6話 思いやりのない人間達
覚醒自体は午後になってすぐだった。
疲労もすっかり抜け、それでも布団を出ないまま俯せになって微睡みを堪能するのが司の癖になってしまっている。
昨夜は亡霊の数が少なかった。
そういう日も稀にあり、自宅警備も幾分楽に済んだ。
普段は夜明けと同時にシャワーを浴び、それから重くなった身体を布団に沈める日が多いのだが。
おかげで久々に、大手掲示板を過去ログ抜きにリアルタイムで張り付いていられた。
……何とも不毛な一夜だった。
昼夜逆転の生活を送るようになってから、夜の過ごし方に困っている。
ネットゲームになど手を出してしまえば、みんなが死んでしまうからとモニターから離れられなくなってしまうだろう。
必然いつでも中断できる読み物が多いのだが、最近はジャンル:アドヴェンチャーとは名ばかりのノベルチックなギャルゲーにどっぷり浸る有様だ。
ちなみに古典文学なぞ、端から読む気が起きない。
自分は色々と終わっている――。
喉を鳴らして自嘲する。
だからこそ信治と話を合わせることが出来ているのだが。
そういえば、昨日は休日だったが信治は来なかった。
どう過ごしたのだろうか。
信治は、自分に友達などいないと笑っていた。
本当なのだろうか。
だとすれば、とても淋しいことだ。
本当だったら良いとも、思っている。
自分にだって友達はもういないと言っていい。
友達だったかもしれない人達からのメールも御無沙汰だ。
……もう、信治くらいだ、友達は。
信治は、こちらを友達と思ってくれているのだろうか。
それがただの同情ではないと確認する術はない。
このまま布団の中にいては気鬱になるばかりだ。
ゆっくりと這い出た。
もうじき高校は放課後だろう。
信治が来るかどうか分からないが、心構えだけはしておこう。
いつまでも寝間着のままではアレだ。
布団を押し入れにしまい込んでから、部屋の隅に置かれた化粧台の前に正座する
緩く編んでいたおさげを解いて、ヘアウォーターをスプレーして軽く髪を湿らせる。
それから赤い半月形の櫛を手に取り、そっと梳かす。
随分と長くなった髪。
勉があれこれ世話を焼いてくれるが、自分での手入れは怠りがちだ。
適当に梳いているだけでは髪が傷むだのなんだの。
正直な話、億劫だ。
ヘアウォーターだって、勉の持ち込みだ。
そんな姿勢でこの髪質を維持しているのは奇跡だと宣うあきれ顔を思い出した。
鏡に映るしかめ面。
昔は、母の微笑ばかりが映っていたというのに。
鏡に映る自分と母を見比べ、将来母のような美人になりたいと、はしゃいでいた時期もあった。
ああダメだ、似ていない。
こんな陰気な表情、母はしていなかった。
同じように髪を伸ばしても、あの日の像とは似つかない。
しばらくして、櫛の通りが良くなってきた。
目を閉じてから、更に梳いていく。
もう殆ど抵抗はない。ただその感触が心地よかった。
目を開く。
そこには少し微睡んだような表情があった。全身の強ばりが解けたような気もする。
そして、微笑む。
そのフリは出来た筈だ。
記憶の中の母に、少しだけ近づけたと思う。
これでいつも通り。
臆病な心を隠して。
周囲を慮ることもなく、心の目も塞いで。
……そこで、ふと頭を過ぎった。
鬼の由来。
おぬ――隠ぬが転じて、おに。
隠れ潜むモノこそ、恐ろしいと。
レンタル屋に着いた。
さて、何のビデオを借りようか。
ちょっと古い作品や話題の映画などが良いだろうか。
そう思いつつ、まっ先に向かうのがアニメのコーナー。
我ながら呆れるが、メジャーな映画などは後回しだ。
作画の崩れで有名な作品はDVDだと修正されているから困る。
その辺りをネタに盛り上がりたいのに。
それとも、超展開な作品で攻めようか――。
と、そこで前方、マイナーなアニメDVDの並ぶ一角に不似合いな光景を認めた。
幼稚園児くらいか。
踏み台に載って、小さな身体で目一杯、手を棚の上方へ伸ばす紺色のベレー帽を被った後ろ姿。
この辺りにはちょいと難しい設定の作品が多く、その手の設定をクールと感じる人間の巣窟の筈なのだが。
指先が届きそうで届いていないその作品には覚えがあった。
複雑な設定がウリという類のSFアニメ。
あ、今惜しくも届かなかった。
……いつまでもこうしてただ見ているのもアレな気が。
俺もその辺り見たいし。
ここで話しかけづらいと離れたらきっと後で後悔するし、別段大した事でもない。
「コレですか?」
近づき、そのケースに触れる。
声は若干緊張気味になってしまった。
子供は、一瞬こちらを向いて目を見張らせた。
ドングリ眼の間の抜けた表情は可愛らしかった。
半ズボンにTシャツ、顔立ちも何処か中性的で性別が分かり難い。髪も短いし、多分男の子か。
その子は背伸びを止め、こくりと小さく頷きを返してきた。
俺はそれに応じ、DVDの内ケースを取り出して渡した。
その子は更に隣を指で示す。
あ、続きの巻も借りていくのか。
それも取り出し渡す。
どうもありがとうございます――。
子供は澄んだ声と共に頭を下げ、去っていった。
その仕草に微笑ましいものを覚えていた。
あの年頃を考えれば、随分礼儀の正しい方だろう。
ああ、声かけて良かった――。
「やっ!」
「おあっ!?」
突然声を掛けられ、気のゆるみもあってか思わず奇声を上げてしまった。
声の方を向けば、そこには見覚えのある顔が。
明るく頬を緩ませまくっている、お気楽そうな女子。
「久しぶり、大山君」
「あ、うん」
えーと、岸さんだっけ。
司辺りとよく話していた人で……友人だった?
二年の時のクラスメートだった筈なんだが、どうも記憶があやふやだ。
それにそういや、俺あんまし司の交友関係とか、知らないな。
つーか、その程度の繋がりの俺によく話しかけたな。
「元気してる?」
「はぁ、まぁ、ぼちぼち」
ボッチボッチな高校生活です。
「こっちは学校がアレだからさぁ、今のところ授業が楽だね。そっちは縁高だったよね?」
「ああ、うん。そっちって、どこだっけ?」
授業が楽だって、レベルに合わせた高校通ってないのかよ。
「こっちは砂賀谷だよ。知らなかったの?」
そう言われましても。
あ、でも制服には見覚えが。
ああ、砂賀谷って確か元……だな、元友人が二人ほど通ってる学校だったはず。
近隣の公立じゃ一番レベルが低い所。
そうは言っても、最近の公立は何所も偏差値上昇中だけどな。
「や、その、ごめん」
知り合いの進学先くらい知ってて当然なのだろうか――。
一瞬そう思い込んで、つい謝ってしまった。
「ははは、やっぱり大山君は面白いねぇ」
貴女様の笑いどころが理解できません。
それとも、嘲笑されてるのか。
「そんで、司とは最近どう?」
「へ?」
またいきなりですね。
どうって、別段変わったこともなく、だれてるだけですが……。
「いや、まぁ普通なんじゃない?」
どこまで言えばいいのやら。
当たり障りのない返答しかできない。
「普通ねぇ……」
向こうも返しに困っている。
しかしなぁ、他に何と言えば。
「司は元気してるの?」
「まあ、元気なんじゃないかな」
自宅警備員をガーディアンと言い張れるくらいには余裕があるだろう。
その開き直りっぷりは既に人間としてダメな気もするが。
「そか……。ありがとう、私はもう行くんで。またねー」
これまた若干唐突に岸さんは去っていった。
司のヤツは中学の友人ともう切れてるって言ってたけど。
そうでもないのか?
いやでも、それだったら一々司について尋ねたりなんてする必要も無いしなぁ。
分からん。
そもそも司の交友関係についてもさっぱりだけど、他の人は友達の友達とか、知ってて当然なのかね。
友達紹介とかあんましたこと無いからなぁ。
……ホイホイ紹介できるほど居なかったしな、友達。
あいつ、今頃どうしてんだろ。
司と会うときは大抵、司の家で二人だった。
年頃の少年少女は会うだけでも人目を憚ってしまうものだったわけで。
司のお母さん――操さんとかは、割と俺に親切にしてくれたなって覚えがある。
いっつもニコニコしてしょっちゅうお菓子とか振る舞ってくれたな。
どうして、そうまでして遊んでたんだっけ?
それって、司はウザかったりしなかったのか?
……今は、どうなんだろ。
今更だけど、俺ってあいつの事知らない。
続く