桜はまだ
梅が咲いた。桜はやっと蕾がその枝の先にでき始めていた。
三月。ついに余命宣告されてから一年が経った。あれから一度も良くなったと声をかけられたことはない。もうすぐ死んだっておかしくない体。お母さんたちに、おばあちゃんになってあの世へ行くと言ったのに、これでは若いままであの世へ行ってしまいそうだ。
それに、まだ桜羽に気づき始めたこの気持ちのことを明かしていない。おばちゃんの話を聞いて何度も自分の心に問いかけてみた。本当に、桜羽のことを、と。でもやっぱり心は正直だった。嘘をつくことなんてできない。桜羽のことどうも思っていないなんて、そんなこと思えなかった。
私は、桜羽のことが好き。どうしようもないくらいに。今まで感じたことないくらい、強く君に惹かれている。
この気持ちに気づいたのは一か月前。それなのに未だこの気持ちを伝えていないのは、私の病気のせい。もし、仮に死んだ時に死ぬ人間から好意を持たれていたと知ったら、桜羽はどう思うのだろう。
死ぬ前に、嫌な思いはしたくない。どうせなら何も知らないままでいたい。そう思うのは、私のわがままだろうか。
そんなことを考えていると、また今日も桜羽がやってきた。学年末のテストが終わると、もう学校の授業が終了するらしく、午前授業が続くのだそう。だからこうして部活も早く終わる日は病院へ来てくれる。
「浮かない顔して、何かあったのか?」
「いいや、なんでもないよ。ただ、桜もうすぐ咲きそうだなって」
「ああそうだ。賭けのことだけど、あれは一体何を賭けてんだ?」
「それぞれの秘密。賭けに負けた人が秘密を告白するの」
私がそう言うと、桜羽は呆れたような顔をして椅子に座る。ぶっきらぼうに座ったからパイプ椅子がギシッと音を立てる。
「……授業ないのに、勉強するの?」
「授業はなくても、受験までの時間はだんだん少なくなっていくからな。一秒たりとも無駄にはしねぇ」
そう呟くように言いながら、メガネをいつの間にかかけた桜羽が参考書を見ていた。
私は口を尖らせて、窓の方を向く。病室にいるときくらい、勉強しないでよ。私と、お話してよ。
そんな言葉が私の喉の奥から先に出ることはなく、ただ喉の詰まりのような不快感だけを残していく。
「大学、決まってるの?」
「いや、さすがにまだだけど、今から準備しといて損はねぇだろ?いつか行きたい所が決まった時、学力が足りないなんて理由で諦めたくはないからな」
そう一本筋の通ったようなの答えに私は視線だけを桜羽に向けたまま固まってしまう。
偉いなって心の底から思った。皮肉とか、お世辞とかそういうのじゃなくて。本当に、心からの。
私は目先のことしか考えてこなかった。今できてれば、どうせこんなこと将来使わないしって、真剣に勉強してこなかった。だからこうしてツケが回って来ているのだと思うけれども。
でも、まだ見えない未来まで考えて行動してる桜羽が私にはとても眩しすぎた。
「相変わらず、桜羽はすごいね。私なんて、比べ物にならないくらい。恥ずかしくなっちゃうよ」
「何言ってんだよ。お前だって病院に届く、定期テスト。目標点は全教科達成してるだろ? ちゃんとお前なりに頑張ってんじゃねぇの? 良いんだよ。こういうのは自分は自分、他人は他人の考えで。お前も十分すげぇよ」
何気ない桜羽の言葉が、何よりも嬉しい。私は自然と頬が綻んだ。少し、だらしない顔をしていたかもしれない。
「ありがと。そう言ってくれて嬉しい」
「ああ。なら無理のない程度に、今日も頑張れよ」
そう桜羽は一切私と目を合わせず、ただその本に書かれていることに集中しながら話していた。
桜羽の目標とするものには及ばない。けれど、私がやらなくてはいけないことを、しっかりこなそうと改めて自分を鼓舞した。
そんないつもの会話が、今年最後の会話となるとは知らず。
私たちはその時間を、ただただ沈黙の中で過ごしていた。