また来年も
気づいたら、大晦日だった。夜にはもう除夜の鐘がこの地に鳴り響くのだろう。
時間があまりにも早く過ぎるから、あまり年が明けるという実感が湧かない。
「渡邊さん、昼ご飯ですよ」
そう言って早瀬のおばちゃんが昼食を運んでくる。おばちゃんにもたくさんお世話になった一年だったな、と改めて感謝する。本当の親のように、接してくれた。
「最近桜羽とはどう?」
「ど、どうって、何ですか……」
「そのまんまの意味よ」
おばちゃんはニヤニヤとしながら私のベッドの机みたいな台におぼんを乗せる。
仲はそれなりに良いと思う。というか私自身早瀬くんしか話す相手がいないのだけれど。
「それなりに仲良くやれてますよ。私に話し相手を紹介してくれたおばちゃんには感謝してます」
「あらぁ、日和ちゃんったら何でこんなに可愛いのかしら! 良い子ねぇ」
おばちゃんはそう言って私の頭を撫で回す。私の頭はぐしゃぐしゃ。
おばちゃんは人前、というか仕事してる時は渡邊さんと言うけど、プライベートとか雑談してる時は日和ちゃん呼びになる。その使い分けは、私にとって救いのようなものだった。
「ぶっきらぼうで可愛げはないけど、良い子だから。これからも仲良くしてあげてちょうだいね」
おばちゃんは笑顔でそう言うと、あまりサボってられないと病室を出ていった。
私は少しだけ冷めた料理に手をつける。あまり塩気のないこの味にもだいぶ慣れてきた。だから、この前文化祭で焼きそばを食べた時は逆にしょっぱさに驚いたくらい。普通の人はこれくらいがちょうど良いと思うのだろうけど。私にはしょっぱすぎた。
病室の扉が開いて誰かが入ってきた。
「さっむ……って、食事中だったか。悪かったな」
モコモコのアウターを羽織った早瀬くんは、私を見るなり病室を出ようとするので、私はそれを慌てて引き止める。
「早瀬くんが嫌じゃなければ、ここにいて」
私の言葉に早瀬くんは最初は驚いていたけれど、振り返ってベッドの隣のパイプ椅子に座る。
「健康的だな」
「病院で出てくるご飯だからね。でもそんな美味しくないよ。全ての料理、塩分カットですから」
早瀬くんはゲンナリしたような、引いてるような顔を見せる。
確かに塩気のあるものが好きな学生たちにとっては致命的なご飯なのかも。私は小さい時からよく口にしていたから慣れたところはあるけれど、それでも美味しい! と感動することはそうない。
元々量もそんなにないご飯は、私でもぺろりと平らげることができるくらい。看護師さんに片付けてもらって、食事の時間は終わりだ。
「一年が、終わるね」
「そうだな。早かった」
早瀬くんと私は揃って窓の奥を見つめる。
その時、白い粒のようなものが視界に入ってきた。雪だ。
「初雪じゃない? 積もるかな」
「積もったら何かあんのか?」
「特にないよ。でも、嬉しいじゃん。真っ白な世界。綺麗で、私は好き。あと、雪合戦したり雪だるま作ったりしたい」
早瀬くんは子供かよ、とでも言いたげな視線を向ける。まだ大人ではないから、別に良いでしょ。
「あ、そういえばなんで急に日和呼びになったの? 別に良いんだけどさ」
「ああ、それは。なんとなくだ。名字にさん呼びが、少し気持ち悪かっただけ」
早瀬くんは私から目線を逸らして言う。その耳は真っ赤だ。私はそんな早瀬くんがおかしくって笑ってしまう。
「仲良くしてんのに、さん呼びは何か距離あんだろ」
「確かに、言われてみればそうかも」
「だから、お前も俺のこと早瀬くんじゃなくて桜羽で良い」
改めて言えと呼ばれると、呼ぶのが恥ずかしくなる。今までもう半年近くも早瀬くん呼びだったのに、いきなり下の名前で呼ぶなんて。少し勇気がいる。慣れてしまえば簡単なのかもしれないが、それまでの間の勇気といったらとんでもないものだ。
「無理に呼ばなくても良い。ただ、呼んでくれたら……」
早瀬くんは最後の言葉からだんだん声が小さくなり、とうとう最後の言葉は耳には届かなかった。顔を真っ赤だし。もう一回呼んでと言っても、早瀬くんは恥ずかしがってしまって言ってくれることはなかった。
「る、桜羽、桜羽」
私はなんか怒ってるみたいな口調で早瀬……桜羽に迫る。桜羽は顔は赤いままだったけれど、優しく微笑んだ。
そんな笑顔、見たことなくて、私は目を奪われてしまう。いつも怖い顔してるのに、そんな優しい顔もできるんだって驚いたのもあるけど、でも。
「そんな何回も呼ばなくていいだろ。ありがと」
「はっ!? べ、別に呼べって言ったから呼んだだけだし! そんな、笑わなくても、いいじゃない……」
私はベッドに横たわって布団を顔まで引っ張った。桜羽はツボに入ったかのようにずっと笑っている。もう、許さないからね。
私は布団の中で心臓を落ち着かせ、この顔の熱さを冷やそうと必死になるけれど、一向にどちらも収まらない。桜羽のせいだ。こんなにも、頭がいっぱいで。
「日和」
「何」
「今年、一年ありがとな。お前のおかげで、俺は少し変われた気がする。楽しかった」
素直な桜羽の感謝に私は何も返せずに布団を被ったままだった。窓から見える雪はしんしんと降り続けている。
「……私も、感謝してる。今まで死ぬことだけ考えてた。でも、初めて生きたいって思えた。あなたに出会えて。私の、命の恩人。私も桜羽のおかげで、人生で一番楽しかった」
「そうか。じゃあ、来年もよろしくな」
「ふふっ、どうせ四ヶ月で終わってしまうかもしれないのに?」
「俺は医者の言葉は信じないんだ。お前は絶対、しわくちゃになるまで生きる」
「しわくちゃにはなりたくないよ」
私はそう笑って誤魔化したけど、それが現実になったらどんなに素敵なことか。桜羽の確信のない、けれどその強い言葉に私は胸を打たれた。
私は布団から出て、ベッドに座る形になる。そして桜羽を見つめた。
「そうだね。おばあちゃんになるまで生きて、世界の色んなものをこの目で見るまでは死ねない。そのためには、来年もこうやって一年の感謝をしなくちゃ」
私のその言葉に桜羽は頷く。
来年は、もっと良い一年になりますように。良いお年を。