もし、この世界が終わっても
二月といえば、あれだよね。バレンタイン。チョコの甘い匂いが街を覆う日。私には縁のない日だけれど、青春ぽくていいな、なんて思ったりする。でも、その日は違う特別な日だったりする。
そんなバレンタインデー当日。その日も桜羽は病室に来てくれた。いつもと違ったのは、桜羽の何も入ってなさそうな革の通学バッグの形が変わっているくらい、何かが入っていたこと。
「それ、例の物ですか?」
「ああ、チョコだろ。こんなあっても食えねぇって」
そう言いながら桜羽は小さな机の上でバッグを逆さまにして、中に入っている物を出す。単語集といくつかの参考書とルーズリーフと筆箱以外、全部チョコだった。数えられないくらいのチョコ。手作りも、買った物も、なんか高そうな物もある。
他人に高級チョコあげれるって、どんな大富豪よ。
「これまたすごい数だね。うわ、これ袋の中に手紙入ってる。なになに……。あ、これラブレターじゃん! 返事、体育館裏で待ってるってよ」
「はぁ? 体育館裏って、もう学校出たけど。てか勝手に読むな」
「ほほーん。もしかして、この中に本命がある、ということですな?」
「なわけあるか。そんなやついねぇよ」
「ちぇ。つまんないの」
私は口を尖らせて、チョコを漁る。どんな物があるのかなって。
そんなことをしていた私は、何だか心が痛かった。この前から、ずっと感じてること痛み。病気とか、そういう類ではない、と思う。なんか、締め付けられるような痛み。桜羽といるときに、こんなにも苦しい。
「おい、大丈夫か?」
私が一人で考え事をしていると、桜羽が心配そうに顔を覗き込んでいた。そんな、酷い顔をしていたのだろうか。私は桜羽を心配させまいと笑って頷く。桜羽の心配そうな顔は晴れなかったが、それ以上は何も言ってこなかった。
私がそのままチョコ漁りを続けて、出てくるのは大量のラブレター。やっぱりみんな、バレンタインデーというチョコ渡しのチャンスに乗っかって、想いを伝えるんだ。めっちゃ、青春してるじゃん。
確かに、桜羽顔良いもんね。モテそう。それに、こんな優しいし。こんな優良物件、そうそういない。
「お前、やっぱ今日変だな。俺は帰るから、ゆっくり休んどけ」
桜羽はそのままチョコをカバンにしまって、持っていた単語集と筆箱をその上に入れてチャックを閉める。
確かに、今日の私おかしいけど。自覚してるけど。でも、行かないで欲しい。ずっと、ここにいて欲しい。私のそばにいるだけでいいから。そんなわがままな気持ちが垣間見える。
私がそう考えているうちに、桜羽の帰る準備が整ってしまった。
「ま、待って……!」
私は桜羽のブレザーを掴んで引き止める。桜羽は驚いたような顔をして私を見つめる。
行かないで、ここにいてって言いたいのに。心臓が変に鼓動していて、言葉が喉の奥で詰まっていて。出てくれない。
私は俯く。ただ、掴んでいる右手だけに力を入れて、何とか桜羽にここに残ってと、そう伝える。伝わるはずもないのに。
「……お前が寝るまでここにいてやるから、そんな辛い顔すんなって。ほら、こっち向け」
私はそう優しく語りかける桜羽に言われるがままに、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間。
「むぐっ!?」
桜羽は私が顔を上げるなり、いきなり両手で頬を潰すように挟み込んだ。私は驚いて桜羽を見る。何がおかしいのか、桜羽は私を見て笑っている。ちょっと痛いから、早く手どけてよ。
「お前がしおらしくしてるのは、らしくないからな。能天気な顔してろよ」
「の、能天気って……! そんな桜羽にはあげる物もあげないから!」
私の言葉に桜羽は首を傾げる。そして、何かを察したのかなるほど、みたいな顔をした。
「チョコか? 仕方ねぇから、もらってやるよ」
「なんでそう上から目線なのよ。私はチョコなんてあげないから」
桜羽は怪訝な顔つきになる。確かに今日、二月十四日はバレンタインデー。でも、それ以外にもあるでしょ?
私はベッドの横の棚から少し大きめのラッピングされた物を桜羽に渡す。
「お誕生日おめでとう、桜羽。これ、私からのプレゼント」
「誕生日……知ってたのか?」
「まあね。おばちゃんに教えてもらったの。一か月前くらいから用意してたんだよ」
私が桜羽にあげたのは紺色の手編みマフラー。初めての編み物だったのもあって、看護師のおばちゃんたちによる熱い指導の元、完成したものなのだ。結構、上手くできたと思う。
マフラーを手に取った桜羽は、早速自分の首に巻く。
「いいな、あったかくて色も好きだ。ありがとう、日和」
桜羽はそう言って微笑む。
やっぱり変だ、私。前から桜羽の笑顔は見てきたはずなのに、どうして今はこんなに胸が苦しいんだろう。
「……どういたしまして。良ければ、使って欲しいなって」
「ああ、使うよ。誕生日プレゼントくれたの、お前だけだから。すげぇ嬉しい」
「そ、そっか。じゃあ尚更感謝してね。私の貴重な時間をたくさん使ったんだから」
別に他意はないと思うけれど、お前だけなんて言われると少し優越感に浸れる。
せめて、もう少しで死んでしまうのなら最期の思い出は桜羽でいつぱいにしておきたい。死んだことを、後悔しないくらい。
その後も、桜羽と話していたらいつの間にか外は真っ暗。時計の短い針が八を指している。桜羽は夜ご飯の支度をしなきゃなんかで、家に帰った。私も夜ご飯を食べ終え、やることを終わらせて、後は寝るだけとなったとき、少し考えてみた。
この気持ちは一体何なのか、と。
就寝前、おばちゃんが病室に来た。そして、おばちゃんなら気持ちが分かるかも、と桜羽の名前を伏せて相談してみた。
「日和ちゃん、それはね恋よ」
「こ、恋?」
「そうよ、恋よ。いいわねぇ、青春ねぇ。で、お相手は?」
「お、おばちゃん! 聞いてみただけ、相手は、おばちゃんの知らない人だし……」
私がそう言うとおばちゃんはニヤニヤして笑っていた。顔真っ赤よ、とおばちゃんは言う。おばちゃんはしばらくした後、夜勤の人と交代して帰宅した。
ドキドキとする心臓は、私に二つのことを知らせる。
桜羽への気持ちが言葉になったこと。そして、私がしてはいけないことを、してしまったこと。
私が恋をしてしまったら、この世に未練が残る。気持ちを伝えたら、相手を苦しめる。
私は、どうしたら。