「壁のそちら側にいられる僥倖を一考せよ」
「寝た。めっちゃ寝た」
アラームの音で起きたリコは、ググゥゥっと手足を伸ばして、隣の気配に気づく。
「相変わらず肌色多い」
自分が寝ている間に人の姿に戻ったのか、昨夜部屋に入って来っときすでにこの状態だったのか。銀髪が、朝日に照らされてキラキラ光っている。
そういえばこの部屋にはカーテンも無いじゃないか。
犬耳の無いリュコスの髪を、さらりといじり流す。
『悪いことばかりじゃ無いんだよ』
オベントの言葉を思い出す。
「そうかも」
考えようによっては、私が処女でいる限り、この男は絶対に私に手を出してこないわけだ。
心臓発作的に死ぬのかしら? 首チョンパなのかしら? どちらにしてもそりゃ怖い。
決定的な肉体のつながりなど、リュコスにとっても些細な問題なのかもしれない。するにしてもしないにしても、自身に嫌悪感は湧かなかった。それがわかっただけで良かったのかも。
男性なのだから必要なのだろう。とは、随分な暴論だったのかもしれない。
お互いもう大人とはいえ、大人の男と言うのは、存外繊細な生き物のようだ。
リコは チュ とキスしてみた。全然嫌じゃ無い。
リュコスのぴくりと動いた手を取り、顔に擦り付けて、その手の平にもキスをした後、自分の頭の後ろに回し、もう一度唇に口付ける。
薄目があいた。眩しそう。
「う・・・」
口も開いた。
舌を入れてみる。
頭に回した手に力が入る。
起きたかな?
舌を絡めねっとりと動かし、昨日のドミナント様に教えてもらった魔法を思い出し、自分にもできるかなと、試してみる。
口付けに、魔力を込めるために、なにを願おうか?
「・・・リコ様!?」
リュコスが目を見開いて身を離す。
「ゾワっとした?」
「い、今のはなんですか!?」
「多分魔族の魔法だよ。 さぁ起きて、みんな朝ごはん待ってるかもよ? ちょっ速で準備して!」
リコは勢いよく立ち上がって部屋ごと〈浄化〉をかける。
「俺は、後から、行きます。今は、その、動けません」
「なんでよ? ここは私の部屋だから、リュコスが出てって? 着替えるから」
リコが言うと、リュコスは少し考えた後、シーツをもしゃもしゃと丸めて抱えるとダッシュで出ていった。
扉が開けっぱなしだ。
「開けた扉は閉めてください!?」
リコはそういうと、扉を閉めて鍵を付ける。
身支度を始めて、髪をときながら朝のオヤツメニューを考えた。
今日はコーヒーとエクレアを食べよう。
19階の店に着くと、部屋の壁は少し光を放っていて、昨日のランプもまだ光っていた。
OFFにして光をゆっくり充填するように薄く蓋を開けておく。
ベットもランプの材料も〈浄化〉【収納】する。
店の外に出ると誰もいなかった。
部屋を整えるために、女性用の処置室に入って〈浄化〉布物は天蓋以外を【収納】する。
セーフルームも〈浄化〉して、掃除をしていたゴーレムにハグする。
男性用の処置室用の管理ゴーレムに「中はどんな様子? まだ2人は寝てる?」と聞くと、管理ゴーレムは頷いた。
「起きたら教えてね」とハグをして、首元のリボンをなおす。
店の扉に入り扉の裏にある充填配分用の魔石に魔力を入れる。
キッチンでお湯を沸かす。
沸くまでの間に、と、カウンターにランプの材料を出す。
カウンターゴーレムが興味深そうに手元を見る。
携帯用のランタンを数十仕上げる。
伸びをして、今度はワプスランプのシェードを大量に作っていく。
すべき事を淡々とこなして行くのは楽しい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
楽しい。
色々なモザイクのパターンを考えて組み込んでいく。
立体的に四色定理を考えるみたいで、思考の深みに、深く深く入り込んでいく。
面白いな。
やっぱりこうやって手芸工作してるのって、心が整って夢中になれるからすごく凪ぐ。
助かる。
ずっと1人でこうやっていたい。
「・・・リコ様、リコ様」
「なあに?」
急に呼ばれていることに気づいて顔を上げる。
「オベント様達が起きたとゴーレムが知らせにきました」
「あ、はい」
時計を見ると7時だった。
みんなが戻るかもしれない9の鐘にはまだ2時間あるか。
「朝ごはん食べるか、お茶にするか聞いて? 今日のスイーツはエクレアなの」
リコはそう言うと、仕上がったワプスランプを、端から店の天井にチェーンで吊って飾っていく。
携帯用のランタンは、真鍮と黒琺瑯の色違いをカウンター台の上に置き並べる。
後でポップも描こう。
フフちゃんとしたお店みたい。楽しい。
「・・・コ様・・・リコ様」
「はい。なに?」
びっくりして名前を呼ばれた方を見る。
「・・・スイーツの方を、ご所望です」
「あぁ、そっか、はい。了解」
リコは慌ててお茶の準備をした。
カップに入れたコーヒーと、箱詰めされた細身のエクレアをトレイに乗せてセーフルームのテーブルに持っていく。
「おはようございます」
「おはようリコ殿。良い朝だね」
「おはようリコ。今日はなに?」
「今日はエクレアですよ。食べたことありますか?」
「ないない♪」
ワクワクとバコニーが箱を覗き込む。
リコは「ヨシ!」と小さくガッツポーズをした。
プレーンと、キャラメル、ラズベリーをサーブして、2人が大喜びで食べているのを愛でると「これはお礼です。昨日はいろいろ教えてくださって、ありがとうございます。とてもとても参考になりました」それと、とリコは席を立ってお店のシャッターを開けた。
「ほう!」
「凄い!」
「頑張って作りました」
色とりどりのランプが眩い光を放っている。
「街のライトは、おいくらで売っているのですか?」
「もちろんピンキリじゃがまぁ、街の住人が使うような一般的なものでも大銀貨5枚はするだろう」
「しかも魔力の少ない住人の家では、魔石は毎週神殿で充填された物に取り替えなければならない」
「そうじゃ無いかと思いました」
リコは、明るい時は光を吸って暗くなると放出する。と、ランプの機構を説明する。
マナで補っているのだけど、魔法現象の「発光」だけみたらほぼ永久機関だ。
魔力がない人でも使えること、物理的に破損するまではほぼ永久的に使える。
「価格は[携帯用ランタン]が銀貨5枚、お土産用の飾りランプ[ワプスランプ]が大銀貨1枚 です」
そして携帯用のランタンを2つ出す。
「こちら差し上げます」
オベントとバコニーはそれぞれ受け取り、物珍しそうに説明を聞く。
「ダンジョンの中ではいらないのかもしれないけど、さほどお邪魔にはならないかと思って。どうでしょう?」
「いやいや、ありがたくいただくよ。とても便利そうだ」
「俺キラキラしたのも欲しい」
「よろしいですが、照明には向きませんよ? お部屋や軒先に飾ったりするランプで、明かりとしては実用的では無いです」
「なぜそんなものをダンジョンで?」
「? 1階のお店にもお土産品が無いので不思議でした。ダンジョンはズンダの名所なのだから、こうゆうのがあったらいいかな。って思ったんですけど、おかしいですか?」
「女子供が喜びそう。オベントもいっぱい買って帰ると良い」
「・・・そうじゃの。ダンジョン土産にしては雅だが、女性ウケは良さそうだ」
「そうでしょうともそうでしょうとも。皆さんがお土産を買って誰かの元に無事帰りたくなる。これはそんな願いが込められた魔道具です」
「ほう?」
「朝、出かける時に軒に出しておけば、陽の光を吸って、夕方家に帰った時には灯ります」
「便利じゃな」
「ズンダの街の皆さんの部屋に、このランプが灯るのが楽しみです」
「そうか」
リコは、「これは、オベント様に。貰ってくださいますか?」と、七色に瞬くワプスランプを出した。
オベントは「コレはまた素晴らしい。ありがとう。自室に飾らせてもらうよ」と受け取った。
リコはニッコリ笑って光量調節の説明などする。
バコニーの分は、お菓子を食べたら一緒に選びましょう。と誘うと、バコニーはエクレアを頬張りながら頷いた。
「朝ごはんは、皆さん食べてこられるでしょうか? 先に召し上がります?」
「みんなが来てから食べるよ」
「ではその時に声をかけてください」
私は店で続きを作っています。ではごゆっくり。とリコは店の中に戻って行った。
「吸収も、発光も、自動化するとは」
オベントは描かれた魔法陣をみようとするが、魔法陣に植物の装飾が施され、何より細かすぎてハッキリとはわからない。
「全て周囲のマナで賄っているのがすごいと思います」
バコニーは7本目のエクレアに手をつける。キャラメル味が気に入った。
「実用的では無いと言えば、まぁそうなのだろうが、手にした者はシェードを外せばと、簡単に気づくだろうな」
オベントは眉間をグリグリとマッサージする。
「リコ殿は阿呆なのか賢しいのか、イマイチよく解らぬの?」
オベントの言葉に、店のカウンターでせっせと何かを作っているリコに目を細めながらバコニーは答えた。
「阿呆なところが甘くカワイイです。今すぐにでも喰ってしまいたい」
リコは、カウンターでさらにランプを量産していた。
ワプスの翅を【錬金錬成】して翅脈を変えて模様を作る。
昆虫の良さは消えちゃうけど、虫が苦手な人にはこのほうがいいかもしれない。
黙々と作業していて思いつく。
この光に、魔法を付与できないだろうか?
ライトの魔石の光が、別の物を透過する時その魔法が動作するようにしたら?
リコは自分の〈結界〉を思い出し、無属性魔石を薄い板状に加工して結界の魔法陣を金糸で細く細く描いていく。
ワプスの翅脈に合わせてはめ込み、球型に組み直すと【錬金錬成】で形を作る。
そこでふと思いついた。
無属性ライトでは無く、火属性魔石の炎のランプの方で熱も少々発生させ、アロマランプにしてみるのはどうだろう?
香りを感じるのは、鼻粘膜に成分が付着した証なのだから、効果の違いが、量のでは無く、濃度の問題なら、時間はかかるかもしれないけど、治療薬を薄めずに多数の人に浸透させる事が可能なんじゃないか?
色を変えていない球体のワプスランプシェードの上部を少し凹ませ、円形に【錬金錬成】する。
その皿の周りを無属性の魔石を薄く加工した板で囲み揮発の効果をより細かに、緩やかにコントロールする魔法陣を施す。
ジャグから[治癒薬の原液]を台に立てた試験管に入れて数本持ってくる。
ピペットでランプに数滴垂らし、魔石に発動の魔力を込めて灯す。
「あぁ、こりゃいいな。白檀の匂いがする」
リコは目を閉じた。
回復のイメージは緑だけど、緑の光はちょっと・・・あぁそうだ。木漏れ日にしよう。
家屋の天窓のガラスを魔道具にするのもいいのかもしれない。
外に出しても、この世界の太陽光ならマナも多そうだ。
デザインをあれこれ考えていると、余計な事を考えなくて良くて、凄く気持ちが落ち着く。
「あぁ、わかった。これ、比重の違う物質を入れて薬液の劣化を防いでいたのに、いつの間にかソレを混ぜ合わせるレシピが定着しちゃったんだ」
リコは、棚に飾ってある最初に買ったポーションのサンプルをみる。
この世界のパッケージデザインに、魔法が一切使われていない事を不思議に思っていた。
ガラスの瓶に密封性の無い蓋。
これじゃぁ使用期限が短くなるのも納得だ。
魔法はとても便利で、ある意味科学より進んでいるのに、それ以外はバカみたいに遅れ劣っている。
「限られた人の為にしか使用されていない文明の成れの果てなのだな」
さらに、サイリュウムのペンライトを思い出した。
翅からキチン質を【錬金錬成】で取り出し、2mm厚の板状の密封ケースを作り中に[治療薬の原液]を薄く入れる。ケースに揮発性を良くする魔法陣と、破損後はマナに帰る魔法陣を描く。
パキッ! と割ると、フワッと白檀が香る。
【鑑定解析】[薬効:治癒薬(大)]
仕様通りに空になった容器が砕けて霧散した。
「ヨシ!」リコは小さくガッツポーズをした。
コレで味の改良はいらないし、飲み過ぎでお腹がタポタポになる心配もない。
皮膚にも触るし、原液高濃度なら、時間はかかるが広範囲薬として使えそう。
残っているレシピから、あまり混ぜ物をせず、パッケージを工夫する方が良いだろう。
「あれ、でも、吸い込む薬液の容器を使用直後魔法で霧散させるなら、ガラスに紙のお札でも良いのか? 有機体にこだわりすぎかな?」
ガラスで同じ容器を作り試す。
ガラス容器は密閉性や品質保持には最適だが、強度と壊れた時の危険度を考えるとどうしても蓋つきにせざるを得なかった。
ガラスの容器を パキッ! と割り、深呼吸して薬効を体感した後、割り口をみる。が、すぐ霧散する。
「この方法ならガラスでも、大丈夫かな?」
ポーションを作っていて、容器をどうしようかとなった時、1番最初にアンプルを思いついたが、接種方法が経口か塗布だと言う性質上、ガラス粒子の汚染はやっぱり気になった。
「吸引なら、強度は紙のお札で翅と同じにできるし、経口接種じゃ無いし、ガラスでも大丈夫かなぁ。あぁペットボトルって便利だったんだなぁ」
いっそ容器は飴にして、金糸で飴に直接品質保持の魔法陣を描いてしまおうか。
金なら人体に無害だから口に入れて噛み砕けばいい。
ああでもない。こうでもないと、思考を重ねるうちに、ふと、専門の知識があったらこんなに悩まなくて済むのに。
などと、意味の無い思考がループしている。とリコは気づいた。
「・・・コ様・・・リコ様!」
「リコ!」
「リコ殿」
ハッと名前を呼ばれている事に気づく。
心臓がドカドカと暴れ乱れている。
「・・・ポーションが、効かぬ病にかかっているな? あるいは解呪が必要なのでは?」
オベントがカウンター越しに優しく話しかけてくる。
思考の渦に囚われている状態が、病なのか? と問われても、自らそこに逃げ込んでいる自分にはわからないけど、確かに呪いと言われるのはしっくりくるかもしれない。
「それは、あまりいい状態では無いのではないか?」
オベントの言葉が耳には入るが、まだどこか上滑りしているような感覚で、リコは言われている言葉の意味を理解するのに時間がかかる。
「安寧や健全が、術者自らには効かぬのでは、この完全と思われた結界も型なしじゃな」
オベントはゆっくりと手を伸ばしカウンターの結界に触れる。
バチン! と弾けるような感覚の後もさらに手を押し進めると、薄い膜は ジリリ と指先を焦がす。
そんな機能は望んで無い。リコは、慌ててオベントの手を掴み、結界壁から離そうとする。
「いや、そうでは無い。心の在り方をなんとかせねばならぬよ」
オベントはさらに押し進めようと力を込める。
「やめてっ!」
リコは身を乗り出し、手を押し退けると、結界壁が触れるほど硬くなった。
「瞬時に術の形を変えるとは」
オベントはペタペタと透明な壁を触る。リコはそこに何も無いように手を出し、さっきまで作っていた[治療薬]のパッケージをオベントの指先で パキリ と割った。
変色していたオベントの指がみるみる治っていく。
「素晴らしい」
揮発性にしたポーションが霧散して患部を治したのか。しかし、新たに方向性を指定しなければ無駄になるのではないか? それともすでに、患部に向かって自動的にベクトルが向いていく魔法がかかっているのか?
オベントは手を引き戻して自分の指先をまじまじと見つめる。
リコはそれを聞きながら、暗い瞳のまま ズズ と後退りすると、無言で作業場の方へ引っ込んでいった。
「リュコス殿」
呼びかけにリュコスがオベントを見る。
「声は、通っているようだな」
バコニーが結界壁に触れ、押したり爪で引っ掻いたりしている。
「リュコス殿、壁のそちら側にいられる僥倖を一考せよ」
オベントはそう言って壁際のテーブルに戻ってしまった。バコニーもそれについていく。
ゴーレムが、リコの代わりにカウンターの椅子に座る。
もう少しで9の鐘が鳴る時間だ。




