0.prologue 第一幕
どこでもないどこか。
そんな矛盾した世界に存在しない場所。
かの地に彼は在った。
古今のあらゆる文化建造物を敢えて特性を残すよう単純に継ぎ接ぎした構造物。
統一された上下左右の概念すら散逸して収集のつかないにも関わらず、絶妙な均衡と圧倒的過ぎるその規模は見る者に何らかの感情を呼び起こすに相応しい。
それが驚嘆であれ、絶望であれ、畏怖であれ、狂気であれ、憤怒であれ、もしくはそれら以外、或いは全てであったとしても。
居場所である建物の中心部。
彼が座する場所は、デザインした芸術家たちにとって冒涜的なまでの圧倒的な異形さとはかけ離れたほどに単純。
秩序を感じさせる独立円柱も、巧妙な空間を生み出す大天蓋も、うっとりするほど色彩の共演を描き出すステンドグラスも無い。
それどころか建物として存在する以上は無ければならない壁や天井といったものすらない。
無垢の画布にただ横線一本だけを引いたかのように、果てのない地平だけがただ存在する。
無論、精緻極まる筆が描き出す絵画も、練達の技が生み出す彫刻も、その他装飾する品すらも、ただひとつの例外を除き一切が存在しない。
その例外―――わずかに黒く点滅し蠢く極小の文字が無数に集まって構成していると思われる椅子に座す彼こそが、此処の唯一にして絶対者。
その意志が一瞬奔る。
ただそれだけで、その玉座を思わせる重厚な椅子―――それを構成する無数の文字のうち、一部がほどけるように分離し、宙へと流れて文章を描き、そして掠れて消えていく。
己が意を世界に行き渡らせんとする群雄たちが彩る戦記。
魔王討伐を描いた勇者の伝説。
愛し合う恋人たちがすれ違い、そして結末へと結んでいく物語。
未知なる価値へと目を開かせんとする異聞録。
その他、星の海を見上げているかのごとく数多存在するストーリー。
言ってみれば、これはそんな物語のひとつに過ぎない。
重なったストーリーを誰が見て、誰が判じるのか。
どこまでが物語で、どこからが現実なのか。
それを断じるは参加者たる己次第。
―――その狭間で自らを投げ出しながらも前に進もうとする意志こそが主役。
些か陳腐過ぎる言い回しに苦笑しながらも、彼はそのメッセージを送る。
ゲームの誘い文句であるのならば、もっと良い直接的なフレーズもあるだろう。推敲も足りないし、見切り発車である感は否めない。
とはいえ、元より発端は自己満足。
ただその結果が本物であるならば、たとえどんな切っ掛けであろうとも皆を魅了することが出来るだろうし、そうなると信じるからこそその存在を誇示するのだ。
ましてその目の前に全てを賭けた戯れが完成し、それを一刻も早く開示したい欲求に抗うつもりもない彼にとっては、今そこにかける時間の重要性は低い。
優先すべきはただひとつ。
彼は届ける。
退屈。
発展し過ぎたがゆえに、その生の目的を自ら定義するしか無くなってしまった刺激求める凪の世界人へ。
彼は届ける。
停滞。
常より永き流れる暇に住み、無聊を託つ日々への慰みを必要とする人々へ。
彼は届ける。
逃避。
自らを取り巻く環境に絡め取られ、身動きが取れないことを嘆く新たな光明を求める超越存在へ。
彼は届ける。
侵略。
彼の手に寄らず、別種の手段にて強引かつ徐々に侵食していく宙の疵の代弁者たちへ。
彼は届ける。
殻を脱ぎ制約の頸木から昇華した不滅存在たちへ。
彼は届ける。
世界の都合により生み出され、そして都合によって消えていく壮麗たる歯車たちへ。
彼は届ける。
その創造物の後援者たちへ多くの感謝と共に。
彼は届ける。
届け続けていく。
さぁ、ゲームを始めよう。
自らの世界から抜け、新たな世界へ。
始めた体験を仮想と断じるも、それとも自らにとって真と信じるも唯々自由。
主人公として羽ばたき、その生を謳歌せよ。
必要なものは須らく用意した。
存在しないものは唯彼らの行動が織りなす筋書のみ。
そのためだけに、この世界は犠牲になるのだから。
その果てでようやく。
彼は喪ってしまった自らの名を取り戻す。
否。
得ることが出来るのだろう。