遠くに行ってしまったアナタ。
――『中の人』が落ちた。
そうと気付いた瞬間、ゴールデンスクラップαは咄嗟に退却用の非常ボタンを操作していた。
巨大ロボの太い足から、腕から、そして首から瞬時に煙が噴き出す。
その巨体を紛れこませて逃がすための煙幕だ。
巨大ロボを退却させる想定で組まれているので、当然ながらその煙の噴出量は半端じゃない。
一瞬にして視界はピンクゴールドの煙に染まり、グラウンド全体が煙幕に包まれた。
己の『装備』で最も脆い『中の人』が剥き出しになってしまったのだ。
なんかもう空気もぐだぐだになりつつあったし。
魔法少女に与する謎の不審な鼻メガネ集団という訳の分からないナニかが参戦してきたし。
これ以上の長居は不利になるだけと判断し、巨大ロボは退却を選んだ。
遠距離射撃をしてくる謎の鼻メガネ三号から『中の人』を狙われないようにするという意図も含めて、一度発動させたら中々噴出が止まらない煙幕は学校全体を包み込んでいった。
ピンクゴールド色に。
そうして、巨大ロボはもちろん『中の人』を回収してから帰ろうとしたのだが。
それよりも早く、誰よりも早くグラウンドに転がり落ちた『中の人』に近づく者がいた。
錦谷 彼方。
家の事情により、兄のふりをして男子校に通う現在女装中の男装女子だ。
双子だから。
そんな根拠も説明できない理由で、だけど彼方には一目でわかった。
目の前に、落ちてきたアイツが。
この一年半――ずっと顔も見ていなかった、だけど会いたかった実の兄だと。
最後に見た時から、見た目はちょっと変わっていたけれど。
それでも同じ時に生を受けて、ずっと一緒に育ってきた相手だ。
居ても立っても居られず、彼方は考えるより先に走り出していた。
右手のこぶしを、固く握りしめて。
そして、振りかぶって。
「今まで何やってたんだ、このバカやろーっ!!」
力強く、足を踏み出す。
渾身の右ストレートが、振りぬかれると同時に過たず錦谷 遥の顔面に直撃した。
これがゲームならきっと、クリティカルの表示が出ていたことだろう。
だけど残念ながらここはゲーム世界ではなかったので、普通に吹っ飛んだだけだった。
彼方が。
「く……っこの一年半でどんな鍛え方したんだ」
「え、お前、まさか……かなtっ」
「今すぐ口を閉じろ。それ以上のおしゃべりはケツ蹴り上げんぞ」
「ケ……お前、どうしたんだ!? 前はそんな口悪くなかったろ!?」
「てめぇのせいだよ、この野郎」
この一年半。
すっかり元気なクラスのお友達に『男づきあい』という名の感化を受けてしまった彼方は、中学生の頃からは想像もできないガラの悪さで双子の兄にガンくれた。
妹がこんな変貌を遂げているとは、思いもしなかったのだろう。
現在、彼方の恰好は男子校生活を送っている一生徒には一見見えないフリルのミニドレス☆
ミスター女装コンテストにエントリー予定だったのだから仕方のないことだが、しっかりウィッグまでつけたこの姿から妹が男として男子校ライフを送っていると予想をつけろという方が難しそうだ。
彼の知っている段階での予定では、今頃は男子校の隣にある女子高で女子高生ライフを送っている筈だったのだから。
混乱に満ち満ちて、遥は動揺していた。
動揺している間に、校舎の空き教室に連れ込まれていた。
ちなみに巨大ロボは自分が噴出した煙幕で『中の人』を見失っていた。
「――さて、一体どういうことか説明してもらおうか。バカ兄貴」
そこは、先ほど彼方が和さんに連れ込まれた空き教室の片隅で。
異常に手際よくぐるぐると椅子に縛り付けた兄を前に、尋問の構えで彼方は立っていた。
「どういうことなのかは、俺こそ聞きたいんだけど」
「バカ兄貴は黙って」
「黙っていてどうやって説明しろと!?」
「無駄口叩かず、説明だけすればいいんだよ!」
互いに混乱が抜け切れていないこともあるのだろう。
何より相手に対して無数の『気になる所』があるせいで、話がちっとも進まない。
そんな中、ピッと挙手して発言権を求める者が。
「ところでなあ、錦谷。そいつのことを紹介してほしいんだけど」
「――ハッ 久連松!?」
何故ここに。
そういわんばかりの驚き顔で、隣に佇んでいた男に彼方は目を向ける。
久連松の方は今気づいたのかと逆に驚いた。
遥を運搬するのもさりげなく手伝っていたのに、まさか気付かれていなかったとは。
「流れで手伝ってたんだけど、気づかなかったのか」
「え、手伝われてたの。全然気づかなかった……」
さて、どうする。
彼方は頭を抱えたくなった。
まさか全く無関係な久連松が一緒に来ていたことに気付かなかったなんて。
これでは下手なことは言えないと、複雑な事情を抱えた彼方は途方に暮れる。
――だが。
「この空き教室に連れ込んだのは、『錦谷 遥』――この兄貴の名前で、女のお前がこの学校に通っていることと関係あるんだよな?」
「何故それを……」
驚愕に、彼方の目は見開かれた。
まさか、知られていたというのか。
「わからないはずないだろ。寮で同室だったのが俺で良かったな? お前の平穏なこの一年半は俺の見て見ぬふりという優しさの上に成り立っていたんだから」
「見て見ぬふり!? 何をこっそり見てたのさ!?」
「何を見たかは、さておき。そもそも俺はそっちの『錦谷 遥』に見覚えがある」
「え!?」
「受験の時、隣の席だったし」
「……もしかして、最初からおかしいって思ってた?」
なんということだろう。
いたたまれない気持ちでいっぱいになった彼方は、言葉では言い表せない様々な感情をこめて兄の頬をつねり上げるしかなかった。
「いた! いたたたたた……! ちょ、待て! 痛い。痛いって! っつうか聞き捨てならないんだけどお前がこの学校通ってたって、寮で同室ってどういうことだ!? この学校、男子校だろ!! お前、となりの女子高受かってたじゃん!」
「それはね、全てお前のせいなのよクソ兄貴」
久連松が事情を知らなければ、憚られたが。
既に知っているというのであれば隠しても無駄……否、ずっと会いたかった兄を前に口を閉ざしているのは無理だと彼方はこの一年半の間に溜め込んだ激情を詰め込めるだけ詰め込んで、気力と語彙を尽くして兄を罵りつつ何があったのかを語った。
遥の顔は妹からの容赦ない罵りか、知らない間に妹が要らぬ苦労をしていた事実のどちらかに酷く衝撃を受けたらしい。その顔色は、どんどん悪くなっていく。
そして彼方に抓り上げられた頬はどんどん赤くなっていく。
「この一年半! 私がどんな思いでいたことか……思い知れ、バカ兄貴!」
彼方の鬱憤籠った罵りと折檻を止められる者はいない。
だってそれは正当な怒りという奴だったので。
彼方の怒りがひとまずの落ち着きを取り戻した頃。
いつの間にか空き教室には不審な鼻メガネ四兄妹がぞろりと勢揃いしていた。
それぞれ戦闘装束ともいえる衣装を脱いで私服に戻っているのだが、何故に未だ鼻メガネ。
そんなものをつけたままで、私服に戻った意味はあるのだろうか……
しかし、彼方は鼻メガネを気にしない。
鼻メガネに四方を取り囲まれる中。
改めて遥の尋問が始まった。
「待って! 超待って! 周囲! なんか変な鼻メガネ共に取り囲まれてるんだけど!? この状況で俺のこと優先するのか彼方!?」
「うるさい、バカ遥。鼻メガネより何より、まずはアンタをとっちめるのが最優先よ!」
「錦谷……いや、二人とも錦谷だしややこしいよな。この際だから彼方って呼ばせてもらうが、彼方、落ち着こう。問い詰める時は冷静に理攻めで行く方が効果的だ」
「気分を沈めたいなら、こういうものがあるけど?」
すっと、彼方の横から。
差し出されたもの――鼻メガネ。
まだ持っていたのね、昭君。
「これは……?」
「面と向かい合うから冷静じゃいられないんじゃない? ポーカーフェイスになれる道具は尋問するにも効果的だと思うけど」
「「………………」」
彼方は差し出されたアイテム、鼻メガネをじっと見る。
その髭は、三国志に出てくる武将の髭に似ていた。
じっと見つめるその眼差しの奥で、彼方が何を考えたのかはわからない。
だが。
「使わせてもらうわ」
彼方は鼻メガネを受け取った。
「ちょ、彼方!? 正気かおいぃ!!」
「巨大ロボから出てきたアンタに正気を疑われる覚えはないわ。っていうか何なのよ、あのロボ」
「なんてこった……俺の妹が、なんでこんな変わり果てた姿に…………」
「目下のところ全部てめぇのせいだよバカ兄貴」
こうして尋問される遥以外全員鼻メガネという異様な空間の中。
圧倒的に兄貴が不利な立場での、双子対決が始まる。