姿飾りて命刺す
落ちている。落ちていく。ざざざざざ、と音が聴こえる。花浅葱の手をぎゅっと握りながら、怖くて目もぎゅっと瞑る。
【可愛いねぇ。新入りかい?俺が怖いのかい?俺は迷わせるのがだーい好きだからねぇ、警戒するのはいい事さぁ】
道案内って、そっちの道案内か!
「迷創路、この子は母さんのお気に入りだ。手を出したら分かってるだろうね?」
【分かってるさぁ。俺が迷わせるのは、此岸の住人のみさぁ。そういう決まりだからねぇ。決まりを破ったら、捨てられちまうさぁ】
「そうだ、ルールを破ったら母さんの怒りに触れ追放される。それが分かってるならいい」
【分かってるさぁ。俺だって、捨てられたくはないさぁ。着くよぉ】
どぷんっ、と音と共に外に吐き出されたのが分かった。恐る恐る目を開くと、住宅街に私達はいた。迷創路と呼ばれた黒い穴は、玉に戻ってる。
「びっくりしたかい?」
「そりゃもう……」
迷創路を巾着にしまう。立ち上がって花浅葱の手を握る。
「そういえば、迷創路は色の名前じゃないんだね」
「いや、名前はあるけどね、迷創路の方が定着して誰も本来の名前を呼ばなくなったせいで、皆忘れてしまったんだよ」
「ふぅん、そんな事もあるんだね」
「僕は蒐集家だから忘れてはいないけどね、他の皆はあまり他人に興味を示さないからねぇ」
「蒐集家って、何を集めるの?」
「他人の空想の欠片をね、集めるんだよ」
「…………?」
「ふふ、これも見てもらった方が早いね。服を調達した後に見せてあげよう」
「うん!」
手を引かれながら考える。この本来なら訳の分からない世界を、こうもすんなり受け入れられるものなのだろうか?
私は子供ではなかったという、妙な確信。そういえば、思い返せば元の姿を覚えていないのに、見慣れた疲れきった顔とは違うとも思っていたな。
考えられるのはここに来てから子供の姿になった、という事だろうな。
「葡萄染?どうしたんだい?」
「あ、いや……なんで子供の姿なんだろうと思って」
「自分が子供じゃないって自覚はあるんだね。母さんが言ってたよ。記憶を食べたら子供の姿になったって。多分、その頃に葡萄染にとって途轍もない疵を残す事が起こって、魂の時間がその時間で止まったんじゃないかって母さんが言ってたけど、僕もそう思う」
「……そっか。やっぱり大人の姿も含めて全部、私は全てを否定して捨てたんだね。じゃあ、もう気にしなくていいや」
「…………母さんに魅入られる程君を狂わせた記憶って、なんなんだろうね?」
花浅葱は微笑みながら私を見る。私の記憶に興味津々といった様子で。興味を持って当然か、蒐集家なんだし。
「さぁ……?今の私はどちらにしろ覚えてないよ。私にとって反吐が出る程の記憶なのは分かるけど。もう二度と、私は私でありたくない」
「……そうかい、すまないね。深入りし過ぎたみたいだ。どうも、僕の悪い癖だ。気になったモノは暴いて蒐集したくなる」
「そういえば、花浅葱は地区の核にはなれないの?」
「あー……そうだね、なれない事はないんだけどねぇ。地区の核になると、自分の地区の外には出られなくなるんだよ。他の地区に干渉出来なくなるんだ。僕の目的は蒐集だからね。それは困る。だから、母さんにあの家と土地だけ貰って、自由気儘に過ごしてるんだよ」
「ふぅん……自分の空想を具現化する場所だもんね。出ても仕方ないのか」
「そういう事」
なんとなく建ち並ぶ住宅を見ながら歩いていて、ふと気づく。
「ねぇ、家の中にいるの、あれ……人なの?」
窓から見える服を着た人の形をしたモノ達。どの窓から見えるモノも苦痛の表情を浮かべていて、薄気味悪い。
服は着てはいるが、身体に縫い付けられていて、痛々しいどころじゃない。
「あれはね、この地区に囚われちゃった哀れな迷いビトだよ」
「迷いビト?」
「迷創路が言ってた事覚えてるかい?迷わせるのは此岸の住人のみって。迷創路は此岸の住民を定期的にあらゆる地区に迷わせるんだよ」
「迷わせてどうするの?」
「中には迷いビトがいないと空想を満たせない住人もいるからね。だから迷創路が定期的に迷いビトを迷わせる事で住人は空想を満たせ、迷創路も空想を満たせる。それに迷創路はあれでいて、ちゃあんと住人達の迷いビトの好みを分かってるからね。どちらの利害も満たせる。一石二鳥って事だよ」
「ふぅん、どのくらいの頻度で?」
「こちらの時間では一ヶ月に一回程度だけど……此岸の時間ではそうだな…一年に一回程度か」
「意外と多いね」
「多いように思うけど、此岸での殺したり殺されたり自殺したり誘拐したりよりは少ないと思うよ?」
「それもそっか。私には関係ないし」
「そう、地区の核ではない僕らにはどうでもいい話だよ。迷いビトがどうなろうがね」
「とりあえず、ただの人はここに迷ったらああなっちゃうの?」
「そうだね、あんな姿の人形にされちゃうんだよ。なぁんにも分からないまま恐ろしい目に遭って、永遠に囚われる。囚われビトになったら、お終い」
「ふぅん……捕まえられちゃったんなら仕方ないね。じゃあさ、ここではどんな人を迷い込ませるの?」
「それは本人に聴いてみたらどうだい?聴けば必ず答えてくれるよ」
「じゃあ聴いてみる」
私達を恨めしそうに見つめる目、目、目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目。
縫い合わせられた口。身体に縫い付けられた服。全て剥がれた爪。血塗れの窓。
ああそうか。あの窓をずっと引っ搔いてるのから、剥がれたのか。
この中に、あの阿婆擦れ共はいるのだろうか?いたら、盛大に笑ってやるのに。
………………阿婆擦れ?誰の事だ?全て捨てたはずなのに、それでも奥深いところで忌々しい記憶はくすぶっているのか。本当に、忌々しい。
「ほら、あれがこの服針の核となる住人の屋敷だよ」
しばらく無言で歩いていたら、突然別世界に来たんじゃないかと思う程の、城の様な洋館が目に飛び込んできた。洋館自体は、見た目はまともだ。
門を潜り、玄関をノックせずに入る。玄関は広く、目の前には二階に続く左右に分かれた階段、右の部屋と左の部屋に分かれている。
「紛紅、入るよ」
下駄を脱ぐ事さえせず、迷いもなく左の部屋に入る。
部屋の中は凄惨なものだった。部屋中に飛び散った赤。バラバラにされた四肢と胴体と頭。あんな風になっても自我はあるのか、痛い痛いと泣いている。
この屋敷の主であろう男はソファに膝を抱えて座り不気味に笑いながら、右腕に右袖を縫い付けていく。
針が刺さる度に、痛い痛いと泣き叫ぶ。
きっと右袖で服の縫い付けは完了なのだろう。他の部位には綺麗に服が縫い付けてあるから。
「相変わらず、服の出来はいいね」
虚ろなぎょろりとした目が、花浅葱を見る。
「そうだろう?そうだろう!僕の服、可愛いしかっこいいよね!そうでしょ!?」
「ひっ!?」
突然の発狂にも似た声に恐怖を覚え、花浅葱の背中に隠れてしまう。なんで怖いのか分からないのに、怖い。
「ああ、可愛いしかっこいいし出来はいい。だからこの子を驚かせる事をしないでくれるかい?不安定な部分が多いんだ」
「花浅葱が連れてるって事はー、ママの新しいお気に入り?そっかぁ、そっかぁ!僕のとこに来たって事はぁ!服が欲しいんだよね!?そうだよねぇ!?」
そう言いながら、口を縫い付けていく。涙を流す目が、私を写す。
「ああ。この子は葡萄染。この子に合う洋服と、直垂を頼むよ」
「お安い御用だよぉ!人形にも手伝ってもらうからぁ、三十分あれば出来るからぁ!待ってて!」
初めて、男をまじまじと見る。パンクファッションと言えばいいのかな?赤い生地に髑髏の描かれたTシャツに、十字架と魔方陣が描かれたズボン。
目元を隠すボサボサの髪、不健康そうな顔色、細い手足、それでいて虚ろなのに爛々と輝く目、艶やかな唇を舌舐めずりする真っ赤な舌。
嗚呼、本当だ。狂ってる。
「さぁさ!僕の醜いお人形さん達!出番だよぉ!」
奥の部屋からドアを開け、五人の迷いビトが入ってきた。誰もが皆、外で見た迷いビトと同じ表情をしている。
「あっれぇー?お前、動きが鈍いねぇー?身体が合わないのかなぁ〜?違う身体と取り替えてあげなくちゃあね!」
紛紅が大きな裁ち鋏を裁縫箱から取り出す。それだけで迷いビト達は更に涙を流す。声は出せない。口が縫われてるから。
手をくいっとするだけで、動きが鈍いと言われた迷いビトは紛紅の足元に跪く。髪の毛を鷲掴み、首の縫い目に裁ち鋏を宛てがい、容赦なく切り刻んでいく。
血は飛び散らないが、切り離された首と胴体は生々しい断面図を覗かせている。
それでも、悲鳴を上げる事は出来ず、抗う事は最初から出来ない。
迷いビトも元は人でも、こうなると人形と変わりないな。
「後で別の身体と繋げようねぇー。誰がいいかなー?と、その前に葡萄染ちゃんの服を完成させようねぇ!さぁさ、働け阿婆擦れ共!外の奴らみたいになりたくないでしょー?」
びくっと身体を震わせ服を作り始める人形達。放り投げられる首に蹴飛ばされる胴体。
三日月型に歪む口に見開かれた虚ろで爛々と輝く目。清々しい程狂ってるな。
「ねぇ、紛紅」
「んー?なぁんだい?葡萄染ちゃん?君はかぁわいいから、なぁんでも答えてあげるよぉ」
「なんでここに来て、なんで、迷いビトをこんな風にしてるの?」
質問されたのがそんなに嬉しいのか、更ににたぁと笑い、目に光が宿る。狂気的な光が。
「その前に自己紹介しようか!知っての通り!ここでの名前は紛紅!此岸での名前はー、えーっとぉ、なんだったっけぇ……そうそう!瀬野又 雷樹!葡萄染ちゃんの此岸での名前はぁ?」
「覚えてない。お母さんに名前も記憶も食べてもらったから」
「へぇ……記憶も名前まで捨てるなんて、珍しいね!ここに来る程の記憶なんだから、酷い目に遭ったんだねぇ。可哀想に。僕は葡萄染ちゃんを傷つけたりしないからねぇ、友達になろうよ」
「紛紅にしては珍しいね。自分から他人に関わろうなんて」
「うふふー、葡萄染ちゃんとならねー、いい友達になれると思ったんだ!ね、葡萄染ちゃん?いいでしょー?」
「うん、いいよ。私は語れる過去を持ってないけど」
「いいよいいよ!いいんだよぉ!僕は昔話をするのがだぁい好きなだけだからね!えっとぉ、ここに来た理由と迷いビトをこんな風にする理由だよね!ここに来たのはぁ!偶然!気づいたらーここに来てて〜、此岸を捨ててワタシの子として生きるかってママに聴かれたの!だからねぇ、迷わずママの子になった訳!」
「……怖くなかったの?」
「最初見たママはねぇ、闇の塊だったけど!怖くなんてないよぉ。見ただけで分かるもん。このヒトが僕のママで、僕の全てを受け入れてくれる優しいヒトだって。此岸では結局だーれも、僕を受け入れてくれなかったんだぁ」
にたぁ、と笑う。ただ笑う。服を縫う手を休めずに。
「僕は男だけどー、外で遊ぶより服や人形を作る方が大好きだったんだー。そんな僕をね!両親はもっと男らしくしろって受け入れてくれなかったんだよね!いつしか僕をいないものとして扱ってー、両親との思い出はないね!でねでね!僕には婚約者がいたんだけどね!そいつがとんだ阿婆擦れ!お金はないけど、二人だけの結婚式はしたいねって言うからさぁ!ウェディングドレスを作ったんだよぉ!最高傑作!プロ顔負けの懇親の出来!なのにさぁ!あの阿婆擦れ!他の奴と結婚したんだよぉ!僕の作ったウェディングドレスを着て!凄いよね!?凄いよねぇ!?信じられる!?信じられないよねぇ!?別の男に作らせたウェディングドレスで、本命の男と結婚するんだよぉ!どんな神経してんだってね!でねー、男がいない間にあいつに問い詰めたらー、貴方と別れた訳じゃないから今まで通り付き合いましょ私の為にまた服を作って、だって!しーんじらんない!そーんなに着飾りたいなら、とびっきりの服を身体に直接縫っちゃえばいいじゃんって閃いてー、気づいたらーあいつは!真っ赤なウェディングドレスを縫い付けられた訳!とーっても気持ちよかったんだー、人体に服を縫い付けて着飾らせるの。純粋な想いを踏みにじる阿婆擦れ共をー、こいつと同じ様に縫いたい。そう思ったらねー、気づいたらここに来ちゃった!」
「……紛紅も裏切られたんだね」
「うふふー、裏切ったのはぁ、あ い つ なんだからぁ!罰は受けて当然だよねー?あいつはねぇー、二階の奥の部屋でー、僕のとびっきりの醜いお人形さんだからぁ、飾ってあるの!この前ねぇ、新しいウェディングドレスを縫ってあげたんだぁ……。その時の顔ったら!もうたまんない!たまんないよ!絶望と屈辱と苦痛と恨みをごちゃまぜにした顔!あの表情を見てるとねー、ぞくぞくしてたまんないんだー。僕を踏みにじったあいつ!でもねー、結局は僕に支配されてやーんの!ぜーったいに捨ててやんないんだから!永遠に僕の手元に置いて苦しめ続けてやるんだぁ」
「そういえば、外の人形は何?それと、紛紅の迷いビトの好みって、不倫をしてる女?」
「そう!不倫するようなわるーい阿婆擦れをぉ!連れて来てもらうの!でねでね!この裁ち鋏でバラバラにしてね!服を作って、身体に縫い付けてね!お人形さんに汚い口は必要ないからね!縫うの!別のお人形さんのそれぞれの部位を縫い付けてね!ちぐはぐな醜いお人形さんの完成!」
なるほど。だからこの人形達は妙な格好だったのか。左右長さの合わない手足やバラバラに組み合わさった服。全てが別人の身体なら、そりゃあ合わなくて当然だ。
醜いお人形さんと言うのも、納得がいく。
「でね!外のお人形さん達はねー、飽きちゃったりー、僕に反抗的な目をする奴をねー、捨てたの!家の中に閉じ込めてー、出られなくしてー、ある程度溜まったらぁ、お掃除システムがね!ぜーんぶ食べて綺麗にしてくれるの!」
「綺麗に?」
「僕達核が捨てた迷いビトをね!食べて消してくれる半透明のねー、白いナニカがいてね!ソレに食べられると消えちゃうの!死んじゃうんじゃなくてねー、無になっちゃう!うふふー、お似合いだよねぇ!苦しんだ挙句にー、食べられて消えちゃうの!笑っちゃうよねぇ!。こいつらねぇ、外の奴らのようになりたくないから、僕に従ってんの!いつ飽きられるかビクビクしてさぁ!まぁでもー、今首を切ったお人形さんはお気に入りなんだぁ。不倫した挙句子供を作ってぇ、夫の子として育てようとした阿婆擦れだからねぇ!もう何回、身体を換えたかなー?」
「まぁ、自業自得だね」
「葡萄染ちゃんもなかなかにつめたーい。やっぱ葡萄染ちゃんとはいい友達になれそう!今度、一人でおいでよ。あいつ、見せてあげる」
「え?僕さえ見た事ないのに」
花浅葱が驚いたように口を開く。あいつ、とは婚約者の事だろうな。
「あいつを見せようと思ったのはぁ、葡萄染ちゃんが初めてだね!花浅葱には見せてやんなーい。蒐集されたらー、たまったもんじゃないもーん」
「まぁ……否定は出来ないかな。気になる物を目の前にしたらどうも、見境なくなる事が多いからねぇ」
「でしょ!だからダメー!よぉし!そろそろラストスパートかけるからぁ、集中するからぁ、話しかけても返事出来ないからね!」
「分かった。座って大人しく待ってるとするよ。葡萄染、こうなると本当に聴こえてないから、座って待っていよう」
「はぁい」
口元は三日月型に歪んだまま、ただただ一心不乱に休む事なく服を縫っていく。
人形達は遅れぬように、一心不乱に縫っている。
ーーーーーー
「でーきった!」
手足をぴんと伸ばし、うっとりと嬉しそうに手に持った直垂を眺める。着物一着を本当に三十分で作れるなんて。
「さぁさ葡萄染ちゃん!着てみて!ぴったしのはずだよー!」
「えっ、待っ……」
有無を言わさず服を脱がされ、せっせと直垂を着せられていく。鼻歌を歌いながら着せる紛紅。楽しそうだ。