epsode5~会いたくない人、会わせたくない人~
ある日、滅多に顔を見せることのない門前に立っている騎士が執務室へと顔を出した。
こういうときは決まって良くないことを報告される。
天気はあいにくの雨で出掛けるには不都合な気候だ。
「失礼します、伯爵閣下、前伯爵閣下がお見えになっております。『早く通せ』との言伝を賜っておりますが、どういたしましょう…」
「………はぁ、分かった。通してくれ」
「それと、閣下と、閣下の奥様と3人でお話がしたいそうです」
「なんだと?」
気に入らないことがあればすぐに家にやってくる父にはうんざりしていた。それでも門前払いをしないのは、多少の家族愛がまだ残っているからなのだろう。
アポ無しの訪問など本来ならあってはならないことを、家族だからと甘く見られることに腹が立つ。
彼女の予定だってあるのにそれを変えてしまうことに申し訳なさを感じる。
彼女にもそれくらいの情が湧いてしまった。
今はどこにいるのだろうかと思考を巡らせるも、いつも来てくれるのは彼女の方からだったため、彼女がどこにいるのか全く分からなかった。
仕方なくメイドに客間に連れて来るよう頼み、お茶は側近の執事に出させることにした。
彼女よりも早く父が客間に着いてしまい、2人きりの空間になる。父が侍従は皆席を外せと言ったのだ。
俺に言うことはないのか、2人での空間は終始無言だった。そんな空気も鬱陶しくなってきた時、扉のノックが鳴った。
「失礼致します。閣下、奥様をお連れいたしました」
「ご苦労だった。通してくれ」
「失礼致します。お待たせして申し訳ありません。旦那様、お義父様」
彼女はまた、男女関係なく誰もが認めるような丁寧な所作でカーテシーをした。あの夜会のことを思い出すような仕草だ。
そこには貼り付けた優しい笑みしかなく、2人の時の少女のような微笑みは影すら映らない。
「問題ない。むしろ急に呼び出してすまない。こっちに座ってくれ」
「かしこまりました」
__そういえば、いつもは向かい合って座っているから、隣で座るのは殆ど初めてだな…
彼女は適度な距離で俺の隣に座った。
横目で見れば、整った端正な顔を持つ女性の横顔が見える。瞳は真っ直ぐ父の方を見据えて逸らさない。
その顔はどこか優しく、まるで父の何かを知っているような気がした。
俺の感はよく当たるが、父との交流の機会など彼女には顔合わせの時くらいしかなかったので、そんなはずはない。と、気を取り直して、俺は父にさっさと聞く。
「それで、父上、今日は何用で来たのです?あなたの気に入らないことはしていないはずですが」
「まだ子供を授かったという報告を受けていない。もう籍を入れてどれくらい経ったと思っている?」
あまりにデリカシーのない発言に、ただでさえ苛立っていた感情は頂点に達そうとしていた。
「子供は授かり物です。そもそも、俺は言いましたよね。これは形だけの婚約だと」
「形だけと言えど後継は育てろ。養子でも貰えば良いだろう。そしてお前は早く引退して隠居しろ。いつ誰に狙われるか溜まったものではない」
まるで紛争が起こっているかのように互いに睨みをきかせながら目を合わせた。
血の滲むような努力で手に入れた当主の座を、今度は早く譲れなどと、それを了承すると思っているのかと、無意識に拳に力が入る。
顔も見たくない。会いたくもない。声も聞きたくない。そんな泥のかかった感情が湧き出てくる。
これ以上何かを言われれば我慢は出来ないと、自分の父に対する態度から滲み出てしまっている。
早く追い出して仕事に戻ろうかと思案していると、口を開いたのは彼女、…自分の、形だけの妻だった。
「お義父様、お言葉ですが、私も旦那様も、赤子を授かるための道具でも、後継のためだけに養子を貰い受けるような無責任な人間でもないのです」
「…!」
「…なに?」
刹那、俺の心を巣食っていたドス黒いモヤがほんの少しだけ晴れたような気がした。
一方、父は彼女の発言が気に入らないようで、明確な敵意を示していた。
それでも、彼女は竦むことも怯える様子も一切なかった。
「っは、善人ぶっているのか?お前も、あいつのようにすぐに他のところへ行くはずだ。信用出来んな。大体、お前に私たちの何が分かると言うんだ?他所からやってきた分際でよくそのような口が聞けたものだ」
『あいつ』とは、俺の母、つまり、父の妻のことだろう。彼女も妻と同じなのだと、父は言いたいのだろう。父の考えていることが容易に想像出来てしまう自分に嫌気が差す。
だが、そんなことを思っているどころではない。
他所のものだというならば、その他家から嫁いできた娘への態度を直すべきだろう。
流石に口を挟まずにはいられないと、少し体を前へ出すと、それを彼女は静止した。
まるで俺が何をするか分かっているかのように。
「確かに、何かが分かるわけでもありません。ただ、お義父様が、旦那様を酷く大切にしていらっしゃるのは存じていますよ」
「はっ?」
「…っ!!」
「大切にするあまり、今のような発言に至ってしまったのも、分かっています」
あれだけ酷いことを言われたのにも関わらず、彼女が父に向ける目は未だに優しいものだった。
どうしてそこまで受け入れられる?どうしてそこまで寛容になれる?どうして、そこまで人に優しく出来る?、この時、あらゆることを疑問に感じた。
何より疑問に思ったのは、父が俺のことを大切に思っているという発言だった。
その勢いで彼女に対して酷いことを言ったということも、信じられるわけがなかった。
だが、裏付けるように、彼女は説明する。
「昔、貴方様に会ったことがあります。私が1人でいたところを、貴方様は話しかけてくださいました。そして、貴方様には愛らしい息子がいること、とても大切にしていること、だからこそ、当主の座を譲って他貴族に命を狙われるなんてことはあってほしくないと、だから、自分が出来るだけ長く当主を続けるのだと、他にも、沢山のお話を聞かせて頂きました」
「……………っ!あの時か…。あれは、…まだそんな内容を理解できる年齢ではないと踏んでのことだったのにな……。何故…」
何も、知らなかった。ただ才能がないから。武術に秀でていないから。当主の座を譲るに値しないから。 だから俺を突き放したのではないのか…。だったら俺は、今までずっと勘違いをして生きてきたのか…。
「…父上」
「……なんだ」
「今の話は、本当ですか……?」
「…だったらなんだ…。自分の息子を大切に思わないはずがないだろう。当主はな、他貴族から命を狙われることなんてザラにある。だから自分で自分を守れる実力がなければ当主は継がせられない。少なくとも私は、お前が死ぬ可能性のある未来を選択肢に入れたくなかった。そう思っただけだ」
__この父親、ツンの割合が高くないだろうか…?
初めて父の本音を聞いた気がした。
貴族は誰に対しても本音を隠す癖がある。
それは他家のものに弱みを見せないためでもあり、狡猾に動くことが出来るからだ。
小さい頃に出会った少女の言う通り、父ともっと話をしておけば良かった。
そうすれば、今頃はもっと良好な関係を築けたのだろうか。
今更考えたところで仕方のないことをそこはかとなく考えてしまうのは、父が俺のことを思ってくれているという嬉しさもあるからだろう。
「後継を早めに育てろと言ったのも、旦那様が大事なあまりに言ってしまったことですよね?ですが、そのお考えについては同意致し兼ねます」
ここまではっきり自分の考えを言う彼女は初めて見た。
彼女が自分の意見を言う時、必ず視線を逸らさずに真っ直ぐ見る。
幼子の時に出会った少女も、そういえば目を逸らさずに話してたなと、なんとなく思い出す。
「何故だ?息子を大事に思うことの何が悪い」
「旦那様を大事に思うことは何も悪いことではありません。むしろ、旦那様に良い影響をお与えになると思っております。そうではなく、大事に大事にという思いが行きすぎて、他の人間の幸せを考えないのは間違っていると言いたいのです」
今日は初めて見ること、感じることが多くある日だと感じた。
自分のことには一度も強く出たことのない彼女が、対象の人がいるわけでもなく、ただ話の中に出てきただけの養子や赤子のために『それは間違っていること』と真剣な赴きで言っている。
「……そう、か…。そうだな。…エヴァリーナ、すまなかった。お前に酷いことを言ってしまったな」
「いいえ、大丈夫です。それよりも、お二人の蟠りが溶けたようで何よりです」
彼女の一言で、俺と父の目が合った。
お互い目が合ったことに驚き一度瞬きをしてから、声に出して笑った。
何がおかしかったのかは分からない。ただ、この空間が良いものに思えた。
この、3人の空間が。
◇◇◇
最後まで閲覧して頂きありがとうございましたm(_ _)m
次話も見てくださると嬉しいです*ˊᵕˋ*