夫婦は覚悟を胸に旅を続ける
蛇足かもしれませんが、ラヴィ視点のその後をアップします。朝チュンシーンあります。苦手な方はご注意ください。
ふわり。空気が顔にあたって、ラヴィは赤い眼を開いた。
頭の中がとろりと夢の中にいるようで、ぼんやりしてしまう。落ちそうになる瞼を擦りながら、ラヴィは口を開いて、あくびをした。
――オレ……また、寝ちゃってたのか?
女の体になってから眠たくてしょうがない。女の体は不便なものだと、ため息をつきたくなる。
「ふぁっ……」
ラヴィはもう一つ、あくびを噛み殺して両腕を伸ばした。ふぅ、と息を吐いて脱力すると視界にふりふりのエプロンが見えた。それを見て、口がへの字になってしまう。
このエプロンを買ってきた時のバルバロスのご機嫌な顔を思い出したからだ。にやりと歯を見せて笑うバルバロスは悪戯を企んでいる子供のそれに似ていて、ラヴィは肩を震わせて顔を真っ赤にした。
夫婦になってから、バルバロスはやたらラヴィに女らしい格好をさせたがった。
「妻を着飾るのを見るのは夫の特権だろ?」とか何とか言って、スカートやらワンピースを買い込んだ。さすがに下着も選ばせろと言ったときは全力で断ったが、なぜかキレられた。
「好みを選んで何が悪いんだ!」
「好みを選ぶなよ! おまっ! こんなの!生地がないじゃんか!」
「うるさい! 俺はお前の夫だぞ!」
「夫なら妻の言うこと聞けよ!」
2日間、言い争って、最終的に半分はバルバロスの好みのものにするということで落ち着いた。
(バルのやつ……全く……)
女にすら慣れないというのに妻扱いされるのもまだ慣れない。バルバロスが見せる甘やかな視線も、絡めとられるように繋がる手も慣れない。
慣れないというのに、体は妙に熱くなり、ドキドキと心臓まで苦しくなる。バルバロスを見ていられなくて、視線を逸らせば「どうした?」と低い声が耳の近くで聞こえる。それにゾクゾクした感覚が全身を走り、さらに居心地が悪い。
まるで、体も心もバルバロスに作り変えられてしまうような気になる。
ラヴィが参っているのは、それが少しも嫌ではないからだった。
「あ、しまった!」
コンロに火をかけっぱなしだったことを思い出して、ラヴィは慌ててコンロに近づく。
(あれ?)
火は消えていた。それどころか煮込みかけのクリームシチューはすっかり冷えて、膜まで張っていた。
随分と寝込んでしまったらしい。ため息をついて、ふと部屋が妙に静かなのに気づく。人の気配がない静まり返った部屋を見渡し、ラヴィはいるはずの人に声をかけた。
「バル?」
いつもなら「なんだ?」と、優しい声が返ってくるはずなのに、部屋は静かなままだ。
「バル? バル!」
部屋のあちこちを探す。黙って出ていくことなんて、今までなかった。妙な胸騒ぎを覚えたラヴィは、転びそうなりながら、家の外を出た。
家の外はいつもと少し違っていた。青空の下、若草の草原が風にのって揺らいでいた。バルバロスがラヴィみたいで可愛いと言っていた小さい花もそのままだ。
「バル……?」
いつもと違うのは、バルバロスが倒れていたことだ。ぴくりとも動かない体を見つけて、ラヴィの顔が悲壮感に歪む。声も出せずに、息を詰めて、バルバロスに駆け寄った。
折れた剣を持ったまま倒れたバルバロスは酷い戦闘の後を如実に物語っていた。ラヴィは訳がわからないまま、バルバロスに声をかける。声が震えた。
「バル……?」
体を揺り動かす。バルバロスはいつもの笑顔を見せない。優しい声も。甘い視線も何も見せない。
何もない。
それに、ラヴィの世界がバキンと折れた。
「バル!! おい! バル!! おいってば!!」
激しくバルバロスの体を揺り動かすと、ぬるりとした感覚が手にまとわりつく。手のひらを見れば赤い血がついていた。気づくと、バルバロスが買ってくれたエプロンが彼の血で染まっている。
それにラヴィの感情は決壊した。
「あ……―――ああああっ! バルゥゥゥゥ!!」
無意識のうちに、呼吸を確かめる。旅で培ったことを思い出していたのかもしれない。呼吸を確かめると、ラヴィはバルバロスの体を背負うように持ち上げた。
ぼちゃり。血の塊が若草を濡らす。それに眉を潜めながらもラヴィは助けを求めて咆哮した。
「誰かー!! 助けてくれええええ!!」
体格の良いバルバロスを背負い、引きずりながらもラヴィは叫び続けた。
助けて。
助けて。
助けて。
バルを助けて。
バルを助けて。
バルが死んじゃう。
バルが死んじゃう!
死んじゃうよ!!
そんなの嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ!
「助けてくれええええ!!」
ありったけの声で叫ぶと、近づく者がいた。空き家の管理人のおばあさんだ。
「ラヴィちゃん!?」
ラヴィの体は血だらけだった。そして、顔をぐしゃぐしゃに歪め、泣きながら、駆け寄ってくる管理人に向かって声を出す。叫びすぎて、喉は潰れていて、音を出せない。はくはくと、動かしたラヴィの口は同じ事を繰り返していた。
――バルを、助けて……
ラヴィにとって、願いはそれしかなかった。
バルバロスは近くの病院まで魔法で転移され、一命をとりとめた。それにラヴィは顔を歪ませながら、子供みたいに泣いた。
「っ……よかっ……よかった……」
「ラヴィちゃん……」
付き添ってくれた管理人のおばあさんは、ラヴィの背中を何度も擦って、心痛な面持ちでラヴィを見つめていた。
しゃくり声を上げながら、泣きやみそうにないラヴィに管理人はバルバロスが隠していた事実を告げた。
「ラヴィちゃん……バルバロスさんには止められていたんだけどね……」
そう言って、彼女はラヴィが魔物から狙われている事実を話した。バルバロスは魔物が襲いかかるかもしれないから、決して外に出るなと彼女に伝えていた。魔物の狙いはラヴィだ。自分は強いからラヴィを必ず守るから、被害はでないと、破格の金を置いて、頭を下げていたということを。
ラヴィは隠された真実を知り、瞬きもせずに赤い眼を大きく広げた。
「恐ろしい数の魔物が来てね……バルバロスさんが一人で戦っていたよ。ラヴィちゃんを守るために、戦っていたよ」
その事実にラヴィの顔が歪む。
悲しくて、悔しくて、憤りが沸き上がる。
「バルのバカやろう!!」
一人で背負い込んでいたバルが許せなかった。でも、それ以上に、何も気づかなかった自分が許せなかった。
ベッドで目を覚まさないバルバロスを見て、ラヴィは泣いた。もう涙なんて出尽くしたと思っていたのに、また次から次へと溢れた。
「バル……!」
目を開いたら文句の1つでも言いたかった。何で黙っていたんだと。
「バル……っ」
いや、違う。
そんなことを言いたいんじゃない。
「バルぅ……」
もう一度、目を開いてほしい。
その漆黒の瞳で自分を写してほしい。
その為なら、何でもするから。
何を犠牲にしてもいいから。
平穏さなどいらない。
この身が引き裂かれたって構いやしない。
願いはバルバロスが目を開くことのみ。
だから……
黒い瞳を開いて、もう一度、自分を――
「バル!! バル!! 起きろよ!! お願いだよ!! バル!! 目を開けろよ!!」
離れてしまった手を繋ぎとめるようにラヴィはバルバロスの手を握った。
「っ……」
バルバロスの目が開いたその瞬間のことを、ラヴィは何と例えたら分からなかった。全身が喜びを駆け抜けたとでも言えばよいのだろうか。
気がつくとバルバロスの名を呼んで、力の限り泣き叫んでいた。
バルバロスは泣きわめくラヴィを不思議そうに見るのみだった。泣く理由がわからないといった風だった。
なんでわからないんだと、ラヴィは心底憤っていた。だから、わからず屋のバルバロスに分からせてやろうと、ラヴィは魂を振り絞るように叫んだ。
「バルが死ぬんだったら、オレは死ぬ!! 一人にするなよ! オレも連れていけよ!!」
「ついてこいって、言ったじゃないか!!」
その時、ラヴィの中で覚悟が決まった。
本当は無意識のうちにその道しかないと思っていた。ラヴィの中で、バルバロスと離れる選択肢などとうに、なくなっていたのだろう。
――バルについていく。死後の世界に行くというなら、喉をかききってでも、ついていってやる!
腹が据わったラヴィの心は熱く燃え盛っていた。
泣きじゃくっていると、バルバロスから、「愛している」と言われた。その言葉は妙に恥ずかしくて、やっぱり慣れない。意気込んで、噛みながら同じ言葉を言ってみたが、全然足りないような気がした。
胸に熱く灯った思いは「あいしている」じゃ伝えきれない。でも、ラヴィは他に言葉を知らない。それは言い慣れないからだと思ってしまった。
まだ体が回復しないバルバロスは、一度目を覚ました後、また眠ってしまった。その寝顔を見ながら、ラヴィは小さな声を出す。
「あい……してる……」
言葉に出すとやっぱり変な感じがした。なのに、言うと胸の苦しさが増すような気がする。やっぱり、言い慣れていないせいだと思って、キリッとした顔で言葉にする。
「あいしている……」
ややスムーズに言えたことに安堵して、ラヴィはバルバロスの寝ている間に繰り返した。
あいしている。
あいしている
愛して……いる。
愛している。
その後、フルポーションのおかげで回復したバルバロスは、ラヴィの頭を撫でて「心配かけたな」と声を出した。
ラヴィは口をへの字にして、文句を言おうと口を開いた。なのに、文句は出なかった。その代わり、懇願した。
「魔物と戦ってるなら教えてくれ……」
ラヴィの頭を撫でていたバルバロスの手がとまる。漆黒の目は動揺で揺れていた。ラヴィは覚悟を決めた目で、その漆黒を見据える。
「何もできないけど、バルが倒れたらすぐ運べるようにしたい。お願いだ」
それくらいしかできないけど、と付け加えて苦く笑ったら、強く抱きしめられた。その抱擁は加減をしらなくて、痛かった。
「お前が傷つくことはないんだぞ……」
ラヴィはバルバロスの背中に手を回す。
「傷ついたっていい。……バルの為ならいくらでも傷つく」
そう覚悟したから。
伝えると、骨がみしりと鳴るほど強く抱きしめられた。
その後、元の家に戻ってきた二人だった。魔物の襲撃は先の戦闘が大規模だったためか、ぱたりと止んでいた。つかの間の安息が二人に訪れていた。
しかし、その安息をラヴィは享受できずにいた。
ラヴィの感情は不安定だった。視界にバルバロスが入っていないと落ち着かなくなっていた。料理を作っていてもチラチラとバルバロスのことを確認してしまう。
顔を赤くして、不安げに瞳を揺らして見ると、バルバロスは視線を逸らしてしまう。それにまた、不安になる。
「なんで見ないんだよ……」
文句を言うと、バルバロスは口元に手をあてて、目線を泳がせる。そして、観念したようにため息混じりに言った。
「可愛い顔をしているからだ……」
「可愛い顔……?」
意味が分からず、小首を傾げると、バルバロスは困ったように、眉を吊り上げる。
「っ……あまり困らせるな。押し倒したくなる」
熱をぎらつかせながら、バルバロスはそう吐き捨てた。
――押し倒す?
その意味をラヴィは分かっていた。
それが、ちっとも嫌ではないことも分かってしまった。
その日の夜、ラヴィはもて余す熱に困惑していた。バルバロスが倒れて以来、眠るのが怖い。また寝てしまったら、その時にバルバロスが倒れていたら……そんな悪夢が脳裏を過ってしまう。
だから、甘えるようにバルバロスとベッドを共にしていた。
バルバロスは何にもしてこない。時折、悪戯に顔中にキスをしてくるが、最後まではしてこない。
それは子供ができた時のことを思ってのことだろう。ラヴィは感じていた。
頭ではわかっている。セックスはできないと。
でも、繋がれば何か変わるかもしれない。近いことならしても……
そう思ったら居てもたってもいられなかった。もて余す感情をぶつけるようにラヴィはバルバロスに言う。
「バル……抱いて……」
小さな懇願。恥ずかしくて顔を上げられない。バカなことを言っていると思って、泣きたくなってくる。横で息を飲む音がした。
「ラヴィ……」
切なげに呼ばれて、頭を撫でられる。
「無理するな。どういうことなのか、分かっていないだろう?」
甘く諭すような言葉に涙が溢れた。
「わからない。わからないよ。だけど……!」
ラヴィは顔を上げた。バカなことを言っていると思うのに気持ちが止められない。繋がりたいという気持ちだけが膨れ上がり、ラヴィを駆り立てる。
「胸が苦しくてしょうがないんだ!」
「ラヴィ……」
赤い目を擦りながら、ラヴィは不安を吐露した。
「寝るのが怖い……バルと離れるのが怖い……怖いんだ、バル……」
赤い目を涙で揺らしながら、ラヴィは欲を叩きつけた。
「助けて……バル……」
とろり。
赤い果実は熟した。
その後のことを、ラヴィはよく覚えていない。ただ、性急にキスをされた。ラヴィ……ラヴィ……と愛しく呼ばれ、それが嬉しくて震えてしまった。
■■■ side バルバロス
ごくり。
バルバロスは熱を冷やすために水を飲み、喉を鳴らす。コップ一杯の水を飲み干しても体の熱は冷えなかった。大きく息を吐き出すと、息が熱すぎて思わず苦笑いが出る。ふと、視線を上げると、窓の外が見えた。朝もやがかかった薄い水色が見えて、過ぎた時間の長さにまた苦く笑った。
ベッドに戻るとあどけない顔をしてラヴィが眠っていた。赤い目の下は泣きすぎて腫れている。先程までの事情が色濃く残る布団のすき間からラヴィの白い体が見えている。ラヴィの体には無数の赤い傷が残っていた。それに、バルバロスの眉間に皺が寄る。罪悪感を隠すようにラヴィに布団をかけ直し、乱れた前髪を整えてやった。
ふぅと、一息つくと、バルバロスはシャワーを浴びようと立ち上がった。
熱いシャワーを頭からかぶりながら、バルバロスは昨日のラヴィを思いだし、頬を緩ませる。
完熟した果実の甘さを堪能しつくした。
思い余って噛んでしまうと、果実は深く食べられることを願った。黄色い蜜まで食べつくし、心は満たされている。
この瞬間の今まではないかと思うほどに。
――体を暴いておいてよかったな。思いの外、スムーズだった。
バルバロスはラヴィとの間に子供を望んでいない。それは、魔王になるとかそういう危機感を持っていたわけではなかった。
ラヴィがバルバロス以外のものに心を奪われる。それが許せなかっただけだ。
ラヴィは自分さえ見ていればいい。
それが倫理に反した思いだと言われようとも、バルバロスは生涯、意思を曲げることはないだろうと思っていた。
キュッキュッ。
シャワーの取っ手を回し、タオルに手をかける。乱暴に頭を拭き、一息つくと、ある考えが脳裏をよぎった。
たまには、愛しい妻の為に朝食でも作るか、そんな気の効いたことを思い付く。
鼻歌を歌いそうなほど機嫌のよくなったバルバロスができもしない料理をして、うっかり火事をおこしかけ、ベッドから出れないラヴィに盛大に怒られるのは、この後、すぐである。
◇◇◇ side ラヴィ
その後、ラヴィの強い要望により、やはり種を無くす方法を探す旅に出る。バルバロスはあの丘の家を気に入っていたので、文句を言われたが、「体が持たない」と言い続け、納得させた。
バルバロスは「どっちでもいいけどな」と不敵に笑っていたが、ラヴィがその意味に気づくことはなかった。
二人は手を繋ぎ歩きだした。
離れない為に。
バルバロスの腰には真新しい剛剣があった。それを見て、ラヴィは足を止める。
「どうした?」
つられてバルバロスも足をとめる。ラヴィは胸に宿った覚悟を伝えるように口を開いた。
「なぁ、バル……」
晴れやかな顔をして、ラヴィはバルバロスに告げる。
「オレにナイフの使い方を教えてくれないか?」
それにバルバロスは眉根をひそめた。
「戦いかたを知りたいのか? そんなことをする必要は……」
ラヴィはバルバロスの声を遮るように首を振った。そして、赤い瞳は漆黒に愛を語った。
「オレがオレを殺せるように」
ラヴィの中に愛とか恋とか、そんな甘く幸せな感情はない。あるのは、一つの覚悟だけだ。
あの日、バルバロスについてこいと言われて、その手を取った。だから、もうその手を放さない。どこまでもついていこう。
「バル。オレは、バルについていく。どこまででも。だから、バルが死んだら、追いかけられるようにナイフの使い方を教えてくれ」
晴れやかな顔でラヴィは自分の覚悟を告げた。
バルバロスは静かに息を飲み込んだ。そして、ラヴィの覚悟を受け止めるようにその胸に抱いた。抱擁は力強く、みしりと骨が鳴った。
「……わかった」
バルバロスの答えにラヴィは幸せそうにへへっと笑った。
再び手を繋いで歩きだす。
その手が離れることはもうないだろう。
繋がれた手は死さえ離す事はできない。
生きるときは二人だ。
そして、死ぬときも二人だ。
それは、一つの夫婦が結ぶ愛の形だった。
総合評価1000越えありがとうございます。
読まれない話だと思っていたので、ここまで伸びたことに驚きを隠せません。コメントでもあたたかいお言葉を頂き、投稿当初はやっちまったよ……と思っていましたが、完結できてよかったです。
お読みくださって本当にありがとうございました。
黒りすこ