8話 潜んでいたのは
どうしてだろう。
ふと生まれる沈黙。
ああ、偶にある。
なんとなく居たたまれない気持ち。
叫びたくなった。
「ガッデム! なんじゃこれ!?」
だから、司は叫ぶ。
誤魔化しの、八つ当たり。
矛先は、信治の借りてきた半透明ケースのDVD。
おあつらえ向きに、嫌いな作品だった。
当の信治はたじろいでいる。
大丈夫、気付いていない――。
「あ、ああ、悪い」
合点がいったと、視線がDVDに向かっている。
ネタにしようと持ってきたのだろうか。
主人公一筋だったはずのヒロイン格がふらふらして、挙げ句に主人公以外とくっつく話。
ギャルゲーを原作にしたラブコメだったくせに、御法度の部類に入る超展開だった。
「ビッチとか超あり得ないんですけどー」
「その口調がなんかそれっぽいな」
司がもてない男の偏見を含んだ物言いを、尖らせた唇でそれらしい風に漏らせば、信治の予定調和なツッコミが返ってくる。
「いやぁ、幼馴染みはくっついとけよなー」
「幼馴染み属性好きだな」
まあ、俺もだが――。
信治はそう同意し頷く。
「なんつうの? 健気というか、一途とか、そんなキャラが好きなんだよ」
――昔、そういう風に洗脳されたし。
情操教育のつもりだったんだろうか。
結果的にはそれが功を奏していると言えなくもない。
違うベクトルで。
「ああ、なして僕には可愛い幼馴染み居らんのー?」
「居たらどうするつもりだよ」
信治の苦笑。
でも、同姓ならばもう少し気が楽だったかもしれないとは偶に思う。
時々ふと思い出してしまう、母の言葉。
その、告げる夢。
それを思い出して気まずくなってしまう。
叶わなかった夢を、託したいと――。
「……無理だね」
きっと、自分には無理だ。
そう呟いて、思わず自嘲に口の端が歪む。
「無理って、何が?」
呟きが届いていたか。
若干の動揺に、思わず目を逸らす。
黙り込みそうになる。
咳払いで一拍置く。
そして少し間を開けて。
「……いや、可愛い幼馴染みが居てもフラグ立てらんないんだろうなぁって」
「そりゃそうだ。ただしイケメンに限るって言葉を知らないのか?」
司の自虐めいた苦笑、信治の喉も自嘲気味に鳴る。
確かに、信治はカッコ良いとは言いがたい。
とりあえずと言った程度に整えた短髪、顔立ちは司としては無難だと思う程度。
今は学校の制服だが、服のセンスもいまいちだ。
――美女も醜女も三日で慣れる。
母が偶に、自分と信治へ言い聞かせていた。
世の中顔じゃないと。
若々しく、また美しい母の言に説得力は微塵も無いと感じたのを覚えている。
分かっている、ああした発言の一つ一つが集約する意味は。
それを思い出す度に、また居たたまれない気持ちになるのだから。
「あー、唐突な押しかけ許嫁とかで良いから美少女来ないかなー!」
湧き上がる衝動を誤魔化すために、適当な叫びを上げる。
「だから、ねーよ」
信治の呆れた風な嘆息。
どこか嘲笑じみていても、言葉が返ってくるという事に司は安堵していた。
何をやっても反応は寒々しく、突き刺さる視線はただ不快さを楽しむ被虐に満ちて――。
又は、無関心か。
そうなったら、どうして良いか分からないから。
人間関係なんて傍から見れば大概見苦しい。
そう、神崎さんが言っていたのを思い出す。
こうやってビクビクしながら癇癪じみた発作を起こす自分は、相当に滑稽だ。
司は、内心で自分をそう嘲笑った。
どうしてだろう。
言葉が出ない。
目の前で微笑む童に、何を言えばいいのか。
好奇の視線自体はさして珍しくもない。
けれど、ここまで好意的な、そう信じられる眼差しを受けたのは初めてだ。
そもそも、何者だろう。
衣は粗末で、おそらく地主の縁者でもなかろうし、村の住人だと辺りもつくが。
「俺な、太郎ってんだ。ねえねえ、姉ちゃんの名前はなんていうの?」
童――太郎は、顔を笑みでくしゃくしゃに歪めてこちらを見上げる。
重なった視線を思わず背け、そのボサボサ頭へ向かう。
まるで何かの巣みたいで面白い――。
逃避じみた感慨。
「……咲耶だ」
やや間を置いてから、短く返す。
頭が回らないことに、微かな苛立ちがあった。
気の利いた言葉が、浮かばない。
それにしても、自信の現状に置き換えると、咲くという字が皮肉に感じられる。
「さくら?」
「さくや、だ」
「そっか。ところで桜は好き? 俺は好きだよ」
同意の頷きを返すが、それすらぎこちなくなってしまう。
それでも太郎は、一緒だとケラケラ笑う。
手を掴まれた。思わず身が竦む。
咲耶の手よりも一回り小さく骨張ったような、けれど何処か柔らかみの残る手。
優しく、しっかりと――。
いきなりどういう事だろう。自分の手をこんな風に掴む者が、今までに居ただろうか。
「えっと、こんにちわの握手」
態度に出ていたか、こちらの困惑を察したようで太郎ははにかんだ笑みを見せた。
――暖かい。
じんわりと染みるようで、くすぐったい心地よさがあった。
人の体温がこういったものだと、知らなかった、と。
戸惑い、居心地が悪さを感じながら、握り返す。
今度は、重なった視線から逃げなかった。
咲耶は表情が緩むのを自覚するが、長年連れ添った仏頂面が出しゃばって、酷く強張った感触だ。
ゆっくりと手を解きながら続く話題を探すが、教え込まれた社交辞令の、形式的な時候の挨拶くらいしか浮かばない。
そんなもので、このような村の一般庶民に通じるか――。
そういえば、ここは地主の屋敷。
その庭先に踏み入った事が見とがめられれば、この子もお叱りのひとつも受けるのではないか。
「どうして、お前のような童がここにいるんだ?」
つい、咎めるような口調となってしまったが、太郎は意に介した風もなくあっさりと理由を告げた。
「えっと、鬼が居るって聞いて、会ってみたかったから」
咲耶は苦笑せざるを得なかった。
それは間違いなく、自分のことを言っている。
この髪に、ややくっきりとし過ぎた目鼻立ち、物の怪呼ばわりされるのは今に始まった事ではない。
そう告げてやると、太郎は肩を落とした。
鬼に会いたいなど、度胸のある童だ。
鬼など、親が子を脅して分かり易く言い聞かせる、言うなれば話題の鋳型のようなものだ。
「子分にして貰おうと思ったのに……」
唇を尖らせて呟く。どうしてそのような発想に至るのか、咲耶は首を傾げたくなった。
「止めておけ。喰われるのがオチだ」
咲耶は嘆息混じりにそう告げた。
咲耶が凶祓いの修練を積んでこの方、おとぎ話に聞くような角の生えた化け物に出くわしたことなぞ終ぞ無いが。
ああいったものは大概が敵方を比喩的に現したものであり、俗に言う怪異はそこまで鮮明な形を残さず、また認識が一様に違っている。
まず認識出来る者が少なく、その者の価値観ごとで認識が変調するものだ。
まあ、つまりは冗談のつもりだったのだ。
「喰われるのかな」
しんと、辺りが静まりかえった気がした。
どこか冷ややかな、太郎の声。
「鬼は、おんなじ鬼でも喰うのかな……?」
太郎が自分の髪を片手で掻き分けながら、もう一方の手は咲耶の手を引いた。
咲耶の手が、頭の天辺に触れる。
小指の先ほどに尖った円錐形、頭皮でもカサブタでもないような硬い、しかし飾り物めいた気はしない温もりのある感触。
――角?
「俺も、鬼って言われるんだ」
そう言って、太郎は笑った。
何処か、寒々しい笑みだった。
続く?
作中の作品も、大体は実在しない物なので、お気をつけください。