Ex.14 龍ヶ谷 出雲(5) 人知れぬ廃ビルの戦い
暴風が吹き荒れていた。
豪腕としか言いようがない。
一撃一撃が自動車がぶつかってくるかのような破壊力。
それをどう表現すれば一番的確なのか、考えている余裕はない。
紙一重。
触れさせるかどうかギリギリのところで裂ける。
風圧で持っていかれそうになる体のバランスを保ちながら、腕の表面を滑らすように刃が疾る。
ぎゃぃんっ!!!
相も変わらずの硬質な手応え。
弾かれながら体を躍らせるようにして離脱する。
的確に、それでいて刃筋を立てた一撃だった。
正直なところ本気で打ち込んだらそこそこの鉄の板くらいは両断することが出来る斬撃。にも関わらずその攻撃を受け続けている目の前の男は無傷だった。
「………さすが。格が違うな」
思わず舌打ちする。
実際その言葉くらいしか出せない。
例え相手が上位者であったとしても、真正面からの戦いであればそれなりに喰らいつけるだろうし、分がいい悪いの違いこそあれ勝機を見出すことが出来る自信があった。勝機さえ0でなければ後は確率と流れ、そして極められる力の強さの問題だ。その点においては自負もある。
もし相手が第9位の“刃姫”ことクズノハや、第3位の“童子突き”であったなら、その射程の長さに苦戦はしただろうが最終的に勝利を掴むことは間違いない。無論相手もそれなりの切り札を持っているだろうから、場合によっては勝敗が逆転する可能性があるとしても、だ。
こと接近戦に関しては達人である自覚はある。
にも関わらずその接近戦において、これほどまでに勝機が見えない。
こんな相手は初めてだ。
それこそが目の前の男。
不動の第1位“蛮壊”轟豪巌だった。
「…………はぁ…っ…はぁ…っ」
呼吸を整えながら目の前の男の巨躯を見据える。
戦闘スタイルは別段珍しいわけでもない。
基本的には力いっぱい握り、力いっぱい殴るだけ。
無論回避をまったくしないわけではないし、頭を使えないわけでもない。時折蹴り技を混ぜたりもするし倒れた相手を踏みつけたりもする。
動きの質そのものは鋭くない、というか鈍い。
速度はあるものの、モーションが大きすぎて見切るのが容易い。
本来であれば武術で目付や見切りに長じている俺とは相性がいいはずだ。
「気障ったらしい伊達男の誘いは大して期待できねぇと思ってたが…いい風じゃねぇか」
ずん、と質感のある歩みが近寄ってくる。
次の瞬間、轟の体が消失した。
「……ちィっ!!」
一瞬足元に気を取られた瞬間に動いたのだ。その動きを全く見逃すようではそもそもここまで生き残れていない。咄嗟に前に転がった。
バギャァンッ!!!
さっきまで俺が居た位置に何か恐ろしい勢いを持ったものが激突した。転がって即座に起き上がり振り返ると、一度宙を待った轟の踏み下ろした足が床をぶち抜いて、本人もろとも下の階まで落ちていた。
とはいえ、これでひとまず時間を稼ぐことは出来た。
息を整え体を小刻みに揺らしながら追うために階段を探す。
奴が空けた穴から飛び降りるのが一番なのだろうが、最悪待ち伏せられていた場合空中で移動できない体勢のまま相手の攻撃を受けることになる。
階段はすぐに見つかり、下の階に辿り着く。
野生の獣でも潜んでいるかのような気配が静かに俺を待っている。
問題がひとつある。
勝ち目が少しでもあれば、そこから無理矢理こじ開けるように強引に勝ちをもぎ取る。そういった極めに関してならば、目の前の轟を含め負けていないのは間違いない。
ただ、その勝機が見つからない。
継ぎ目のない金属の塊のように勝利へねじ込むための一筋ほどの光明もない。
どんなイベント戦闘でもこれほど勝機のないと感じた戦いはない。
せいぜいが5レベルの頃、赤砂山を登りすぎて天狗の親玉と出会ったときくらいだ。
つまりは目の前の男と自分の間にはそれくらいの実力の差があるということか。
ゆっくりと先に進んだ。
見慣れた巨躯の男が待っている。
その質感たるや名前の通り岩が、いや最早山でもそこにあるかのような不動を感じさせた。
「いくぞ」
「応」
申し合わせたかのように両者が動く。
まだ体は動く。だが体の中に沈澱するようにずっしりと溜まっている疲労があることもわかっている。
ぐぐ…ッ、ゴ ゥンッ!!
体を思い切り捻った野球の投球を連想させるような無茶苦茶なパンチ。
だが俺が交わして空を切ったその拳は隣にあったコンクリートの壁を粉砕する。
交差するように踏み込みながら、刃を解き放つ。
カ、カッカカ…ッ!!!
四段突き。
喉、鳩尾、胸、喉。
攻撃が通らないのならば斬撃の面から、突きの点の攻撃に。
心形刀流剣術の中の連続突き、その中でも最高峰の四連続の突き技。
だが返ってきたのは同じく硬質の手応え。
まるで岩の壁を相手に攻撃でもしているかのようだ。
少しでも通れば突きから斬り技に変化するように刃を水平にしていても、これでは意味がない。
再び距離が開く。
相手は無傷、にも関わらず俺は背中の鈍い痛みに顔を顰める。
先ほど轟の砕いた破片が刺さったらしい。
この繰り返し。
先程の突きだけじゃない。
知っている限りの技を叩き込んできた。
だが攻撃が効かない。
あれだけ大振りであれば俺が回避するに難はないものの、その圧倒的な攻撃力と、そして日本刀すら通さない圧倒的な防御力。どんな技能を伸ばしているのか、はたまた他になにか理屈があるのかわからないが、互いに決め手に欠いていた。
だが交差する度に破片で俺は傷を負っていく。
大した傷ではないが、そのまま蓄積すればいずれその傷が動きをわずかなりとでも損なうだろう。
その隙に叩き込まれる轟の一撃はおそらく致命傷になる。
さらにここでこの男と戦い始めたのはもう半日以上前だ。
この廃ビルの上半分の階はいつ倒壊してもおかしくないほどボロボロになってるが、それ以前に体力的な問題がある。通常の人間でも達人クラスとなれば数時間戦える者がいる。ましてや自分は主人公であり鍛錬次第では人ならざる領域まで足を踏み込める。
だからといって体力は無尽蔵ではない。
常人からすれば半日以上継戦出来るだけで驚嘆すべきことではあるが、正直なところもう半日は無理だろう。動きを抑えれば問題はないが目の前の相手はそんな生易しい相手ではない。
「……ひとつ聞きたいんだけども」
「好きにしろ」
拍子抜けするほどあっさりとした返事。
「なんでまた、俺と戦うことにしたんだ? あんた、伊達を嫌ってただろう」
その言葉に轟は口元を歪めた。
「いい機会だからよ」
再び振るわれる拳。
切りつける俺。
離れる距離。
「確かに奴は気に入らん。興味すら湧かぬ。いつでも強者と闘るのだけしか考えられぬこの身には、あのような小手先の小僧などどうでもいい」
まるで暴風。
その腕の届く範囲は削岩機か。
拳を繰り出す度に壁が抉れ、割れ、砕けて、散る。
「以前見かけたときから、お前と闘りたいと思っていた。それだけのこと」
だんっ!!!
踏み込みが床を踏み抜く。
攻撃を回避しながら刀を振るうもやはり肌を滑るのみだ。
ざりざりとした嫌な感触しか返ってこない。
「覚えているか、一昨年の大蛇戦を」
意外な言葉だ。
確か大規模イベント戦だったはずだ。
上位者を差し置いて俺が初めてボスを討伐したイベント。
「見て確信した。その極めの強さ……闘るに値する、とな」
厄介な。
というか迷惑な。
しかもよりによってこの状況。
伊達が動き出したということは、綾や、そして行方のわからない充にもその手は伸びているはずだ。一刻でも早く戻らねばならないのに…ッ!
だが焦るわけにはいかない。
攻撃が通じないのならば出来ることはひとつだけ。
勝機が生まれるまで戦い続けることだ。
焦燥感はある。
綾が心配なのは当然だろう。ここでようやく見つかった俺の大事な恋人。
そして最も狙われやすい立ち位置にいるのだから。
同様に充もだ。伊達の野望をくじいている張本人。今はどこにいるかわからないが、先に見つけなければならない。
いつからこういう気持ちになったのか。
こんなに焦るほど諦められない存在になったのか。
どんなに幼馴染として仲を深めようと、心の片隅にあった所詮ただのNPCだと割り切った冷めた気持ちが完全に消えたのはいつだろう。
思い出せばすぐにわかるほど心当たりがあった。
「ああ、………そこだけは礼を言うべき、か」
「?」
ふっと浮かべた小さな笑みに轟が怪訝な顔をした。
だがわかるまい、相容れない相手に礼を思うこの苦々しさなど。
そしてわかるはずもない。
俺たちが交わすのは言葉ではなく、戦いでしかないのだから。
戦いは続く。
まるで地層のように疲労が次から次へと積み重なっていく。
だが同じように、新たな発見がある。
はるかに格上の相手と戦う死線の下で、かすかな手応えの違いから斬る角度や強さ、相手の兆候を見る目付、避ける見切り、全ての技術が少しずつ磨かれていくのだ。
疲労でかすかに鈍くなる動きを、かすかに上昇した技量で補う、という本当の綱渡り。
もっとこうすれば、もっとこうすれば、もっともっともっと―――。
と、懐から短く効果音が鳴った。
その轟と戦い始めて57回目の音を聞いたとき、思わず油断した。
気づいたときにはまるで丸太のような豪腕がするすると直前まで侵入していた。
なんとか防御しようと刃を体と拳の間に滑り込ませた。
衝撃。
「………が…ッ」
視界がくるくると変わり、気がついたときは地面に投げ出された後。
空中で何回回転したのか数えたくもない。
くわんくわんと響く頭を叱咤して横に転がりながら立ち上がろうとし、膝が言うことを聞かずに再び前のめりに倒れた。
えらい勢いで吹っ飛ばされたらしく、壁を2枚ほどぶち抜いた向こう側に轟の姿が見える。
なかなか呼吸ができず、ようやく出来たとしても胴体が息をする度に痛む。
おそらく肋骨を何本かやられた。
むしろそれくらいなら被害は少ない方だ。
まかり間違っていれば俺でも背骨ごと砕かれていてもおかしくない。
ではなぜその程度で済んだのか。
理由は握っていた刀を見ればすぐにわかった。
ぽっきりと折れている。
甘い。
あそこで油断するなどまだまだ俺も甘い。
だからこんな負わなくてもいいダメージを追う羽目になる。
「………所詮、お前もこの程度か。あと数時間もあればもう少し勝負になったかもしれないが」
見透かされている。
そうやろうとしたことは至極簡単。
轟と戦う中でレベルを上げようと試みたのだ。
そもそも攻撃力と防御力に圧倒的な差があり、勝機が見いだせないのはおよそ3倍近いレベル差が原因だ。すでに3桁に到達している轟は本来であれば戦ってはならないレベルの差。
だが逆にその相手と戦うことは飛躍的な力量の上昇をもたらす。
40レベル近い俺の必殺の一撃でも傷ひとつつかない相手との戦いはその条件に合致していた。
先ほど鳴った効果音はレベルアップ音。
この状況で上がるとすれば同じように使っている剣術と見切りだろう。
それが57回。
全部が剣術だとしても90ちょい、おそらく見切りが半分だから実際の総合レベルは60をちょっと超えた程度だろう。
及ばない、そう轟は言外に告げているのだ。
まぁ轟に追いつこうという発想がそもそも不可能だ。基本的にレベル差が小さくなればなるほど技能のレベルアップは遅くなっていく。それにレベルが近づけば向こうも技能が伸びる。
出来るのは差を縮めることくらいだ。
「お前と戦えれば“奴”に追いつけると思ったんだが、な」
第一位は告げる。
至極残念そうに。
轟が追いつけない相手。
いくら強さだけで序列が決まるわけではないと言っても、彼の場合は話が別だ。どちらかといえば彼こそ功績以外の純粋な強さだけでのし上がってきた一位なのだから。
「あんたが………、一位だろう、誰が……」
ついそう問い返してしまった。
そして気づく。
なぜこんな基本的なことに気付かなかったのかと思うような事実に。
だが一位の上、という予想しなかった言葉がそれに気づかせてくれた。
例えばボクシングで一位が最強だろうか?
答えは否。
一位の上には―――
「あの男、序列零位“須佐之男”に、だ」
―――そう、王者がいるものだ。
思わず絶句する。
名は体を表す。
そんな言葉があるように、名が物語っていた。
ああ、きっとさぞ強いんだろう。
その二つ名はそういった相手でなければ与えられない。
与えられてはならない。
もしそうでない相手に与えられたのなら、俺は許さない。
許せるはずがない。
そんな称号だ。
なんとか意思を通せた膝を奮い立たせて、真っ直ぐ立ち上がる。
その名を聞いた以上は、こうしていられない。
「なるほど……なら、そいつを倒したら、俺が“須佐之男”になれるわけか」
戯言と取ったのか轟の表情は変わらない。
そのつまらないような表情は当然のこと。
刀を折られ、肋骨を折られた俺ではこれまでと同じようには動けない。これまでと同じようにレベルを上げることはこれ以上出来ないのだから。
だがどうして俺が油断したのか、それを知らない。
まぁさっきも言ったが甘い。
どんな理由であれ油断することそのものが甘いのは反論できない。
―――いくら、勝機が見えたからといっても、だ。
「使うのは前の名がバレるからやりたくなかったんだが……これだけ人目が無ければ構わないかな」
俺の雰囲気が変わったのかを察したのか、轟はあるところまで近寄って足を止めた。
俺は右手を前に突き出す。
体から何かが抜ける感覚。
それが世界から何かを取り込んで―――
―――ゆっくりと異形の剣が顕現する。
「ほぅ……まだ武器を隠し持っていた、か」
「まぁ慌てるな」
胸の高さまで腕を持ち上げ、握った剣の先端を左掌に触れさせ。
少しずつ差し込んでいく。
ず…ずず、ずずず……ッ。
手の甲から突き出るはずの剣はなぜか出てこない。
まるで左手に吸い込まれるように刀身そのものが消えていく。
最後にはそのまま柄まで飲み込まれていき、消える。
剣は体を迸る。
「…………ッ!!」
その内面的な変化に気づいたのか、轟は喜びを隠しきれないように構える。
「さすがにこいつでも倍くらいまでの相手しか自信がなかったもんでね。ようやくあんたも射程圏になった」
戦意に震える轟。
だがそれは俺も同じ。
先ほどの零位の話を聞いた今ならわかるのだ。
この男がしようとしていたことはさっきまでの俺と同じこと。
強者と戦うことで自らのレベルアップを図ろうとしていた、そのために伊達の誘いに乗ったのだと。
強くなりたければ方法はいくらでもある。
武術でもいい、身体トレーニングでもいい、何か道具に頼るのでもいい。
だがこの男は明らかに持って生まれた身体能力と、そして戦いで培ったものしか使わない。おそらくはこれからも。そこにどんなこだわりがあるかわからない。信念のようなものがあるのかもわからないし、単に面倒だからとかそんな理由かもしれない。
だが、目指すべき相手がいてすら、己が道を譲らない。
やりたいようにやって、その上で勝利を掴む。
その気持ちは痛いほどわかる。
かつて、俺もそうだったのだから。
だから目の前の一位が嫌いじゃない。
だからこそ、ここで叩きのめさねばならない。
「生憎、やらなきゃならないことがある。手早くいく」
「それは困るな、せっかくお前をここまで追い詰めたのだ。もう少し付き合え」
軽く口を挟んだのが最後。
あとは戦いで語るしかない。
決着はすぐについた。
その頃には廃ビルは跡形もなくなっていたが。
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作者が頑張る燃料になります。