18
夜の九時。何もない、ただの空き地の前で少女は何かを思い馳せるようにして一人、立っていた。
現在では空き地であるこの場所には、六年ほど前までは小さな一軒家があり、彼女はそこに住んでいた。三人で住むには少し狭い家であったが、一緒に住んでいた姉や父の存在を近くに感じられるために彼女はその家を気に入っていた。
だが、それも六年前の事故で全てが失われた。
大好きだった姉はこの世を去った。父とも一緒に暮らせなくなった。
「ああ————————」
少女は嘆く。
しかし、こんな人生ももう終わりだ。前回は失敗したけれど、今度こそ成功する。そうすれば、妹も母も帰ってくる。父にだって再会できる。
全ては、失われた日常を取り戻すために。
そう心に言い聞かせ、少女が自分の住む寮に戻ろうとしたときであった。
「やはりここにいたのか、紫苑」
目の前には、見慣れた一人の青年。
白河道長が立っていた。
「どうしてあたしがここにいると思ったんですか?」
少女、もとい蒼衣紫苑は率直な疑問を投げかける。
「はじめは女子寮にいると思ったんだ。でも女子寮の寮長に紫苑はまだ帰ってきていないと言われてしまってさ。買い物に行っているかもと考えたがこの時間に買い物は少し不自然。ということで、この場所にいるんじゃないかって思ったんだよ」
「そうでしたか。ミッチー先輩らしい論理的な推理です。ですが、この空き地にはたまたま通りがかっただけですよ。あたしは夜の散歩をしようとしていただけで————」
「それはダウトだ」
紫苑の話を道長が止めさせる。
「今日ちょうど六年目だったんだな。原因不明の爆発事故。姉を亡くしたお前は、供養も兼ねてこの場所へ来たんじゃなかったのか?」
「どうして、それを」
紫苑は一瞬ひるんだように瞬きをした。
「気になって調べたんだよ。色々とな。疑問は残るばかりだが、それでもわかったことがある」
一息置いて、道長ははっきりとした口調で喋り始めた。
「俺のポストに入っていた『鏡の檻姫』のヒロイン、ライアはお前の姉である蒼衣来亜が元となっているということ。そしてここからは俺の推測だが、『鏡の檻姫』を俺のポストに入れたのは、蒼衣来亜に関係してかつ俺を知っている人物、すなわち紫苑、お前なんじゃないのか?」
紫苑はうつむいて口を開かない、が、否定をする素振りも見せなかった。
道長は畳み掛ける。
「教えてくれ。どうしてお前は俺のポストに『鏡の檻姫』を入れたんだ? 俺は空色十二郎に『鏡の檻姫』を渡したが、彼と紫苑は関係があるのか? そして、召巻術と紫苑は関係があるのか?」
紫苑ならこの疑問に答えてくれる。そう道長は思っていた。彼女は付き合いこそ短いけれど、道長が二年生になってからできた紛れも無い友達だ。
しかし、そんな道長の心を読み取ったかのように、紫苑はいつもの明るい雰囲気とうってかわったような様子で、呟くように答えた。
「人は誰しも秘密にしたいことがある。互いの秘密に干渉し合わないのが、友達という関係ですよ」
道長はその言葉に聞き覚えがあった。一昨日のショッピングモールで、道長がライアの下着を買おうとしていたところを紫苑に目撃された時だ。
あの時は紫苑のこの言葉で助けられただけに、道長は返す言葉が見つからない。
その様子を見かねたのか、紫苑は微かに頬を緩める。
「本当にミッチー先輩は面白いですね。妙に真面目で律儀ですから。だから、そんなミッチー先輩に一つだけ教えてあげます」
「一つだけ、というと?」
「あたしが今まで経験した死にたくなるエピソード、その第一位です」
道長は少し考え思い出した。ライアと会った次の日の朝に紫苑と話していたことだ。
「あの時は、一位のエピソードを話したら本当に死にたくなる。とか言っていなかったか?」
「そうです。しかし今回は特別にあたしから話してあげようというわけです」
道長は不思議に思った。どうして今、そんな関係もなさそうな話をするのであろうと。
一方で紫苑は道長の困惑した様子を気にすることもなく喋り出す。
「死にたくなるエピソード第一位、それはあたしが幼い頃に母と姉を亡くし、さらに生きている父と再会できなくなったことです」
「姉と……母?」
道長は驚いた。姉を亡くしたのは図書館で調べたから知っていたが、母親までも亡くしていただなんて。
しかも、生きている父と再会できない、とはどういうことであろうか。
道長の疑問に答えるかのように、紫苑はゆっくりとした口調で話す。
「母を亡くしたのはあたしが小学二年生の時でした。あたしの母は殺されました。原因は父に対する報復でしょう。当時父は召巻術界で有名な召巻術師でありましたから、無名の召巻術師の恨みを買ったのでしょう。それ以降父は召巻術師界から離れて、表としての顔、弁護士業と作家業を続けながら家にこもるようになりました」
「弁護士と作家ってことは……」
「ええ、ミッチー先輩と会った空色十二郎は紛れもなくあたしの父親です。本名は蒼衣十二郎。空色十二郎は作家業におけるペンネームです」
道長の予想通り、空色十二郎と蒼衣紫苑には関係があった。それがまさか、父と子の関係だったなんて。
「一方で父は母に対する強い執念がありました。自分のせいで殺されたという自責の念もあったのでしょう。そこで父は、召巻術を使って母を蘇らせようとしたのです」
道長は昼間に井崎が話していた言葉を思い出した。井崎が五年生まで遊んでいた年上の少女が蒼衣来亜であるとすれば、来亜が言っていた「またお母さんに会える」という言葉はこの蘇らせようとしている事を指しているのだろう。
「父は母を蘇らせるために必要な本を書き上げました。そして六年前の今日、この場所で父は母を生き返らせるよう試みたのです」
しかしその結果は明白だ。
「試みは失敗しました。元々召巻術に大した力はありませんから、それを無理に使おうとしたことが原因でしょう。召巻術の禁忌に触れた代償は強い呪いでした。依り代となっていた姉は即死、父は召巻術のうち、召巻書を書く能力が失われた。さらに、会いたいという願いが反転し、生き残ったあたしと父は現実で今後一切出会ったり、何らかの形で交流したりすることができなくなりました」
六年前の紫苑は小学四年生だ。十歳近くで両親と姉と別れた悲しみは、壮絶なものであったのだろう。
道長はこれ以上紫苑に話をさせたくないと感じた。しかし紫苑の口は止まらない。全てを吐き出すかのように、ただ単調に喋り続ける。
「家族で残ったのはあたしが父から教わった召巻書を書く能力だけです。だからあたしは最後の望みをかけて、父と同じように姉と母を蘇らせる召巻書を書くことにしました。それこそが『鏡の檻姫』です」
紫苑の話は続く。
「さて、あたしは『鏡の檻姫』を書き終えたわけですが、召巻書を書けても召巻術としてそれを用いる能力には秀でていない。しかし、あたしが書いた召巻書を父に送る必要があったが呪いによって直接渡す事ができないという状態に陥ったのです」
「そこで、俺のポストに?」
「そのとおりです」
紫苑はそう答えたが、道長にはその意味がわからなかった。
紫苑が父親に『鏡の檻姫』を直接渡せないからといって、どうして道長のポストに入れたのであろうか。
「『鏡の檻姫』には次のような命令を加えました。『この本が開かれたとき、自動で《召巻》を行い、その時点での持ち主に対して本来持つべき持ち主を見つけさせよ』と。こうすれば、召巻術師でないミッチー先輩も、『鏡の檻姫』を事実上《召巻》できるようになるんです」
「じゃあ俺は、本当はライアを《召巻》する力なんて無いってことかよ」
「その通りです。だってミッチー先輩は、何の能力も持たない、ただの一般人ですから」
なんてことだ。ライアは道長を召巻術師と言っていたが、あれは嘘だったということなのか。
「話を戻します。そうやって命令を施した『鏡の檻姫』はミッチー先輩の努力あって無事に『本来持つべき持ち主』であるあたしの父に渡りました。父の元に着いたらあたしに信号が送られるよう命令しましたから、信号が届いているので、成功です」
「なあ、それってさ……」
道長は何かに気がついたように、震える声を口にする。
「俺は利用されていたってことか?」
「……………………………………、それは」
否定してくれ、と道長は思った。
出会いは少し変だったけれど、毎日のように登下校を共にしていたり、一緒にショッピングモールを見て回ったりしたのも、全てはこのためだなんて、道長は思いたくなかった。
しかし、残酷にも紫苑は首を縦に振る。
「まあ、こんな持ち主探し、普通の人に頼んでも受けてくれないですからね。その点ミッチー先輩は素晴らしいです。帰宅部でいつも暇してて、その上に優しいですから。仲良くなって素性を知った甲斐がありました。ただ落胆しないでください。ショッピングモールで会ったのは本当に偶然で、そのときはあたしも楽しかったですよ、青春ごっこ」
青春ごっこ、という言葉が道長の心に深く突き刺さった。
紫苑を恨む気持ちはなかった。ただ、崩れた幻想を前に呆然とする事しかできなかった。
「まあ、そんなに落ち込まないでください。とは言っても、立ち直ることは難しそうですかね?」
紫苑は笑っていた。見た事のない表情で。
「ミッチー先輩が立ち直る事ができないのはあたしの責任ですからね。辛い記憶は全て、忘れてしまうのが一番です」
その言葉を聞いた刹那、道長には妙な悪寒が走った。
うまく頭が働かないが、体が嫌な気配を感じている。
しかし、それまでだった。
「召巻、記憶喪失。さようならミッチー先輩。次は良い人生になるといいですね」
紫苑が取り出した本から、妙な色をした光が放たれる。
それを目にした途端、道長の視界が、暗転した。




