05
「おい、冗談だろ……夏希?」
軽自動車を停めた路肩。そこから10mほど離れた場所に、それはあった。
今回の肝試しのスタート地点。
廃神社へと続くという、脇道だ。
それは凡そ人の通る道には到底見えない。背の高い針葉樹、その脇からは鬱蒼と茂る薮が壁を作っている。地面には人が頻繁に通る気配は見当たらず、背の低い草が土を覆っている。その中心、細く伸びたむき出しの土が、ここが獣の道だと言うことを明確に示していた。
そう、夏希は確かにこの辺りで虫除けスプレーを振りまいていた。ここに、確かに立っていたはずだ。
数秒呆然とした僕らだったが、即座に行動に移る。
「夏希! いるんだろ! 出てこいよ!」
「冗談だよね! もう十分驚いたから! 早く出てきてよ!」
堰を切ったように叫びながら、懐中電灯を振り回す長治。しかし、いくら夏希の名前を呼んでも帰ってくるのは静寂ばかり。
本当にいなくなってしまったのか?
最悪の想像を浮かべてしまい、ブンブンと頭を振る。それだけは、有ってはいけない。とにかく、一旦落ち着かなければ。
「長治! 夏希は懐中電灯持ってたよね?」
「あぁ、持ってた! けど、こんなん洒落になんねえぞ!」
悔しそうに悪態をつく長治。握りしめた懐中電灯へは、音が出そうな程に力が入っている。
いくら夏希が悪戯好きとは言え、こんな事をする人間では無いことは僕にだって判る。例え実行に移したとして、今頃ドヤ顔で「ドヤ? 怖かったやろ?」なんて言いながら出てくるところだ。こんなに心配している長治を放っておく筈がない。
「チャラ男! ええと、アイツ、堺の可能性は?!」
次に思いついたのはチャラ男、こと堺 裕之の事だ。あいつが誘拐したというのも一つの可能性としてあるのではないか。
「それはねえ! アイツ車持ってねえし! 第一、俺らをどうやって追うんだ? どこで知り得たこの情報を!」
「落ち着いてよ長治!」
激情に身を任せる長治を宥めようと叫ぶ。しかし、斯く言う自分も落ち着いていない事に、この時の僕は気づけない。
「落ち着いてなんかいられるかよ! つか、少し考えれば判んだろ!」
一呼吸置いて、
「ここまで来るのに、後ろからも、対向車すら見なかっただろ!」
そう叫んだ長治に、僕は怯んでしまう。
実際その通りだ。ここに来るまでの約10分間の間、街中では数度車を見かけたものの、それらは全て東西の道を走るものだった。この道を進む、また戻る車など一台もなかった。更に言うなら、仮に誘拐を実行しようとして、夏希が無抵抗な筈がない。何かしらの叫び声はこちらに届く筈。また、連れ去るための車が通ったのであれば、僕らが気付かない訳もない。
じゃあ、一体誰が夏希を隠したのか。
そこまで考えを巡らせた段階で、長治が叫んだ。
「クソッタレ! おい夏希!!!!」
懐中電灯を獣道へ向け、そのまま駆け出す。
「待ってよ長治! なあ長治!」
「夏希ィィィ!!!!!!」
僕の声など、彼には最早聞こえていないのだろう。獣道を全力で駆けていく長治の叫び声は、だんだんと遠ざかりやがては聞こえなくなる。
懐中電灯を貰い損ねた僕は、スマートフォンを取り出してライトを付ける。家に帰ってフルになるまで充電はしたから、電池切れは恐らく心配ないだろう。灯りとしてはやや心許ない光量ではあるものの、無いよりマシだ。
意を決して獣道に足を踏み入れる。
ここで引き返しておけば良かった。そんな風に後悔することは何度もあった。ただ、ここで引き返したとしても、これから起こる事象が回避できるなんて、そんな甘いものじゃないと気付くのはもっと後だ。
僕の罪業は、この時には、既に返還期にあったのだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
長治を追って入った獣道。とは言っても最初だけで、途中から道幅は広がり、幾分か歩きやすくなっていた。しかし、足元は夜露に湿った草木に覆われ、相変わらず歩きにくいのは確かだ。転んだり怪我をすることがあれば、それこそ一番不味い状況となる。加えて灯りは手元のスマホのライトのみ。基本的には足元を照らし、時々左右を照らして木々の間を確認しつつ慎重に進む。
虫の声に、時々混じる山鳩の不気味な鳴き声、時折木々がざわめく音、そして、自分の足音と呼吸音。それだけが耳元で強く響く。2人の事を思う度に心臓がバクバクと震え、それまで聞こえていた環境音を掻き消す。少し落ち着きを取り戻す度に聴こえてくる環境音。繰り返し繰り返し、何度かの波が過ぎ去った頃、足元に違和感を感じる。
左右の木々を照らしていたライトを足元に向けると、僕の右足が踏んでいたのは、石畳だった。とは言っても、綺麗に成型されたものではなく、そこらの岩をそのまま埋めたかのような歪な石畳。その石畳は、足元から奥へと続いている。
奥の方へライトを向けると、今度は道の向こう側に、うっすらと人工物が見えてくる。近づき確認すると、それは朽ちかけた鳥居だった。高さは凡そ2~3メートルほどだろうか。神社の入口にあるような立派なものではなく、小ぶりの鳥居が、何本も、何本も道に立ち並び、道を作っている。元々は赤く塗装されていたのだろうが、それは殆どが剥がれ落ちてしまっている。
伏見稲荷神社の参道をふと思い出す。ここの鳥居群も朽ちていなければ、あの様に綺麗で神秘的な様相を呈していたのだろうか。しかし、ここに残るのは最早信仰の残滓。人々に忘れ去られ、放置されたこの鳥居たちは哀しさを持って、ただ佇むのみだった。
非日常的感覚。ここに来るまでに何度も感じてきたが、この鳥居群に遭遇した事により、一層の違和感を持って僕の胸にのしかかって来た。それは、噂にあった“廃神社”の存在が、確信めいたものになってきたからだ。鳥居から続く参道、それは単体では存在し得ない。参る道とは、主語がない。つまり、その主語とは、神のおわす社、神社に他ならない。
ふと、鳥居の向こうに影が見える。
背丈からして、子供の影。長治や夏希ではない。その影はその場でクルクルと回り、まるではしゃぐように跳ね回る。見間違いかと思い、目をこすって再び参道に目をやった時には、
そこに影はなかった。
極度の緊張やストレスにより、人は幻覚を見る事があるという。これはそういう類のものだ。そう自分に言い聞かせて鳥居をくぐる。
その瞬間、
「――見つけた」
耳元で、囁き声が聞こえた。
少女の声だ。甘く、優しく、耽美で、官能的で、冷徹で、怪奇で、
なにより、懐かしい響きだったのだ。
瞬時にその方向を見ても、あるのは暗闇だけ。ライトを向け、後ろを振り返っても、歩いてきた獣道があるだけ。いよいよもって、気のせいだと誤魔化しも効かなくなってきた。
急いだ方が良さそうだ。
獣道よりかは幾分か歩きやすくなった参道を、僕はできるだけ早足で駆けた。長治早く追いつかなくてはならない。二人に何かあっては遅いのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ペースを上げたおかげか、想像したよりも早く参道は終わりを告げる。一際大きな鳥居を潜った瞬間、一気に視界が開ける。
ちょっとした広場のように、森はそこで開けていた。空からは、いつの間にか雲から顔を出した三日月が辺りをほんのり照らしている。僕が立っている参道からは、広場へまっすぐ石畳が続いている。その参道を追っていくと、参道の両脇に崩れた石像が二つ。どうやら噂通りだ。そこまで歩みを進めると、明らかに異様な光景が目に飛び込んでくる。
ちょうど広場の中心ほどに神社の本殿はあった。いや、正確には本殿だったものだ。いまや、瓦礫となった本殿は、かつての姿を想像すらさせてくれない程に朽ちている。しかして、その廃屋もまた、奇妙な光景の一部分でしかなかったのだ。
瓦礫の中からは、悠然と立ち上る、1本の杉の木が生えていたのだ。
樹齢など、一目見ただけでは判らないが、その太い幹を見ただけで、10年やそこらではここまで育たないだろう事だけは判る。
杉の木をライトで照らすと、何故かキラキラと光る事に気づく。崩れた石像を抜け、杉の木へと近付くと、その正体は直ぐにでも理解出来た。否、理解してしまった。
それは、杉の木に打ち付けられた、無数の、
釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘。
杉の大木の表面には、びっしりと五寸釘が打ち込まれていたのだ。中にはポポちゃん人形や、くすんだ写真や、包まれた和紙や、藁人形や、指輪や、髪の毛や、蛇や狸等小動物の死骸や……、そんなもの達が釘で打ち込まれているのが判る。
あまりの衝撃で、僕は喉から胃液が登ってくるのを止められない。
「オッ……グッ、オエエエエェェェッ……あぁ、あっ」
口から吹き出した吐瀉物は地面に飛び散り、辺りに臭いを漂わせる。
「あぁ、ああああああぁぁぁあ……」
思わず涙を流しながら、喉を焼く吐瀉物を撒き散らす。吐くだけ吐いて、気持ちを落ち着ける。
「ハァッ……ハァッ……クソッ、なんだよこれ……」
思わず独りごちてしまう。正に悪意の塊。あの杉に打ち付けられていたのは、そういうものだ。あまりに純粋な悪意。人への恨み。怨み。憾み。あれ程に凝固した悪意を、見てしまった。
あれは恐らく、常人が見てはいけない類のものなのだろう。丑の刻参りは人に見られてはいけないという事もある。気付くべきではなかった。
目線は地面を向いたままだ。あんな光景は、二度と見たくない。
「クソッ……クソッ……」
顔を袖で拭って立ち上がる。瓦礫と、その中の杉を見ないようにして、辺りを見渡していると、近くから声が聞こえてきた。
「夏希! おい、返事しろよ!」
その声はよく知る叫び声、長治のものだとすぐに判る。
声のした方向は、瓦礫の向こう、広場の端の方だ。瞬間、今までの吐き気もどこへ言ったのか、駆け出すことに成功した。
「長治!」
名前を呼びながら駆け寄ると、そこに長治の姿が見える。地面に座り込み、何かを抱えている。
回り込んで、その姿を確認すると、長治に抱き抱えられていたのは、ぐったりと倒れ付す夏希の姿だった。
「泰生! 夏希が返事をしねえ! おい、夏希! 夏希ィッ!」
「長治! 落ち着け!」
「うるせぇ! 俺が、俺が誘わなきゃ、こんな……」
思わず、長治の頬をぶつ。
力いっぱい握り締めた拳を、思い切り振りかぶって。
「落ち着けって!!!!!!」
拳がクリーンヒットした長治は、数秒呆然として、こちらを見る。
「……泰生」
僕はそのまま長治の両頬を掴んで、デコがつきそうな程に顔を近づけてから叫ぶ。
「お前が落ち着かないでどうするんだ! まずは夏希が目を覚まさない原因を探さなきゃだろ! 心音は?! 息はしてるのか! ちゃんと確認は……ッ」
そこまで一気に吐き出す。が、その叫びは途中で止められることとなる。
「なんや……ケッタイな声出して……寝起きに煩いねん……」
夏希が、目を覚ましたからである。