女子の方は全チーム準決勝まではいけなかったみたいだから、もう誰も試合に出ることはないはずだが……教室にいるのは、男子が数名のみ。
つまり、女子は一人残らず男子の応援に行ったのだ。
まあ、普通の高校生にとって、クラスマッチというのは十分大きな恋愛イベントなのだろう。
好きな人の試合観戦とか、いかにも少女漫画っぽいもんな。
俺は恋愛どころか、人間として最低限の関係構築がギリギリできるくらいだし……あとは多分、根本的に他人への興味が薄いから、全く縁のない話だけど。
何はともあれ、人が少なくなって落ち着くし、あと二時間くらいは自習という名のフリータイムを満喫できる。
思う存分好きな本を読んで、好きな曲を聴こうと思う。
その前にトイレでも行っとこ。
俺は一旦教室を出て、男子トイレで用を済ませ、洗面所で手を洗う。
鏡に映る自分をぼーっと見ていたら、中学の頃に言われてきたことが頭をよぎる。
「……そんなに怖くないだろ……」
俺の目はつり目気味だし、一応二重だけどシュッとした形だから、どちらかと言うと鋭い目つきだとは思うが……俺だって好きでこの顔で生まれてきたわけじゃない。
せめて表情が豊かだったら、いくらか悪口も少なかったんだろうな。
でも、今はもうこの顔にケチをつけてくる奴もいないし、過ぎたことはどうでもいい。
手についた水を軽く振り落とした後、ハンカチで拭きながら、ダラダラと歩いて教室に戻る。
ガラッ
扉を開ける。
「……」
ぽつん。
一人だけ、座ってる。
トイレに行く前は、さすがにもう少し人がいたのに、結局こいつ以外はみんな応援に行ったのだろうか。
今、教室に残っているのは、確かに俺とこいつだけだ。
「……!」
「っ……」
ぱちっと視線が交わって、気まずくて咄嗟に目を逸らした。
そいつを見ないようにしながら、すぐに席に着く。
別に、関係ない。
こんなにクラスマッチが盛り上がっているというのに、教室に残るような人だ。
俺と同じで、マイペースに好きなことをして過ごしたいはずだ。
二人きりだからって、何の生産性もない世間話をするつもりは、お互いないだろ。
そいつの席は、一番窓側の列の一番後ろ。
俺の席は、その隣の隣の隣だ。
いつもは間に二人もいるから、あんまり気にしたことなかったけど……。
艶のある黒い髪。
長いまつ毛と、少し眠そうなタレ目。
高い鼻と、ぷるんとした桜色の唇。
まるで女子のような、可愛らしい顔立ち。
確か、名前は……そうだ、永瀬、
「?」
「っ!」
なんとなく観察していたら、また目が合ってしまった。
なぜか、今度はすぐには逸らせなかった。
そのおっとりした視線の余韻が、身体に巻きついているみたいで。
「……」
「……」
二度も目が合ったとて、向こうも特に話す気はなさそうだから、気を取り直して読みかけの本を開く。
「園田くん、応援行かないの?」
おい、読み始めたそばから話しかけてくるのかよ。
俺は本から目を離さずに答えた。
「……行かないけど」
「そっか……僕も行かないよ」
それだけ話して、再び沈黙が訪れる。
静かになっても、こいつの柔らかい声が耳に残って、本の内容が全然頭に入ってこない。
そうだ。
本を読むのは諦めて、音楽を聴くことにしよう。
ヘッドホンをすれば、自分だけの世界にどっぷり浸れるはずだ。
「園田くん」
「っ!び、びっくりした……」
ヘッドホンを取り出そうとリュックを漁っていたら、いつの間にか俺の席まで来ているから、本気で心臓が止まるかと思った。
「な、何?」
「何の本読んでたの?」
「え?」
突然の質問に戸惑う俺のことなど気にせず、そいつはしゃがんで上目遣いでこちらを見てくる。
「何の曲聴こうとしてたの?」
「は……なんで」
「……園田くんのこと、知りたいんだ」
「っ……!?」
きゅ、と手を握られたかと思えば、ぐい、と顔を近づけられる。
近い、とにかく近い。
誰かにこんなに接近されたり、触れられたりするのは、いつぶりだろうか。
「園田くん……僕と、友達になってよ」
「ぇ……」
「……だめ?」
「っ……」
さらに顔を近づけてきたそいつの、甘くてクラっとするような香りが、多分、判断能力を鈍らせた。
「……別にいいけど……」
勢いに圧倒された俺は、そう答えていたんだ。
「……!やったぁ、ありがとう、真緒くん」
「っ!」
俺を下の名前で呼んでくるのなんて、家族だけだったのに。
「僕の名前はね、永瀬、」
「澪」
「!」
「澪……だよな?」
俺が下の名前で呼ぶのも、弟だけだったのに。
「ふふ、そうだよ。澪、だよ」
「……澪……」
「なぁに、真緒くん」
「っ、いや、何もない……」
顔に熱が集まる感覚なんて、とうの昔にどこかへ置いてきたものだと思っていた。
俺が忘れていた感情や感覚を全て、この永瀬澪という人間に引っ張り出されるような予感がして、心臓が変な音を立てた。
「真緒くん、これからよろしくね!」
「あ、ああ、よろしく……澪」
そんなわけで、ずっと一匹狼だった俺に、突然、永瀬澪という友達ができてしまった。
全てはこの日から始まったんだ。
このときの俺は、まだ知らない。
未来に訪れる、静かで甘美な白昼夢のような日々が、俺を加速度的に狂わせていくことを―――。




